はじまり
俺は出会った。
気温三十五度を越える炎天下の中。
そのマウンドにいる、とても同い年の少年が放ったとは思えないボール。
まさに一瞬。
くそがつく程暑いはずなのに鳥肌がたった。
誰だあいつ? とりあえずすげーな。
スタンドにいるのに固唾を飲んでその少年に見入ってしまう。
一度帽子を取ると、首元まである長い髪の毛とキリッとした目元、整った顔立ち、俗に言うイケメンと呼ばれる部類に入る顔が見えた。
その少年の右腕から放たれるボールはキャッチャーのミットを拒むように弾かれていく。
あ~、俺ならあんなヘマはしないのに……。
そんな思いが頭の中を巡る。
「おい、ユウ! アップ行くぞ」
声がした方向に顔を向けるとニキビが顔一面に広がっている、見慣れたごつい奴がいた。
清原 龍一、俺らのチームの四番ファーストかつ今年の愛知県の中学野球の中で一番の打者と呼ばれる大打者だ。
体格もかなり大きく、一試合一本は柵越えを打っている。
「ああ、もうそんな時間か。もうちょっと見たかったのにな~」
かなり大袈裟に肩をすくめてチームメイトが待っている所へ歩き出す。
あのピッチャー、かなり気になったんだけどな……。
「何だ? お前やっぱ神原の球見たいのか?」
後ろから野太い声が聞こえてくる。
ん? 神原?
「え? あのピッチャーの名前?」
振り返ると龍一が驚いた顔でこっちを見ている。
俺、何か変なこと言ったか?
「おま……。え? あの神原 孝太を知らないの?」
そんな有名人なのか? まあ確かにかなり速い球投げてたけど……。
「神原孝太。身長百七十六センチ、体重六十キロ。軟球でマックス138キロの球速に正確無比なコントロール。あれは確実にピッチャーをやる為にこの世に存在するようなもんだよな。一回は対決したいもんだ」
かなり大袈裟なことを言っているような気がするがそんな有名人だったとは……。これで俺が高校であの球を受ける確率は限りなく0に近くなったな。
「そういえばお前はやっぱ公立か? お前の実力なら愛福でも通用するだろ? セレクションもあるし」
愛知福祉大学付属高校か。
あそこは毎年甲子園に行ってる超有名校だけど……。
「いや、やっぱ無理だわ。俺ん家金ね~し」
そう、やはり私立はどうしても金がかかってしまう。
苦笑いをしながら返すと龍一も苦笑いで返してきた。
「あ、じゃあ俺こっちだから」
龍一と別れ、このチームでバッテリーを組んでいる鈴木 学斗の所に向かう。
バッテリーは各自でアップをすることになっている。
学斗は一個年下だが左投げから放られるボールのコントロールはなかなかのものだ。
でもやっぱ俺なんかの実力じゃ私立は無理だな。龍一みたいに天才じゃないと……。
途端にさっきまで見ていたピッチャーを思い出してしまう。
あの球を捕りたい、リードしたい、そして勝ちたい。
そんな感情があの球を見ていたら剥き出しになってしまう。
だめだだめだ! 今はもうすぐ始まる試合に集中しないと……。
いつものようにランニングをしているのだが身に入らない。
柔軟、キャッチボールを済ませるとちょうど球場から試合終了の合図が鳴る。
「よし、全員グランド入るぞ!」
龍一が全員をしきる。
ああいう事もできるから凄いよな……。よし、気引き締めるぞ!
キャッチャー用防具一式を身に付けてグランドに入った。
神原‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
何でこいつらこんなに泣いてんだ? 泣くほどお前ら何かしたかよ?
球場を出てすぐの所にある木陰で泣き崩れているチームメイト。
試合は0対0のまま延長戦に入り、サドンデスと呼ばれるノーアウト満塁から始められるという特別ルールが適応され、最後はサヨナラパスボールという呆気ない幕切れ。
だがこいつらが泣く理由がわからない。俺一人でやってたじゃねーか。お前ら今日の試合なんかしたか?
奪三振二十二、ピッチャーゴロ三個。
今日の俺の記録だが実際は他のチームなら九十パーセント以上の確率で勝ててる内容だ。
中学野球は七イニングのため振り逃げ四つでこんな記録になった。
その後、このチーム最後のミーティングをやり、それはもう呆気なく皆バラバラになる。
空を見上げると綺麗な青色が広がっている。
ムカツク時はこうするのが一番だな。
しばらく空を見ていると誰かに肩を叩かれた。
叩かれたのは左肩なので気にならなかったが右肩だったら払い除けてたところだ。
肩を叩いたのは二十歳そこそこだと思われる野球帽を被ったおっさんだった。
おっさんと言っても大学生かもしれないほどに若々しく、髪は短髪で、身長は俺と同じくらいで百七十半ばくらいだろう。
体型も標準でジーパンに黒のタンクトップ、黒の帽子の上にサングラスを乗せているというラフな格好だ。
「あ、投手の肩に触れるのはタブーだったね」
と言いながら肩から手を離した。
このおっさん何のようだ?
