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アイたいよう  作者: Taku
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女子水泳部のロッカーの一つは食料庫として使われていて、お菓子とお茶が常備されている。お茶をするのは練習の前だったり後だったりだが練習の前にお茶をした場合、ずるずると長引いて練習の時間がなくなる危険をはらんでいた。知子と雪は話し合って練習の中みをきつめにして早めに切り上げることにした。女子の部室に招かれた悠太と透は飛び上がって喜んだ。その勢いで練習にも熱が入り、男子のやる気は女子にも伝染して全員がひとつひとつのメニューを自分の能力を全開に引き出してこなしていった。




「お邪魔しまーす」悠太が部室の入口にかけられた象の描かれたのれんをくぐりながら入ってくる。「失礼しまーす」透も続いて入ってくる。「うおーっ。いいにおーい」透が鼻の穴をひくひくとさせながら叫ぶ。「ああっ水泳部入ってよかったー。なんか女の子の部屋に来たって感じがするよ。それもハーレム部屋に」悠太も表情を恍惚こうこつとさせて呟く。なつきとかおりは男子二人の興奮ぶりに若干じゃっかん引いていたが2年の二人は落ち着いたもので「どうぞ、座って座って」「新入生歓迎会はまた改めてするけれど今日はその予行ということで」と紅茶の用意をしながらいう。




こたつ机にお菓子が拡げられ全員に紅茶がいきわたると「それでは、かんぱーい」と知美がマグカップを頭上に掲げ、全員が後に続く。しばらく全員がお菓子を食べることに専念する。「ところで先輩、はっきりさせておきたいんですけど」透が指についた油を舐めてから顔をあげていう。「なに」と知美と雪が顔を上げる。二人とも両手にマグカップを抱えるように持ったままだ。「悠太と俺だったら、どっちがタイプですか?ていうか二人とも付き合っている人とかいるんですか」「どっちといわれても、どっちのこともよく知らないしな」知美がいうと「せっかちなのは女の子に嫌われちゃうよ。ねぇ」といって雪はなつきとかおりを見る。なつきはうんうんと頷いている。かおりは手に持ったマグカップの中をのぞき込むようにうつむく。「付き合っている人はいますか」悠太が重ねて聞いてくる。手にはうまい棒を持ったままだ。「いない。文句あるか」知美が答え、「わたしもいない。みんなは」と雪が1年生を見回す。なつきとかおりは首を振り、悠太はうんうんと頷いている。透は天井を見上げて笑っている。頭のおかしくなったアシカ顔だ。「小野は頷いてるけど彼女がいるのか」知美がたずねる。「いえ、いません。頷いていたのはなんていうか、神様ありがとうっていうか、よくやった俺というか」かおりは悠太がいうことが分かるような気がした。知美先輩は黒髪ショートのきりりとした美人だし、雪先輩は明るい茶色の長い髪が似合う目鼻立ちのはっきりした美人だ。教室の中でもきっと二人は目立つだろう。「先輩たちの好きなタイプってどういう人ですか」なつきがたずねる。「私は頼りがいのある人かな。一緒にいて安心するというか」知美が即座に答える。「私はよく分からないけど、お父さんみたいな人かな」と雪がいうと「ええっ」「ファザコンですか」悠太と透が身を乗り出していう。「変、かな」雪が困ったようにいう。「先輩のお父さんってどういう人なんですか」ティーポットからみんなの空いたマグカップに注いで回りながらなつきがたずねる。「優しい人だよ。うちはお母さんのほうが怖いんだ。でも二人とも私のやりたいようにさせてくれている」「ううん、何というか雪先輩はまだお子様なのかな」悠太がいうと「そうかなぁ。普通だと思っていた」と雪が首をかしげて「小野おのくんと小島こじまくんはお母さんのこと好きじゃないの」とたずねる。




