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3/3

新たな仲間と神原孝太の実力

「ふ~」


 一息吐きながら教員用の椅子に座る。


 あー、クソ。やっぱ衰えたな。たかがこの程度でばてるなんて。

今さっき十キロの長距離と百メートルダッシュを十本やってきた。

昔はもっともっと距離や本数、更に筋トレなどの基礎トレもこなしていた程だが、今はまだ部員にはそんなスタミナはついていない。

まだこの練習を始めて一週間しか経っていない。


「焦っちゃダメだ。じっくり、確実に。そうすれば結果はついてくる」


 そんな言葉が口からこぼれた。

『努力は嘘をつかない』

そんな言葉があるが俺は疑問に思ったことがある。

俺達は何故あれほどの練習をしながら負けた?

いくら考えてもその疑問が解ける事は今の所ないが、努力をしなければ結果が出ないのは確かだ。


「あいつらがここからどれ程伸びるか、だな」


 特待で選んだ神原、唐木、内藤、荒川、前田の五人にはかなり期待している。

普通なら特待といえばほぼ完成されている選手を選ぶだろうが俺は違う。

まだまだいじる所がありまくりなので、無限の可能性を持っている。


「ま、そこを伸ばすのが俺の役割だな」


「あれ? 監督、一人ですか? 今話し声が聞こえてたんですけど……」


 入ってきたのはマネの戸田だ。

元気がなかなかよく、俺や他の先生にもよく話しかけたりしてくる。

今は不思議そうな顔をして首をかしげていた。


 今の戸田の発言で、また無意識のうちに独り言が多くなってしまっていたことに気がついた。

小さい頃から独り言が多く、野球をしていて相手チームに独り言を聞かれた、ということも何度かある。


「あ~、電話してたんだよ。で、何のようだ?」


 ここで独り言を言っていた、なんて言ったら軽くひかれるかも知れないので適当にはぐらかすことにする。


「ん~、まっいっか。あ、用事はですね、何と!」


 そこで一回区切る。

いや、全然溜めてもしょうがないんですけど。


「溜めるな、はよ言え」



「新入部員ですよ! これで九人! 今年の夏の大会に出れますよ」

 目をキラキラさせながら力説する戸田。

しかし、九人目がどんな奴か気になるな。初心者だったら夏の大会を辞退して個人の成長に集中する、それでいいか。


「今いるのか、そいつ? いるんだったら入ってきてもらえ」


「は~い」


 戸田はそう言って笑顔になった後、教官室を一回出る。

少し話し声が聞こえた後、やや小柄な少年が入ってきた。

小柄と言っても唐木より少し小さい程度で、そこまで特別痩せているわけでもない。

唐木が百七十あるかないかくらいなので百六十五くらいだ。

短髪でいわゆるソフトモヒカンといわれる髪型だが、やや襟足が長め。


「おう。入部希望者だって? 名前とポジションとあと何か言いたいことがあれば言ってくれ」


 そう促すと表情を変えずに答えた。


「名前は小高こたか さとる。ポジションはショート、中学時代の打順は主に一、二、三番を打っていました」


 こたか、という名字に聞き覚えがある。

人違いだと思うが……。


「小高って……お前の親父さんの名前は?」


智宏ともひろですけど?」


 予想が的中した。

 トモさんの子供か~、なるほど、わからなくもない。

小高智宏、俺が中学時代の時の監督の名前だ。

かなりユーモア溢れる人で、よく練習帰りにラーメンなどを奢ってもらった。

更に俺とトモさんは特別仲がよく、最近は月一ペースで飲みに行ったりしている。


「いや~、そうか。この前あの人、お前の高校にうちの息子行かせてやろーか? とは言ってたが本当に入れるとは……。恐るべしトモさん」


 あの人ならやりかねないような気がしていたがそれでもかなり驚く。

しかし、ここで妙なことに気がついた。


「そういえば何でこんなに入部が遅かったんだ?」


 もう入学から一週間経っている。

普通なら他の奴らと一緒に練習しているはずだ。


「……そこはあんま気にしないでください。じゃあ、俺はいつから練習に参加すればいいですか?」


 気にしないでください。

どうしてもその一言に引っ掛かってしまう。

理由が全然読めない。

でもこれ以上追求するのはやめよう。


気分を悪くするかもしれない。

「そうだな~、明日から入ってくれ。今日はもう練習終わるからな。今から挨拶行くか?」


 もうそろそろ全員にやらせていた筋トレが終わる頃だ。

挨拶に行くのにもちょうどいい。


「いえ、明日挨拶します。じゃ、俺はこれで。失礼しました」


 そう言って教官室を出ていった。


 う~ん、トモさんに似てないけど何か変わってるな。でもかなりの戦力になる。

以前トモさんが自分の息子が強いシニアチームでレギュラーをとった、と自慢げに話していたのを思い出した。

ショートもかなり重要なポジションであるから上手いに越したことはない。


「よし、夏の大会の目標はベストエイトだ。……ちょっと現実味がありすぎるな」


