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「おい、これ何だろうな」部室に鍵をかけて女子の部室への覗き穴を掘るためにごそごそやっていた透が悠太に声を掛けた。ロッカーとロッカーの間に挟まっていたのは一冊のノートだった。「何だろうって、水泳部って表に書いてある」悠太がノートを指していう。「タイムの記録か何かかな」そういいながら透はノートをぱらぱらとめくっていく。「おい、これ」透がページの一カ所を指で押さえて悠太に見せる。「ふむ・・。」悠太と透が顔を見合わせた。それは水泳部の名簿だった。日付を見ると昨年の四月二十六日作成となっている。偶然にも今日と同じ日付だ。だが透が指でさしていたのは部員の名前のところだった。一年生のところ上から二番目に相家雪とあり、その上に相家空という名前があった。「雪先輩に同い年の兄弟か姉妹がいるって聞いてるか」悠太が問う。「いや、聞いてない。かわいい女の双子がいたらいいよな。体育会系の雪ちゃんと文化系の空ちゃん、みたいなさ」透が明るい口調でいう。「ああ、そういうのだったらいいな」「慎重にいこう」そして二人は覗き穴を掘る作業に戻った。やがて女子部室から物音と話し声が聞こえてきた。相家雪と小沢知美が来たらしい。悠太と透は穴を掘るのをやめるとプールへと向かった。
プールサイドではなつきとかおりが先に準備運動を終え、マットの上でストレッチをしていた。足を広げて座り体を前と左右に倒している。透と悠太は後ろからそっと近づくと透はなつきに、悠太はかおりの目を両手で覆う。「だーれだ」二人同時に声を掛けるが、その次の反応はそれぞれ違った。「いたたたっギブギブッ」というのが透で「きゃっ」「ぐっ」というのがかおりと悠太だった。
透の右手の小指はなつきに摑まれて反対方向にねじ上げられており、体は腹ばいになっている。悠太は鼻を手で押さえているがその下から血がぽたぽたと垂れている。「ごめんなさいっ大丈夫」かおりが声をかけているが悠太は押さえていないほうの手を軽くあげて大丈夫と伝えている。突然のことに驚いたかおりが思い切り後ろにのけぞり、後頭部が悠太の鼻を直撃したようだ。「かおり、ナイス護身」なつきが透の指を掴んでいないほうの手の親指を立てて見せながらいった。
小沢知美と相家雪がプールに到着したとき目にしたのはすでに泳いでいる女子二人と、準備体操をしている、小指にテーピングを巻いた透と鼻にティッシュを詰めた悠太だった。「今日は練習のあとに筋トレをするからね」見た目の少々の変形には触れず、知美が準備体操を始めながらいう。悠太と透の軽い怪我や鼻血はいまや日常の光景だった。
練習が終わると今日もドーナッツ屋に寄ることになった。部活が終わってからみんなで食べる甘いものは癖になってしまいそうだとかおりは思った。「先輩たちも帰り道が一緒だったら良かったのにね」かおりが店に向かう途中でぽつりというと、「そうだな。ま、今度みんなで遊びにいこうぜ。ゲーセンとかカラオケとか」と悠太がいい、かおりの知らない歌を透が歌い出した。その歌をなつきも一緒に歌い出し、つられるように悠太も歌う。悠太は少し音程が外れている。赤く染まった空を背景に気持ちよさそうに歌う三人を見ながら、かおりはこんな時間がいつまでも続いてほしいと願っていた。
「・・だろ・・・だろ」みきはぼんやりとした意識の中で顔を上げた。男がみきを見下ろし立っている。「たす、けて」かすれた声でなんとか口にする。最初の頃にあった気持ちの強さは残っていなかった。昼間でも暗く、夜には自分の体さえ見えない闇の中にほとんど食事も与えられず、排泄さえもバケツに垂れながさなければならない状況にみきの身も心も削り取られていた。「・・・だろ・・おまえが悪いんだろ」男は一日に二度か三度やってきてみきの姿を眺めていく。体に触れることはないがその視線はねっとりとして直接粘液のようなものをかけられているようだった。加えて意味の分からないことを呟いていく。みきが助けを哀願してもまったく聞こえていないようだった。