「好きか嫌いかっていわれたら好きだけど、生まれたときから一緒にいるわけだろ。だからもう母ちゃんは母ちゃんで当たり前っていうか」悠太が答え「おふくろは、かわいいところあるけど好きなタイプとはちょっと違うというか。でもさ、今こうしてる雪先輩も結婚したら母親になるわけだろ。そう考えるとなんか不思議だよな」と透がいう。「いや俺はお前の頭の中のほうが不思議だ」と悠太が頭を振りながらいう。けれどかおりには透の気持ちが分かるような気がした。こうしてみんなと話している『今』もいつか変わってしまう。雪先輩がいつかお母さんになるように。今は今でしかないのに。頭の中で明日やもっと先の未来のことを考えたり、過去のことを思い出しているのも『今』だ。そうしたら今の中に未来も過去もあるのかな。いったい今って何だろうと思うのだ。かおりが考え込んでいる間に話題は好きなファッションの話や、告白されるときにいってほしい台詞せりふなどで盛り上がっていた。




「先輩、ずっと前から好きでしたっ」悠太が知美にいっている。「なんか、真剣さが伝わってこないな」あっさりと知美は言葉を返す。「じゃあ次俺ね」と透がいい雪に向かっていう。「雪、俺についてこい。絶対に幸せにするから」「うーん。なんか違うかも」雪も即答する。「じゃあ次私たちね」知美がいい悠太の手をそっととる。上見がちに悠太を見つめて「・・私じゃ、だめかな」悠太は一瞬で眼球が上を向くとどさりと後ろに倒れた。「一発KΟだ」なつきが呟く。透が期待に満ちた目で「次は雪先輩ですねっ」という。鼻息が聞こえてきそうなくらい鼻の穴がひくひくしている。雪はうつむいて手を握りしめると透を見上げ、すぐにまたうつむいて「・・好き・・かも」といった。透はカエルが踏みつぶされたような変な声を出すと悠太の隣に倒れた。「2年おそるべし」なつきが呟く。かおりも同感だった。







四月から始まった中学校生活と水泳部はかおりに新しい生活を届けてきた。毎日が穏やかだが優しく過ぎていった。かおりは教室で目立つような生徒ではなかったが、小学校で悲しい意味で目立っていたかおりはようやく普通の生徒になれたような気がして嬉しかった。




だが大雨が降る前に薄暗い雲が立ちこめるように教室の雰囲気が怪しくなりだしたのは学校が始まって二週間ほどの4月半ばの頃だった。同じ中学の二年生の女子が行方不明になったのだ。失踪してから何の音沙汰もなく生徒の間では臓器売買の被害者になったのだとか某国に拉致されたのだとか神隠しにあったのだという噂が飛び交っていた。そのような中である日の休み時間にひとりの生徒がかおりに聞いてきた。




「ねぇ鳴瀬さんも2年の女子が行方不明になった話聞いてるでしょう。どう思う」




「え、どう思うといわれても」




「鳴瀬さん小学校のときにクラスメイト全員をなくしているそうじゃない。それってよほど運がいいか、死者に近いってことじゃない。だから鳴瀬さんなら、その子がまだ生きているのか、死んでいるのか分かるんじゃないかなって。なんていうんだっけ、チャネリングとかもできるの」




かおりは息が詰まりそうになった。深い暗闇に引きずり込まれるような感覚もあった。かおりが何も答えられないでいると話を聞いていた別の生徒が口を挟んできた。「あ、私も聞いた。クラスメイト全員が死ぬってどういう感じがするの。まさかこのクラスでも同じこと起こらないよね」「よせよ。鳴瀬は死に神と友達らしいぞ。恨まれりしたらやばいって」