「やっぱり独り言だったんじゃないですか」


 戸田にそうツッコまれて何も言い返すことができなかった俺がいるのだった。



唐木‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



「よし、ちょっと早いが今日から軽くボールを使って練習するぞ。あと、再来週にあるゴールデンウィークには合宿と練習試合を組んだ。もっかい気引き締めていけよ」


 監督がいつもの練習前にそう告げた。

本当に何の前触れもなくそう言ったので全員唖然としていた。

小高が入って一週間、つまり入学してから二週間が経っていた。

そのタイミングで言われたら誰だってびっくりすると思う。

……神原以外。


あいつは興味が何でもなさすぎる。興味がないから周りに考えが流される、と思うところだがあいつは違う。

興味がないながらに自分の信念のようなものはしっかり貫いている。


「よし、アップ済ませたらキャッチボールやるぞ。キャッチボールの相手は決めてあるからそれに従えよ。じゃ、アップ行ってこい」


 あの監督の思考が全く読めない。

しかし、俺を評価してくれた唯一の人だ。

信じないわけにもいかない。


 アップを終わらせると監督の周りに円陣を作る。


「よし、じゃあキャッチボールの組み合わせ発表するな。神原、唐木ペア」


「はい」


 俺は返事をするがやはり神原は返事をしない。


 したってバチは当たらないと思うけどな。

その後も呼ばれ続け、小高と吉山、石田と黒木くろきという奴、荒川と前田、そして内藤と監督、という組み合わせになった。


 普通はキャッチボールの相手というのは固定しないでいろいろな人とキャッチボールをするのだが、監督はキャッチボール相手は勝手に決めた。



あいつは興味が何でもなさすぎる。興味がないから周りに考えが流される、と思うところだがあいつは違う。

興味がないながらに自分の信念のようなものはしっかり貫いている。


「よし、アップ済ませたらキャッチボールやるぞ。キャッチボールの相手は決めてあるからそれに従えよ。じゃ、アップ行ってこい」


 あの監督の思考が全く読めない。

しかし、俺を評価してくれた唯一の人だ。

信じないわけにもいかない。


 アップを終わらせると監督の周りに円陣を作る。


「よし、じゃあキャッチボールの組み合わせ発表するな。神原、唐木ペア」


「はい」


 俺は返事をするがやはり神原は返事をしない。


 したってバチは当たらないと思うけどな。

その後も呼ばれ続け、小高と吉山、石田と黒木くろきという奴、荒川と前田、そして内藤と監督、という組み合わせになった。


 普通はキャッチボールの相手というのは固定しないでいろいろな人とキャッチボールをするのだが、監督はキャッチボール相手は勝手に決めた。


「よし、神原、やろうぜ」


 ミットを手に取りながら聞いてみる。

神原はスパイクに履き替え、帽子をもう一度かぶり直した。


 目が……マジだ。

背筋が凍るような目の先にあるのはグランド。

しかも一番高いところ。

そう、マウンドだ。

今までずっとあそこで投げていなかったのだ。

静かながら投げたい欲求が物凄く伝わってくる。


 他の奴らを見てみるとスパイクを履いてたり、喋ったりしている。

するとある異変に気が付いた。


「内藤、お前左投げ?」


 そう、自己紹介の時右投げと言っていたのに左用の、しかもファーストミットを持っているのだ。

更に結構使い込まれていてちゃんとポケット(ボールを捕る場所)もできている。

体格の良い内藤にはこれ以上ないほど大きいファーストミットは似合っているが……。


「あ、これ言うの忘れてたけど肩壊したから監督に塁間くらいは投げれるくらいにしとけ、って言われてたんだ。んで、俺はスカウトされた次の日からずっと左投げの練習をしてきた、という訳」


 その黄色のミットを見てみると内側が真っ黒なので、かなり練習していたのだろう。


 それにしても右投げから左投げに変えるか。普通に考えてかなり厳しい。

まず投げ方をしっかりするのに本気でやって二ヶ月、三ヶ月はかかる。

本当に物凄い努力をしなければ成功するものではない。

横にいる神原が立ち上がってベンチを出ていく。

準備が終わったのだろう。

俺も黒のキャッチャーミットを手にし、神原の後を追う。

神原と向かい合うと、神原はボールを右手で軽く遊ばせた後ボールを自分のグローブの中に投げ込む。


 キャッチボールなのにこの気迫。さすがと言うべきか……。


「よし、は~じめ~るぞ~」


 監督はこのオーラに気付いているのかいないのか、呑気な声を出した。


 まあいいや、これから何千、何万と受けるんだ。キャッチボールくらいで怖じ気付いてたまるか。


「お~え!」


「よいしゃ~!」


 周りからもうそんな声が聞こえる。

神原も軽く左足を上げ、投げる体勢に入った。

キャッチボールだから気楽に行けばいいのだが、何故か力が入ってしまう。右腕から放られたボールは風を切る音と共にこちらに向かってきた。



――何だ、この球?

