触れるたび貴方を忘れる私が、それでも手を伸ばす理由を知っていますか?
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第一章 断罪の日、私は微笑んだ
「リゼット・エヴァンシア。私はお前との婚約を破棄する」
王宮の大広間に、セルジュ殿下の声が高らかに響き渡った。
(ああ、ついに来てしまったのね)
私は静かに睫毛を伏せた。周囲を取り囲む貴族たちのざわめきが、まるで遠い波音のように聞こえる。絢爛たるシャンデリアの光が、断罪台に立つ私を容赦なく照らしていた。
「殿下、それはあまりに突然では……」
誰かが口を挟もうとしたが、殿下は手を振って遮った。金色の髪が揺れ、碧い瞳には正義の炎が燃えている。
(その正義感、もう少し早く私に向けてくださっていたら、違う未来もあったのかしら)
「三年だ。三年間、私はお前を愛そうと努力した」
殿下が一歩、私に近づく。反射的に私は半歩下がった。
その仕草を見て、殿下の顔が苦々しく歪んだ。
「ほら、また逃げる。お前はいつもそうだ、リゼット。私が触れようとすれば身を引き、手を取ろうとすれば手袋越しにしか許さない。まるで私を汚らわしいものでも見るような目で」
(違う。違うのです、殿下)
喉元まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
言えるはずがない。『私に触れれば、貴方は私を忘れてしまう』だなんて。そんな呪いを受けた女を、誰が信じるというのだろう。
「申し訳ございません、殿下」
私が言えたのは、それだけだった。
「謝罪など聞きたくない!」
殿下の怒声が広間を震わせる。その隣で、蜂蜜色の巻き毛を揺らした少女が、心配そうに殿下の袖を引いた。
「セルジュ様、どうかお気を静めて……リゼット様にも、きっとご事情がおありなのです」
マリアベル・ヴェルナー。
神殿が見出した聖女にして、殿下の心を奪った少女。無垢な翠の瞳が、同情に満ちて私を見つめている。
(その目、本当に上手にできていますわね)
私は内心で冷笑した。あの娘が私を見る時、その翠の奥に時折走る暗い光を、私は知っている。
「マリアベル、お前は優しすぎる」
殿下が聖女の手を取り、労わるように包み込んだ。何の躊躇いもなく。何の恐れもなく。
(ああ、そうやって誰かの手を取れることが、どれほど羨ましいか)
胸の奥が、きりりと痛んだ。
「この女は、お前を虐げていたのだろう? お前が教えてくれたんだ。リゼットがいかに冷酷に、お前を無視し、陰で意地悪を言っていたか」
「わ、私はただ事実を申し上げただけで……」
聖女が困ったように目を伏せる。その仕草の可憐なこと。
(一度もお話したことがないのに、随分と詳しいことをご存知なのですね、聖女様)
私は何も言わなかった。否定したところで無駄だと分かっていた。殿下の瞳はもう、私を映してはいない。三年間、ずっと。
「お前は公爵令嬢の地位を剥奪され、王都を追放される」
殿下が最後の宣告を下した。
「二度と私の前に現れるな。お前のような冷血な女、見るだけで不愉快だ」
広間に沈黙が落ちた。貴族たちが息を呑む気配がする。
私は深く、深く息を吸った。
そして——微笑んだ。
「かしこまりました、殿下」
私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
「三年間、至らぬ婚約者でございましたこと、お詫び申し上げます。殿下のご多幸を、心よりお祈り申し上げます」
完璧な礼をして、私は背を向けた。
「……待て」
殿下の声が追いかけてきた。何か言いたげな、戸惑いを含んだ声。
(今更何を仰るのです)
私は振り返らなかった。
「それだけか? 弁明も、反論もないのか?」
「ございません」
(だって、言えないもの)
広間を出る私の背中に、ざわめきが追いすがる。「やはり冷酷だ」「何も感じていないのか」「氷の令嬢とは言い得て妙」
控えの間で待っていたナディアが、蒼白な顔で駆け寄ってきた。
「リゼット様……!」
「大丈夫よ、ナディア」
私は幼い頃から共に過ごしてきた侍女の手を——手袋越しに——そっと握った。