とそのとき別のクラスに行っていたなつきが帰ってきた。「あ、かおり谷口先生が呼んでたよ。至急頼みたいことがあるんだって」谷口たにぐち先生というのは水泳部の顧問の谷口弥生たにぐちやよいのことだ。三〇歳を過ぎているそうだが、見た目は二〇代後半に見える。本人の前ではいえないが水泳部員の中では谷ぐっちゃんと呼ばれ親しまれている。中学から大学まで水泳をしていた間にスパルタ式の厳しい指導を受けてきたためにそれを嫌い、自主的な練習内容となるように小沢知美や相家雪とはよく話し合っているようだ。かおりはよろけそうになるのをこらえながら、立ち上がり教室のドアへと向かった。職員室へと向かうかおりの肩をなつきは抱いて近くの非常階段の踊り場へと連れていった。かおりたちの教室は2階の端の方にあり非常階段にも近かった。「谷口先生のところへ行かないと」というかおりに「あれはうそ。なんだか教室の様子がおかしいと思ったから」となつきがかおりを階段に座らせた。




外の空気を吸ってかおりの気分もいくらかよくなってきた。そのとき非常階段と建物を隔てるドアが開いて「何してるの、俺らも混ぜて」という声がした。かおりが見上げると悠太と透が立っていた。「廊下から二人が見えたからさ。非常階段なら運が良ければパンチラにありつけるかと思って」透が両方の眉毛を上下に動かしながらいった。かおりはいつも通りの悠太と透の顔となつきの心配した顔を交互に見て、この人たちには心配をかけたくないと思った。なつきにもいつも通りの顔をしていてほしかった。だから「なんでもないの」といった。「ちょっと気分が悪くなって、それでなつきちゃんがここに連れてきてくれたんだけど、もう大丈夫。ありがとう」「かおり」なつきの心配そうな顔を見ないようにしてかおりは立ち上がった。「行こう、チャイム鳴っちゃうよ」

一度失踪した生徒とかおりを結びつけた生徒たちはなおもかおりにかまい続けた。その次の休み時間にもかおりの周りには人だかりができた。




「ねぇ鳴瀬さん死者との交信できるんでしょ。やってみてよ」「そんなのできないよ」とかおりがいっても「失踪した人が可哀想だと思わないの、できるかできないかやれば分かるじゃないの」という声が大きくなるばかりだった。しまいには悠太と透が間に入ってくれた。「お前ら何やってんだ。かおりんが嫌がってるだろ。散れっ散れっ」




「何よ小野と小島は関係ないでしょう」クラスで最初にできた女子のグループのリーダー格の日高ひだかちえみだった。




「関係あるよ。俺たちのかおりんだからな。理由は知らんが助太刀すけだちいたす」悠太がいうと「にんにん。忍法にんぽう神風かみかぜを使うでござるよ」と透がいって近くにいた女子のスカートを軽くめくる。悲鳴とともに周囲の男子が「おおっ」と声を上げる。「あんたたち先生にいいつけるからね」「勝手にしろ」そのときチャイムがなり数学教師の村田が入ってきた。かおりの周りにいた生徒たちは自分の席に戻っていった。その後の休み時間からかおりの周りに生徒が集まることはなくなったが、かおりのことが話題になっているのは明白だった。ひそひそとかおりのほうを見て話す女子がいる一方で直接話しかけてくる生徒は水泳部の三人以外にいなかった。もとからかおりは他の生徒と積極的に話すことはなかったが最近ではおとなしいがクラスの一員として近くにいる生徒と話すぐらいにはなっていたのだ。周りにできた溝のようなものを感じたまま一日の課業は終わり、なつきとともにかおりは部室へと向かった。悠太と透もふたりを待って教室の出入り口のところにいたが、なつきが先にいっておくように声をかけていた。教室のある校舎を出てなつきとふたりきりになってもかおりは何といってよいのか分からなかった。ただふたりの間にはいつもと違う堅い雰囲気があった。




悠太と透は練習中いつも通りで潜水して小沢知美や相家雪のお尻を見ようとしてキックを喰らって鼻血を出したり、顧問の谷口たにぐち弥生やよいに他愛もないことを相談して、「先生僕最近夜よく眠れないんです」「なら起きていればいいじゃない」「そうですね。先生のおかげで目の前の霧が晴れました。ありがとう先生っ」と胸に抱きつこうとして殴られたりしていた。




