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入学・入部・入魂

 あ~、ねむ。早く終わんねーかな。

東海西高校入学式。

今はただただ校長やら何やらの話を聞かされまくる。


 さすがにここで寝たら格好つかねーもんな……。

そんな事を考えながら左を向くとこっくりこっくりしてる奴が一名。

顔はなかなか整っているのだが短めの髪の毛を無造作に立たせ、何かだらしなく見える。


「一同、起立」


 お、式が終わるみたいだ。

全員一斉に立ち上がるが隣にいる奴は立ち上がらない。

どうやらまだ寝ているようだ。


「……これで、第一回入学式を終わります。一同、礼」


 一番前に座っていたので気付かれたと思われるが教頭はスルー。

やはり入学式で名指しで怒るのはマズイのだろうか?


 まあとりあえず式は終わった。教室帰ったら寝るか。

するとさっきの奴が先生に起こされ、怒られているのがわかる。

それを横目で見つつ教室に帰った。


 教室で頬杖をつきながら目を瞑っていると誰かに背中をつつかれた。

後ろを向くとさっき式で寝ていた奴だ。


「な~、何で起こしてくれなかったんだよ。先生に怒られたじゃんか」


 何故か俺に怒る訳わからん奴。

とりあえず眠いんだが、無視すると更にちょっかいをかけられそうだから適当に返事するか。


「……寝てたお前が悪いだろ。あるいはばれないようにこっそり寝ることだな」


「だからって起こしてくれないことはないじゃないか」


 すると軽くそいつは苦笑いして俺の右肩に触れる。


「触んな!」


 反射で手を振り払ってしまう。

叩かれた本人は奇異を見るような目でこっちを見てくる。

何故か右腕を触られると嫌悪感みたいな感じのものを覚えてしまう。

一応謝っとくか。


「わりい、右腕は触らないでくれ」

 するとそいつは何か思い出したかのように目を軽く見開いた。


「お前、神原、孝太?」


 軽く、いやかなり驚いたが表情には出さないようにする。


「……何故俺を知っている?」


 プレッシャーを与える為に睨み付ける。

こいつ、野球部員か?


「おお、あってた。だってお前、結構有名だぞ? つか生でお前のピッチング見たしな。すんげえ球投げるよな。いや~、さすがそのふてぶてしさは大器の予感を感じさせるよ。ああ、俺唐木雄一、北部中出身なんだ」