「いや、別にいいっスよ。で? 何スか?」
一応嫌なそぶりを見せないように振る舞った。
「良いポーカーフェイスだ。投手たるもの表情に出やすかったら話にならんからな」
するとそのおっさんは少し口端を上げて不気味に笑った。
このおっさん、何が言いたいんだ?
「ああ、すまんね。俺の名前は岡田 誠一。来年創立される東海西高校の野球部監督をすることになっている」
ぶっちゃけあまり驚かない。
監督にしてはちょっと若いかな? 程度でその他に驚く対象がない。
「で、その野球部監督さんが何のようですか?」
するとおっさんは少し驚いたような顔をする。
「わかんないかな? 君をスカウトに来たんだよ、神原孝太くん」
まあ大体予想はついたがこうやってスカウトされるのは小学生以来だな。
小学生の時はいろんな硬式チームに誘われたがあまり早いうちに硬式を触りたくなかったので全部断った。
「……そうですか。ありがとうございます。一応考えときます」
と言って立ち去るつもりだった。
が、すれ違う瞬間何か紙を渡された。
「俺の電話番号だ。今年いっぱいまで待つからそれまでに連絡してくれ。良い返事を待ってるよ、『ドクターK・K』」
顔を見ると少年のような屈託のない笑顔を向けられた。
それには返事をせずその場を立ち去った。
唐木‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
嘘……だろ? 最終回同点ワンアウト満塁? 身体が、動かねえ。何だよこの感覚……。おい、学斗の球が俺の上、通りすぎたぞ。え? 負け? んなわけねーよな? 龍一? 嘘だって言ってくれよ。なあ、龍一!
気が付いたら冷たいフローリングの上だった。
身体を起こすと布団から落ちていたことがわかる。寝相が悪いのは元々だが夢にうなされるのは久しぶりだ。
目を冷ますために顔を洗いに行こうとすると家の電話が鳴った。
いきなりで身体がビクッと反応したがすぐに冷静になり受話器をとる。
「もしも」
「あ~もしもし! 東海西高校野球部監督の岡田と申しますが唐木 雄一くんはいらっしゃいますでしょうか?」
清々しい青年のような声なのだが少しばかり元気がある。
元気だけなら自分にもあるがこの人は声がでかい、というものも持っている。
「え~っと、雄一はオ……僕なのですけど」
何故かあちらがものすご~い丁寧語だからこっちも言葉遣いがおかしくなる。
「そうか、雄一くんか。そんな緊張しなくて良いよ。さっきも話した通り東海西高校の野球部監督をすることになってるんだけど……」
そこで一拍間を置かれる。
「単刀直入に聞く。君、うちの高校に来ない?」
ん? これってスカウト、だよな? 何かものすごいスピードで話が進んでるんだけど……。
話が急すぎて頭がこんがらがる。
少し返事をためらっていると受話器から深呼吸のような息を吸い込む音が聞こえた。
「まあ、急すぎて訳がわからないよね。でもうちの高校、いや、うちのチームは君が必要なんだ」
そこまで言われて悪い気はしないがどうも実感がわかない。
「あの、僕の何を評価してくれたんですか?」
これは聞いておきたい。
実際に俺を評価してくれた高校はこの東海西という高校だけ、というのは確かだ。
それだけ俺は実力がない、ということだ。
「君のバッティングはもちろんキャッチャーとしての伸び代もまだまだある。君は自分を過小評価してるみたいだけど俺が見る限り、県指三本には入るキャッチャーだ」
……やっぱり実感がわかないな。
スカウトされるのはいいけどいろいろ条件っていうのもあるし。
一応条件も聞いてみることにしよう。
「評価してくれたのはとても嬉しく思います。でも私立に行くお金が僕の家にはなくて……」
とても嬉しい事だけどこれはしょうがない。
縁がなかったと思って諦めるつもりだった。
しかし返ってきた返事は意外なものだった。
「ああ、そういうことなら大丈夫だよ。一応『特待生』という事だから入学料、授業料などがかなり安くなる。学校も君の家からも近い所だし。他に何かあるかな?」
――え!?
「と、特待生!?」
思わず叫んでしまった。
何か特待生っていうのは聞いたことがあるがいわゆる『天才』と呼ばれるやつにしか来ないものだと思っていた。
「ははは。まあそういう事だから考えといてね。今年いっぱいまで待つから」
「は、はい、入ります!」
頭の中が真っ白になっていた。
あれ? 俺、今大変なこと口走っちゃったような……。
「え? 本当かい?」
あ、あ……。もう訳わからん。でも断る理由ないし……。…………。ああくそ! 迷うことなんか欠片もないじゃないか! よし、腹くくった。
「はい、よろしくお願いします!」
もう決めたとなると意外にスッキリした気分になる。
受話器の向こうからはやや間があった後、ヤッター! とかヨッシャー! などとても喜んでいる様子だ。
三十秒くらい経った後咳払いが聞こえた。
「ああ、すまなかった。いや~、実は今日うちの高校に入ることが決まったのが君で二人目なんだよ。まさか立て続けにうまくいくなんて」
二人目? もう一人は誰だろう?
少しの好奇心で聞いてみる。
「あの~、失礼じゃなければもう一人の名前を教えていただけませんか?」
「ん? 神原孝太」