部活が終わり、いつも通り四人で正門を出ると悠太が「今日はドーナッツ食って帰ろうぜ」といった。「いいね」となつきがいい、かおりが「でもわたしそんなにお金持ってきてない」というと悠太が「おごってやるよ。その代わりに中学卒業したら結婚してね」といった。「いや、俺がおごるから結婚してくれ」と透がいうと「お前はだめ。鼻の穴が丸いから」「そんなの関係ないだろ」「いやでもやっぱり顔がトドに似てるし」「ひどいっ。悠太だって垂れ目じゃないか。アライグマに似ている」「はいはい。そんなにおごりたいんだったら一人は私におごってよ」となつきがいった。「なっきーが結婚してくれるのか」と透がいう。「それはそれ。これはこれ。とにかく行こう。私あの丸いのがわっかになっているのとダブルチョコ、あ、チャイナメニューもいいな」となつきはかおりの手を引いてどんどん先に歩いた。




ドーナッツ屋のレジは帰宅途中の学生やサラリーマン、買い物帰りの主婦などで混み合っていたが座席の方はピークを過ぎて空きはじめていた。かおりははじめのうちは食欲がなかったのだが騒々しく食べる三人につられてドーナツひとつとなつきと半分こで点心セットの肉まんを食べ終えていた。おかわりのコーヒーを注いでもらう頃には気持ちにも余裕が生まれていた。




「な、かおりん。もう水くさいことは抜きにしてさ、俺たちのこと少しは頼りにしてよ」シロップをたっぷり入れたコーヒーを飲み終えた悠太がいった。透もなつきもかおりのことを見つめている。かおりは今日の休み時間から今までの間、三人がずっとかおりに気を遣ってくれているのを感じていた。済まなく思うと同時に言葉にしようのない気持ちも感じていた。胸が暖かくなるような気持ちだ。緊張して縮こまっているかおりの心をずっとリラックスさせようとしてくれているのも分かっていた。そして今自分がこの三人にできることがあれば、それは自分の心を閉じたりせずに正面から三人に向き合うことだと感じていた。|(その結果三人の気持ちが離れていっても仕方がない、嫌われても仕方がない、私はこの人たちが今後どんな反応をしても今日のことに感謝したいのだから)小学生のときの事故でひとり生き残ったことの悩みを自分だけの胸に抱えてきたように、もしもこの人たちが私のことを嫌いになってもそれを受け入れようとかおりは覚悟を決めて話し始めた。




話は幼稚園の頃からから始まり、友達がいなかったこと、たけくんとえりちゃんという友達がいたこと、事故の日のこと、そのあとの周囲の変化、死に神、死に損ないと呼ばれるようになったことなど全てを話した。

かおりが話し終えてもしばらく誰も口を開かなかった。それぞれに空いた皿を見ていたり、すっかり暗くなって街灯の付き始めた外を眺めていたり、ぼんやりと天井を見ていた。




「よし決めた」最初に口を開いたのは悠太だった。「俺たちでその行方不明になった生徒を探そうぜ」「どうやって」「どうしてそうなるの」透となつきがたずねる。「うん。どうやって、か。それをこれから俺たちみんなで考えるんだよ。どうしてかは、その行方不明の生徒が見つかればかおりんがクラスのやつらにちょっかいかけられることもなくなるわけだろ」いつもとは違う真面目な顔をしていう。