 ミットに収まった音はキャッチボールとは思えない程小気味良い音だった。

一瞬周りが騒然となる。

キャッチボールの一球目、しかも特別力んだ訳でもなく軽く放ってこの威力。


 さすが。こりゃあ天才というより化け物に近いな。

ミットの中のボールを見た後神原を見てみると、さも当然かのようにグローブを出してボールを催促している。


 俺はとんでもない奴とバッテリー組んじまったな。

口端だけ上げて笑うと神原にボールを返した。

そんなようなキャッチボールを十五分ほどやった後また監督は集合をかけた。


「よし、今から全員ポジションついてノックすんぞ。じゃ、守備位置、ピッチャー神原」


「……はい」


 久しぶりにこいつの声聞いたな。


 ホントこいつは授業中、放課(愛知県では授業と授業の間の休み時間を放課と言う。また、通常の放課後は授業後、と言う)は寝てるし部活中は喋らないし、部活が終わったらさっさと帰っちゃうからな~。


「キャッチャー唐木」


「あ、はい」


 何かいろいろ考えてたら返事が変になった。

ま、皆気にしてないみたいだからいいけど。


「ファースト内藤」


「はい!」


 低い声がグランドに響く。

体格が良く、丸刈りでかなり怖い印象があるが実際は誰にでも気配りができるという優しい心の持ち主だ。

結構話しやすく、一番俺が話しかける相手だ。


「セカンド前田」


「は、はい」


 低い身長にぽっちゃり体型だがその実態は特待生。

ポジションは外野と言っていたがセカンドで呼ばれてびっくりしているようだ。

今の所その実力は発揮されてないがその内わかるだろう。


「サード石田」


「え? あ、はい」


 いつもニコニコしている憎めない奴。

野球初心者だが元サッカー部とだけあって体力は他の奴らに劣らない。

九人ちょうどだから試合に出ることは必ずだが、サードで呼ばれた。


「ショート小高」


「はい」


 たぶん神原の次にレベルが高い、やや小柄な男。

途中から入ってきたにも関わらず高い身体能力を見せつけている。

短めの髪をワックスか何かで立たせ、襟足は首の根本まである。


「レフト黒木」


「はい」


 俺が唯一話しかけていないちょっと苦手なタイプ。

眼鏡をかけていて、いかにも頭が良いですよオーラが出ている。

実際に特進クラス(この学校は一学年十クラスになっていて、九、十組だけ頭の良い奴で構成されている。そのクラスを特進クラスと呼ぶ)で、噂によると入学前にやったテストで一位をとったらしい。

