1話 ツィトローナ 6
ツィトローナの部屋を出たアプフェリアーネは、来た道を戻り玄関を出る。
「アプフェリアーネ様、このようなお時間に何を?」
後ろから声をかけるのは専属の侍女。
「いえね、私はゼーゲルマン家のことは知らないから邪推になってしまうのだけど。意図的に馬車のステップに傷を入れていた可能性を考えて、調査をしてみようと思ったのよ」
「なるほど。…ですが、馬車を直接調べたほうがよろしいのでは?」
「そう思ったのだけど、他所の家の馬車を調べるなんて、明け透けすぎるじゃない」
「訝しむ者はいますね」
「でしょう?」
馬車が止まっていた位置を探していくと、いくつかの木片が見つかり、アプフェリアーネは侍女に手渡して意見を求める。
「これは…腐ってますね。老朽化していたとみていいでしょう」
「事故ってことね」
「はい」
ふぅーん、と呟いてアプフェリアーネは興味を失った。
「何かあった場合、アプフェリアーネ様はどう動かれたのですか?」
「うーん、竜人混じりのあの子がどれほどのものか分かるまでは様子見、有能そうなら取り込むのはアリね」
「周辺を洗いましょうか?」
「大丈夫よ。血縁なら竜人の血が混じっている以上のものはないはずだから」
引き上げる判断したアプフェリアーネだが、彼女は玄関の隅に曇った光の反射を見つける。
「何かしら?」
「魔導具、ですかね?小汚くて無骨な…シュタインフェステ家のものとは思えませんが」
「ならゼーゲルマン嬢の持ち物ということになるけれど。聞いて回るのも面白そうね」
ふふん、とご機嫌に鼻を鳴らしたアプフェリアーネは、侍女からハンカチを受け取り魔導具を包む。
―
屋敷に仕える者たちに、拾った魔導具について尋ねて回ったアプフェリアーネだが、それが何なのかを知る者は誰一人いなかった。
そんな中、屋敷内を歩いている彼女の前に、リリアンネが姿を現した。
「リリアンネ様、少しよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「こちらの魔導具に覚えはありませんか?」
「見覚えは…ありませんね。どこにあったのですか?」
「玄関に」
「ならツィトローナさんかもしれません。伺ってみてください」
「承知しました」
アプフェリアーネは小さく礼をして、廊下を進んでいく。
(ツィトローナさんは魔導具技師になりたがっているという話でしたし、もしかしたら自作の?)
「ああそうだ、アプフェリアーネさん」
「…はい?」
「ツィトローナさんをどう思いますか?」
「面白そうだなって」
心底楽しそうな笑みを見せたアプフェリアーネだった。
―――
コンコンと扉を叩かれた音に、微睡んでいたツィトローナは目を覚ます。
「どうぞ」
「失礼するわね」
扉を開けたのはアプフェリアーネだったのだが。
(赤い魔力を纏った人?誰だろう?)
目を細めて首を傾げたツィトローナに、アプフェリアーネは眉をひそめる。
「ゼーゲルマン嬢…これほどの距離も見えないほどに目が悪いの?」
「いえ、見えすぎてしまうので。眼鏡……あった、っ!」
ツィトローナの眼は、特殊な眼鏡を掛けていないと魔力を視認してしまい、視界が優れないのだ。
机の上に畳まれていた眼鏡を着用すれば、部屋にやってきたのがアプフェリアーネだと理解し、身体を強張らせて立ち上がる。
「見えすぎる…?まあいいわ、単刀直入に聞くけども、この魔導具は貴女のかしら?」
「魔導具…?」
視線を動かしたツィトローナは、アプフェリアーネの手のひらの上に置かれた魔導具を目にし、怒りの形相を露わにした。
「盗んだんですかッ!?」
「はぁ?こんな…」
(こんなもの、なんて言ったら失礼ね)
「いえ、誰かの持ち物を盗まなくてはいけないほど、私が見窄らしく見えて?」
「欲しくなくても盗む人間なんているじゃないですか!!」
ツィトローナの激怒に、部屋の外で控えていた者たちが動き出そうとする。
しかし、アプフェリアーネはツィトローナに見えないように制止した。
「落ち着いて頂戴」
「うーー…」
感情が昂り、怒りを通り越して泣き出しそうになっていたツィトローナ。