「むしろ、ほっとしているの」
「ほっと……?」
「もう、触れないふりをしなくていいのですもの」
私の白い手袋が、燭台の光を鈍く反射する。この手袋を外せば、私は誰の記憶も奪わずにはいられない。
愛する人に触れれば、その人は私を忘れる。
忘れられたくなければ、永遠に触れてはならない。
それが、六歳の時に私にかけられた呪い。
「日記を持ってきてくれる? 屋敷を出る前に、今日のことを書き留めておきたいの」
「……はい」
ナディアは涙を堪えながら頷いた。彼女だけが知っている。私が毎晩、震える手で日記を書き続けてきたことを。
『今日も殿下に触れられなかった。でも覚えている。まだ覚えている』
そうやって、消えゆく記憶に抗い続けた日々。
(でも、もういいの)
私は窓の外を見た。沈みゆく夕陽が、王都を茜色に染めている。
(殿下。貴方のことを忘れる日が来るなら、それはきっと——救いなのだわ)
広間から、聖女の鈴を転がすような笑い声が聞こえてきた。
◇◆◇
第二章 触れても、消えない人
追放から三日後。
私は王都の外れにある古びた馬車宿で、荷物をまとめていた。
「リゼット様、せめてお父様に連絡を……」
「駄目よ、ナディア」
私は首を横に振った。父上に触れれば、父上は娘の私を忘れてしまう。手紙でのやり取りが、私たちに許された唯一の親子の形だった。
(きっと今頃、烈火のごとくお怒りでしょうね)
公爵家の令嬢が公開断罪。その報せを聞いた父上の顔を想像して、私は小さく苦笑した。
「東の領地に小さな別荘があるの。しばらくそこで暮らしましょう」
「はい……でも、リゼット様」
「なあに?」
「悔しく、ないのですか」
ナディアの声が震えていた。
「あの聖女が全部仕組んだことなのに。リゼット様は何も悪くないのに。殿下に本当のことを話せば——」
「話して、どうなるの?」
私は淡々と答えた。
「『触れると記憶が消える呪い』? そんな話、誰が信じるかしら。むしろ頭がおかしくなったと思われるのが関の山よ」
(それに)
私は自分の手袋を見下ろした。
(証明する方法は一つしかない。殿下に触れて、記憶を消してみせること。でもそうしたら——)
殿下は、私のことを完全に忘れてしまう。良い思い出も、悪い思い出も、三年間の全てが消える。
愛してくれなくてもいい。軽蔑されてもいい。
でも、忘れられるのだけは嫌だった。
(……嫌、だったのに)
今はもう、どうでもいいような気もする。この空虚さは、解放感なのか、絶望なのか。自分でも分からなかった。
「失礼、リゼット・エヴァンシア嬢とお見受けするが」
突然、低い声が背後から響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは——漆黒の髪に、深い紫紺の瞳。冷厳な美貌の男性だった。黒い外套が、彼の長身を包んでいる。
(この方は……)
「北方辺境伯、ヴェルナー・クラウス・ヴェルナー卿……」
私は思わず呟いた。『氷の辺境伯』と呼ばれ、社交界にほとんど姿を見せない謎多き貴族。
「お初にお目にかかります、辺境伯閣下。このような場所で、何のご用でしょうか」
(まさか、聖女の兄君が追い討ちをかけにいらしたの?)
そう、この方は聖女マリアベルの実の兄。警戒心が胸の中で鎌首をもたげる。
「単刀直入に言おう」
辺境伯は無表情のまま、一歩近づいた。
「貴女の呪いを、解きたい」
「——は?」
思わず、素の声が出た。
(今、なんて?)
「呪いを……ご存知、なのですか?」
「知っている。誰がかけたのかも」
辺境伯の紫紺の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。
「マリアベルだ。私の愚かな妹が、貴女に呪いをかけた」
世界が、一瞬止まったような気がした。
「……なぜ、そんなことを私に?」
「贖罪のためだ」
辺境伯は静かに答えた。
「妹の罪は、兄である私の監督不行届き。五年前から呪いの存在を知り、解呪の研究を続けてきた。ようやく目処が立ったところで、貴女が追放されたと聞いた」
五年。
五年間、この人は私のために研究を?