 急にお喋りになる唐木という奴。

もう手を払ったことは気にしてないようだ。


 こいつ、野球経験者っつーことは……。


「お前、野球部入るのか?」


 唐木はこっちを向きながら口をOの文字にした。

コロコロ表情が変わりやすいやつだな。


「そら、そうだよ。そのためにこの高校入ったようなもんだもん。お前と同じ特待生ってわけ」


 そいつは待ってました、と言わんばかりに話に食いついてきた。


 それにしてもこいつが特待生? 背ちっさいし身体も細いな。ポジションはセカンドかその辺りだろう。つか眠い。


「そうか、じゃあ俺寝るから」


 と言って話を終わらすつもりだった。

だが唐木はそれで終わりとは納得いかない、といった顔で会話を続ける。


「おいおい、俺がどのポジションでやってたとかどんな経歴を持ってるか、とかそういうの聞きたくないわけ?」



「別に興味ない」


 即答。

唐木はそれには驚いたのかむぐぐ、と変な声を出して目を閉じ何か考えてる様子だ。

すると教室に先生が入ってきた。

全員席についたのだが、唐木はまだ何か考えているので気がついていない。

俺はあえて教えずに頬杖をつきながら目を閉じる。


「こら、唐木、立ちながら寝てるのか? 入学早々お前はたるみすぎだ」


 その声にやっと気が付いたのか身体をビクッと動かして席についた。

といっても俺の後ろだが。






 軽いホームルームをやった後早速部活動見学会。

黒いエナメルバックを持って足早に教室を去ろうとした。


「おい、待てっつーの!」


 すると後ろから左肩を掴まれた。

掴んだのはもちろん唐木。


「……できるだけなら左肩も触るのをやめてくれないか? つか触れるな」


 思いっきり睨んだのだが唐木には効果なし。

大体の奴がこれで怯むんだが。


「ああ、わりわり。で、一緒に行こうぜ。せっかく一緒なんだし」


 悪びれた様子もなく俺の横に並ぶ唐木。


 うざいことはうざいがまあいいだろう。

特に気にせず歩く。

外に出ると先程のホームルームの時に配られた校舎地図を取り出す。

外に出てすぐ左か。

俺は唐木を置いて歩き出す。


「あ~もう、待てって言ってるじゃんか」



 後ろから軽い足取りで俺を抜かす唐木。

野球部部室前に着くともう何人かが集まっていた。


「ち~す」


 唐木がその数人に挨拶する。

いきなりの事に反応が遅れ、全員ぎこちなく返事をしてくる。

とりあえず見た限り、めちゃくちゃでかい奴、正反対にちっちゃい奴、ニコニコ笑ってる奴などいろいろ。


「で? 監督さんは?」


 唐木がやはり一人で話を進める。

全員困惑気味な顔をして顔を見合わせている。


 つか唐木、他人によくそんな簡単に話しかけられるな。俺にはわからん。


「お~、皆早いな。俺も急いだつもりだったんだがちょっといろいろあってな」


 と噂をすればなんとやら。

その本人、つまりスカウトのおっさんがワゴン車で現れた。

白のジャージ姿なのだが何だかイマイチ似合っていない。


「あ~、今んとここんなもんか。一応あと十分ほど待つか。あ、明日から練習始めるから今日ユニフォームを持ってきた奴はわりいな」


 この前スカウトされた時よりも砕けた話し方だ。

今はジャージ姿でこの前見た私服の時よりもすこし老けて見える。


 まあどうでもいいことだが。

しばらくするとまた何人か増え、ようやく一チームできる人数になった頃おっさんが話を切り出した。


「よし、こんなもんかな。……もうちょっと人数が欲しかったけど九人いりゃ野球はできるしな。んじゃ、まあお前らは各自で名前覚えりゃいいだろ。改めてだが野球部監督をやらせてもらう岡田誠一だ。中途半端な野球はしたくない。やる気のない奴はやめてもらっていい。俺の野球のモットーは『楽しく全力プレー』だ。これからよろしく」


