89話 最後の一時
まずは健吾視点からです。
「金属バットの音を聞いてしまったことで非常に強いストレスを感じたんだろう」
あれから、気が付くと俺は病院の中にいたんだ。正直に言ってどうやってここまで来たのか覚えていない。自分の不注意でまた京を辛い目に合わせてしまった。そのことが俺に重くのしかかっていた。
自分の周りに京がいないことから、すでに診てもらえているのだろうという判断だけを辛うじて出来た俺は特に何かをしようとも思えずただずんでいると、丘神さんに声を掛けられ、丘神さんの診察室へ連れていかれたんだ。そして俺に向かって先ほどの一言が言われたというわけだ。
「……そうですね。俺があのときやられた原因は金属バットらしいですし。自分のせいだと思ってしまったことを忘れていたとしても、それがきっかけでパニックになることなんて簡単に想像できましたよね。本当に俺は何をしていたんだろうな……」
俺がその場から逃げ出したいというくだらないことを優先してしまったことで今回のことが起きてしまったんだ。旅行のときの後悔から何も学んでいないな、俺。自分の馬鹿さ加減に内心で苦笑し、これ以上京を傷つける前に京とは距離を置いた方がいいのではないかと考え始めていると、
「いや、健吾君を責めているわけじゃないんだ。……それにしても本当に君たちは似ているね。健吾君、今回のことだってそのような可能性があるということが分かっていたのにも関わらずしっかりと君に教えなかった私たちが悪いんだ。今の君に取ったら私の言葉は君自身が感じている責任の重荷から逃れるための悪魔の囁きのように聞こえるかもしれない。それでも、それでいいんだ。それでいいんだっていうのもおかしいかな? とどのつまり、1人で抱え込もうとせずにそれくらいの気持ちで誰かに出しちゃえばいいんだよ。君にも弱みを見せても構わないと思うくらい信頼している人が少なからずいるだろう?」
丘神さんがそのようなことを言い出したんだ。意図はわからなかったが、信頼出来る相手と言われて、何人か頭を過った俺は頷いて返すと、
「騙されたと思って今抱えていることをその人に話してごらん? それだけでも気分は大分楽になるし、見えてくるものも変わるしね。何だったら私にでもいいよ? 健吾君にとって私がどれだけ信頼出来るかはわからないけど、それでも私にでも話せることが少しでもあるだろう?」
丘神さんは何かにホッとしたような笑みを浮かべていた。何にホッとしたのかはわからなかったが、その穏やかな笑みを見た俺は
「本当に俺って余計なことしか出来ないですね」
気が付くとそんな言葉が口から出ていたんだ。本当に自分でも聞き取れるかどうかの音量であったのだが、
「どうしてだい?」
丘神さんは聞き取れたみたいで俺にそう語りかけてきた。続きを話すかどうか一瞬迷ったが、気が弱っていて、心のどこかで誰かに聞いてもらいたかったのだろう。俺は口を開き、言葉を紡いだ。
「俺はいつもいつも京矢のために何かしようとしても碌なことにしかなってないんです。京は自身の性格がドジであることを自覚しているのもあって全部自分のせいだと思っているみたいですが、基本的に京の身に何かが起きた原因は俺にあるんです。中学時代はもちろん、高校生になってからも、京になってしまったのも、記憶を失ってしまったのも、そして今回のことだって……。はは……、こうやって口に出すとほんと俺って京に対してひどいことしか出来てないですね……。もういっそのこと京の前からいなくなってしまった方がいいんですかね。幸いにして父親が単身赴任していますので、そこに転がり込まさせてもらえば……」
一度言葉に出してしまうと、止めなければ止めなければと思ってもどんどん口から弱気な言葉があふれ出てしまっていた。ダムの決壊が如く言葉を続けていると、ふと頭の上に何かが置かれ、そこでようやく俺の言葉は止まったんだ。
「健吾君、話してくれてありがとう。そんなに不安にならなくて大丈夫だよ? だから顔をあげてくれるかい?」
丘神さんに指摘され、そこで視線を下に向けていたことに気付いた俺は顔を上げると、丘神さんが俺の頭に手を置いていたんだ。普段なら頭を撫でられるなんていう恥ずかしいことはすぐにやめてもらうのだが、
「でも、俺のせいで……」
今はやめてもらおうとも思えず、丘神さんに手を頭に置かれたまま再び弱音を言おうとしたのだが、
「いいかい? 確かに結果は健吾君からすればいい結果ではなかったかもしれない。でもそれは京矢君にも言えることなのかい? それは君が決めつけることではなく、京矢君自身が決めることだよ。それに先ほどの自分の言葉を思い返してごらん? 健吾君は京矢君のためにしていたんだろう? 重すぎるとまた別かもしれないが、自分に好意を寄せられて嫌だという人はそうはいないさ」
丘神さんに被せるようにそう言われてしまったんだ。確かに京矢に直接聞いたことはないが……、丘神さんの言うように京矢は何とも思っていないかもしれないが、逆に言えば内に秘めていただけでずっと俺を恨んでいたかもしれない。
丘神さんに言われたことを信じきれず、逡巡していると、
「京矢君の記憶が戻って、健吾君の気持ちの整理が終わったら一度聞いてごらん? きっと悪いようにはならないよ。それよりも今は京ちゃんのところに行ってあげなさい。病院に運ばれて随分と時間が経つから目を覚ましていてもおかしくないだろう」
「病室は前回と同じところだよ」という言葉と共に丘神さんにそう言われ、ふと外を見るとすっかり暗くなっていた。そうだよな、今は京矢のことじゃなく、京ちゃんのことを考えないと。恐らく今日のデートが台無しになってしまったことも気に病んでいるだろうし。
そう思った俺は立ち上がり、
「丘神さん、ありがとうございました」
丘神さんに礼を言い、診察室を出ようとしたところで、
「あっ、そうそう。篠宮さんや服部さんたちには後でお礼を言っておいた方がいいよ。茫然自失状態だった君と倒れた京ちゃんを見ても慌てずに病院に連絡して、ここまで連れてきてくれたのは彼女たちだからね」
丘神さんにそう言われたんだ。そうか……、篠宮さんたちにも借りを作ってしまっていたんだな。本当に彼女たちには助けられてばかりだ。いずれしっかりとしたお礼をしたいところだが、今は京だ。
「はい。ありがとうございます」
俺は振り返り、改めてお礼を言った後再び病室へと向かったのであった。
健吾君が自己嫌悪で潰れそうになっていることに気付いた丘神さんによるカウンセリングでした。
健吾視点も1話に収めようと思ったのですが、想像していた以上に長引いてしまいましたので、次話も健吾視点です。
次話で収まればいいなぁ……。




