1話 ツィトローナ 4
「ははははっ、ごめんなさいね!まさか拳を構えてくるなんて思わなかったから、あははは」
ツィトローナの構えが笑いのツボに入ってしまったアプフェリアーネは腹を抱えて笑い、苦しそうに呼吸をする。
「あはー…ほんとごめんなさい。笑うべきじゃないのはわかっているのだけど、ぷふはっ!面白くって」
「…。」
(よくわかんない人だ、ちょっと怖いかも…)
ドン引きしたツィトローナが後ずさると、アプフェリアーネは居住まいを正して、呼吸を整える。
「私ね、嫌〜な性格をしていて、興味が湧いた相手をからかい、出方を伺いたくなっちゃうの。媚びへつらってくる相手なんて、面白くないと思わない?」
自身の頬に指を当て、笑顔を作ったアプフェリアーネは、ぶりっ子な仕草でくるりと回る。
ただ、その瞳には強烈な意志が宿っており、ツィトローナは気圧されてしまう。
「貴女はまだ評価中だけど、期待に沿ってくれることを祈っているわ」
『それじゃあね』と踵を返したアプフェリアーネが、部屋を出ようとドアノブを回してから、一度振り返る。
「そうそう、角や鱗なんてどうでもいいわ。どちらかといえば、小さな男爵家の貴女をなぜ、リリアンネ様が迎え入れたのか。その理由に楽しみにしているの」
可愛らしいウインクをした彼女は、軽快な足取りで部屋を後にした。
(なんなんだろうあの人。あんまり近づかないほうがいいかも…)
ツィトローナは警戒を強める。
―
自室で待機していると、一組の男女が部屋を訪ねる。
「君が怪我をしたというご令嬢かな?」
「はい。転んだ拍子に手から出血してしまって」
「…浅い傷だけども、このまま放置しては傷痕が残ってしまう可能性がある」
老年の男は治癒の魔法を扱える医者らしく、ツィトローナの怪我を観察しながら、いくつかの道具を用意する。
「先ずは傷口を洗い流そうね」
桶に張られた水は人肌に温められており、付着した血液と汚れを落とし、医者は改めて傷口を診た。
「治癒魔法を使えば傷痕も残らず綺麗さっぱり治るけど…魔法での治療を受けた経験はあるかな?」
「ないです」
「ふーむ。身体に魔法を受けたこと…いや、他者からの魔力の影響を受けたことはあるかな?」
(自分でなら魔法を使うけど、他人からは)
「…あっ、突発的な魔力嵐に巻き込まれたことがあります。6歳の時なんですけど」
「幼い頃に魔力嵐を…よく無事でいられたね。その後の体調はどうだった?」
「一日体調不良で寝込んでしまいました」
「その程度で済むなら、魔力保有量は上々。治癒魔法の効きが悪くなって時間がかかると思うけど、我慢してね」
「はい」
老医は朗らかな笑みをツィトローナに向け、魔法の準備を行う。
(治癒魔法だ!魔法陣を覚えれば真似できるかな)
―
小鉢に植物由来の染料と水が流し込まれ、シャカシャカとかき混ぜると、春に頭を見せる新芽のような鮮明な黄緑色が生まれる。
(見たことない色。何の植物を使っているんだろう?)
「安心して。これは樹齢20年を超えた千顔樹の新芽を使った染料だからね、健康に悪いものじゃないよ」
「そうなんですね」
(樹齢20年以上の千顔樹、覚えとこ)
「洗えば色もしっかりと落ちるからね」
そう言って老医は筆を手に取り、ツィトローナの傷の周りに魔法陣を構築していく。
(私が独自で学んだ魔法陣構成とは全然違う。治癒魔法だから?それとも他に何か違いがあるのかな?)
ソワソワと眺めていると魔法陣を描き終わったようで、老医は指揮棒のような杖を取り出し、体内の魔力を魔法へと変換する。
「君の魔力すごいね、騎士団所属の魔法師でも肩を並べるのが難しいよ?」
「え!?そうなんですか?」
(魔法師になれちゃう?!魔導具技師になりたいけど、魔法師も悪くないかも!)
「でも、魔力が多いから魔法の効きが悪すぎてね、驚いちゃうよ、ホント」
眉間にシワを刻んだ老医が魔法を継続することしばらく、跡形もなく傷口を塞げば、椅子にもたれ掛かり大きく息を吐き出した。
(ちょっとくすぐったいというか、あんまり何かを感じることもないんだなぁ)
「ふぅー…。これで大丈夫だから、安心してね」
「ありがとうございます」
慇懃に礼をするツィトローナに、老医は笑みを向け姿勢を正す。
「今度からは騎士団の医務官を呼んだほうがいいよ。私ももう年だし、魔力の高い娘に治癒魔法をするのは難しくなってきたんだ」
「本日はご足労いただきありがとうございました。こちらが謝礼金となりますので、お確かめのほどを」
「シュタインフェステ家なら確認することもないでしょ、このまま貰っていくよ。それじゃあねお嬢ちゃん、怪我に気をつけるように、治すの大変だから」
「は、はい」
老医が部屋を出ると、謝礼金を渡した女性が振り返る。
「先生をお送りしてまいります。しばしの間、このお部屋でお待ちください」
「分かりました」
一礼をしてから女性は老医を追っていき、ツィトローナは椅子に腰掛ける。
「はぁー…」
(治癒魔法を忘れないうちに書き出しとかないと…)
何気なしに触れたポケットから、紙の擦れる乾いた音。
取り出してみれば、封のされたままの手紙が眠っていた。
(パパもママも、いっつもいっつも『魔導具技師は男のなる仕事だ』『王都に勉強に行った所でなんになるの!』って言ってばっかり!やってみなくちゃ分からないのに、ダメダメって!…兄ちゃん姉ちゃんたちと似てないから、私のことなんてどうでもいいんだ!)
ツィトローナは手紙をクシャクシャに丸めて、ゴミ箱に放り込もうとしたのだが、捨ててしまうその一歩を踏み出せず、丸まった手紙を手カバンに入れる。
「なんで…」
机に顔を伏せたツィトローナは、一粒の涙を流して瞳を閉じる。
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