安直あんちょく過ぎないかしら。それにかおりにとっては行方不明の子に関わることは過去を思い出して辛いかもしれないじゃない」少し考えてからなつきがいった。「それもそうだな」悠太はかおりを見ていった。「かおりんが嫌ならこのアイデアはなしだ」「かおり、無理しないでいいよ」なつきがつと下の皿に目線を落として続けた。「クラスのひとたちのこと、あまり気にしない方がいいと思う。今日のこともこれまでのことも。それに私、かおりに謝らないといけない」なつきのいつになく真剣な様子に透がたずねる。「どうしたのなっきー」「私これまで転校が多かったっていったでしょう。今まで同じようなことをたくさん見てきたの。私が今日のかおりのような立場に立ったこともあるし、かおりを取り囲んだ生徒の側に立ったこともある。クラスの中ではどこだっていつだってグループができて意見を共有するように強いられるのよ。それができないと空気が読めないとか協調性がないといわれるの。私そういうのが上手くできなくて、中学になったらグループに入らないようにしようと思っていたの。でも本当に一人ぼっちは嫌だったから、どこのグループにも入っていないようだったかおりとなら一緒にいられるかもしれないと思ったの。かおりのことを利用していたのかも。ごめんなさい。かおりがそんな辛い目に遭っていたなんて知らなくて。一人でも学校にずっと通っていたなんて。グループに入りたくなくてそれでも一人が嫌でかおりと一緒にいようとした自分が恥ずかしいよ」いつもの自信にあふれたなつきとは全然違う、打ちのめされたようなその様子にかおりは驚いた。




「そんな、なつきが話しかけてくれたり、誘ってくれて私嬉しかった。利用されたなんて全然思っていない。それになつきはいつも自信にあふれていて私がいなくっても一人でも全然大丈夫だと思っていた」「グループに入らないからには自分をしっかり持つことが大切だと思っていたの。だから自信があるように見えるよう演技していたの。でもだめだった。今日かおりがクラスで取り囲まれているときに助けてあげられなかった。やっぱり私一人では何もできない」「そんな、それこそ私に原因があるのに。なつきが気にすることではないのに」落ち込んでいくなつきを見て自分のせいだとかおりは暗くなった。




そのとき透が場違いに明るい声でいった。「そんなの誰のせいでもないって。なっきーもかおりんも深く考えすぎだって。クラスのやつでそこまで考えているやつはいないと思うぞ。そもそもグループに入るやつは自分の意見だと思って他人の意見をいってるのが多いからな。そしてそのことに気付いていなかったりする。そんなやつらが考えていることを気にすること自体馬鹿らしいよ」いつもの透とは違う、明るいが厳しい口調だった。「いろいろ気にしすぎだって。なっきーもかおりんもさ。周りのやつらが何考えているかなんてコントロールできないんだからさ。それを気にすることも馬鹿みたいだ」「それでもコントロールしようとしているやつもいるけどな」悠太が頷きながらいう。「といっても俺たちがどうすることもできないし。だからかおりんも、これからは周りのやつらがいうことなんて気にしちゃだめだ。かおりんはかおりん。だいたいこんなにスク水の似合う死に神がいますかって。それでも神だというのならそれはロリコンの神、ロリ神だ」悠太は指を天井に向けていう。




「それなら」なつきがいう。「周りのひとがかおりんに何といおうと気にするなというなら行方不明の生徒を探してどうこうという必要もないじゃない。警察に任せておけば」




「それもそうだな」悠太はあっさりといった。かおりは正直ほっとした。失踪した生徒を探すなど自分には荷が勝ちすぎていると思っていたし、他の三人にこれ以上の迷惑をかけたくなかった。「あの」かおりは気になっていたことがあった。「みんなは、私のことおかしいとか気味が悪いと思ったりしないの。私だけ助かったんだよ」「そのたけくんとえりちゃんのことは」悠太が透と顔を見合わせながらいう。「俺はそのふたりがかおりの想像なのか実際にいるのか分からないけど。かおりがそういうなら信じるし」「俺も」透が続ける。「それにかおりんが助かってよかったと思うよ。事故に遭ったクラスメイトのことはなんていうか不幸だと思うけれど、かおりんの無事を喜ぶことはまた別のことだと思うし」「かおりはずっと事故のことを引きずってきたんだね」なつきがぽつりという。「そうやって自分だけ助かって他の人がどれだけ生きたかったか考えていたの?けどかおりが死んでしまった人のために生きるなら、誰がかおりのために生きるのよ」なつきの目がうるんでいた。かおりは驚いていた。これまで誰にも話せなかったことを話せた上にこんなにあたたかい言葉をかけてもらえると思っていなかったのだ。「ありがとう、みんな」やっといえたのはそれだけだった。これまで背負ってきたものを降ろして肩の力が一気に抜けたような、眩暈めまいがするようで体が軽くなっていた。