「お待ちください。私は貴方様と面識がありません。なぜそこまで……」
「罪を見過ごせば、同罪だ」
素っ気ない答え。けれどその声の奥に、確かな覚悟が滲んでいた。
「それに」
辺境伯が、不意に手を差し出した。素手の、大きな手。
「私には、確かめたいことがある」
私は反射的に身を引いた。
「触れては——」
「構わない」
辺境伯は動じなかった。
「呪術には法則がある。術者の血縁は、その呪いの影響を受けにくい」
(まさか)
私の心臓が、大きく跳ねた。
「試してみろ、エヴァンシア嬢。私に触れても、記憶は消えない」
嘘だと思った。罠かもしれないと思った。
でも——
差し出されたその手が、あまりにも真っ直ぐで。
気づいた時には、私は震える指で手袋を外していた。
「リゼット様、危険です!」
ナディアの制止の声。
それを振り切って、私は辺境伯の手に触れた。
——温かい。
人の手の温もりを感じるのは、何年ぶりだろう。母を亡くしてから、いや、呪いを受けてから。誰かに触れることを禁じてきた、十四年間。
「……っ」
涙が、勝手に溢れてきた。
辺境伯は私の手を握ったまま、静かに告げた。
「私はヴェルナー・クラウス・ヴェルナー。貴女はリゼット・エヴァンシア」
消えていない。
記憶が、消えていない。
「信じてくれたか」
「……どうして」
声が震えて、うまく言葉にならない。
「どうして、私に……」
「言っただろう、贖罪だと」
辺境伯は私の手を離すことなく、淡々と続けた。
「それから、もう一つ。私は愚か者が嫌いでな」
「愚か者?」
「あの王子のことだ」
紫紺の瞳が、僅かに細められた。
「貴女の献身も知らず、見た目の優しさに騙されて、真実を見ようともしなかった。あれほどの愚者、滅多にいない」
(……ああ)
私は、つい小さく笑ってしまった。
「閣下。それ、殿下の前で仰らないでくださいね」
「なぜだ。事実だろう」
「事実でも、言っていいことと悪いことがありますわ」
会話をしながら、私は不思議な感覚に包まれていた。
この人の前では、取り繕わなくていいような気がする。『氷の令嬢』の仮面を、外してもいいような。
「私の領地に来い、エヴァンシア嬢」
辺境伯が言った。
「解呪の研究には、貴女の協力が必要だ。それに——」
「それに?」
「王都にいては危険だ。マリアベルは貴女を野放しにはしないだろう」
私は一瞬考え、そして頷いた。
「……分かりました。ご厄介になります、辺境伯閣下」
「ヴェルナーでいい」
「それは、少々馴れ馴れしいかと」
「構わない。どうせしばらく共に過ごすのだ」
無表情のまま言い切る辺境伯——いえ、ヴェルナー様を見て、私は再び小さく笑った。
(不思議な方)
私の手を、まだ握ったまま。離そうとしない。
いえ、もしかしたら——離す必要がないことを、分かってくださっているのかもしれない。
どれほど長く、私がこの温もりを求めていたか。
窓の外では、朝陽が昇り始めていた。
◇◆◇
第三章 日記に綴られた真実
——同じ頃、王宮では。
セルジュ・ラ・ヴァロワは、自室で苛立ちを持て余していた。
(なぜだ)
あの時のリゼットの顔が、頭から離れない。断罪を受け入れ、振り返りもせずに去っていった彼女の背中。
「弁明も、反論もない」
あの言葉が、繰り返し耳の奥で響く。
(当然だ。あいつは有罪なのだから)
自分に言い聞かせる。マリアベルを虐げ、私の愛を拒み、冷たく、冷たく——
「殿下」
扉をノックする音がして、側近のオスカーが入ってきた。
「断罪の件で、各方面から問い合わせが……」
「後にしろ」
「しかし、エヴァンシア公爵が激昂されて——」
「後にしろと言っている!」
オスカーが押し黙った。赤毛の騎士は、どこか複雑な表情を浮かべている。
「……何だ、その顔は」
「いえ。ただ、リゼット嬢の部屋の片付けを命じられておりまして」
「それがどうした」
「一つ、殿下にお見せしたいものが」
オスカーが差し出したのは、一冊の革張りの本だった。使い込まれ、所々擦り切れている。
「リゼット嬢の私物です。日記のようですが……」
「日記?」
セルジュは眉をひそめた。あの冷血女に、日記を書くような繊細さがあったのか。
嘲笑混じりにページを開いた。
最初は、何が書いてあるのか分からなかった。
同じ日付が、何度も何度も繰り返し書かれている。同じ内容が、少しずつ言葉を変えて。まるで——
(まるで、忘れないように必死で書き留めているような)
『今日、殿下と庭園を歩いた。白い薔薇がお好きだと仰った。覚えている。まだ覚えている』
『殿下の瞳は碧い。空よりも深い碧。忘れたくない。忘れたくない』
『また触れそうになった。でも我慢した。触れたら、殿下は私を忘れてしまうから』
何だ、これは。
セルジュの手が、知らず震え始めた。