 お願いします、しあっす、などまちまちだが返事をする周りの奴ら。

かったりー自己紹介がないのは賛成だ。あんなもんは時間の無駄だ。


「とりあえずこん中で野球未経験者の奴いるか?」


 と言われて一人手を挙げる。

先程早くきていたニコニコしていた奴。

今はどこか少し不安なのかやや苦笑い気味。


「そうか。な~に、心配するな。高校から野球を始めてプロ選手になった人も少なくないからな。努力次第じゃわからんぞ。俺がビシバシ鍛えてやっからな」



 それを聞いて会った時と同じ笑顔を見せた。

初心者か、足引っ張らなければいいが……。


「ま、今日はあと道具とか見て終わりかな。他、何か質問ある奴」


 ……特に質問なし。

全員顔を見合わせて、ないと感じ取ったらしい。

道具は部室の中にあるが倉庫にもあるらしい。

おっさんを先頭にグランドに向かっていく。


 グランドせっめーな。

グランドはちょうど平均の球場一つくらいの大きさ。

その中で野球部、サッカー部、陸上部が活動をするらしい。


「うわ、すっげー」


 感嘆の意を表したのは唐木。

倉庫はバックネット裏の方にあり、人が五人も入ればいっぱい、というくらいの物が二つある。

一つはベースやボール、バットなどを入れる倉庫。

もう一つは……。


「マシンだ、マシン!」


 そう、倉庫の中に新品のバッティングマシンが一台、少し古めの物が一台あるのだ。

マシンって言ったら相場は知らんがかなりの値がするはずだ。



「まあ、予算で出せたのはこんなもんだ。じゃ、道具の位置を覚えたところで今日は解散だな。明日はユニフォーム持ってこいよ」

「はい!」


 ほぼ全員返事をする。

野球をすると礼儀正しくなる、ということを聞いた事があるがそれはあながち間違っていないかもしれないな。

俺は返事はまともにした事がないが。

その後解散となり唐木が近づいてきた。


「なあなあ、一緒に帰ろうぜ。全員の名前と顔一致させたいし」


 予想通りと言えば予想通りだが人と馴れ合うのは好きじゃない。

断ろうとしたがもう俺の腕を掴んで引っ張っていた。


「なあ、今日一緒に帰ろーぜ」


 全員帰ろうとしていた所に呼び掛ける唐木。

少し遅かったのか俺達を除いて三人しか残っていなかった。


「おお、そうだな。ならいいとこあるからちょっと寄ってかね?」


 そう返したのはでかい奴。

百八十はあるだろう身長にがっしりとした身体。



頭は丸刈りにしていて柔道部やラグビー部でもおかしくない体型、雰囲気だ。

「へ~、んじゃそこ行こーぜ」


 唐木は笑顔で俺達に言う。

まあ用事ねーし付き合ってやるか。

ということででかい奴を先頭にチャリをこぐ。


 この高校は最寄り駅までチャリ十分ほどなので電車、チャリ、と来る奴とチャリだけで来る奴の二種類に別れる。

俺はチャリ一本だが電車で来る奴の方がやや多いらしい。



 そうこうしているうちに辺りに香ばしい匂いが漂ってきた。

でかい奴が自転車を停める。

そこには『焼肉大飯やきにくおおめし』という店があった。


「焼肉屋? 俺そんな金持ってねーぞ」


 唐木は少し焦ったのか財布の中身をチェックする。


「大丈夫大丈夫、俺の奢りだ」


 と言ってその店の中に慣れた感じで入っていく。

その後をあいつ金持ちだな~、とか唐木が周りの奴らと話しながら入っていく俺達。

唐木の他にちっちゃい奴とニコニコしてる丸顔の奴がいる。


 中に入るとまだ時間が早い為、あまり人がいないがなかなか広い。

木のテーブルがいくつも並びそのテーブルの中心に焼肉屋の象徴とも言っていい網がある。

『お客様はお肉を食べてハッピー、私達はお客様の笑顔を見れてハッピー』と大きく達筆で壁に書かれている。

いつもは客が凄く入りそうだ。


「こっちこっち! 適当に座って。あ、おかん! カルビとロース、十人前ずつ、それからご飯五つね!」


 もう一番奥の席について俺達を手招きしてながら誰かと話している。


 おかん? って事は……。

「はいよ~、いらっしゃい。うわ、皆格好いいね~。全員野球部? どんどん食べてってね」


 奥から身長こそ低いもののポッチャリ体型のおばさんが出てきた。

目や顔の形がどことなくでかい奴に似てる。


「お~い、早く座れっての。おかんも話なんかしてなくていいからさっさと肉持ってきてって」


「あんたに命令されたくないわよ。あ、ゆっくり食べてってね」


 そんなやり取りを終え、おばさんは奥に入っていく。

俺達も少し戸惑いながらも椅子に座る。

もう火がついているのか熱気が凄い。


「あ~悪いな、おかん格好いい奴には目がね~んだ。あ、ここ俺ん家だから遠慮すんな。……ま、その話は置いといて、だ。自己紹介しね?」


 口端を上げて笑みを見せながら皆に聞くでかい奴。

まあ、大体予想はできてたが自己紹介はかなりめんどいな。軽く流すか。


「じゃ、言い出しっぺの俺から。名前は内藤ないとう 裕生ひろき。ポジションはピッチャーで右投げ右打ち……だったけど肩壊して今んとこはファースト希望かな。一応自慢できるのは力かな。打順は四番打ってたからな。これからよろしく」