俺の順位はというと……口に出すのも恐ろしい。


 とりあえずこいつは良くわからないが体力的にドベなのはこいつ。


「センター荒川」


「はい」


 前田よりも少し背が高いが、身体の線が細い為か前田より小さく見える。

だが、その身体を十分に活かした足の速さが売りだ。

短距離だけなら神原にも負けない。自己最速百メートル走は十、五八秒だという。


「ライト吉山」


「はい!」


 清々しい本当に青年、といった感じの声で返事をする。理想的な身長と肩幅を持っていて、体力的にも上位に食い込むレベルだ。

話を聞くと、中学時代は一回も勝てなかった弱小中で五番センターをやっていたという。


「途中で変更があるかもしれないがまずはこれでやるからな。最初は外野いらないから黒木はサード、荒川はセカンド、吉山はショートに入ってくれ。よし、行ってこい」


 ウォイ、と変な返事をした後全員散らばっていく。

俺は黒いキャッチャー防具一式を身に付けた後グランドに向かう。

まだ一回も使われていないのか、レガース(キャッチャーの足につける防具)が光を反射するくらいに綺麗で、サイズもぴったりだった。


 ボール渡しはマネの江原だ。

ボールが入った袋を肩から提げて監督の後ろにいる。


「よし、捕ったら四つな! 行くぞ、サード!」



 初心者の石田から、というのはちょっときついが弱いゴロが打たれる。

石田はぎこちなく前に出てきてボールを処理し、俺に投げた。

少し送球が逸れたがまあ合格点だろう。


 バックホーム、ボールファースト、セカンドゲッツー、外野からの連携プレー、いろいろなパターンを想定してノックが続けられていく。


 見てる限り一番上手いのはショートの小高。

身のこなし、グラブ裁き、送球どれをとっても他の奴より数段上だ。

センターに抜けそうな当たり、三遊間真っ二つの打球を難なく処理するという華麗なプレーを魅せる。

俺も中学一年の時はショートを守っていたがあんなプレーはとても出来ない。


 次に上手いと思うのはライトの吉山。

ショートでのプレーはチグハグなものだったがライトに着くと、打球判断、落下地点へのダッシュ、送球、どれも中学レベルだとかなり上位に位置すると思う。

投げ方が少しいびつなのを除けば現時点では言うことないだろう。


 しかし、やけに監督が静かだ。

ヘイヘイ、とかそういうかけ声はするのだが教えたりすることは一切していない。


 この人の思考が全く読めないな。

九人という少人数で四十分程のノックをした後、また監督の周りに円陣を作る。


「次はお待ちかねのバッティングだ。俺もバッティングは大好きだったからな。マシン二台でやるからな。さ、準備しろ」


 今日は今までの基礎トレと違い、とことん野球に触れている。


 こういう練習はやっぱおもしろいわ。久々のバッティングだし張り切っていくかな。素振りはしていたが、バッティングはかなり久しぶりだ。


「あ、そうだ、神原と唐木は一番に打ってくれ。打ち終わったらブルペン行ってピッチングやるから」


「――ッ」


 急なことで声に出して返事をすることができなかった。


 やっと、あの球を受けられる。

考えただけで身震いがした。


 マシン二台とバッティングゲージを出して準備をしているとふと変なことに気がついた。


「なあ内藤、今日他の部活休みなのか? 見当たらないけど」


 そう、グランドは陸上部やサッカー部と共有なのでいつも内野と少しの面積しか使えていないのだが今日はその部活がいないのだ。


「何か毎週金曜日の午後と土日祝日の午前中はこうやって野球部の為にグランド開けてくれるらしいぞ。その代わり月曜日はサッカー部と陸上部が独占しちまうんだとよ」


 どこからその情報が入ってきたか気になる所だがあえて触れないでおこう。まあ、グランドが全面使えるとかなり練習もしやすくなるからいいや。


「よし、守備は着かなくていいからな。待ってる奴はマシンにタイミング合わせながら素振りだ。江原、戸田、マシンに球入れ頼むぞ」


 マシンの近くに置いてあるボールかごの数、一つのマシンにつき二箱。

一箱百球程入っているので計約四百球。

後で拾いに行くのがゾッとするが時間の削減にはなるだろう。


 黒の革手バッティンググローブを装着し、黒のヘルメットを被る。

自分に一番合いそうなバットを選びバッターボックスに向かった。

もうマシンにはマネがいていつでも大丈夫なようだ。

挨拶をして左打席に入り、足場をならし構える。


 俺が参考にしている打撃フォームは天才プレイヤー、イチローのフォーム。

俺の打撃スタイルにピッタリ合うし、憧れている選手でもある。


 マネがマシンにボールを入れるのが見えた。

――来る。

グッとテイクバックをとり足を踏み出す。

捉えた、と思った瞬間手に衝撃が走った。


「くっ」


 あまりの衝撃に声が漏れ、顔をしかめる。打ったボールは三遊間にボテボテ、と転がる。

完璧に捉えたと思ったのだがこの有り様だ。


「軟式じゃねーんだからポイントもっと前だ! そうすりゃ飛ぶぞ!」


 声を出したのは監督だ。

ノックの時は何のアドバイスもなかったが今は声を張り上げている。


 ポイント前か。軟式と硬式ってタイミングも違うのかよ。

硬式球を打つのは初めてなのでかなり戸惑う。

球速は百二十キロ程だったのでかなり打ち頃な筈だ。

二球目がマシンから飛び出してくる。


 ポイントを前で……打つ!

今度はバットにボールが当たる感触はあったが衝撃ではなく気持ち良い感触。

グランド全体に響き渡る金属音。

打球は右中間を真っ二つに破る程の強烈なものだった。


「ナイバッティン!」


 硬式……飛びすぎだろ。

後ろから皆が声をかけてくれるが俺は唖然としていた。

中学時代に長打がないわけではなかったがそこまで飛ばすことはなかった。

なのに早速この打球、この調子でいくか。


 そんな感じで打ち続けて約四十球くらい打って交代。

自分の打撃に集中していて神原をあまり見ていなかったが俺と同じ左バッターで、なかなかの打球を放っていた。

天才というのは何をやらせても凄いんだ、と実感した。


「よし、神原、唐木、ブルペンに移動するぞ。バッティングは一人二十球くらいで交代して、二順したらボール拾いな。手は抜くなよ、ちゃんと見てるからな」


「はい!」


 監督は全体への指示をした後、ブルペンに移動する。

俺はキャッチャー防具一式とミットを身に付け後を追う。

ブルペンは一塁側と三塁側両方にあるが一塁側を使うようだ。

ファールゾーンのネットの外なので打球などが入ってくることはない。

プレートは一塁側、三塁側共に二つある。


「よし、立ち投げ軽くした後本気、見してくれよ」


 マスクを尻のポケットに入れて軽くキャッチボール。

少しだが緊張してきた。

百四十キロ程の球、正直プロでしか見たことがない。

次元が違う速さなのでどれくらいなのかわからない。


 俺に捕れるのか、いや、『見える』のか?

緊張と同時に不安というものが襲ってきた。



 もし、俺が捕れなかったら……。

そんなことを考えてしまう。


 神原が右手で座れ、と促してきた。

肩が温まったのだろう。

俺はポケットに入れていたマスクを手に取り、付けて座る。

神原がマウンドをならし俺を見る体勢に入る。

無意識に一回唾を飲み込み乾いた唇を舐めていた。

神原は大きく振りかぶり足を上げ、そこから流れるような綺麗な投球フォームで腕を振った。

神原の右手から指でボールを切る音がやけに大きく聞こえる。

そして例のボールの回転する音と共にこちらに向かってきた。


 低い、ミットを下げな――。

ドスッと鈍い音がした後腹に衝撃が来た。


「う゛っ」


 声にならない声を出した後、身体をくの字にして屈み込んだ。

今になって身体でボールを受けたことに気が付いた。


「おい、大丈夫か?」


 心配そうな声をあげて俺に近づいてくる監督。


俺は苦痛に顔を歪ませていたが、

「大丈夫ッス、やっぱはえ~ッスね」


 顔をあげた瞬間に笑顔を作る。

だが内心はかなり厳しいものだった。

痛みではない。


 あんな球、俺が捕れるのか……?