『今日も殿下に触れられなかった。殿下は悲しそうだった。私を嫌っていると、思っただろうか。違うのに。触れたいのに。でも、できない。触れたら終わりだから』
ページを捲る手が止まらない。
日記は何年分にも及んでいた。毎日、毎日、同じことが書かれている。殿下への想い。触れられない苦しみ。消えゆく記憶への恐怖。
『呪い』という言葉が、何度も出てきた。
『私に触れた者は、私のことを忘れる。だから触れない。触れられない。殿下に忘れられたくない』
「……何だ、これは」
セルジュは呟いた。声が、掠れていた。
『今日、殿下が別の女性と笑っていた。聖女様、というらしい。綺麗な方だった。殿下に触れていた。何の躊躇いもなく。私には、できないことだ』
『嫉妬、している。こんな醜い感情、日記にしか書けない。でも仕方ない。これは私の呪いなのだから』
『殿下が、聖女様を見る目が変わった。当然だ。あの方は触れられる。私は触れられない。どちらが愛されるかなんて、分かりきっている』
「やめろ……」
『でも、覚えていたい。殿下が私を選んでくださった日のこと。初めて手を差し出してくださった日のこと。あの時——触れられなかった。私は、殿下の手を取れなかった』
「やめてくれ……!」
セルジュは日記を床に落とした。
膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
あの日のことを、思い出した。
婚約が決まった日。緊張した面持ちで立っていた銀灰色の少女。手を差し出した私に、彼女は——
『申し訳ございません、手袋を……』
そう言って、震える手で手袋をはめ直した。
私はそれを、拒絶だと思った。高慢な公爵令嬢が、第二王子である私を見下しているのだと。
(違った)
日記の最後のページが、目に入った。
断罪の前日の日付。
『明日、殿下は私を追放するだろう。マリアベル様が、そう仰っていた。殿下はもう私など見ていないと。分かっている。分かっているのに——どうして涙が止まらないのだろう』
『最後に一度だけ、殿下に触れたい。忘れられてもいいから。一度だけ、殿下の頬に触れて、髪を撫でて、手を握りたい。でも、できない。できないまま、終わるのだ。私の三年間は』
『さようなら、殿下。どうか、お幸せに』
「リゼット……」
名前を呼んだ。今まで何度も呼んだはずのその名前が、今は喉を焼くように痛かった。
「オスカー」
「……はい」
「リゼットは、今どこにいる」
「それが、行方が分かりません。王都を出たという情報もありますが……」
セルジュは立ち上がった。足元がふらついた。
「探せ。何としても探し出せ。私は、彼女に——」
謝らなければならない。
取り戻さなければならない。
まだ間に合う。まだ——
「殿下」
扉の向こうから、鈴を転がすような声が響いた。
「どうかされましたか? お顔の色が優れませんわ」
マリアベルが、無垢な笑顔で立っていた。
「リゼット様の日記……あら、読んでしまわれたのですか。あの方の妄想癖、困ったものですわね」
「妄想……だと?」
「ええ。呪いだなんて、馬鹿げているでしょう? あの方は自分の冷たさを正当化するために、そんな嘘を——」
「黙れ」
セルジュの声は、自分でも驚くほど低かった。
「……殿下?」
「今、お前は何と言った。『呪いだなんて馬鹿げている』——私は、日記の中身をお前に話したか?」
マリアベルの顔から、一瞬だけ笑顔が消えた。
ほんの一瞬。
しかしそれを、セルジュは見逃さなかった。
◇◆◇
第四章 溶けない温もり
北方の辺境伯領に着いたのは、王都を発って五日後のことだった。
「寒いですわね……」
馬車の窓から外を眺めて、私は思わず呟いた。針葉樹の森が延々と続き、遠くには雪を被った山脈が見える。王都の華やかさとは対照的な、厳しくも美しい風景。
「すまない。この時期は特に冷える」
向かいの席でヴェルナー様が言った。相変わらずの無表情だが、どこか申し訳なさそうな声音だった。
「いえ、謝らないでください。私を受け入れてくださっただけで、十分感謝しておりますわ」
「……フン」
鼻を鳴らすだけの返事。この方、褒められるのが苦手なのかしら。
(氷の辺境伯、ねぇ)
確かに表情には乏しいけれど、中身は案外——
「何を見ている」
「いえ、何も」
私は慌てて視線を逸らした。
屋敷に着くと、使用人たちが整列して出迎えてくれた。皆、主人に似て無口だが、どこか温かみのある人たちだった。
「客室を用意させた。研究室は明日案内する」
「ありがとうございます。あの、ヴェルナー様」
「何だ」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
私は真っ直ぐに彼を見上げた。