 印象は変わらず、でかいにつきる。

やや日焼けした肌に坊主。

他の奴らからしたら第一印象は怖いだろうな。


「じゃ、次俺だな。石田いしだ 達也たつやっス。野球初心者だからあんまアピールできないけど一生懸命頑張るからよろしく」


 会った時から笑顔を絶やさずニコニコしている奴だ。

体型も平均的で少し鍛えてあるかな、程度だ。

野球初心者か……。人数が足りないから仕方ないが足を引っ張りそうだ。


「え~っと、僕かな? 荒川あらかわ すぐるです。野球は小学生の時やってて、中学時代は陸上部に入っていました。右投げ右打ちでポジションは外野です。よろしくお願いします」


 見た感じはかなり大人しそうでちょっとボーイッシュな女に見えなくもない。

髪の毛は長めだがまるでいじってなく、更に大人しそうな雰囲気を出している。


 陸上部か、足は速そうだな。

野球はやはり足を使うスポーツなので速いに越したことはない。

だが小さいので力がかなり無さそうだ。

次は唐木の番だ。

かなりウキウキしている。


「よっしゃ、俺だな。俺は唐木雄一。北部中出身でポジションはキャッチャー、右投げ左打ち。打順は主に二番、六番を打ってたな。好きな食べ物はラーメンで嫌いなもんは牛乳とトマト、それからピーマンだな。う~ん、こんなもんか? よろしく! 次はお前だぞ」


 満面の笑みを少年のように表情に出す。

キャッチャーというのはかなり意外だった。

キャッチャーというポジションはランナーとのクロスプレーなどがある為大体、体格の良い奴がやるポジションだ。


 何か必然的に一番最後に自己紹介をやることになったがやりたくなくなってきたな。


「神原孝太。ピッチャーだ」


 何を話せばいいのかわからないのでとりあえずぶっきらぼうにそれだけ言う。

一瞬辺りが静かになった。

唐木はまだ何故か笑みを浮かべている。


「こいつな、すげーピッチャーなんだ。球速百四十は出てたな。その球を俺は受けられるんだから幸せもんだわ。あ、明日捕らせてくれよ」


 俺に言ってるのか他の奴らに言っているのかわからないが最後の一言には軽く引っ掛かった。


「俺の球、捕ろうとしたら怪我するぞ」


 実際、中学時代軟式ボールで左手を脱臼させたのが六回、ダイレクトでマスクに当てたのが三回、その他打撲や打ち身、突き指は当たり前のようにキャッチャーはしていた。

怪我が嫌で野球部をやめる奴がほとんどで中学三年間でキャッチャーは五回ほど代わった。


 俺の球を捕れるキャッチャーなんかいるのか?

