12話 夏の月夜 4
(商店が、ない?)
騎士団からの帰り道、ジルベリヒトがアルツヴェック商会の前を通りかかると、店先はおろか窓から覗く店内にも品物の一切はなく、蛻の殻である。
(今日、屋敷に訪れるとは聞いていた。それでもこれはおかしくないか…?)
僅かに考えた後、ドアノブに手をかけた瞬間、背後に人が立つ。
「ジルベリヒト様、緊急事態です」
「君は、オプストホーフェン嬢の」
「はい、侍女です。単刀直入に申し上げますと、アルツヴェック商会の商人らの襲撃を受け、ゼーゲルマン様が誘拐されました」
「なっ!?…いや、騎士団に連絡は?」
「既に使用人を送っているようです。私は単独行動の許可を取り付け、ジルベリヒト様を捜索して言伝を行った次第にございます」
「助かるよ。…騎士団と合流したところで検問に加わるだけ、僕個人で動かなければならないか」
「最も自由に動ける最大戦力、それがジルベリヒト様だと考えております」
「否定はしたいが、それどころではないね。さて、商人たちの行き先に目星は?…見ての通り、商店は既に蛻の殻、踏み入ったところで意味はなさそうだけど」
ジルベリヒトは扉を叩いて視線を向けるが、返事などあるはずもない。
「事件そのものを見たわけではございませんが、シュタインフェステ家の敷地内に入ることができ、迅速にゼーゲルマン様だけを拐かした手腕を考えるのであれば、周到な用意を行っていると考えるのが無難でしょう。馬を使い潰す前提の強行移動は考え難いですし、痕跡が残る以上、追跡は容易でしょう。…ですので」
「そうではなかった場合。…潜伏後に捜索の目が外に向いたタイミングを狙うか、独自のルートを持っているか、どちらにせよ街の中に潜伏する相手を探そうということか」
「はい」
だがそうは言っても直轄領の領都モルゲンレーエベルクは狭くない。…というよりもヴァールシュ王国と大森林を隔てる防衛拠点であるこの地は、国内でも五本指に入る大都市だ。
「何か手段は?」
「ありますとも。ゼーゲルマン様の私物を用意しましたので、匂いで追跡を行います」
「匂い…?犬でも連れているのかい?」
「いえ、魔法と魔導具にございます」
「そ、そうか。…魔法を使うのなら離れていよう」
「お気遣い感謝します」
(さて、戦力は手に入りましたし、ゼーゲルマン様の匂いを確かめましょうか)
(魔法と魔導具とか言っていた割に、リボンの匂いを嗅いでる)
スンスンと頻繁に鼻を鳴らし匂いを確かめているのだが、なんともまあ不審な女性である。
「嗅いでみます?」
「いや、いい」
「そうですか、では魔法を使いますね」
ポケットから紙で巻いたチョークを取り出した侍女は、レンガ舗装の道に文字と記号を書いて魔法陣を構築した。
(投影具を使ってない。…昔ながらの魔法陣というやつかな)
「使える人が少なく、投影具を作る利点がないんですよ」
「えっ、そうなんだな」
(心を読まれた気分だ)
魔法陣を描き終えた侍女は、腰に着けていたランタンのような魔導具を手に取り、蓋を開けてツィトローナのリボンと柑橘類の乾いた皮を入れてから、インクを一滴垂らす。
魔導具を片手に下げながら、魔法陣に触れながら魔力を流すと、中に収められたリボンと柑橘の皮に火がついて、黒煙が縄のような形状となり、どこかへと伸びていく。
「行きましょう」
「あ、ああ」
(匂いを嗅いだ意味は…?)
ジルベリヒトは小さな疑問を浮かべながら、手綱を引いて侍女を追っていく。
―――
「はぁ…はぁ…、しんど」
建物の屋根の上で息を切らすのは、屋敷から姿を消していたツィトローナ付きの使用人。
彼女は姿を隠しながら、少し先で止まっている馬車を監視する。
(馬をケチったのか、早めにバテてくれて助かった…。流石に人の脚じゃあキツイね)
馬車というのはアルツヴェック商会が使用していたもので、荷台に横たわるツィトローナをハンスが抱え、ボロ小屋へと入っていく。
(場所は確認できたけど、このまま離れて見失うのは悪手だよねー。とはいえ私程度じゃ悪漢数人と戦うのは厳しいし…騎士団が通りかかるのを待つ他ない)
屋根の上で腰を下ろした使用人は、隠して身につけているナイフを取り出すも、この程度では心許ないと肩を落とす。
(無事でいてくださいよ、ゼーゲルマン様。可愛くて素直、そして私たちに優しいご主人サマなんて多くないんだから)
使用人は屋根に腰を下ろし、ボロ小屋を監視しながら周囲に目を配らせる。
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