「なぜ、妹君の罪を償おうとなさるのです? マリアベル様がしたことは、貴方様の責任ではありませんわ」
ヴェルナー様は少しの間、黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「……マリアベルは、幼い頃は普通の娘だった」
「普通、ですか」
「ああ。母に似て明るく、誰にでも優しかった。少なくとも、私の前ではそうだった」
紫紺の瞳が、遠くを見るように細められた。
「変わったのは、母が亡くなってからだ。父が後妻を迎え、その連れ子に継承権を奪われると分かった時、マリアベルは……何かが壊れた」
「……」
「神殿に見出されたのは、その直後だ。『聖女の力』とやらで、妹は再び注目を集めた。だが私は知っていた。あれは聖なる力ではない。他者の記憶を弄ぶ、邪法だと」
私は息を呑んだ。
「気づいていらしたのですか」
「気づいて、止められなかった。私の罪だ」
その声には、確かな後悔が滲んでいた。
「だから、貴女には償いたい。妹がかけた呪いは、私が解く」
私は黙って、彼を見つめた。
この人は——本当に、誠実な方だ。
無口で、不愛想で、笑顔の一つも見せないけれど。その分、行動で示す。言葉より、結果で。
「ヴェルナー様」
「何だ」
「私の手を、握っていただけますか」
彼の眉が、僅かに動いた。
「……それは、さっき馬車で——」
「もう一度、確かめたいのです」
我儘だと分かっている。でも——
「本当に、消えないのかどうか」
ヴェルナー様は無言で手を差し出した。今度は私から、その手を取った。
温かい。
大きくて、少し硬くて。剣を握ってきた手だと分かる。
「……消えていない」
「だから言っただろう」
「ええ。でも、信じられなくて」
涙が込み上げてきた。馬車の中では堪えられたのに、今は無理だった。
「十四年間、誰にも触れられなかったのです。父にも、侍女にも、誰にも。殿下の手を——愛する人の手を取ることすら、できなかった」
声が震える。
「触れたい時に触れられない。抱きしめたい時に抱きしめられない。それが、どれほど——」
言葉が続かなかった。
ヴェルナー様は、黙って私の手を握り続けていた。
「エヴァンシア嬢」
「……はい」
「必ず解呪する。私の命に懸けて」
その言葉は、どんな慰めより心に沁みた。
「それまでの間——」
彼は少し間を置いて、続けた。
「私には、触れていい」
「……え?」
「何度でも確かめればいい。消えないと、その身体に覚えさせろ」
無骨な言い方。でも、その不器用さが——
「ふふ」
「何だ」
「いえ、ヴェルナー様は……本当に、不思議なお方ですわね」
「意味が分からん」
「褒めているのです」
「……そうか」
彼は不服そうに眉を寄せたが、私の手は離さなかった。
窓の外で、雪が舞い始めていた。
冷たい世界の中で、この手だけが温かい。
(殿下)
ふと、遠い国にいる人のことを思った。
(貴方のことを、まだ覚えています。日記に書いた全ての思い出を、まだ)
でも——
(いつか、忘れられる日が来るのかもしれない。貴方ではない誰かの温もりで、塗り替えられる日が)
それは悲しいことなのか、それとも——
「明日から研究を始める」
ヴェルナー様の声で、我に返った。
「解呪には時間がかかる。覚悟しておけ」
「ええ、覚悟しておりますわ」
私は微笑んだ。
「何年かかっても、お付き合いいたします——ヴェルナー様」
初めて、彼の無表情が僅かに揺らいだ。
驚いた、というより——照れている?
「……様はいらん。ヴェルナーでいいと言っただろう」
「では、ヴェルナー」
「……」
「ふふ、お顔が赤いですわよ」
「寒いからだ」
「嘘ですわね」
「黙れ」
彼は不機嫌そうに顔を背けた。でも、手は離さない。
(ああ、そうか)
この温もりが、溶けない。消えない。
それだけで——今は、それだけで十分だった。
◇◆◇
第五章 崩れゆく聖女の仮面
王宮では、不穏な空気が渦巻き始めていた。
「殿下、お願いです、私を信じてください!」
マリアベルが涙ながらに訴える。蜂蜜色の髪が揺れ、無垢な翠の瞳が潤んでいる。完璧な被害者の姿。
しかし、セルジュの目にはもう、その演技が見えていた。
「マリアベル。お前、リゼットの日記の内容を知っていたな」
「そ、それは……偶然お部屋で見かけて……」
「彼女の部屋は、私の許可なく入れない場所だった。偶然などあり得ない」
「で、でも——」
「それに」
セルジュは冷たく続けた。
「『呪い』という言葉、日記のどこにも出てこなかった。『触れると記憶が消える』としか書かれていない。なぜお前は、呪いだと断言できた?」
マリアベルの顔から、血の気が引いた。
「あ……あれは、以前リゼット様が仰っていたのを——」
「嘘をつくな」
静かな、しかし有無を言わさぬ声。