正直見えたのは一瞬。

しかも俺の目はそれをボールとは捉えていなかった。


“白い凶器”


 そんな表現がピッタリだと思うほど禍々(まがまが)しかった。


「わり、次は捕るわ」


 笑いを作るつもりがやや苦笑いになっているのが自分でもわかる。

ボールを返しまた座る。


 一瞬だが見えたことは見えた。見えたからミットをずらしたんだ。

さっきの球筋を何回も頭の中で繰り返す。

一回深く息を吸い込みミットを構える。

神原はまたモーションに入りボールを放ってきた。

やや右に逸れたのが見えたのでミットをずらす。

だがミットにボールが入ることはなく、ミットをかすってバックネットに転がった。

神原が怪訝そうな顔をするのが見えるがどうでもいい。

リリースポイント、球筋、速度、全てを頭の中で繰り返して捕るイメージをしていた。

 三球目はミットの上部をかすってマスクに直撃。

もう声を出す余裕もない。

何回も何回もイメージする。

捕れてはいないが速度には身体がついていけるようになった。


 四球目は右バッターのインロー気味に来る。

怖くないと言えば嘘になるが慣れてきた。

ボスッ、という音をした後にボールが目の前に落ちた。

今、ミットの中に一度入った。

マグレじゃない、ちゃんと目で追った。


 次だ、次で捕まえてみせる。

神原は不機嫌そうな顔をしながら右腕から“白い凶器”を投げた。

俺はミットを構え大きく目を見開く。

ミットに入った瞬間腹の底に響く、重低音がグランドに響き渡った。

打っていた奴らも静かになったのがわかる。

周りから聞こえてくる音はマシンの動作音だけだ。


「……よっしゃーー!!」


 俺はこれ以上の声は出せない、という程のありったけの声で喜びを表した。


神原‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 捕りやがった、俺の球。今まで監督、コーチにも捕られたことねーのに。ま、あんなおっさんに捕られる気はさらさらねーが。

俺は自分の表情に驚き、というものが出ないように必死に耐えていた。


 五球。たったそれだけで俺の球を捕まえやがった。球に手加減はしていないし特に調子が悪い訳でもない。あいつが凄いのか?


「おいおいおい、捕ったぜ、やったぜ、見てたか今の? まあこれがいわゆる才能ってやつかな、あひゃひゃひゃひゃ」


 ミットにボールを入れたままマウンドまできて一人で喋り出す。

更に変な笑い声まで聞かされて最悪なテンションになった。


 ……前言撤回。こいつはただのアホだ。こんな奴に俺の球は捕まえられたのか。

少し苛立ちを感じながらマウンドを均す。


「ピッチャーのボールを捕るのがキャッチャーの最低条件だろ? ただ球が捕れただけで喜ぶな」


 そう言ってやるとまだ口に笑いを残しながらこっちを見てきた。


「ん? まあそうだけどさ~、お前、マジで捕られたの初めてだろ? 微妙にお前の表情の変化わかってきちゃったし」


 やけにこいつ鋭いな。表情には出てないと思ったんだが。

監督は何も言わずバッティング練習の方を見ている。

きっと俺達の話が終わるのを待っているのだろう。


「ほら、さっさと戻れ。おっさ……監督が待ってるぞ。第一まぐれかもしれねーしな」


 唐木は一度監督を見た後、ミットに入っていたボールを俺が出したグローブの中に放り込んだ。

表情はさっきまでの屈託ない笑みから自信に満ち溢れているような表情になった。


「へっ、まぐれなんて言わせねーよ。一球も落としてやるかっつーの」


 唐木はホームベースの後ろに座り、構えた。

もう迷いなどがないのか一球目よりどっしりと安定した構え方だ。


 悔しいがこいつは良いキャッチャーとして認めざるを得ないみたいだな。

右手でボールを軽く回した後大きく振りかぶった。

左足を上げ溜めを作る。

そこから左足を前に踏み出して、胸は張りつつボールに全ての力を託すように……投げる!

