11話 瞳の休息 2
騎士団での仕事を終えて帰ってきたジルベリヒトは、屋敷の廊下で老医と会う。
「ご苦労さまです。誰か怪我でもしたのですか?」
「こんにちは、ジルベリヒトくん。今日は行儀見習いの竜人ちゃん、えっと…ツィトローナちゃんの診察に来ていたんだよ」
「ゼーゲルマン嬢に…?」
「疲労で眼を患ってしまったようでね。若いっていうのは元気でいいのだけど、限界知らずは怖いところだね」
「問題は、ないのですか?」
「休息とマッサージで直ぐに良くなるよ。家政長さんが早期発見のおかげでもあるけどね」
「そうですか」
ジルベリヒトは胸をなで下ろし、安堵の吐息を吐き出した。
「僕が言うのも変な話かもしれませんが、ご足労いただきありがとうございました」
「患者がいれば診てまわるのが仕事だから当然だよ」
「お医者様の鑑ですね」
「そのために医者になったのだから当然だよ」
ひらひらと手を振り、ジルベリヒトの隣を通り過ぎた老医は、ピクリと眉を動かし振り返る。
「ジルベリヒトくん」
「なんでしょう?」
「魔力が大きくなってきた…いや元に戻ってきているね。前はどうやって吐き出したのか分からないけど、“手段を知っているなら”さっさと吐き出したほうがいいよ」
「え?」
「異国の医書を先日拝見したのだけどね。魔力っていうのは本人の器より多く保有すると、体調を崩しやすくなるらしい。集中力の低下なんかは序の口で、頭痛や身体の痛みが現れて、生活に支障が出るらしいんだよ。身に覚えはないかい?」
「ありました。あの日を境に落ち着きましたが」
「なるほど、実例が一つ手に入ったね。なら尚更、魔力を身体から出したほうが良いよ」
「…。」
(この人は知っているのか?…いや、あの日の夜はゼーゲルマン嬢と二人っきりだったはず)
「それじゃあね、ジルベリヒトくん」
「ご助言、ありがとうございます」
老医を見送ったジルベリヒトは、ツィトローナの部屋へと足を向ける。
(療養の最中にあれこれと聞くのは良くないけど、お見舞いはしておきたいな)
あの夜。ジルベリヒトの意識ははっきりしておらず、反閇の足の動きを一切覚えていない。
自身のため、そして誰かのために生きるには、ツィトローナを頼らざるをえないジルベリヒトは、『どうしたものか』と考える。
―――
(さて、私室まで来たはいいものの…相手は行儀見習いの女の子。見舞いに来てもよかったのだろうか)
ツィトローナは侯爵家で預かっている令嬢という立場。リリアンネにも釘を刺されたように、接触も慎重にならねばお互いのためにならない。
(『体調を崩したと聞いて、見舞いにと参じた』…いや、何の手土産もないのに見舞いは通じるのか?というか、ゼーゲルマン嬢に対して積極的に接触するのは世間体的に如何なものだろうか。しかし、知らぬ顔をするのもおかしいものだ)
扉の前を右往左往していると、胡乱な瞳を向けているグラーニアの姿に気がつく。
「ぐ、グラーニア!?」
「ジルベリヒト様…ゼーゲルマンの部屋の前で何をしているのですか?」
「あ、いや、体調を崩したと聞き及んで、見舞いに来たのだが、尋ねていいものかと考えていてな」
(魔力の澱だかを吐き出して以来、昔と比べて明るくなられましたが。…ゼーゲルマンに気でもあるのでしょうか?しかしそうなると厄介ですね)
「ゼーゲルマンはまだ13歳。変な気を起こすようであれば、ジルベリヒト様であっても容赦は致しませんよ」
「なっ、そんな趣味なんてあるわけないだろう!」
「そうは言っておりませんが、相手の立場をお考えになってくださいませ」
胡乱な表情を続けるグラーニアは、仕方ないといった様子でツィトローナの私室へ入っていく。
「どうぞ」
「失礼、します」
ジルベリヒトが入室すると、日当たりの良い出窓に植木鉢が鎮座している。
それはジルベリヒトが贈ったタイムの鉢であり、周辺には世話に必要な道具が置かれていた。
(女の子の部屋をまじまじと見るのは良くないのだけど、……?)
想像していた女の子の部屋とは異なる様相にジルベリヒトは心の内で首を傾げる。
ツィトローナの私室は、女の子らしい可愛らしさなどが皆無で、そこらの棚や机に本や手帳、紐でまとめた紙束などが並べられ、学者の家だと言われても不思議ではない。
決して散らかっているわけではないのだが、彼女が復習のために自作した写本などが増えた都合、収納する場所が足りなくなってきたのである。
「努力家なんですよ、彼女」
「みたいだね」
「座学なんて皆一様に嫌がりますから、勉強のしすぎで眼を患う子なんて初めてですよ。…代筆の仕事を請け負っていたということもありますが」
グラーニアの言葉の端からは若干の後悔の色が読み取れて、ジルベリヒトは『意外だ』と思う。
昔から知る『厳しい女性』のグラーニア。彼女が親身に勉強を教え、体調を心配する姿は新鮮であり、ツィトローナがシュタインフェステ家に受け入れられていることを、素直に喜ばしく思うジルベリヒトであった。
―
「入りますよ」
「どうぞっ」
寝室から響くのはツィトローナの声。
「あら、ジルベリヒト様までいらっしゃったのですか?」
「お見舞いにいらっしゃったようです」
扉を開いたヴァイリスカは、ニマニマと笑みを浮かべて二人を迎え入れる。
寝室の長椅子に腰掛けていたツィトローナは、編み物のような何かをしており、手のなかでは糸が複雑に絡まっていた。
「グラーニア先生とジルベリヒト様…?」
「こんにちは、ゼーゲルマン嬢。…その、体調を崩したと聞いてね、お見舞いに来たんだ。あーでも、手土産とかは無くてね、申し訳ない」
「いえっ、来てもらっただけでも十分ですっ。わっ!」
足元に転がっていたルースは、ジルベリヒトを見るなり勢いよく駆け出し、彼の脇を通り抜けて部屋を後にした。
「あの、多分ルースさんは魔力を感じられるので、あっ、えっと…」
「気にしなくていいよ、あれが普通の反応だからね。魔力を感じ取れる相手は、ああいった反応なんだ」
「…そう、なんですね」
(ジルベリヒト様の魔力、大きくなってきてるかも。放出したほうがいいんだけど、どう伝えたらいいかな)
(魔力…か。ゼーゲルマン嬢の体調が良くなったら、あの反閇とかいう魔法を教えてもらわないと。だが、とりあえず今は)
「体調はどうなのかな?」
「今は特に何も。お医者様も数日で良くなると言ってたので、心配は要らないと思います」
「なら良かった。あまり無理はしないようにね」
「はいっ」
思ったよりも健康的で、心配の必要もないのだと安心したジルベリヒトは、頬を綻ばせる。
「ところでゼーゲルマン、その編み物のような何かはなんなのですか?」
「あ、編み物です。勉強も読書もないと暇で…」
「はぁ…、もっと簡単な編み物から挑戦しなさい。勉強にも順序があるでしょう?」
「は、はいっ」
完成することのなさそうな編み物は、猫たちのおもちゃにされたとか。
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