15話 フラムクーヘン 1
“私”は今、どんな表情をしているんだろう。
お別れというのはいつの時も、朝ぼらけに霞む星々のようで心寂ぶ思いをする。
「あら、そんな表情を私に向けてくれるのね」
「どんな顔をしてるかは分かりませんけど…寂しいなって思います」
「ふぅん。まあ、今生の別れってわけではありませんし、また会いましょう。その時には大切な人も紹介できるはず」
「大切な人ですか…?」
私の質問を無視するように、アプフェリアーネ様はただ嬉しそうに笑みを向けてくる。
変な人という感覚は変わらない。
でも決して、嫌な人じゃない。
強く吹いた風に私の髪が遊ばれている間に、アプフェリアーネ様は馬車に乗り込んでしまった。
こういう時、なんて言ったらいいのかをいつも悩んでしまう。
「あの―――」
新年の秋を越え、冬を迎える日。それは別れの季節であった。
―――
季節は戻って三夏季の初旬。
真鍮色の角を生やした竜人の少女ツィトローナ・ゼーゲルマンは、行儀見習い先であるシュタインフェステ家で、代筆の仕事を請け負っていた。
「そろそろ休憩の時間ですよ、ゼーゲルマン」
「はい。その、後少しなんで区切りの良いところまで進めちゃいます」
「しっかりと、区切りで終わらせるように」
家政長のグラーニアは、ツィトローナの無言の肯きを見て呆れを露わにしつつ、自身の仕事を再開する。
誘拐事件からしばらくして、姉の出産祝いを用意するために、ツィトローナは再び尽力していた。
アルツヴェック商会に支払った6000ゴルドラオプは行方不明。
馬車に積まれていたと思しき商品は、逃走の際の揺れで気の毒な姿になってしまい、新たに品を用意する必要があった。
ツィトローナに落ち度はなく、シュタインフェステ家が用意するという申し出があったのだが、彼女は首を縦に振らず、自らの力で再びお金を稼ぐ道を選んだ。
(ここで終わらせよう。…そうしないと怒られちゃうし)
魔導具の筆シュプーレンフェーダーを机に置いたツィトローナは、小瓶を手に取り金でできた筆先を水に軽く浸してから、残ったインクを拭き取っていく。
(金は錆びないけど、インクが固まると文字が掠れちゃうんだよね)
手入れを終え、小箱へと収めたツィトローナは、ぐぐっと身体を伸ばしてから、成果物をグラーニアの許まで運んでいく。
「確認をお願いします」
「こちらの職務が終わり次第、確認いたしますので、今日は下がってもらって結構ですよ。…ご苦労様でした」
「はいっ」
ツィトローナはグラーニアに礼をしてから、執務室を後にする。
「そういえば…。あの、グラーニア先生、質問いいですか?」
「なんでしょう」
「執務室のドアノブには柑橘系の匂いがする袋がかけてありますけど、何か理由があるんですか?」
「それは猫避けです。この部屋で遊ばれても困りますので、猫の嫌がる柑橘袋を常に掛けて、扉を長く開けないようにしているのです」
「そうだったんですね。…良い匂いなので、欲しいなぁと思ったのですが、ルースさんが嫌がるならやめておきます」
二日か三日おきに取り替えられている柑橘袋からは、控えめで程よい香りが鼻に届く。
「ルースは魔物だと、ゼーゲルマンが報告していましたが、猫という扱いでいいのですか?」
「いいんじゃないですか?…私は見分けがつくだけなので」
「そうですか。頻繁に出入りしていることを考慮すると、柑橘袋のおすすめは出来ませんね」
「ですよねー。ありがとうございました」
「どういたしまして」
執務室を出ると、灰色の猫であるアッシェンが通りかかり、ツィトローナを見るとゴロンと寝転ぶ。
(…柑橘袋、あんまり意味はないのかも)
―――
自由時間になったツィトローナの許に、二人の使用人が姿を現す。
「あっ、ゼーゲルマン様じゃないですかー」
「お仕事は終わりですか?」
「はい。休憩を取るようにと言われてしまいました」
「熱心ですねぇ」
「シュタインフェステ家はお金があるんですし、ご厚意に甘えてしまってもいいと思いますよ?」
「ゼーゲルマン家のことですし」
何度言っても譲る気のないツィトローナに、使用人の二人も説得を諦める。
「リオナさんとキルサさんはお仕事中なんですか?」
リオナと呼ばれたのは、ツィトローナを追跡した使用人。
キルサと呼ばれたのが、玄関先で攻撃を受けてしまった使用人だ。
「私たちも休憩ですよ」
「ねー」
基本的にはツィトローナの世話を主な業務とし、手の空いている間は休憩を入れたり、他の使用人を手伝っているのだが、常に二人一組で行動している。
「いつもご苦労さまです」
「いえいえ、お金を稼ぐためなんでね」
「ゼーゲルマン様に付いてからお仕事が楽になったんですよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです。前に行儀見習いに来ていたご令嬢は、それはもう人使いが荒くて」
「1年と半年くらいの間でしたが、もう大変だったよね」
「ヤバかった」
(こういう風に言われないよう気をつけないと…)
「あっ、ゼーゲルマン様は今のままで大丈夫ですよ。ねっ?」
「はい。むしろ、もっと色々と申し付けてくれてもいいくらいです」
「使用人への指示の出し方も覚えないと、いつか苦労するかもしれませんし」
「わ、わかりました、頑張ります」
使用人を抱えるような家庭環境でなかったツィトローナには、誰かに指示を出して仕事をしてもらうことに慣れていない。
身の回りの世話なんかは、姉が手を焼いてくれたことから抵抗はないのだが、自分のために何かをしてもらうというのは難しいようだ。
「なんか指示してみてくださいよー」
「簡単なことでいいですよ」
「指示…」
(別に今は何も困ってないしなぁ…)
「じゃ、じゃあ…今後はツィトローナって呼んでください」
(そういうんじゃないんだけどなぁ…)
(まだまだ時間がかかりますか…)
困った瞳で見上げるツィトローナに、温かな視線を返したリオナとキルサは、ゆっくりと口を開く。
「「お任せください、ツィトローナ様」」
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