ボールは直線の軌道を描いて唐木のミットに爆発音のような音をたてながら収まった。


 まぐれは二度、続かねーよな。やっぱすげーわ、あいつ。

その後もミットから散らして投げてみるが確実にちゃんと見て捕球している。

その内、唐木を試すのも忘れてミットを構えたところに従って投げるようになっていた。

すると三十球程投げた時監督が近づいてきた。


「おし、肩も温まっただろ。今から実践形式のバッティング練習やるからお前ピッチャーな。より実践に近づけて力を見るだけだから」


 バッター立たせて投げるのか。去年の夏に投げたっきり投げてねーから投げたかったところだ。それに、唐木がバッターに対してどんなリードするか見物だしな。

唐木を見ると笑顔を作ってワクワクしている様子だ。


「よっしゃ、いっちょ完璧に抑え込んでやるか。なあ、神原」


「抑えるのは俺だがな。だが悪くはない」


 俺達はグランドに向かった。

グランドではもうマシンが片付けてあった。

全員素振りやキャッチボールなど自分のしたいことをしているみたいだ。


「よし、今から神原の球打ちたい奴は打て。一人三打席で交代だからな」


 全員がざわついた。

今日初めてバッティング練習をしたのにいきなり百四十キロ投げるピッチャーと対戦するのだ。

投球練習も見ていた。

怖いと思ったりするのは当然だろう。


「よっしゃ、俺が一番に打ったるわ」



 名乗り出たのは体格の良い内藤。今までずっと素振りをしていたのか両手にバッティンググローブを付けていて、右手にバットを持っている。


 俺は何も言わずマウンドに向かった。

唐木も俺の後ろに着いてくる。


「なあ、サインどうする? あと変化球さっき見してくれんかったけど何がある?」


 さっきまでのウキウキ気分じゃなくて真顔で聞いてくる唐木。

先程もそうだったがこいつはやる時はやる奴だということが判明した。


「……グーが全力、チョキが八割、パーが六割、って所だな。コースは親指が右バッターのインコース、小指がアウトコース、親指と小指を出したら真ん中。高さは人差し指一本が真ん中、二本が高め、三本が低め。変化球はいらん。球種、コース、高さの順でサイン出してくれ。一回一回首振るから。こんなもんでいいか?」


 言い終わると唐木は唖然とした表情でこっちを見ていた。

何か変な事でも言っただろうか?


「お前がそんな喋った所始めてみた」


 グローブで唐木の頭を叩いてやった。


 何言ってやがんだ、こいつ。

唐木は顔をしかめつつも笑みを浮かべて頭を押さえた。


「オッケー、わかりやすいサインでよかったわ。大丈夫、リードは任せておけ。泥船に乗ったつもりでドンとこい」


「大船だろ。泥船じゃ全然任せられん」


 お、そうだった。

と言い残してキャッチャーボックスに戻っていった。


 あいつがキャッチャーで本当に大丈夫か?

本気でそう思ってしまうことがあるが、実際あいつは完璧に俺の球を捕りやがったから信用するしかない。

三球ボールを唐木に投げた後、内藤が打席に入る。

審判は監督だ。

守備もちゃんとついているが一人足りないため外野が二人になっている。


「しあっす」


 内藤は審判に挨拶をして右打席に入り、構えをとった。

構えは大きくはないが小さくもない、普通の構え。

スタンスも普通だ。

だが身体の大きさからか、やや威圧感というものを感じる。

唐木がサインを出す。

今日は全部唐木にリードを任せるつもりだ。

どんな結果になろうとも実力を図らせてもらう。


 パー、六割を、親指と小指、コースは真ん中、人差し指一本、高さも真ん中。

 は?

