10話 金の筆先 4
『拝啓』で始まり『敬具』で終わる文章がいくつかのバリエーションとともに書き起こされ、ツィトローナの前に並べられていく。
「招待状にも格式というものがあります。送る相手によって、文章の品位を調整し、礼を欠かず、家の威厳を失わないようにしなければなりません」
「難しそうですね…」
「その時々の、広域領の政からの影響も強く受けるものなので、今回はどの家に、どの形式で送るかは指定いたします。ゼーゲルマンは安心して、筆を動かしてください」
「はいっ」
ツィトローナは緊張した面持ちでシュプーレンフェーダーを手に取り、招待状の便箋に向き直る。
「では最初は失敗しても問題ない家にしましょう。トゥルム家―――」
自身の家を手始めに指名したグラーニアは、ツィトローナの仕事ぶりを確認しつつ、リリアンネの補佐をもこなしていく。
(せっかくのお仕事、頑張らなくっちゃ!)
―――
ツィトローナの筆はゆっくりと進む。
一文字書き間違えただけでも最初から書き直す必要があり、間違いを犯すよりも確実に書き切ったほうが効率がいいというのもあるのだろう。
最後に代筆者であるツィトローナ・ゼーゲルマンの名を記せば、招待状が完成する。
「ふぅー…」
「これで五枚目の完成ですね。…ふむ、間違いはありませんし、汚れもなし。ご苦労さまです、ゼーゲルマン」
「ありがとうございます」
もう一枚の招待状を書き始めようとすると、グラーニアが首を横に振り、窓の外へと視線を向ける。
既に日が沈み始め夕刻となっていた。
「初日にしては頑張りました。集中して作業していたこともあり、疲労がたまっていると思いますので、今日はここまでにしましょう」
「分りました」
「口を酸っぱくして言わせてもらいますが、行儀見習いとしての本分は忘れぬように。いいですか?」
「はいっ!」
ツィトローナは元気に頷いてから、少しばかり名残惜しそうにシュプーレンフェーダーを小箱に蔵う。
(やっぱり魔導具が好きだ。使いこなせるようになりたいし、作ってみたいって思いは変わらない。…頑張ろう)
滾る思いを胸に、ツィトローナは小箱の蓋を閉めた。
―――
「失礼しました」
「はい、ご苦労さまです。夕食時に会いましょうね」
「はい」
ツィトローナが執務室から退室すると、入るときには気が付かなかった小さな布袋がドアノブにかかっている。
(なんだろう、柑橘の香りがする…?こういうのが流行りなのかな?)
小さな疑問に首を傾げつつ廊下を歩いていると、シュタインフェステ家のネズミ捕り担当侍女たちが日陰で団子になっている。
「こんにちは、アイヒェさん、アッシェンさん、ルースさん」
「にゃにゃ」
「にゅにゃ」
首を擡げてツィトローナを見上げた三匹だが、昼寝が優先のようでそのまま丸くなる。
(気持ちよさそう。夕食まで時間があるし、私もゆっくりしていこうかな)
ツィトローナは猫たちの近くにあった長椅子に腰掛け、夏の澄み渡る青空を眺めながら、コクリコクリと舟を漕ぎ始める。
(…代筆のお仕事って結構大変なんだなぁ)
『すぅ』と寝息を立てるツィトローナを見つめた猫たちは、彼女の近くに移動して昼寝を再開する。
―
「あら?」
そんなツィトローナを見つけたのは、ヴァイリスカと二人の使用人たちで。
「猫ちゃんたちとゼーゲルマン様が寝てますね、どうします?」
「家政長に見つかったら雷が落ちそうですねー」
「そうでもないですよ。グラーニア家政長はツィトローナ様を随分と気に入っているようなので」
「だからこそ、こんな姿をみたら怒るんじゃないですか?」
「ふむ…一理ありますね」
ならば起こすしかないのだが、気持ちよさそうに寝息を立てるツィトローナを起こしてしまうのは忍びないと三人は考える。
「私がここで見張ってます。お二人は仕事を進めちゃってください」
「仕事を押し付ける心算ですね?」
「いやいや、いざという時の身辺警護もお嬢様付きのお仕事なんで」
使用人の一人が手をひらひらと揺らしながら、壁に寄りかかるようにツィトローナを視界に収める。
「それではお願いしますね。グラーニア家政長が来たら…うまく言い訳をしてください」
「はーい」
ヴァイリスカと使用人は、寝息を立てるツィトローナに笑みを向けてから廊下を進んでいく。
(いい天気)
その後、リリアンネとグラーニアが通りかかったのだが、家政長の雷が落ちることはなく、労いの言葉だけが使用人に贈られたのだとか。
誤字脱字がありましたらご報告いただけると助かります。