男は目の前の少女を見ながら考えていた。こいつが悪いんだ。しかしあいつの妹も悪い。だから捕まえなくては。ぼくをこんな風にしたあいつらを全員捕まえなくては。あいつは早く殺しすぎた。妹も捕まえているんだよ、おまえがいうことを聞かないと妹を先に殺すよといったら何でもいうこと聞いたっけ。いうことを聞けば妹は助けてやるといったら白い腹が膨れるほどにプールの水を飲んで頭からビニール袋をかぶせてもじっとぼくを見ていた。あの目、あの目は悪い目だ。妹はあいつよりも一年も長く生かしてあげた。ぼくは悪くない。あの目、あの目は悪い目だ。
四月二十七日 土曜日
昼からの練習中に今度水泳部全員でどこかへ遊びに行こうという話が出た。二年のふたりも乗り気で、それなら今日は話し合いを兼ねて帰りにお茶をしようということになった。小沢知美も相家雪も前々から学校の外で後輩たちと遊びたいと思っていたようだった。練習をいつもより早めに切り上げて六人は最近行きつけのドーナツ屋へと向かった。
「光崎遊園地には行ったことある?」知美が席から身を乗り出すようにしていう。「あそこのワンダーマウンテン、めっちゃ怖いらしいですよね」透が胡麻のたっぷりついたドーナツを頬張りながらいう。「食べながら話さないの。行儀の悪い」なつきが肘でつつきながら叱る。「水族館にも行きたい」声は小さいがひたむきな目をして雪がいう。「イルカのショーが斬新で面白いって聞きますよね。なんでも劇仕立てになっているとか」悠太が手にチョコドーナツを持ったまま答える。かおりは季節限定の桜ドーナツを頼んでいた。ドーナツなのに桜餅のような匂いがするのは不思議だが、食べてみるとさくさくとした食感と中に入ったあんがよく合った。
「私は全部行ってみたい」中華風おかゆに息を吹きかけて冷ましながらなつきがいう。「それじゃあ最初にどこに行こうか」あっという間にチョコドーナツを食べ終えた悠太がいう。「お天気次第で、その日が晴れなら遊園地、雨なら水族館というのは」知美がいい、全員の賛同を得る。話はあちこちに飛び、昼はお弁当を持って行くか、おいしいランチを出す店の話、遊園地で得するチケットの買い方や水族館の雑学の話で盛り上がった。水族館のラッコが手をつないで寝るという話で透と悠太が真似をしてみせるので女子はみなお腹が痛くなるほど笑った。いつの間にか外は薄暗くなっていた。
「あなたたちが水泳部に入って本当に良かった」外を見ながら小沢知美がぽつりという。「そうだね」一年生四人の顔を見ながら相家雪が頷いた。「先輩たちは俺たちが入るときに噂が怖くないのかっていってましたけど、先輩たちこそ怖くはなかったんですか」悠太がたずねる。知美は天井を見上げて今度は雪が外を眺める。
「あのね」外から一年生のほうに顔をもどして雪がいう。「プールで死んだ生徒って私のお姉ちゃんなんだ」一年生全員の動きが止まり、悠太と透が目を合わせる。知美は天井を見たままだ。「勘違いしないで。可哀想だって思われたくて話しているんじゃないの。ただ、みんなには本当のことを知っておいてもらいたいだけ」雪は息を吐いて少しほほえむような表情を見せる。「この話になるとみんな、姉さんのことをかわいそうっていうけれど、私はそう思わない。どうして空があんな時間外にプールで泳いでいたのかは今となっては分からないけれど、姉さんにしか分からない理由があったと思うの。年齢については確かに早過ぎるって私も思うけれど、誰だって、いくつになっても『もっと』と思うことがあるはずでしょう。それならいつ死んだって『もっと』と思うことは変わらないはずよ。私は、自分が死んだときには精一杯生きたと思いたいの。誰にも可哀想な人生だったなんて言われたくないし、他の誰かの人生と比べられて幸不幸を決められたくない。私の人生が幸せだったかどうか決めるのは他人が作った基準じゃない、私だもの。それが私の自尊心。