俺は目を疑った。

誰が勝負にホームランボールを投げる奴がいるか。


 正気かよ、こいつ。

唐木はマスクを被っているが表情はわかる。

笑っている。

二回ミットを叩いてど真ん中に構えた。


 俺の度胸を試そう、ってか? おもしれぇ。ど真ん中緩いストレート、投げてやろーじゃねーか。

大きく振りかぶり、十割と同じフォームを心掛けて投げる。

ボールは真っ直ぐな軌道でミットに向かったが、驚く事に内藤はボールをじっと見て見逃した。


「ストライーク」


「よっしゃ、ナイスボール」


 唐木はさも当然と言うようにボールを投げ返してきた。

一歩間違えれば打たれていたボールを普通に要求して普通に捕って、普通に投げ返してきた。



 普通に考えたらありえんだろ。唐木と内藤が話しているが聞き取れない。

きっとリードについてだろう。

二球目のサインを見る。


 パー、親指、三本指、手をインコースにちょいちょい、とやった。

恐らくインコースに外せ、と言っているのだろう。

ボール球にするサインを忘れていたことに気が付いた。



 また後で考えるかな。ていうかまた六割かよ。

やや不満があったが唐木の言う通りにインロー、ボール気味に六割で投げる。

今度は内藤が動いた。

ジャストミートしたのか、小気味良い音がグランド全体に響く。

ボールは物凄い速さで三塁線ファールゾーンを這っていった。


 あっぶね~。あと少しでヒットだったぞ。

それでも唐木は尚笑顔を絶やさずボールを返してくる。

内藤もかなり手応えがあったのか悔しそうに顔をしかめていた。


 三球目、四球目のサインはインコース高めボール球を八割。

その二球には内藤は手を出さず、カウントはツーツー。

いい加減本気で投げたくなってきた。


 五球目の唐木の要求はアウトロー、ストライクに六割。


 あ~くそ、今回だけだからな。

唐木の言うことを今回だけは聞こうと振りかぶって投げた。

内藤はタイミングを外されてやや前傾姿勢になりつつもバットを止めた。


「ストライーク、バッターアウト」


 え? と内藤は審判(監督)を見たが悔しそうに天を仰いだ。

結局全力投球をしないで終わってしまった。

唐木がガッツポーズをした後こちらに軽く走ってきた。



「三打席連続勝負だと球筋が頭の中に残ってバッター有利になるからチェンジな。次は誰だ?」


 監督が他の奴に呼び掛けるがざわざわしていてなかなか挑戦者が現れない。

小高辺りが勝負してきそうだがまだ様子を伺っている。


「誰もいねーのか? なら前田、お前行け」


 本人は、へ? という顔をして用意を始めた。

まさか自分が呼ばれると思わなかったのだろう。

前田が準備を始めている間に唐木がマウンドに着いた。


「おう、ナイスボール。コントロール半端ねーな。ボール半個くらいしかずれなかったぞ」


 唐木は笑顔で俺のグローブの中にボールを入れた。

俺が唐木を見ると唐木の笑顔が消えた。


「何故十割のサインを出さない?」


「あ、え、と、少し俺の実力知っといてもらおうと思って、な。良いリードだっただろ?」


 一瞬戸惑った表情をしたが言い終わった後右手で握りこぶしを作り親指を立て、笑顔を作った。


 なるほど。俺の全力じゃリードが良いのか俺の球が良いのかわからないから軽めの球をリードした、って訳か。しかし変化球を使わない俺をこうも簡単にリードするか。

また唐木のキャッチャーとしての技量が凄い、ということがわかってしまった。

こいつは今までどんなピッチャーと組んできたのだろうか。


 そうこうしている間に前田の準備が終わったようだ。

低い身長にぽっちゃりした体型を恐縮させながら打席の近くで素振りをしていた。

しかし形もスピードも内藤と比べてはいけないくらいのレベルだった。

何故監督は前田を指名したのか?

その疑問はこの打席でわかるかもしれない。

一度審判に会釈をして右打席に入る。

バッターボックスに立つと更に小さく見える。

身長は百五十から百五十五センチくらいだろう。


 こんなプチデブに俺の球当てさせるかよ。

唐木からのサインはど真ん中に全力投球。

舌を一回舐め大きく振りかぶる。

バッターに対して久しぶりの全力。


 度肝を抜いてやる。

勢い良く右腕を振り下ろすと一瞬と言っていいほどの時間でミットに収まった。


「ストライーク。おい、江原、今の何キロだ?」



 いつの間にかベンチでマネがスピードガンを持っていた。監督が聞くと江原はややおどおどした後、口を開いた。


「ひゃ、百四十二キロです」


 かなり小さい声だったが皆が注目して静かだったので聞き取れた。

それを聞いた途端に守備についている奴らが騒がしくなる。

すげー、あんな速さ見たことねーよ、こえー、など口々に話している。

バッターの前田は驚いた顔を見せたがすぐに目を閉じた。


「よっしゃ、ナイスボール!」


 こいつも完璧に捕れるようになりやがったな。これで試合も心配ないか。

二球目はアウトハイに全力。

変わらぬフォームで投げ込む。

いつもと同じ手応えでコントロールも完璧。

審判の手が上に上がる。


「ストライック」


 三球目は高めのボール球に全力、と要求してきた。

恐らく見えているのか見えていないのか試すのだろう。

見えていなければストライクとボールの見極めなど出来るはずがないからこの球を振って三振するはず。

様子見、としてはこれ以上ない球だ。

振りかぶってやや中腰でミットを構えている唐木に投げた。

前田は身体がやや前傾姿勢になりつつもバットを止めた。


「ボール」


 止めやがった。ちゃんとこいつ目で追えてやがる。

唐木は平然を装い俺に返球するが次の配球で頭がいっぱいであろう。

唐木に少し時間をやろうとマウンドを均してロージン(滑り止め)を手で遊ばせながら唐木を軽く見る。

唐木はサインを決めたのか股のところに手を置いている。ロージンを後方に投げ捨て、サインを見る体勢に入った。


 アウトローに全力。


 何も悩む必要はない、か。

俺はそのサインに頷きモーションに入った。

大きく左足を上げ、流れるように前に体重を乗せる。


 当てさせるか!