そんな気さえ起きてしまう。


「そんなすげーのか? じゃあ打たれたことは?」


 内藤が興味津々、といった顔で聞いてくる。

元ピッチャーと言ってたからその凄さがわかるのだろう。


「一回だけ、センターに百三十メーターくらい飛ばされたことがある。その他は外野がバックしなきゃ捕れないような打球は打たれていない」


「は? キャッチャーが捕れないようなボールをバックスクリーンに運んだっていうのか? すげーな、そいつ。何ていうの? 名前」


 そう、一度、たった一度だけ打たれた。

完璧に持ってかれた。

しかも紅白戦で。


「リョウ、馬場ばば 亮介りょうすけ


 短く答える。

リョウは中三になる前に大阪に引っ越してしまった。

唯一本気で話し合える仲だった。

性格、野球の実力共に最高な奴だった。


 今、あいつ何やってんだろ。

不意にあいつに会いたくなった。


「は~い、お肉お待ちどうさん。どんどん食べなよ」


 かなりシリアスな場面だったがおばさんの声で場が和らいだ。

目の前に肉、ソーセージ、ご飯、ジュースなどどんどん置かれていく。


「お、やっと来たわ。どんどん食えよ。サービスっつってもタダでこんな食えるのはここくらいだぞ。これからも焼肉大飯をごひいきに」


 最後はふざけた感じで言う内藤。

しかし、どの肉もかなり高級そうな物ばかりだ。


「え? こんな美味しそうな肉、タダでなんて悪いですよ」


 口に出したのは少し困ったような顔をしている荒川。

本当に鞄の中から財布を取り出している。



「いいのよ~、もう! 君みたいな可愛い子がそんな気にせんでもいいの。働くのはこいつだけでいいから」

 と言っておばさんは内藤を指差す。


「うんうん、どんどん食え……って俺やっぱ働かんといかんの!?」


「当たり前でしょ。あ、皆は気にしないでね~」


 そして奥に入っていくおばさん。

目の前で大きく溜め息をつく内藤を見るといつもこき使われているのがわかる。


「ま、気にせず食べるか。やっぱ一番最初は塩タンだろ」


 気を取り直して肉を並べ出す内藤。

その手付きはかなり慣れたもんで素早い。


「つかさ、マネージャーとか欲しいよな~」


 口を開いたのは唐木。

コップの中に刺さっているストローを手でいじりながら肉が焼けるのを待っている。


「まだ仮入部だから来る可能性はなくもないよ。やっぱ憧れだよな~、野球部のマネとかは特に」


 やはりニコニコしながら話す石田。

中学時代はマネージャーがいる野球部はほとんどと言っていい程なかったが、高校になるとマネージャーがいない学校の方が少なくなる。


「ほい、焼けたぞ。どんどん食え」


 その一言に待ってました、と言わんばかりに唐木が肉に食いつく。


「うっめー!!」


 うるせーな。

唐木は天を仰ぎながら店に響き渡る声で叫んだ。

店には客がいないからいいが、かなりうざい。


 俺も食うか。

網の上から肉を取り、口の中に入れる。


「うめえ」


 自然と声に出てしまった。

柔らかさ、塩加減、どれをとっても今まで食べてきた肉とは比にならない。

口の中に入れた瞬間肉が溶けた。


「うめーだろ。どんどん食えよ。今日は祭りじゃい!」


 その後、四十分程談笑しながら肉を食べていった。

食べ盛りの高校生の食欲は凄く、約三十人前を平らげてしまった。

あまり話すのは好きじゃないがこいつらの話は聞いてて飽きなかった。

今まではリョウとしか深く話をしたことがなかったのでかなり新鮮だった。


「んじゃ、この辺でお開きにしますか」


 少し時間が早いが客がチラホラ見えつつある。

さすがにここにいても邪魔だし帰るか。


「お邪魔しました~。おばさん、また来ますね~」


「は~い、また来てね~」


「おう、また来いよ。まあ次からは金を取るけどな」


 おばさんと内藤の柔らかい笑みを背に外に出た。

いつもは暖かく感じる春の気温も、焼肉屋の中は熱気が凄かったのでやや肌寒く感じる。

手に持っていた紺のブレザーを羽織る。


「お邪魔しました~。おばさん、また来ますね~」