だから姉さんは姉さんの一生を満足に生きたと思いたいの。姉さんのことを可哀想だなんて思わないと決めたの。それが姉さんの誇りを奪わないことだと思ったから」「といっても」天井に目を向けたまま知美がいう「一時期は落ち込んだり、かと思ったら当たり散らしたりで大変だったんだけどね」「お世話になりました」ぺこりと雪が頭を下げる。「いやいや幼なじみだからね。というか、あんたが真面目な話するから一年固まっちゃったじゃない」「ごめんなさい」雪がまたぺこりと頭を下げる。「いやいや僕はいつも真面目ですよ」透がいい「僕もです。雪さんがしっかりしたお嬢さんなので、ちょっと惚れ直したくらいです」と悠太がいう。「しっかりしたお嬢さんって、なんで上から目線なんだよ。先輩に謝れ」透に突っ込まれ、「悠太はかおりが好きなんじゃなかったの」なつきにも突っ込まれる。「そうなの」と雪と知美がにやにやしながらかおりを見ていう。かおりは意思に反して顔が熱くなりドーナツの欠片の残った皿を見て頭を振るしかなかった。
その日の帰り道、他のみんなと別れてから雪は空のことを思い出していた。今日ドーナツ屋で話したことは雪の本当の気持ちだが他にも話していないことはある。
雪と空が小学生の頃に雪が風邪をひいて学校を休んだことがある。その日両親は仕事で家におらず雪は家で一人だった。するといつもよりも早い時間に空が帰ってきた。ひんやりとしたものが額に触れたのに気付いてぼんやりと雪は目を覚ました。目を開けると、空が雪のおでこに手をあてていた。走って帰ってきたのだろう、前髪は額に貼りつきセーターがぐっしょりと濡れていた。「熱はだいぶ下がってきたね。まだ頭痛い」雪は首を横に振る。「りんごジュース飲む」おでこにあてていた手で雪の髪の毛を梳きながら空はいう。今度は雪が頭を縦に振る。「ちょっと待ってて」空はりんごジュースを持ってきたあとも雪を着替えさせたり洗濯をしたりとくるくると動き回った。その日の夜に微熱まで下がったので雪は風呂に入って髪を洗おうとした。するとそれに気付いた空が「今日は体を拭くくらいにしたほうがいいんじゃないの」といってきた。雪は「大丈夫だよ」といったが「だめだって。拭いてあげるから待ってて」と空は諦めなかった。二人で押し問答をしながら浴室まで行ったが騒ぎを聞きつけた母親に見つかり、叱られた。雪は風呂ではなく体を拭くことで我慢しなければいけなくなった。
風邪を引いたことで気が弱くなっていたのだろう。雪は学校で汗臭いといわれるのではないかと心配だった。その心配は入浴の邪魔をした空への苛立ちへと変わり、翌朝は早くに一人で家を出た。いつもなら空と一緒に登校するのに。「雪ちゃん待って」という空をおいて雪は家を出た。そのときは空の顔も見たくなかった。
雪と空は学年は同じでもクラスは違った。学校へ着いた雪は空のクラスメイトから空が前日に仲の良い友達の誕生会をドタキャンしたことを聞いた。そういえばプレゼントなんかも用意していて楽しみにしていたと雪は思い出した。家に帰ったら空にありがとうとごめんをいおうと思っていたがその日は言い出せなかった。そして結局ずっと言い出せないままだった。家路を歩きがながら過去の記憶を思いおこしたことをきっかけに他にも空に言えなかった言葉を雪は次々に思い出していた。
