8話 東屋のひととき 2
浴場へと向かおうとしていたジルベリヒトは、廊下でルースを抱えているツィトローナを見つけた。
(ゼーゲルマン嬢、これは奇遇。あの夜と薬のお礼をしたいが、ヴァイリスカがいるとなると少し面倒だ)
近づかなくては意味がないと思ったジルベリヒトは、小さく手を挙げて挨拶し、距離を縮めていく。
するとツィトローナの腕の中に収まっていたルースが、目をまん丸に見開いて飛び降り、何処かへと走り去った。
「ルースさん…?」
(逃げちゃった、ジルベリヒト様のことが苦手なのかな?…というか、ヴァイリスカさんがいるからあの夜のことは言ってほしくないんだけど、どうしよう…)
やや警戒の色を露わにしたツィトローナに、ジルベリヒトは若干気圧される。
人を怯えさせる自身の体質、いや魔力質が薄まったことを喜んでいる最中だったが、過去に何度もあった自身を恐怖する瞳が脳裏に蘇った。
「あー、今日はいい天気だね、ゼーゲルマン嬢」
(なんだこの挨拶は!?もっといい挨拶を言えただろう!!)
「はい、ぽかぽかしてて、気持ちよさそうな陽気ですね」
「あ、ああ、そうだね」
なんともまあ、ぎこちない会話だろう。
隣のヴァイリスカなど遠い目をしているではないか。
「その、なんだ…うちの黒猫と仲がいいのかな?」
「はい。ルースさんっていうんですけど、魔力が好きみたいで」
「魔力?」
「え、あ」
(ここで魔法の話をされたら困るのに!)
「あの、ルースさんはスネッコっていう魔物で、色んな人から少しずつ魔力をもらう生き物なんです。特になんか意味があるとかそういうのじゃなくて、えっと…」
しどろもどろになりながら誤魔化すツィトローナを、ジルベリヒトは可愛らしいと思ったものの、魔力という言葉が、脳裏に引っかかっていた。
「物知りだね。…その先日の話なんだけど」
(まずは薬のお礼をしないと)
「っ!」
(魔法はバレないでいたい!…こんなことをするのは気が引けるなんだけど、痛くないはずだし!)
ツィトローナは素早い身のこなしで一歩退き、靴音が響かない程度に足を動かして反閇を行う。
発動した魔法は、魔力の放出。方向性を定め、ジルベリヒトを威嚇するためであり、傷つけないように配慮されたものだった。
「これは!?」
「ご、ごめんなさい!勉強の時間なんで!」
突如、豆鉄砲を食らった鳩のように驚くジルベリヒトに対し、ヴァイリスカは首を傾げつつも、逃げ去ってしまったツィトローナを目で追う。
「ツィトローナ様は悪い子ではないのですが、その…多感な時期ですので、ご容赦をお願いしますねジルベリヒト様」
「あ、ああ、すまなかった」
一礼をしてツィトローナを追いかけていくヴァイリスカを見送り、ジルベリヒトは呼吸を整える。
(今のは一体?ゼーゲルマン嬢が見上げるほどの巨城や、地を覆う軍隊にも感じられるほどだった、これが魔力を感じるということなのか?…しかし、皆がいうような恐怖は感じなかったな)
ジルベリヒトは分析を終えると、一つのことに気がつく。
「ゼーゲルマン嬢が、ものすごい勢いで逃げていった…」
(ただお礼を言いたかっただけなのだけども)
ズンと心が重くなるジルベリヒトは、気持ちを切り替えようと湯浴みへと向かった。
(今度は怖がらせないようにしたいのだが、どうしたものか…)
―――
グラーニアの待つ部屋へとやってきたツィトローナは、机に突っ伏して意気消沈状態である。
「どうかしたのですか?」
「えっと…その」
「話せることであるのなら、しっかりと話しなさい。急ぐ必要はありません」
説明をしようとするヴァイリスカを制止したグラーニアは、ツィトローナが自ら発言にすることを待つ。
「そのぉ…ジルベリヒト様に失礼、不適切な態度をとってしまって、逃げるようにここに来ちゃったんです」
「ジルベリヒト様に?…魔力の性質に驚いたのですか?」
「いえ、魔力はちょっと気持ち悪いかなってぐらいなんですけど…なんでかは言えません」
(魔法のことは…言いたくないし、嘘をつきたくもない。でも怒られたくないなぁ)
萎れた花のように頭を垂れるように、グラーニアは一つため息を吐き出し、パンパンと手を叩く。
「姿勢を正しなさいゼーゲルマン」
「はい!?」
「貴女はまだまだ未熟、雛鳥が殻を付けて歩いているようなものです。失敗などして当然であり、このお屋敷での失敗は今後の糧とするための勉強に他なりません!」
グラーニアは背の丸まったツィトローナを姿勢を正しながら言葉を続ける。
「何が、何故、良くなかったのか。失敗を踏まえて、これからはどうしたら良いか。そして、誰かに不躾な態度を取ってしまったらどうするべきか。それを考える時間としましょう」
「はいっ!」
(グラーニア家政長、最近気合い入っていますねぇ。ツィトローナ様のことが気に入っているのでしょうか?)
ヴァイリスカは二人の姿を微笑ましそうに眺めながら、小説を手に取りゆったりとした時間を過ごし始める。
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