2話 晩餐 3
食堂の扉が開かれ、足を一歩踏み込むと、リリアンネとアプフェリアーネが席についており、ニコリと笑みを浮かべる。
「お待たせしてしまって、申し訳ございませんでした」
「初日なら戸惑うことも多いでしょうから、どうぞお気になさらず」
「ありがとうございます」
先んじて動いた使用人が、座るべき席を引いて場所を示し、ツィトローナは柔らかなクッションの椅子に腰を下ろす。
(座る位置についてもルールがあるんだっけ?リリアンネ様の座っている位置が上座で、私の位置が下座でいいのかな?)
「っ!」
あれこれと考えているツィトローナだが、リリアンネの後ろに控えている家政長の視線を受けて居住まいを正す。
(な、何がいけないんだろう…?)
背筋をまっすぐに正しても、鋭い視線が止むことはなく困惑していると、アプフェリアーネが机に乗せていた手で軽く机をつつく。
『何か意味があるのかもしれない』とリリアンネの方を見た彼女は気がついた。
(二人とも手を机の上に置いてる…そういうルールがあるのかな?)
恐る恐る、ツィトローナは手を出し机に乗せれば、家政長から向けられていた視線が和らぎ、ほっと胸をなで下ろした。
(うふふっ、自分で直せましたね)
「ツィトローナさん」
「はいっ!」
「本日はツィトローナさんの歓迎も兼ねて、夕食を用意していただきました。晩餐というのは貴族社会において最も重要な食事で、貴族同士が顔を合わせ、お互いを見定め合う場となります。そこで品格を落とさないように、きちんとしたルールを学んでいってくださいね」
「は、はいぃ」
せっかく解けかけた緊張もどこへやら、打たれた鉄のようにツィトローナは固まってしまう。
―
(わぁ…、見たこともない料理だ)
机の上に並べられる華やかな料理の数々にツィトローナは目を奪われ、生唾をゴクリと呑み込んだ。
ふわふわに焼かれた白パンに、若いフレッシュチーズやハーブ入りのチーズなど数種類のチーズの盛り合わせなどは序の口。
仔牛の煮込みが運ばれてきた時には、あまりの豪勢さにツィトローナは目をまん丸にし固まってしまったほど。
そして極めつけはといえば。
(澄んだ綺麗なスープ…琥珀色の液体に黄金が浮いているみたい。けれど、具材はちょこっとだけなんだ)
皿に装われたスープは、澄んだ琥珀色をしているのに対し、具材は星形に刻まれたニンジンと少量のタマネギ程度。
技量の高さを窺うことはできるのだが、家庭的な野菜や肉、魚の切れっ端を煮込んだスープと比べると、些か物足りなさを覚える。
しかし見ず知らずのスープに心をときめかせ、配膳が終わるその時を、まだかまだかと待っていた。
「ゼーゲルマン様は舞踏会へのデビューを控える身ですので、お酒ではなくジュースをご用意いたしました。ヴァイナー領で生産され人気を博す、リンゴの泡ジュースにございます。口の中で弾ける泡の飲み物を、是非ご堪能くださいませ」
「ありがとうございます…?」
(泡ジュースってなに…?)
聞き覚えのない飲み物を前にして、ツィトローナが僅かに首を傾げると、ヴァイナー領出身のアプフェリアーネが小さく笑みを零す。
「時間が経つと泡がなくなってしまうから、早めに楽しんでね」
「分かりました」
「うふふ、それではいただきましょうか。今日この日に乾杯を」
「「乾杯」」
三人は互いのグラスを合わせて乾杯し、食事を始める。
「んんっ!?」
グラスに口をつけたツィトローナは、自身の口の中で暴れまわる泡の刺激に、目を白黒させて口を固く結ぶ。
驚いた拍子に吐き出さないよう気をつけながら、アプフェリアーネへ助けを求めるように視線を向けると、ただ面白がるだけで何をするでもなく、自身のグラスに注がれた酒を楽しんでいる。
(これはこれは、いいお酒の肴かもしれないわね、ふふっ)
(の、飲んで大丈夫なの!?……落ち着いてきた)
「んぐっ。…ふはぁ、これはなんなんですか?!」
「何って泡ジュースよ、シュワシュワしてて楽しいでしょ?泡が弾けるから香りも華やかになるし、泡ワインと併せて国内外に誇る、ヴァイナー領発の新たな流行の一端にする心算なの」
「香り…」
ツィトローナはグラスを顔へ近づけ、泡ジュースの匂いを確かめれば、芳醇なリンゴの香りが鼻腔をくすぐる。
「すごい、赤いリンゴがたくさん実る果樹園にいる気分になりますね。…行ったことはありませんが」
「冬のヴァイナー領ならば、私ほどではないにしろ可愛らしいリンゴがたくさん実っているわ。是非お越しになってね」
「はいっ」
(ヴァイナー領、どんなところなんだろう)
改めて泡ジュースに口をつけたツィトローナは、慣れない発泡感に戸惑いながらも、甘酸っぱいリンゴの味を楽しみ、料理にも手を付けていく。
―
マナーを熟知しているであろうリリアンネとアプフェリアーネの所作を真似しつつ、ツィトローナが料理を楽しんでいると、フォークが手を離れ床に落ちてしまった。
「あっ…」
普段であれば自分で拾ってしまうのだが、『両手は他者から見える位置に置かなくてならない』というルールを知ったばかり、おろおろと挙動不審になっていく。
「安心してください、ゼーゲルマン様。食器は私共で回収し、新しいものを用意いたしますので」
「ありがとうございます」
背中から聞こえたヴァイリスカの声にツィトローナは安堵しつつも、家政長から向けられる鋭い視線に、唇を噛みながら縮こまってしまう。
「ツィトローナさん」
「は、はい、なんでしょうリリアンネ様!」
「肩の力をお抜きになって。ツィトローナさんはシュタインフェステ家には行儀見習いとして、お勉強をしにいらしたの。お勉強が必要だということは、まだまだ未完成で学ぶことの多い立場ということ。失敗してもいいのですよ」
「あ、はい…」
(お二人はしっかり、簡単そうにできているのに…)
優しい言葉ですら叱っているかのように聞こえ、しゅんと縮こまっていくと、今まで言葉を発していなかった家政長が口を開く。
「ツィトローナ・ゼーゲルマン」
「は、はいっ!」
「一流の淑女になりたいのであれば背筋を伸ばし、ハッキリと言葉を話しなさい。そしてリリアンネ様のお言葉を、然と胸に収めるように。分かりましたか?」
「分かりましたっ!」
ビシッと背筋を伸ばしたツィトローナは、新しく用意されたフォークを手に、絶品料理の数々を堪能する。
その後は目立った失敗もなく食事が終わり。
退室間際の家政長が「まだまだ及第点にはほど遠いですが、頑張りは評価します」と言葉を残し、ツィトローナは小さく喜んだ。
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