家まであと100メートルほどのところで携帯に着信があった。知らない番号からで雪が電話を取ると男の声がいった「相家雪さんですか」
四月二十九日 日曜日
日曜日で普段よりも生徒の少ない通学路をかおりが歩いていると「おおい、鳴瀬さん」と呼び止められた。見るとどこかで見たことのある年配の男の人だった。ベージュのスラックスに濃紺のブレザー、中には開衿の白シャツを着ていた。「今から部活かい」と続けてたずねてきた。訝しく思い少し後ずさる。すると苦笑いを浮かべてその男はいった。「怪しまれるのも無理はないか。まだ学校が始まったばかりなのに憶えてもらえていると期待する私が悪い。これでも一応、鳴瀬さんが通う中学校の教頭をしているんだけどね」わざとらしく肩を落としてみせる。
「あ、教頭先生」そういえば入学式のときや校内で見かけた気がする。「今から部活かい」辺りを見回すような仕草をしたあと教頭はもう一度たずねてくる。背後には白いミニバンが停まっている。「はい」かおりは姿勢を正して答える。「そうか、すまないけれど頼まれてくれないかな。水泳部の相家さんという生徒の鞄が今朝学校に届けられたんだ」かおりの心臓が激しく鳴りだした。昨夜水泳部の連絡網で雪先輩が帰宅していないと告げられたばかりだ。「その様子だと連絡が回ってきたようだね」深刻そうな顔で教頭がいう。「これから鞄を持って警察と相家さんのお宅に行くんだよ。相家さんも水泳部の一員として話を聞かせてくれないかな。いや、これは警察からの要望でね。他の水泳部員は顧問の谷口先生と一緒に警察に来てもらうことになっている。私は今こうして鳴瀬さんを見かけたものだから声をかけたんだよ。いやちょうど良かった」教頭はかおりの肩を軽く触ると「大丈夫かい」といってかおりの鞄を持った。「さぁ。急ごう、先方も待っている」とかおりの肩を支えるようにして車に乗せると走り出した。かおりが座った席の隣には無造作に相家雪のものらしい鞄が置いてあった。鞄についた見覚えのあるペンギンの人形が揺れていた。走り出した車は信号を三つほど過ぎたところで一軒家の車庫に入った。相家雪の家に着いたのだろうかとかおりは思い、「もう着いたんですか」とたずねる。「そうだよ。ちょっと待って」教頭はいうと車から降りてかおりの隣のドアを開ける。「さぁ、みんな待っている」教頭はかおりを支えるようにして降ろすとかおりの口元にハンカチを押し当てた。かおりの意識は暗転して闇の中に引きずり込まれた。
「来ないな」透が覗き穴から女子部室を覗きながらいった。「知美先輩は雪先輩の家と周辺を探すって電話でいってたし。なつきはかおりが電話にも出ないのが心配で家まで行ってるものな」悠太が男子部室のドアから外を見ながらいう。「俺は楽観主義だけどなんか嫌な予感がするんだよ」透がいい「悲観していいことなんてないからだろ」悠太が答える。「あれ、誰だろう。水泳部の元部員かな」透がいってよく見ようと覗き穴に顔を近づける。「さっきから誰も入ってきてないぞ」小声になって悠太が覗き穴のある壁に近寄る。すると「ばれた」透がいって壁に張りついたまま動かなくなった。透の異変に気付いた悠太がそっと肩に手を触れる。すると男の子の声が直接頭に入ってきた。
「バカかお前らは。こんなことしている場合じゃないだろう」そして壁をすり抜けるようにして同年齢くらいの男の子と女の子が出てきた。二人とも美形だが顔立ちが似ている。双子だろうか。着ている服は男の子のほうがジーンズに黄色いTシャツで女の子がジーンズ生地の短パンに灰色の半袖スエットパーカーだ。ありふれた服装だけど、今やったことはありふれてないよなと悠太はできるだけ冷静に観察しようとした。透の肩から手を離した後も声は直接頭に入ってくる。