その日の夜、かおりは小学校の遠足の日以来にたけくんとえりちゃんに会った、といってもそれは夢の中でのことだった。かおりはふたりに会えたことが嬉しくて近くに行こうとするが足下を強い水の流れのようなものに阻まれて先へと進めない。たけくんとえりちゃんは暗闇の先からなにやら呼びかけている。「・・をつけて・・かおり・・にきをつけて・」かおりは暗闇の中で首を振る「聞こえないよ。たけくん、えりちゃん何ていっているの」たけくんとえりちゃんはもどかしそうな顔を見せる。口を開いて何かいっているが遠くてかおりには聞こえない。「待って、ふたりとも、いまそっちに行くから待って」かおりは自分の声で目が覚めた。薄明かりの中ベッドの上で身を起こす。|(たけくんとえりちゃん、何をいっていたのだろう。それともただの私の夢だったのかな。気をつけて、といっていたようだった。でも何に気をつけるの)もう一度たけくんとえりちゃんに会おうとかおりは布団に潜り込むと目を閉じた。翌朝目を覚ましたとき、かおりは夜中に見た夢のことを忘れていた。




登校したかおりを取り巻く教室の雰囲気は昨日と似ていたが、かおりの心境は違った。これまで誰にも話せなかったことを話せたことでほっとしてもいた。|(水泳部のみんなが私のことを受け入れてくれた。私は私でいいのだといってくれた)いつも通りに授業を受けていると不思議なことがあった。休み時間に同じ小学校から上がってきた生徒が話しかけてきたのだ。話したことはないけれど5、6年のときには同じクラスだった。確か佐々ささきあん望月もちづき真子まこという名前だ。



「あの、鳴瀬さん。今、ちょっといい」おずおずといった感じで佐々木さんが話しかけてくれる。「え、はい」なんだろうと椅子に座ったままかおりが体を向けると「あのね」望月真子がすうと息を吸い「私たちは良かったと思っているから。あなたが助かって良かったと思っているから」と一気にいった。「小学校のときからずっとそう思っていたんだけど、あのときは言えなくって。でも中学になって鳴瀬さん少し変わったよね。明るくなったというか雰囲気が近寄りやすくなった。昨日は何人かが鳴瀬さんに変なこといってたけれど私たちは違うから」「う、うん。ありがとう」




「そうだ。今度一緒に遊ぼうよ。真子まこの親戚がカラオケ屋をしてるからちょくちょく行ってるんだ。カラオケが好きじゃなかったら街に一緒に行くのでもいいし」杏が話す横で真子も頷いている。「ありがとう」「うん、じゃあまたね」軽く手を上げて去っていく二人にかおりは手を振って応えるが突然のことで驚いていた。|(佐々木さんも望月さんも小学校のときからずっと思っていたけれど言えなかったといっていた。クラス全員に嫌われていたというのは私の思い違いだったのかな。私が近寄りがたい雰囲気を出していたのかな)




部活に行くとなつきとかおり以外にまだ誰も来ていないようだった。先に着替えを済ませてプールに行こうとすると男子の部室から物音がしたような気がした。なつきがノックをして声をかける。「おーい。悠太、透来てるの?先に行ってるよ」返事はなかった。空耳だったのだろうかとなつきとかおりは顔を見合わせた。なつきがドアの取っ手を回してみるが鍵がかかっていた。「男子部室の鍵、いつの間にかもらったみたいだね」かおりがいうとなつきも頷いた。







臼井みきが失踪して一週間が経っていた。心当たりの場所の捜索も街中での聞き込みも暗礁に乗り上げた。梶山浩は臼井みきの通う中学校へと足を運ぶことにした。もう一度臼井みきを知る教師たちから話を聞いて手がかりを探ることにしたのだ。職員室へ行き用件を告げると一時騒然となり慌ただしくなったがベテランらしい四十代くらいの教師に校長室へと案内された。