「は~い、また来てね~」


「おう、また来いよ。まあ次からは金を取るけどな」


 おばさんと内藤の柔らかい笑みを背に外に出た。

いつもは暖かく感じる春の気温も、焼肉屋の中は熱気が凄かったのでやや肌寒く感じる。

手に持っていた紺のブレザーを羽織る。


 東海西の制服は紺のブレザーに薄い水色のカッターシャツ、ズボンは灰色っぽい色になっている。

ネクタイもあるのでかなり着るのに面倒くさい。


「ここで解散でいいかな? ここからバラバラみたいだし」


 荒川が口を開く。

引っ込み思案なのは本当のようだが、もう石田とは普通に喋れるようだ。

まだ唐木や俺には話を自分からはしてこないが。


 ここから荒川と石田は駅へ、唐木は田んぼと田んぼの間の道、俺は大通りを通って家に帰る事になる。


「そうだな、じゃ、皆、明日ユニフォーム忘れるなよ。じゃあな」


 唐木がそう言った後、皆バラバラになる。


 帰ったらリョウにメールでもしてみるかな。いや、面倒くせーや。

そんな事を考えながら帰路についたのだった。



唐木‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



「あ~、えれ~(えらい……疲れた、しんどいと言う意味)」

 そのまま、グランドに倒れ込む。

身体中から汗が吹き出て、息も全然整わない。

顔を上げると俺よりも断然早く終わっていたその天才は、汗はかいているものの軽くストレッチをしている。

見た感じかなり余裕そうだ。


 あのやろ~。

今はグランドを二十週してきた所。

一周三百メートルのトラックなので、計六キロ。

野球から遠ざかっていた期間が長かったのでかなり皆しんどそうだ。

実際俺は自主トレをしていたがやはりスタミナはとことん落ちている。

それを見越していたかのように監督は最初の一ヶ月を走り込みに使うというのだった。


「おっし、休憩終了。次は坂道ダッシュ二十本」


 おい、監督。どんだけあんたスタミナあんだ?

そう、監督も選手と一緒に走っているのだ。


 選手と一緒に練習こなしてる監督はなかなかいないだろうなー。

そんなことを考えて気を紛らわそうとしたのだが息は整わず、校門まで来てしまった。


 校門からは軽い坂道になっていて、上っていくと左にチャリ置き場があり、そのちょっと上に行くとまた左にグランドがある。グランドとチャリ置き場は繋がっている設計だ。


「ぐ、へ~」


 我ながら変な声をあげてしまったがそれだけ疲れたという事だ。

六キロ走った後の二十本ダッシュはかなりきつく、皆ばてて顔を上げようとしない。

ただ二人を除いて。


「何だ、お前ら、情けない」


 一人は監督。

この人は一本目から二十本目までほとんどスピードが落ちていなかった。

確かに年齢は若いかもしれないが、それにしても体力がありすぎる。


 そしてもう一人は……。

先程の天才、神原孝太。

さすがと言っていいのか、全て一位で走り抜けている。

足の速さも尋常なく速い。

その本人は今座って目を閉じている。

多少息は弾んでいるがそれでもまだ余裕、といった感じだ。

心配されていた初心者の石田だが、そこまで運動神経が悪いわけではなく、なかなか速い。

もともとはサッカー部だった、と言っていたので他のメンバーに劣っていない。


「この後は腕立て、腹筋、背筋、スクワットを五十回ずつを三セット。それで今日のメニューは終了だ」


 殺す気か!

そんな言葉を飲み込んで体育館の下にある広間に行く。

大体大きさはテニスコートくらいで壁、天井、床、全部コンクリートでできている。


「ふ~、きっついな~」


 内藤が腹筋をする為、手を頭に組みながら誰にともなく呟く。

内藤は中二の春に肩を壊してそれっきり運動はしていなかったらしい。

それでもなかなかついてきているということはやはり自主トレ的なものをしていたのだろう。


「二十七!」


 あ~、ダメだ、死ぬ。三セット目だから少し力抜いても大丈夫だよな。

そう思った瞬間、監督の横にいる女の子と目があった。


 可愛い。ぬお~、格好悪い所見せられるか!