彼女を下手に刺激しないよう、アプフェリアーネはゆっくりと魔導具を机の上に置くと、目にも留まらぬ速さでツィトローナが回収する。
(ちょっと傷がついているけど、中身は…大丈夫。使った形跡も…ない。よかった…)
「お話を、聞いてくださるかしら?」
「…なんですか?」
「それは玄関先に落ちていて、屋敷の人たちに持ち主を尋ねて、ゼーゲルマン嬢の許までやってきたの。転んだ時に落としたのではなくって?」
「……ありがとう、ございます」
「ふふっ、どういたしまして」
ジリジリと距離を置こうとするツィトローナに、アプフェリアーネは『拗ねた子犬みたい』と思いながら、部屋の扉を閉じて二人っきりになる。
「その魔導具は大切な物?」
「…はい」
「誰か、大切な人に貰ったとか?」
「違います」
「お小遣いで買ったとか」
「…。」
完全に心を閉ざしてしまっているツィトローナは、都合が悪い質問には無言を突き通す。
「笑ったり、からかったりしないから、教えてもらえないかしら?」
(なんなんだろうこの人。私を虐めたいのか、仲良くなりたいのかわかんない…変な人だ)
心がハリネズミのようになってしまっているツィトローナは、目の前のアプフェリアーネが何をしたいのか分からず困惑していく。
「じゃあどういう魔導具なのか、教えてくださらない?」
「…これは、シュテルンカビネットって私が名前をつけた魔導具で、星が見れます」
「星?」
(名前をつけたということは、製作者はゼーゲルマン嬢なのね)
「はい、夜に瞬く空の天幕です。私はワタリガラス座が好きで、いつでも見れるようにしたんです」
「へぇ〜、いつでも星を見れるなんてロマンチックね。使って見せてくれないかしら」
「…。」
「怖い顔なさらないで。絶対にバカにしたりしないと約束するわ」
相手を測りかねているツィトローナだが、シュテルンカビネットに興味を持ってくれていることに悪い気はせず、カーテンを閉めて部屋を薄暗くした。
カチッ、と音を立てて開かれた魔導具の内部には、剥き出しの魔石と魔法陣が刻まれた金属盤、それといくつかの金属部品が組み込まれており、手慣れた動作で組み立てていく。
(器用なものね)
感心しているとツィトローナからの視線を受け、笑みを返すアプフェリアーネ。
(…変な人)
準備を終えたツィトローナは、シュテルンカビネットに魔力を注いで起動する。
天井に映し出されたのは、切り取られた夜空。
ひときわ輝いて見える五つの星をつなげれば、鳥のような形になり、ワタリガラス座となる。
「まだ、完全じゃないんです。私の実力だと細部が歪んじゃって、他の星座との整合性が取れず、ワタリガラス座だけの寂しい夜空になってしまって…」
「ゼーゲルマン嬢が作ったの?」
「はい。私、魔導具技師になりたくて…っ!なんでもないです、今のはなしです!」
(魔導具技師、貴族家の令嬢がする仕事じゃないわね)
アプフェリアーネもツィトローナの両親や周囲の者と同じことを思う。
「聞かなかったことにしてあげる。…もしもね、自分の立場に似つかわしくないことをしたいと思ったのなら、今できることを最大限やって、誰にも文句を言われないような存在になれば、道が拓けるかもしれないわ」
「え?」
「私は勉強なんてしなくっても怒られないし、誰も文句を言わない。それは何故か、もう必要な知識と作法を身につけているからよ」
「…。」
言いたいことを言ったアプフェリアーネは、視線を天井の星座に戻し、口端を持ち上げて微笑む。
「ワタリガラス座は自由の象徴ね。ふふっ、綺麗な星空をありがとう、ゼーゲルマン嬢」
「あの!」
踵を返し、退室しようとしたアプフェリアーネをツィトローナは呼び止めた。
「なぁに?」
「大きな声を出したり、盗人呼ばわりして、ごめんなさい。…あと、あの、ツィトローナでいいです」
「謝罪を受け取るわ、ツィトローナさん」
ツィトローナは頭を下げて、アプフェリアーネを見送った。
(変な人だけど、いい人かも)
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