1話 ツィトローナ 3
「リリアンネ様」
「なんでしょう?」
赤髪の少女が声を上げて笑みを見せる。
「ツィトローナさんをお部屋まで案内してもよろしいでしょうか?魔法師の到着にも時間がかかると思いますわ」
「そうですね。ゼーゲルマン家からは丸一日の馬車旅、夕食までの時間は休憩をなさってください」
「あ、ありがとうございます」
気を抜いて簡単な礼をしたツィトローナへ、厳しい視線を向けるのはリリアンネの後ろに侍る女性。
突き刺すような瞳に驚いたツィトローナは、正しい所作で礼をする。
「礼儀作法はツィトローナさんを映す鏡となります。正しき所作と、正しき対応を心がけてくださいねー。それが淑女となる第一歩ですよ」
ニコリと微笑んだリリアンネはツィトローナに道を譲り、赤髪の少女に連れられて屋敷へ入る姿を見送った。
「奥様…本当によろしいのですか?」
「グラーニアは不服?」
「はい。侯爵家への行儀見習いは、広域領内に収まらず国内の各地から申し出があるほど人気があり、他を差し置いて受け入れるほどの益が…彼女からは感じ取れません」
「グラーニア家政長」
「はい!」
「貴女の言う通りかもしれませんね」
「ならば」
リリアンネは口を噤み、ただ笑みを浮かべるのみであった。
―――
廊下を進む少女は、ツィトローナの手に握られたカバンを見て、小さく首を傾げる。
「手カバンを自分で持ってきちゃったの?他の荷物と一緒に運んでもらえばいいのに」
「え、はい。大事なものが入っているんで」
「ふぅーん。でも仕えてくれる人たちから仕事を奪ってはダメってことは、忘れないようにね」
「分かりました」
ふふん、と自慢気な少女は、軽やかな足取りでツィトローナを案内する。
(そういう人はうちにいなかったし、気をつかないと)
田舎の漁村を治める男爵家。
お手伝いが来るのは、数日に一度あるパン焼きの時くらいなもので、家族内で家事を分担して行なっていた。
御者をしていた男も、馬車の扱いに長けているだけの村民で、ツィトローナからすれば近所の小父さんだ。
(この方は、どこの出身なんだろう?そういえば名前聞いてないや)
「…お名前を伺っても、よろしいでしょうか?」
「まだ言ってなかったわね!アプフェリアーネ・ヴァイナー・オプストホーフェン、家名の通りヴァイナー伯爵自治領の出身よ。どこにあるかわかる?」
「……わからないです」
「ざーんねん。北方にある領地でね、リンゴとリンゴを使ったお酒を特産品として扱っているのよ。大人になって、良い旦那様を捕まえたらおねだりしてみてね!」
可愛らしいウインクをしたアプフェリアーネは、鼻歌を奏でながら足を進める。
(…旦那様。私も結婚して、家を切り盛りするのかな? けど私は)
『やりたいことがあるのに』と心の内で呟いて、アプフェリアーネの後を追っていく。
―――
「ここがツィトローナさんのお部屋。隣は私だから、夜は静かにお願いね」
「はい」
アプフェリアーネが扉を開くと、ゼーゲルマン家の居間ほどの広さがありそうな部屋には、品の良い家具や調度品が綺麗に並べられており、ツィトローナは目を白黒させる。
「こんなすごいところが、お部屋なんですか?」
「流石、モルゲンレーエラント侯爵家って感じよね〜。私も家具や調度品の配置なんかは見習わないと」
(とんでもないところに来ちゃった…)
『行儀見習い』と聞いたツィトローナは、従者や使用人が使うような部屋に、同じ境遇の相手との相部屋で過ごすものとばかり考えていた。
『貴女は私の娘の一人として』というリリアンネの言葉は、そのままの意味であり、侯爵家の娘待遇で生活をし、教育を受けることとなる。
手カバンを床に置くと、持ち手に僅かに血が付着していた。
(このまま椅子に座ったら、汚しちゃうかも。魔法師さんが来るまでは、立って待ってようかな)
落ち着かない部屋ではあるが、長く馬車に揺られていたこともあり、疲労がため息という形で身体から抜け出ていく。
「ふはぁー…」
「ねえ、ツィトローナさん?」
「なんでしょう…?」
アプフェリアーネの声に振り返ったツィトローナは、彼女の瞳の冷たさに一歩退いた。
「『竜人の角を煎じて飲むと永遠の美が手に入る』なんて語られるでしょ。だから、その角を私に下さらないかしら?」
「っ!!」
密々と、貴族の間で語られる迷信。
それらは直接言われたことのなかった言葉であり、親切にしてくれたアプフェリアーネが口にしたことで驚き、勢いよく飛び跳ねる。
確実に距離を置くため、三歩分の距離を離れたツィトローナは、確かな敵意を瞳に宿してアプフェリアーネを睨めつけた。
(優しくしてくれたのは…角が欲しかったんだ。この角にそんな価値はないのに、馬鹿みたい)
苛立ち、怒り、悲しみ。心を許し始めていたツィトローナは、裏切られたことで生まれた感情を押し留めながら、相手の出方をうかがう。
「本気で、信じているんですか?」
「竜人って王国では珍しいじゃない?それこそ貿易港で見かけるかどうかって話だし、試してみたくなっちゃったのよ」
「趣味が悪い…物語と現実の区別もつかない人」
「美しさなんて誰でも求めるものじゃない。ツィトローナさんだって、綺麗になってチヤホヤされたいと思わないの?」
「名前を、簡単に呼ばないでください!」
「あら怖い」
怒鳴ったツィトローナに対して、驚くでも悪びれるでもないアプフェリアーネは愉快そうに眉を持ち上げる。
「もちろん、無料でとは言わないわ。ヴァイナー領でいい地位に就いている方のご子息を紹介してあげる。悪くない取引でしょう?」
(何もかもがムカつく。こんな人のハンカチなんて…)
握り拳の中でシワを刻むハンカチを見たツィトローナ。
(物に当たっちゃいけない…)
「貴女と、話すことはありません!…竜の角が欲しいなら、竜の災禍にでも飛び込めばいいじゃないですか!出ていってください、出ていかないのなら」
怒りの形相を露わにしたツィトローナは、見様見真似で徒手空拳の構えを取り威嚇すれば、アプフェリアーネは驚きの表情を浮かべ、一拍置いてから。
「ぷっ、あははっ!あははは! 」
腹を抱えて大笑いを始めたのだ。
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