黒い三人掛けのソファに座って待っているとやってきたのは失踪した翌日にも会っている教頭だった。年の頃は五〇を過ぎたくらいだろうか確か新田という名前だった。教育者らしい誠実そうな顔に白髪混じりの豊かな頭髪で細身の体だ。これまで梶山が知っている教師にしてはスーツを着こなしている。時代も変わったな、昔はあまり身なりを構わない教師の方が多かったが、変わらないのは警察の俺たちの世代ぐらいかと梶山は自分のよれよれのスーツを見下ろして考えた。同年代の同僚も身なりにそれほど構わない者が多い。




「本来ならばこちらが伺うべきなのを、わざわざご足労頂いて申し訳ありません。本日は校長の辻が出張しておりまして」新田は額にしわを刻みながら頭を下げる。辻という教頭の新田とは対照的に頭の禿げて太った校長には前回会っている。「何か手がかりは掴めましたか」「いえ、面目ないことに捜索は難航しておりまして。もう一度初心に返ってお話を聞かせてもらおうと思いましてね」臼井みきの捜索は一般家出人扱いなので本来ならばここまで積極的に警察は動かない。梶山がこうして動いているのは自分の勘によるものなのだが、そこまでの説明はしない。ノックの音がして先ほど案内してくれた教師がお茶の入った湯飲みを置いていく。




「どうぞ」と新田は梶山にお茶を勧めてから「そういいましても前に来て頂いたときにお話したことが全てですし、これ以上私どもがお役に立てるかどうか」「いえ、こちらで聞き逃していることがあるかもしれませんし、お時間はそんなにとらせませんので」「お役に立てればよいのですが」と新田は繰り返すと梶山の希望について聞き、梶山が臼井みきのことを知っている教師にもう一度話を聞くことに同意した。昼休みが都合がいいということなので梶山はそれまで学校の周囲を歩いてみることにした。




八蒲中学は他の公立中学校と比べても何の変哲もない学校だった。住宅地に囲まれた平地にあり、平穏な雰囲気に包まれていて授業中の今は校庭から生徒たちの声が聞こえてくる。近くの定食屋で早めの昼を済ませると梶山は学校へと戻った。話が聞けたのは臼井みきの一年のときの担任、二年になってからの担任、保健室の養護教諭だった。最初に校長室に現れたのは養護教諭の白川しらかわ百加子ももこだった。四十代くらいで髪をおおまかに結い上げている。化粧をしておらず、そのことで内側からにじみ出る母性のようなものが感じられた。臼井みきはよく保健室を訪れる生徒ではなかったということ、また悩みなどで相談にきたこともないということだった。前回梶山に話したことから他に思い出したこともなく逆に梶山に捜索の進展などを聞きたがっているようだった。臼井みきの二年になってからの担任の瀬津せづ浩一こういちも同様でこちらはまだ三十代だろうかあからさまに迷惑そうな様子だった。




最後の聞き取りに応じてくれたは一年のときの担任だった野口勇次という教師だった。話し方に特徴のある男で、こういった話し方だと生徒は当惑するか、強制される感じがしないので聞きやすいかのどちらかだろうと梶山は考えていた。「そういえば臼井さんは部活には入っていなかったのですか」梶山がたずねる。失踪時には学校から直接帰っていたということだし、臼井ゆりからも娘が部活に入っていたという話は聞いていない。




「梶山さんはご存知ないのですか」野口は驚いた顔で聞き返してきた。知らないと答えると「てっきり警察の方なのでご承知の上かと思っていました、けれど確か校長も同じ理解だったと思うのですが」「と、いいますと」梶山が話を促す。「いえ、本校では昨年不幸な出来事が続きましたので警察の方もそれを承知で来ている。わざわざそのことを蒸し返して生徒や保護者の不安を煽らないようにというような達しがあったのです」「どうやらこちらの下調べが甘かったようですね。不幸な出来事を思い出させるのは申し訳ないが、何があったか教えて頂けませんか」梶山が軽く頭を下げる。