なんとか一回も抜かずに全てのメニューを終えることができた。

意外にも達成感で溢れている。

こんな気持ちになったのは初めてだ。


「よし、よく頑張ったな。で、今日からこの野球部のマネージャーをしてもらう事になる戸田とだ江原えはらだ。道具の場所とかその他もろもろ教えてやれよ」


 全員、もう死にかけているので生返事で返す。

神原に至っては、返事すらしていない。

先程は一人しか見えていなかったが二人いる。

一人はポニーテールで、活発的な印象を持つ。

俺がさっき見た子で、かなり綺麗。

もう一人はストレートヘアを胸元まで伸ばし、隣の子より若干背が低い。

こちらは美人、というより可愛い印象がある。


「じゃあ、今日は終了だ」

「したっ!」


 全員バラバラになると石田と荒川の仲良しペアと内藤、あともう一人、背が低く、ぽっちゃりした奴が近くに寄って来た。

もう野球部の中でも仲良し組、といった感じのものができてしまっている。


「ねーねー、あの子可愛いよね」


 石田は興味がある、と言っていたマネージャーの方を遠目で見ながら言う。

どっちの事を言ったかは気になるが、当のマネージャーは二人で喋りながら更衣室に向かっていった。

一緒に来た、ということはクラスが一緒だったか、中学が一緒だったかのどちらかだろう。


「でさ、そいつは?」


 マネージャーも気になるが、少しおどおどしながら内藤の後ろにいる奴も気になる。

身長は荒川より小さいが、少しぽっちゃりめで、顔がでかく、あまり身体と比率があっていない気がする。

髪の毛は短くもなく、長くもない、ちょうどいい長さだ。

顔の大きさからするともう少し長くてもいいんじゃないか、と思う。


「あ、と、前田まえだっス。前田 成哉せいや


 後頭部を掻きながら会釈する前田。

内藤の隣にいるとさらに小さく見える。

前田の背は内藤の肩にも到達していない。


「こいつ、中学時代ベンチだったのに特待なんだってよ。あの監督信頼してるけど何考えてんだか」


 内藤が顎で前田を差す。


 岡田監督は俺、神原の他に内藤、荒川、そしてこの前田をとったっていうのか?


 内藤は中三になる前に肩を壊して野球から一度離れた。

普通ならスカウトなんか来ないはずだが、中二の頃の活躍を監督が見ていたらしく、東西(東海西、略してとうせい)に呼ばれたらしい。


 荒川は中学は陸上部で全国に行くくらいの選手で、何校か特待生でスカウトされていたらしい。

その中で好きだった野球でスカウトしてくれた東西が気に入り、入ったという。


 昨日焼肉屋で話を聞いた。

 確かに一癖も二癖もありそうな奴等だが、リスクも当然高い。


 内藤は肩を壊している、と言っていたのでまずそれをどうするか。

更に野球から一年間遠ざかっていたのだからブランクが大きすぎる。


 荒川なんてもっての他だ。

小学生の時に野球をやってたと言っていたがそんなに甘くはない。


実際初心者同然、と言ってもいいくらいだ。


 前田はまだ話を聞いてないので長所も短所もわからないが、レギュラーになれなかったらしいから特別上手い訳ではないのだろう。


 ホント何考えてんだろ?