「リゼットは誰にもあの呪いのことを話していない。侍女のナディアでさえ、詳細は知らなかった。知っていたのは——術をかけた者だけだ」
沈黙が落ちた。
マリアベルの翠の瞳から、涙が消えていた。代わりに浮かんだのは——冷たい、暗い光。
「……気づかれてしまいましたか」
声の調子が変わった。甘さが消え、低く、冷ややかな響きになる。
「殿下は馬鹿だと思っていたのに。見た目に騙されて、中身を見ない人だと」
「マリアベル……」
「リゼット・エヴァンシア。あの女が、憎かった」
聖女の仮面が、ゆっくりと剥がれていく。
「公爵家の令嬢で、第二王子の婚約者で、美しくて、聡明で——何もかも持っていた。私には何もないのに。あの女だけが、全てを持っていた」
「だから呪いを……?」
「触れた者の記憶を消す呪い。面白いでしょう? あの女は誰にも触れられなくなる。愛する人にすら。孤独の中で、ゆっくりと壊れていく」
狂気じみた笑みが、聖女の顔に浮かんだ。
「でも予想外でしたわ。あの女、壊れなかった。日記を書いて、必死に記憶を繋ぎ止めて……殿下への愛を、忘れまいとして」
セルジュは、言葉を失った。
「だから、別の方法を考えたの。あの女を殿下から奪う方法を。私が殿下に愛されれば、あの女は——」
「待て。私がお前を好きになったのも——」
「ええ。私の『祝福』のおかげですわ」
聖女が、軽やかに笑った。
「触れた相手の記憶を操作する。私に好意的な印象を植え付ける。何度も何度も触れれば、それは愛になる。簡単なことでしょう?」
セルジュは自分の手を見下ろした。何度もマリアベルに触れた。何の疑いもなく。
(俺は——操られていたのか)
怒りが込み上げる。しかしそれ以上に——自己嫌悪が。
リゼットは、触れることすらできなかった。触れれば自分を忘れられてしまうから。それなのに俺は——
「なぜだ」
絞り出すような声が出た。
「なぜそこまでして、リゼットを……」
「言ったでしょう? あの女が憎かったの」
マリアベルの目が、歪んだ光を宿す。
「それに、兄様を奪われたくなかったから」
「……兄? ヴェルナー辺境伯のことか?」
「兄様は昔から私だけのものだった。私を守ってくれる、唯一の人。なのに——」
聖女の顔が、醜く歪んだ。
「五年前、兄様があの女の呪いを知った時。『解呪する』と言い出した。私に黙って、あの女のために。許せなかった」
「だから俺を利用して、リゼットを追い詰めたのか」
「ええ。でも失敗したわ。兄様は結局、あの女を連れて行ってしまった」
マリアベルの声に、初めて本物の感情が滲んだ。嫉妬と、執着と、憎悪。
「でもいいわ。まだ終わっていない。兄様があの女に触れても記憶を失わないのは、私の血縁だから。でも——解呪されたら、どうなるかしら?」
「何を……」
「あの女の呪いが解けた時、兄様への想いも消えるかもしれない。呪いの中で芽生えた絆なんて、呪いがなくなれば意味がなくなるもの」
歪んだ論理。しかし、どこか真実を突いているような気がして、セルジュは背筋が寒くなった。
「マリアベル。お前は——」
「聖女として捕らえるおつもり? でも証拠はないわ。私の力を証明する方法は——」
「あるぞ」
扉が開いた。
立っていたのは、赤毛の騎士——オスカー・デュマ。
「……っ! あなた、いつから」
「最初からだ、聖女様」
オスカーの琥珀の瞳が、冷たくマリアベルを見据える。
「神殿の調査官が来ている。『浄化の力』の正体を調べたいそうだ。邪法かどうか、判別する方法があるらしい」
「そんな……」
マリアベルの顔が、初めて蒼白になった。
「嘘よ。神殿が私を疑うはずが——」
「聖女の祝福を受けた者が、最近記憶障害を訴えているそうだ。最初は一人、二人だったが——今では数十人に上る」
オスカーが淡々と告げる。
「殿下。これ以上この女を庇えば、殿下も共犯と見なされます」
セルジュは拳を握りしめた。
「……分かっている」
マリアベルに向き直る。
「マリアベル・ヴェルナー。聖女の地位を剥奪し、邪法の容疑で拘束する」
「殿下——! 私を愛していると言ったじゃないですか! 私だけを見てくださると——!」
「それが操られた感情だったなら、意味はない」
冷たく言い放つ。
「俺が愛したのは、お前が演じていた虚像だ。本物のお前を——俺は知らなかった」
衛兵たちがマリアベルを取り押さえる。
「離して! 離しなさい! 兄様——兄様に会わせて!!」
絶叫が、廊下に響き渡った。
セルジュは、その姿を見つめながら思った。
(俺は——本当に何も見えていなかった)
リゼットの孤独も。
マリアベルの狂気も。
何もかもを見落として、愚かな正義を振りかざしていた。
「オスカー」
「はい」
「リゼットは、今どこにいる」
「北方辺境伯領です。ヴェルナー伯の庇護下に」
「……そうか」