「なにいってるの。こんなとき、なのに驚かせようぜってこんな登場の仕方を考えたの、たけじゃない」女の子がいう。かわいいな。透のやつ驚いて呆然としてるのか、この子のかわいさに熱を上げているのか分からないなと悠太は考えた。
「まぁまぁ、でもしっかり主導権は握ったようだし」とたけと呼ばれたほうの男の子が、まだ固まったままの悠太と透を見ていう。「行くぞ。ついてこい」
「そんな言い方して」女の子が口をへの字に曲げて男の子を見て、それから悠太と透を見ていった。「お願い。あなたたちに助けてほしい女の子たちがいるの」このひと言で悠太と透は動きだし、意も決していた。
かおりが目を覚ますとベッドの中にいた。起き上がろうとして手足が縛られていることに気が付いた。包帯のような生地のもので縛られているようで痛くはないがしっかり固定されていてびくともしない。顔を動かして左右を見ると右側にベッドがもうひとつあり、その上に髪の長い女の子が寝ているのが分かった。顔は髪に隠れてよく見えないが髪の長さと色で相家雪だと確信した。左側にはドアが見えた。ベッドからドアまでの距離は4メートルほどだろうか。部屋は床がフローリングでベッド以外の家具は何も置いてなかった。かおりの右側に寝かされた雪のベッドの隣の窓にかかったピンク色のカーテンが場違いに映る。
「雪先輩、雪先輩」ひどくのどが乾いていたがなんとか声を出して呼ぶが反応がない。胸が上下しているので呼吸をしているのが分かり、少しほっとする。ドアノブが回る音がして、顔を向けると教頭先生が入ってきた。
「目が覚めたんだね」口調も表情も優しかったが、その目の焦点はこの部屋にはなく、透けて見える別の世界を見ているようだった。そして手にはハンマーのようなものを持っていた。「相家さんは暴れてねぇ。昨夜の薬が強すぎたのかな。鳴瀬さんは薬があまりいらなかったから助かったよ。でもね、お前が悪いんだよ。ぼくをこんなふうにするから。お前のことをずっと見てたんだ。ねぇ。ぼくたちは似ていると思わない。みんな死ねばいいのにって思うだろう。だから小学校の頃にみんなを殺したんだろう。僕も車をいじって人を殺したことがあるんだよ」そういってかつて教頭だった者は近づいてくる。かおりにはこれが現実だとは思えなかった。あまりの異常さに脳が考えることを止めたようだった。強烈な眠気のようなものを感じて、目が閉じようとする瞬間、ドアが開き、大きく成長したたけくんとえりちゃん、そして悠太と透が入ってくるのが見えた気がした。
悠太と透が土足のまま部屋に踏み込んだとき目にしたのは二つのベッドに縛り付けられた女子二人と、その前に立ち塞がる男だった。顔には薄ら笑いに似たものを浮かべて、手に持ったハンマーを振り上げている。「来ぅるなよ。来たらこの子の脳みそをかぶるよ。けえっこう飛び散ると思う」
飛び込んでいきそうな悠太と透に、たけがいう。「もう少し待て」すると悠太と透の位置から雪の寝ているベッドの隣の窓が開き、そこからよれたスーツを着た男が入ってくるのが見えた。男の体重で雪のベッドがきしんで音を立てる。ハンマーを持った男がその音に気付いて振り返る。「今だ」たけがいうのと、悠太と透が飛び込むのが同時だった。
かおりと雪が連れ込まれた家の周りを救急車と警察車両が取り囲むように停まり、赤く点滅するライトに映し出されるのは制服姿で動き回る人々とその周辺を取り囲む野次馬ばかりとなり、一種異様な雰囲気となった。家の地下室から衰弱した中学生くらいの女の子も発見され、三台の救急車が現場に駆けつけた。中学生二人に殴り倒された男は現行犯逮捕とされ連行されている。
