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侯爵家に行儀見習いとして送られた竜人の令嬢は、魔導具作りの夢を捨てたくない  作者: 野干かん


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1話 ツィトローナ 1

 肌に伝わる魔力の流れを追うように、“私”は中庭を歩く。

 春も終わりだけど、夜中じゃあ突っ慳貪(つっけんどん)な風が身に沁みる。


 夜に出歩くなんて、良くないことだと思う。

 それは分かっているけれど、『ワタリガラス座』が導いてくれたこの夜に歩き出さないと、全てが手遅れになってしまう気がしたから。


 『ランプを持ってくるべきだった』という後悔はない。

 けれど月光だけでは、見知らぬ庭を歩くのは難しくて、石畳につま先が引っかかる。


 ゆっくりと、何歩も進んで見つけたのは、銀の髪が夜風になびく年上の男の人。

 嫌な感じ、悪い感じを帯びたあの人は、胸元を押さえて苦しんでいるように見え、…私は踏み出す。


「あの…、大丈夫ですか?」


 私が声を掛けると彼は驚き、何もない風を装い始めるが。

 眼鏡の隙間から見えた彼は、ドス黒いもやに覆われていた。


 //


 声に振り向いた“僕”は、見知らぬ少女が後ろにいて驚いた。

 …いや、行儀見習いとして屋敷に預けられている『竜人』の女の子、名前は確か。


「ぅぐっ!」


 “呪い”の影響で頭蓋の内側から張り裂けそうになる。

 頭を抱えながら、薄く目蓋を持ち上げてみれば、女の子は黄色い瞳に不安の色が混じりこんでいた。


 額の右側から生えた淡い金色の角。

 それが月光を反射すると、暗闇に差し込む一筋の光のようで、僕の心は僅かな落ち着きを取り戻す。


「あの、身体の中の魔力を逃さないと、苦しくて眠れないと思うんですけど」

「できれば…苦労していません。僕も父も、多くの医者を頼り、方法を探していたのですが」

「そう、なんですか?」


 女の子が円縁の大きな眼鏡を外すと印象が大きく変わり、よく研いだ剣のような鋭さを纏い出す。

 彼女は身体の隅々にまで視線を向けて輪郭をなぞり、コテンと首を傾げた。

 何がおかしいのだろう?


「魔力量は多いっぽいけど抜けないほどじゃない、よね。 嫌な雰囲気があるし、黒い靄々(もやもや)に見えるけど、でもこれって特殊な何かなのかな?」


 嫌な雰囲気?黒い靄々?

 よく分からないが気が滅入る。

 独り言を呟く女の子は眼鏡を胸元に引っ掛け、射抜かんばかりの表情で僕の目の奥を見ている、そんな気がした。


「魔力を放出することであれば可能かもしれませんが…どうでしょう?」


 女の子の言葉は、耳を突き抜け鬱々とした頭の中に響いた。

 それは何より求めていた『救い』であったから。


―――


 落ちた葉が枝へと戻るように時は遡り、一人の少女が馬車に揺られている、そんな頃。


 淡い金色、真鍮色とでもいうべき角の生えた少女は、円縁眼鏡の奥の黄色い瞳を俯かせて、ただただ馬車の床を眺めていた。


 膝の上に置かれた拳は固く握られており、下唇を噛む口はへの字に曲がって、緊張と不服が入り混じった感情が見え隠れしている。


「ツィトローナお嬢様、モルゲンレーエブルクが見えてきましたよ〜」


 御者の陽気な声に耳を傾けた少女、ツィトローナが馬車の外へと視線を向ければ、数え切れないほどの建物と南北へ長く伸びる防塁壁が視界に入った。


「はぁ…」


 重くなる気持ちから、自然とため息が漏れ出て、御者は困ったように頬を掻く。


「男爵様も奥方様も、ツィトローナお嬢様が一人前になれるよう、侯爵家へ送り出したんですよ!どんなところかは分かりませんが、きっと良い人たちですって!」

「そうだと、いいね」


 ツィトローナと呼ばれた少女は、ポケットから手紙を取り出して、封を開けるか悩んでから再び戻す。


(パパもママも私のことなんてわかってくれない。 行儀見習いに出したのだって、面倒くさくなったからなんだ!)


 逃げ出してしまいたいツィトローナだが、見ず知らずの土地で生きていける気はせず、ただただ馬車に揺られて侯爵家へと向かうのみ。


―――


[ モルゲンレーエラント侯爵広域領/領都モルゲンレーエベルク ]


 田舎の漁村出身であるツィトローナの瞳に映るのは、数え切れないほどの人の波。

 幼い頃に貿易港へと連れて行ってもらったこともあるのだが、それとはまた違った賑わいがあり、沈んだ気持ちが僅かばかり上向いていく。


(魔導具工房だ、いいなぁ〜)


 通り過ぎていく風景には、魔導具という魔力を用いて動かす道具を製作する工房があった。


 ツィトローナは手カバンのポケットから、手のひらに収まる程度の小さく小汚い機械を取り出し、瞳を輝かせて眺める。


(私も魔導具を作れたんだ。これを見せたら弟子入させてくれないかな)

「うわわっ!」


 馬車が石を踏んづけたのだろう。

 魔導具が手からすり抜けそうになったツィトローナは、落とさぬよう必死に手を伸ばし、しっかりと掴んでは安堵する。


「すみませんね」

「だ、大丈夫」

「そりゃよかった。…じきに侯爵家に着きますが、行儀見習いでしたっけ? 村の皆も応援しているんで、頑張ってくださいね」

「…はい」


 魔導具を手カバンにしまったツィトローナが再び視線を外へ向ければ、大きなお屋敷が目に入り、ここが目的地なのだと理解する。


(ママと侯爵夫人が知り合いだって話は聞いたことあるけど、田舎の男爵家の娘がなんで侯爵家に…)


 馬車が侯爵家の正門に到着すると、門衛と思しき者が声を掛ける。


「こちらはモルゲンレーエラント侯爵シュタインフェステ家。紹介状の提示をお願いします」

「分かりました」


 ツィトローナは手カバンを漁り、封のされた書簡を手に取り門衛へ渡す。

 書簡の表面には格子状に模様が描かれているのだが、門衛が小さな判子を押し当てると、模様が消え去っていく。


(アレも魔導具だ!なんていうのなんだろう)


 紹介状の中身を改めた門衛は、好奇心を多分に含んだ視線を向けるツィトローナの容姿を確認し、一度頷いた。


(真鍮色の角と、目元の同色の鱗が数枚ある竜人)

「黒の御髪に黄色の瞳。ゼーゲルマン男爵家のツィトローナ・ゼーゲルマンで間違いありませんね?」

「はい、合ってます」

(角と鱗をジロジロ見てこない人だ)


「自分の年齢、所属領地は言えますか?」

「13歳、モルゲンレーエラント侯爵広域領内のヴェレンヴィント子爵領です」

「問題ありませんね。門を開けろ!」


 ツィトローナが小さく礼をすれば、門衛は優しそうな笑みを浮かべて見送った。


(ここが侯爵家。…緊張してきた)


 握られた拳には手汗が滲む。

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