セルジュは窓の外を見た。北の方角。遠く、遠く。
(リゼット。俺は——)
今更会いに行って、何を言えばいいのだろう。
全ては、取り返しのつかないことになっていた。
◇◆◇
第六章 貴方のことが、思い出せません
聖女マリアベルの邪法が暴かれてから、三ヶ月が経った。
私は相変わらずヴェルナーの屋敷にいた。解呪の研究は着実に進んでいて、もう少しで完成するとヴェルナーは言っていた。
「リゼット」
「はい、なんでしょう」
いつの間にか、私たちは名前で呼び合うようになっていた。
「今日の実験結果だ。見てくれ」
差し出された資料を受け取る。指先が触れた。もう驚かない。この三ヶ月で、何度も触れてきたから。
「呪いの核を特定できた。あと一週間で、解呪の術式が完成する」
「本当ですか……!」
思わず声が弾んだ。十四年間の呪いが、ついに——
「ああ。だから——」
ヴェルナーが、珍しく言い淀んだ。
「……考えておいてくれ」
「何をです?」
「解呪された後、どうするか」
私は首を傾げた。
「どういう意味でしょう」
「王都に戻るか、ここに残るか——そういうことだ」
ああ、と理解した。
呪いが解ければ、私はもう誰に触れても大丈夫になる。ヴェルナーの庇護がなくても、生きていける。
「戻る場所が、あるならばだが」
ヴェルナーの声は、いつもより低かった。
「元婚約者が、謝罪のために来ているそうだ」
「殿下が……?」
「ああ。ここ一ヶ月、何度も手紙を寄越してきている。直接会って話したいと」
私は黙った。
殿下からの手紙は、確かに届いていた。でも、一通も開けていなかった。
「会いたいか」
「……わかりません」
正直な答えだった。
「三年間、愛していました。日記に書いた想いは、全て本物です。でも——」
「でも?」
「今、殿下のことを思い出しても、胸が痛まないのです」
ヴェルナーが、静かに私を見つめていた。
「あれほど忘れたくないと願っていたのに。いつの間にか——忘れてもいい、と思うようになっていました」
私は自分の手を見下ろした。手袋をしていない、素手。
「誰かに触れられることが、こんなに温かいものだと知ってしまったから」
「……」
「日記を読み返さなくなりました。殿下との思い出を、必死で繋ぎ止めようとしなくなりました。だって——」
顔を上げる。紫紺の瞳と、視線が交わった。
「新しい思い出が、できてしまったから」
ヴェルナーの表情が、僅かに揺れた。
「それは——」
「ヴェルナー。貴方との思い出は、日記に書かなくても覚えていられます。初めて手を握ってくれた日のことも、毎日研究を教えてくれたことも、雪の中を一緒に歩いたことも」
声が震える。でも、言わなければ。
「貴方に触れても消えないから。だから、全部覚えていられる。それが——どれほど嬉しいことか」
「リゼット」
ヴェルナーが、一歩近づいた。
「解呪が完了すれば、お前は俺に触れなくても記憶を保てるようになる」
「ええ」
「それでも——俺に触れたいと思うか」
彼らしくない、真っ直ぐな問いかけだった。
私は微笑んだ。
「愚問ですわ」
彼の手を取った。大きくて、温かい手。
「呪いがあってもなくても、私は貴方に触れたい。それだけです」
ヴェルナーの手が、私の手を握り返した。いつもより強く。
「……そうか」
「そうです」
「なら——王子には、俺から断りを入れる」
「え?」
「お前は俺のものだ。今更返す気はない」
言い切られて、私は思わず笑ってしまった。
「ふふ、乱暴な言い方」
「事実だ」
「でも殿下、直接話したいと——」
「断る」
「まだ何も言っていませんが」
「言わなくても分かる。あの男に会わせる気はない」
相変わらずの無表情。でも、握られた手から伝わる熱が、彼の本心を教えてくれた。
(嫉妬している)
可愛い人だ、と思った。
「……でも」
私は少し考えて、首を振った。
「一度だけ、会いましょう」
「なぜだ」
「けじめをつけたいのです。三年間の——終わりを」
ヴェルナーは不服そうだったが、やがて頷いた。
「……分かった。ただし、俺も同席する」
「もちろんです」
私は彼の手を、ぎゅっと握り返した。
***
三日後。
セルジュ殿下が、辺境伯領に到着した。
応接間で待っていた私の前に、殿下が現れた。三ヶ月ぶりに見るその姿は——随分と、やつれていた。
「リゼット」
殿下が、震える声で私の名を呼んだ。
「会いに来てくれたのか——いや、俺が来たんだ。許してくれ。全て俺が悪かった。お前の呪いのことも、聖女のことも、何もかも見抜けなかった。俺は——」
「殿下」
私は静かに遮った。
「お謝りになる必要はありません」
「何を言っている。俺は——」
「だって私、貴方のことが思い出せませんもの」
殿下の言葉が、止まった。
「……え?」