一回部室の方に目を向けると、部室の前で神原がタオルで汗を拭きながらストレッチをしている。

長い髪の毛が汗で光って見える。


 ストレッチは筋トレが終わった後にやったのだが、足りなかったのだろうか? 体調管理まで完璧にしているのかよ……。


「謎と言えば神原も謎だよな。どうしてこんなとこ来たんだ? もっとスゲーとこから誘い来ただろうし」


 そんな俺の目線に気が付いたのか、内藤が呟く。

中三で百四十キロ程の球を放っていたのだ。

スカウトが来ないはずがない。


「神原? 神原ってあの十年に一人って言われているほどの天才投手の事か?」


 前田が驚きの声をあげる。

やっぱり神原はかなり有名なんだな。

龍一に言われるまで知らなかった事が少し悔しいというかなんというか、そんなような気持ちになった。


「おい! 最終下校時刻になるぞ! さっさと着替えろ!」

 上から声が聞こえるので見上げると、白髪のひょろっとしたおっさんが顔を出していた。

入学式の時に俺を怒った奴で、主任だったような気がする。


 野球部の部室は一階で、その二階には部活の顧問などがいる、教官室と呼ばれる部屋がある。

部室よりもひとまわり小さく、部室の鍵なども置いてある。


「は~い、今から着替える所で~す」


 一回怒られているのではぐらかして言う。

俺にはわかる。こいつは悪い先生だ。

勝手に決めつけてしまったが、今まで何回も怒られてきてどんなタイプが良い先生だとかがわかるレベルまで極めたのだ。

だてに何回も怒られている訳ではない。


「まあそのうちわかるか。今は着替えようぜ」


 渋々、先生に言われた通り着替えを始める。

神原はまだストレッチをしていた。


「おい、さっさと着替えろ!」


 先生は上から神原に向かって怒鳴りつける。神原は上を見るがまたストレッチを続ける。

これには頭にきたのか先生は階段を降りてきた。

その次の瞬間に神原は柔軟をやめ立ち上がった。

先生が怒るからやめたのか、単に柔軟が終わっただけなのか。

おそらく後者だろう。


「おい、そこのお前、何で私が言ってすぐに動かなかった?」


 その言葉にも全く反応せず、着替えを始めていた。

俺や内藤も着替えつつ、その事の成り行きを影で見守ることにする。

今出ていくとかなり面倒な事になりそうだ。


「何だその態度は?」


「あっ」


 次の瞬間先生が神原の右肩に手を置いた。

それを見て俺は思わず声を出してしまった。


「触んな!」


 案の定、俺の時と同じように右腕で振り払った。

だがやった相手が先生だ。

俺らなら笑い事で済むかもしれないけど……。


「何だ!? ちょっとお前こっち来い!」


「何の騒ぎですか?」


 出てきたのは岡田監督だ。

先程の白のジャージとは違い、黒のジャージを着ている。


「あ、岡田さん。ちょっと野球部の帰宅時間が遅かったもので注意してたんですよ」


 さっきまでの形相とはうって変わり、穏やかな話し方をする。

ちっ、と一回内藤が舌打ちをした。

この変わりように腹がたったのだろう。


「すいません。こちらから注意しときますんで」


 そう言うとじゃあお願いしますよ、と教官室に戻っていった。

こういうやり取りを見てるとかなり腹たつな。

岡田監督も結局は先生の言いなりなんだな。


「ちっ、んな注意なんかするかよ。ったく、あのクソ教師が。めんどくせー」


 しかしさっきまでペコペコしていた岡田監督が教官室に先生が入った瞬間に悪態をついた。

本当に一瞬で表情が変わったのでかなり驚いた。


「俺はこのチームを甲子園に連れていきたい。その為なら最終下校時刻だろうが構わない。お前らもついてこいよ」


 この監督、すげ~。

本気で思った。

一年生しか今はいない状態だが、俺達を甲子園に行かせたがってる。



普通なら嘘でなら言うかもしれないがこの人は本気だ。俺はこの人についていこう。

心の中で勝手に誓った。


「んじゃ、俺は帰るからな。適度に早く帰れよ」


 そう言って駐車場に歩いていった。


「はあ? お前何言ってんだ?」


 と同時に今度は後ろからそんな声が聞こえた。


 何もめてんだ? また神原か?

その声がした方向に向かっていくと、神原ではない奴がいた。

まだ喋った事はあまりないが、吉山よしやまという奴だ。

身長はなかなか高く、肩幅もしっかりとしている。

理想的な体型と言えるだろう。


「吉山、どうした?」


 吉山の目の前には、俺が一度も話したことのない野球部員がいる。

そいつは目付きを悪くして吉山を睨み続けている。


「こいつが野球部やめるって言ってんだ。どうにかして止めねーと試合出れんぜ?」


「うるせーよ。俺はこんなきつい練習が三年間続くと思うとゾッとするね。ま、俺がいなくなっても頑張ってくれや」


 そう言ってバッグを持って早々と歩いていく。

お、おい、と吉山は声をかけたが無視され姿が見えなくなってしまった。

これで部員八人。

試合に出られなくなってしまった。

吉山はがっくりとうなだれて仕方がないか、と呟き帰ってしまった。


 今年は公式戦はなしか……。

そんな事を考えながら俺もいつもと変わらないメンバーで帰路についたのだった。


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