しばらく遠くを見るような目をしてから目線を下に伏せ自分のがっしりとしたあごをぐりぐりと撫でてから野口は話し始めた。「去年の七月のことでした。うちの生徒がプールで死んでいるのが見つかったのです。見つかったのが早朝ということもあり事件性がないか調べられたようですが、異常なところは見つからず、かといって遺書の類いも見つからなかったことから練習中の事故だという結論になりました。しかしそのあと、一ヶ月ほどして当時水泳部の顧問をしていた教師が車の事故で亡くなりましてね。よくあることですが、そういった噂が立ちましてね。結果そのときの水泳部のほとんどの生徒が退部もしくは休部することになりました。そのとき退部した生徒に臼井みきも入っていたのです」




『そういった噂』がどういうものなのかは梶山にも容易に想像がつく。一度その手の噂が立つと中学生という影響されやすい年頃では退部やそれと同義の休部といった行動に結びつくのも無理はないのかもしれない。娘の涼ならこういった時どうするだろう。退部するだろうか、しかしあいつは頑固なところがあるからな、超常現象の類いも信じていないようだしそのまま部活に残るかもしれない。梶山が考えていることを深刻に受け取ったのか、野口は声を落として「あの、やはり警察では今回の臼井さんの失踪と関わりがあると考えられるでしょうか」といってきた。梶山は顔を上げると、「いえ今お話を伺った限りではそうは考えられないでしょう。時間が離れていることもありますし、昨年のことに事件性がない以上は関連づける理由がありません」明らかにほっとした顔を浮かべて野口が背もたれに体を預ける。「しかし関連がないことは、臼井さんの手がかりがないことにも繋がりますね」と思い直したようにいう。




梶山が何といおうか考えていると午後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。「長い間お引き留めして申し訳ありません。また何か思い出したらご連絡頂けますか」名刺は前回会ったときに渡してある。「いえこちらこそお役に立てず残念です。どうぞ臼井のことをお願いします」野口は立ち上がり頭を下げると校長室を出るときにまた深くお辞儀をして去って行った。

聞き取りが終わったので挨拶に行こうと教頭の姿を探しに職員室へ向かうとちょうど新田も廊下に出たところだった。「終わりましたか」




手にA4の紙を何枚か持っている。「こちらは前回お渡ししましたでしょうか」「なんでしょう」梶山に手渡されたものを見るとクラス連絡網の紙だった。「ええ、頂いていますね」そのとき梶山はさきほどの野口との話を思い出していった。「水泳部の連絡網があれば頂けますか」よく分からないといった表情で新田が「水泳部ですか」という。「確か臼井さんは一年のときに水泳部だったそうですが」「あぁ、確かそうでしたね。失念しておりました」顔をしかめて新田が答える。「刑事さんもご存知でしょうが顧問に不幸がありまして。当時の連絡網があるかどうか、今の顧問にたずねてみましょう。しばらく校長室でお待ち頂けますか」梶山が再び校長室に戻り二十分ほど待つと新田が現れた。手元には何も持っていない。「申し訳ありませんが連絡網の類いは引き継いでいないということでして、あの、今回の臼井さんのことと何か関係が・・」恐る恐るといった様子で新田がたずねる。「いえ、事故のこととは関係ないのですが、水泳部の部員同士のつながりから何か分かるかもしれないと思いましてね」軽く手をふって梶山は答える。「そうですか、そういったことでしたら当時の水泳部のリストを作らせましょう。リストができ次第ご連絡してよろしいでしょうか」「ご面倒おかけしますがお願いします」梶山は頭を下げて校長室から出た。







「お前はずっとこうして飼うからな」そういうと男は犬の餌用のステンレス製の器に味噌汁とご飯を混ぜたものを入れてみきの足下に棒で押しやった。そして排泄用に置いてあるバケツを同じ棒で引きよせるとバケツを持って部屋から出て行った。男が出て行くとみきは腹ばいになり縛られた両手で体を支えながら顔を器に突っ込んだ。

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