「申し訳ありません、殿下。貴方のことが——思い出せませんの」
私は穏やかに微笑んだ。
殿下の顔が、絶望に歪んでいく。
「待ってくれ。お前の呪いは、触れなければ発動しないはずだ。俺たちは一度も——」
「ええ、触れておりません。でも——」
私は自分の胸に手を当てた。
「記憶は、色々な理由で薄れていくものです。呪いがなくても。大切に思えなくなれば——自然と、忘れてしまう」
「嘘だ」
殿下が一歩、近づこうとした。その前に、ヴェルナーが立ちはだかった。
「それ以上近づくな、王子」
「退け、辺境伯。俺はリゼットと話が——」
「話は終わりだ。彼女は『思い出せない』と言った。それ以上、何を望む」
殿下の顔が、苦悶に歪んだ。
「リゼット。頼む。俺は——お前を愛している。今度こそ、本当に——」
「殿下」
私は彼を見つめた。穏やかに。冷たく。
「貴方は、私のどこを愛しているのですか」
「……」
「私の顔ですか。家柄ですか。それとも——失って初めて気づいた価値、ですか」
殿下は答えられなかった。
「私は三年間、貴方を愛していました。触れられなくても、理解されなくても、それでも愛していました。でも——」
私はヴェルナーの隣に立った。
「今、私の隣にいるのは、貴方ではありません」
「リゼット……」
「お元気で、殿下。貴方のことは——もう、思い出せませんので」
最後まで、笑顔を崩さなかった。
殿下が項垂れて、応接間を出ていく。その背中が、ドアの向こうに消えた。
「……嘘を言ったな」
ヴェルナーが、静かに言った。
「何のことでしょう」
「お前は、あの男のことを覚えている。日記を読まなくなっただけで、記憶は消えていない」
私は黙った。
「なぜ嘘を?」
「……分かりません」
本当だった。なぜ、あんな嘘をついたのか。
「でも——」
ヴェルナーを見上げた。
「あれが、私にできる最後の優しさだったのかもしれません」
「優しさ?」
「忘れられた、と思えば——殿下も諦められるでしょう」
「……お人好しだな」
「どうでしょうね」
私は窓の外を見た。殿下を乗せた馬車が、雪の中を走っていく。
「もしかしたら——本当に忘れたかっただけかもしれません」
「……」
「さようなら、殿下」
小さく呟いた。
ヴェルナーの手が、私の肩を抱いた。
「終わったな」
「ええ」
「俺のところに、いてくれるか」
「愚問です」
私はヴェルナーの胸に顔を埋めた。
「だって——貴方のことは、絶対に忘れられませんから」
彼の腕が、強く私を抱きしめた。
窓の外では、雪が止み、光が差し始めていた。
***
一週間後、呪いは解けた。
私はもう、誰に触れても記憶を奪わない。
父上と再会した時、初めて——本当に初めて、その手を取ることができた。
「父上」
「リゼット……大きくなったな」
父上の目に、涙が光っていた。十四年間、触れられなかった娘。その手を、ようやく握れた。
「ずっと、こうしたかった」
「私もです、父上」
抱きしめ合った。温かかった。
***
エピローグ
セルジュ・ラ・ヴァロワは、聖女の共犯者として王位継承権を剥奪された。マリアベルの邪法に加担した罪は重く、辺境への追放が決まった。
皮肉にも、彼が送られた先は——北ではなく、南の果ての荒野だった。リゼットのいる場所から、最も遠い土地。
「これでよかったのだろうか」
馬車の中で、セルジュは呟いた。
ポケットから、一冊の本を取り出す。リゼットの日記——オスカーが密かに持たせてくれたものだった。
『今日も殿下に触れられなかった。でも覚えている。まだ覚えている』
その言葉を、何度読み返したか分からない。
「俺は——お前の何を見ていたんだ、リゼット」
答えはない。
答えは永遠に、返ってこない。
『貴方のことが、思い出せませんの』
あれが真実か、嘘かは分からない。
でも、どちらでも同じだ。
リゼットの心は、もう自分のものではない。
「……さよなら」
日記を閉じて、窓の外を見た。
雪はもう、どこにも降っていなかった。
***
北方辺境伯領では、春の花が咲き始めていた。
「リゼット」
「はい?」
「手を」
ヴェルナーが、無造作に手を差し出した。
もう呪いはない。でも私は、その手を取った。
「どこへ行くのです?」
「花を見に。お前が好きだと言っていた白い花が咲いた」
「覚えていてくださったのですか」
「当然だ」
相変わらずの無表情。でも、その手は温かい。
「ねえ、ヴェルナー」
「何だ」
「私——幸せです」
「……そうか」
「貴方は?」
「愚問だな」
彼が、珍しく微笑んだ。ほんの少しだけ。
「お前がいるなら——どこでも」
手を繋いで、春の光の中を歩いていく。
私の指先は、もう何も溶かさない。
——溶けゆく記憶の中で、私が最後まで手放さなかったもの。
それは、この手の温もりだった。
【完】