前田が前傾姿勢でバットを出すがそのバットをかいくぐり空を切る。

指先から離れたボールは唐木のミットにやや高めに浮きながらも吸い込まれていった。


「ストライーク、バッターアウト」


 前田は顔をしかめながらスイングの反動で一回転した。

唐木はミットを動かさないで余韻に浸っているようだ。

真剣な表情をしている。


「前田が三振したか……。次、誰かいないのか?」


 監督のその言葉にようやく動いた奴がいた。

ショートの小高だ。

帽子のつばに手をやりながらベンチに戻り準備を始める。

バットを手に取り一、二回振って打席に向かった。

審判に頭を下げ左打席の足場を均し構える。

ややオープンスタンス気味で小さめの構えだ。

構えだけでなかなか良いバッターということがわかる。

唐木からのサインはインハイに八割。

そのサインに頷きボールを放った。

小高は前傾姿勢になりながらバットを出すが体勢が悪く、中途半端なスイングになる。


「ストライーク」


 小高は一度打席を外してスイングを確かめている。

次のボールはまたインハイだがスピードは全力のサイン。

一度頷き唐木のミットめがけて腕を振った。

今度は体勢は良いもののやや振り遅れ気味になってミットに収まる。

これでツーストライク。

またまた小高は打席を外してスイングをする。


 んな事したって俺の球は打てねーっつーの。

構えをとったのを確認してサインを見る。

アウトローに全力。


 三球勝負か。俺の球を信じきった上での事か。悪くねーな。

そのサインにも頷き、ボールを変わらぬフォームで投げた。

ボールはバットに掠り、唐木のマスクに直撃した。

唐木は、ずれたマスクを外して目の前に落ちたボールを拾う。

今日初めて当てられたことに唐木はどのように思っているのだろうか。


 続いて四球目も当てられやや苛つく。

一拍呼吸を置くためにロージンを手で遊ばせる。


 一回落ち着こう。頭に血が上ると良い球が投げれなくなるのはわかっている。三振させるには……しゃあない、唐木にもいつかは見せなきゃいけないからあの球使うかな。

深呼吸を二度程して唐木を見る。

唐木がサインを出すが俺は横に首を振る。

すぐにサインを変えたがそれにも首を振る。

何回かサインを変えた後マスクを被ったまま唐木は首をかしげた。

俺は頷き振りかぶった。

唐木なら止めて……いや捕ってくれる、と信じて指でボールを切った。



唐木‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



 おいおい、ノーサインで投げるのかよ。ストレートについてくのにも疲れるのに……。

とりあえずミットを真ん中に構え、どんな球にも対応できるようにしておく。

たぶん変化球がくるが何の球種かわからない。

あれほどのストレートが投げれるのだ、変化球も半端じゃないだろう。


 もし俺が神原のあのストレートに変化球を加えるとしたら……。

どんな球種が一番適しているのか考える。

そうこうしている間に神原の右腕からボールが放たれた。

左肩がなかなか開かない、投手としては理想的なフォーム。

ど真ん中に物凄い勢いでボールが来る。

小高が動いたのがわかった。


 神原のストレートを一番活かせる球種はこれだ!

真ん中に来たボールは進行方向を小高の方に変える。

うっ、と小高がうめいたのが聞こえた。

小高はバットを振りきったが金属音が聞こえることはなく乾いた革の音が響いた。


「ストライーク、バッターアウト」


 捕れた、ということはわかったがどうも実感が沸かない。

神原の方を見ると口端を微妙に上げているのがわかる。

その表情を見て我に返った。

俺は急いでマウンドに駆け寄る。


「おい、今の球」


 そう言うと神原はやはり口端を上げていて笑っているように見える。


「ああ。俺の唯一の変化球スライダー、いや、高速スライダーだ。結構自信あったんだがまさかノーサインで完璧に捕られるとは思わなかった」


 神原はそれだけ言うと足下に置いてあるロージンバックを手に取った。

途端に無表情になり悔しいのか嬉しいのかは読み取れなくなったが、さっきの表情からは嬉しさが強く出ていたと思う。

もしかすると球をまともに受け止めてくれる捕手がやっと現れたのでそこからその感情が出ているのかもしれない。

そう考えると俺も非常に嬉しくなってきた。


「ま、お前のキャッチャーだからな。これくらいじゃないと釣り合わね~っつーの。あと少しだから、頑張れよ」


 ミットで神原の胸を叩いて戻った。

俺が投げる訳じゃないが何故かもう打たれる気がしなかった。

ようやく神原に認められたという実感が沸いてきたからかもしれない。


 その後は小高が三打席目にボテボテのショートゴロを打っただけであとは全員三振で切った。

神原はやや不服そうだがこれだけやってまともに当てさせないのはさすがだと思う。


 全て三振に切る。

これができれば投手としては何も言うことはない。

だがそれが違う心構えだったら?

バックを信じれなくなったから三振を取りにいく。

もしそうだとしたらそれは自分にとってもチームにとってもマイナスだという事だ。

野球はピッチャーが三振をとるだけじゃない。

打たせてバックが協力して守り抜く。

そういう事を全部含めて野球と呼べる気がする。

まぁ俺の憶測だから何とも言えないが。


「よ~し、今日はあと百メートルダッシュ十本で終わりだ。神原と唐木はキャッチボールしてクールダウンしとけ」


 俺と神原以外は外野の陸上部が使っているコースに向かっていった。

遠くから、文句言ったから二十本な、という監督の声が聞こえる。


 二十本なんてやったら死んじまうわ。

こういう時キャッチャーをしていてよかったと思う。

俺と神原は外野から聞こえる雄叫びをBGMにキャッチボール、柔軟をやった。ちょうど終わった頃に全員が帰ってきた。

皆ゾンビのようにヨタヨタ歩いた後にグランドに倒れ込む。


 俺もキャッチャーじゃなかったらこんな風になっていたのか。

すると内藤と吉山が、お前も走りやがれ~、と地面を這いながら近づいてきた。

この光景は一種のホラー映画よりも怖いかもしれない。


「バカ、近づいてくんな」


 後ずさろうとすると誰かにぶつかった。

後ろを振り向くとニコニコ笑っている石田と前田、更に荒川までいる。

ガシッ、と石田が俺の身体、前田が右足、荒川が左足、と俺は立ちながら完全に動けない格好になってしまった。

前方からは這ってきた内藤と吉山がバイオハザードのゾンビのようにふらふらと立ち上がり近寄ってくる。


「バカ、やめろ、来るな! 神原だって走ってねーぞ!」


「んなもん知るか」


 内藤が俺に倒れかかってきた。

俺はもがこうとするが三人がかりだとさすがに動かない。


「うわーーーー!!」


 俺の叫び声は虚しくグランド全体に響き渡った。

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