騒然とした現場で梶山は女の子を探していた。今朝起きると枕元に立っていた女の子だ。それまで見たことのない女の子だった。最初は血の気が引くほど驚いたが、その女の子の懇願するような瞳と、その子が梶山の手に触れてきたときのその手のぬくもりにいつもの落ち着いた自分を取り戻した。その子が口をきかずに必死な目をして梶山のことを見つめ文字通りに梶山をこの家まで引っ張ってきたのだ。女の子はついてくるよう身振りで合図をしてから窓の中に消えていったように見えた。いわれるがままに民家に無断で侵入し、窓を開けカーテンを取り除くと、さっきまでそこにいた女の子が今度はベッドに縛り付けられていたことには目を疑った。だがベッドにいた女の子は髪型が違ったようだ。梶山をここまで連れてきた子はもう少し髪が短かったように思うのだ。
雪は自分のベッドの中にいた。部屋には朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。ドアが開く音がしてそちらを見ると空が入ってくるのが見えた。「空、おはよう」「雪起きたね」
空がベッドに腰掛けて雪を見つめる。空の手が雪の額に触れ、髪の毛を梳く。雪がその手に自分の手を重ねて、自分の頬の近くに持っていく。空の手が自分の口にひっつきそうな位置からゆっくりと顔を動かして唇を空の手につける。あたたかく湿ったいつもの空の手だ。「空、会いたかったよ。急にいなくなっちゃうんだもの。でもこれからは一緒にいられるね」「雪、危ない目に遭わせてごめんね」「え、なんのこと」「いいの。こっちのこと。雪、大好きだよ。大っ大っ大好き」「なにいってるの。空、私も。ごめんね。色々と素直になれなくて。空のこと私も大っ大っ大好き。だからお願い。どこにも行かないで」「雪、ごめんね。本当にごめん。でもね、お願いがあるの。私のこと大好きといってくれるなら聞いて。私の分まで雪のことを好きになって。これが私の最後のお願いだから」「空行かないで。お願いだから置いて行かないで」
「雪、雪」呼ばれる声に目を覚ますと白い天井が目に入った。目から涙が流れていて耳の中まで濡れた感触がある。すぐ近くに知美の顔があった。「良かった。今看護師さんを呼んだから」
相家雪の意識が戻ったと連絡を知美から受けて、かおりはなつきと悠太と透と病院を訪れた。雪はかおりが連れ去られた日から三日経っても昏睡から覚めないままだったのだ。その三日間でかおりは悠太と透、そして梶山から話を聞いていた。悠太と透は「不思議なこともあるもんだ」なんて暢気なものだったが梶山は一体何と報告しようと頭を抱えていた。だがあの教頭だった男の妻と二人の娘は三年前に別居していること、家から他の事件への関与をほのめかす物品が見つかったことなどこれから調べなければならないことは山積みだよと、こっそりと打ち明けるようにかおりに話してくれた。
更衣室の先にあるかおりの腰ほどの高さの階段を登ると屋外プールが目に入った。階段とプールの間には消毒液を貯めるところがあり、ぬるくなった消毒液に足を浸して先へと進んだ。暖かい湿気を含んだ空気と塩素のにおいが鼻をつく。水の中に入って手足を動かしたい衝動に駆られる。目の前に広がる屋外プールは二十五メートルのレーンが8つある。外周をぐるりとフェンスで囲まれていて上には夏の青空がある。かおりは目を閉じて顔をあげると太陽の熱が体を暖めるのを感じる。
|(今日もいい天気だな)(かおりがんばってね)たけくんとえりちゃんの声が聞こえるような気がした。
「かおり。何してるの、準備運動はじめるよ」なつきが呼ぶ声に目を開けると水泳部のみんながプールサイドに並んでいるのが見えた。
完