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扉が開いたのか新鮮な風が舞い込む。
二人分の足音と歪んだ音を立てて閉まる扉。
どちらかがはいてるヒールが耳障りだ。
うるさい。
「……お前らは生きた人間を見殺しにするのかよ」
怒りで声が震えていた。
揺れる息を吐き出しながらゆっくりと拳を握る。爪が手のひらに食い込んで痛いが構わない。
脅してでも湊を治療させなくては。
「ええ、そうです。神擬態に魂を食べられた人間は、身体は生きていますが目を覚ますことはありません」
鈴の鳴るような声が冷ややかに告げる。
振り返ると病室にいた謎の男と小柄で可憐な顔立ちの女が並んで立っていた。
柔和な顔立ちに反して感情を感じさせない眼差し。そのアンバランスさがどこか不気味だった。
「神擬体……?訳の分からないこと言ってんじゃねぇよ。湊はまだ、生きてる!生きてるのになんで……こんな死体のように扱われるんだよ!」
訳がわからない。本当にずっとあの夜から。
破茶滅茶すぎて夢かと疑いたくなるが、滴りそうなほど汗ばんだ手のひらの不快感がこれが現実だと告げていた。
「あなた方が不法侵入したあの廃ビル。あそこで不可解な現象に遭われたのでは?」
「はぁ?急になんだよ。話を逸らすなよ」
「逸らしてません。貴方はあのビルの中で雨に打たれながら女に襲われた。そうですよね?」
「……そうだけど。でも、あんたの横にいるヤツは幻覚だって言ってたけど?」
力を込め過ぎて白くなった指先で、女の後ろに緊張したように縮こまりながら立つ男を指差す。
叱られた犬のような表情が、この張り詰めた空気の中、異様に浮いていた。
「あの時は、貴方は記憶処理剤によって神擬体に関する記憶は消されるはずでした」
「……記憶処理剤?」
なんなんだよそれは。
漫画のようなセリフが飛び出してきて面食らう。
「文字通り、直近の記憶を失わせる薬です」
「……俺は何も忘れてないぞ。そんな都合のいい薬なんてあるわけないだろ」
「貴方は薬物の代謝能力が異常に高いようで効かなかったんです。
お酒飲まれても酔ったことないのでは?」
「確かに、酔っ払ったことはないけど……。記憶がある以上、信じるかよ」
2人を睨みつけながら吐き捨てる。
しかし思えば、飲み会で何度も意地の悪い先輩が潰そうとしてきたが一度も負けたことがない。
どこまで飲めるか飲み放題で試して出禁にされたこともあった。
途方に暮れる俺を指差して笑う湊の顔が蘇る。
ろくな思い出じゃないのに馬鹿笑いしてる姿が恋しいなんて。
「記憶処理剤は、効き目は優秀ですが副作用として認知症の罹患リスクが五倍以上に跳ね上がるような扱いの難しい薬です。……今まで効果がなかった前例はなかったのですが」
思いもよらない単語にギョッとする。
副作用に認知症だって?
おもわず、血の滲む輸液の針跡を見つめる。
「ごっ……五倍⁉︎そんな危険な薬をなんで俺に勝手に打ってんだよ。ここは日本だろ?人権はどこにいったんだよ!」
「信じてなかったのでは?」
淡々と告げる姿にゾッとする。
冗談のような話だったが、女の瞳の冷酷な光が冗談ではないことを告げていた。
「なぁ、今までの話、冗談だよな?」
「冗談をわざわざ言いにくるような時間はありません」
現実を認められず、縋るようにこぼした言葉は即座に否定された。
「個人の人権より多くの人々の暮らしを守ることが我々に課せられた使命です。神擬体が引き起こす事件は我々にも制御出来ないのが現状。面白半分で足を踏み入れられては困ります」
「そんな……面白半分なつもりなんて……」
ふざけたつもりなんてなかった。ただ、困ってる誰かを助けたかっただけなのに。
「それに、副作用のリスクを取ってでも忘れた方が幸せに残りの人生を歩める可能性が高いです。残虐で不可解で理不尽な経験は忘れた方が幸せだと思いますよ」
「忘れるかどうかは自分で決めることだろ⁉︎」
「皆、貴方のように選べるほど強い人間ではないのです。この薬ができるまで神擬体の事件に巻き込まれた人間がどれだけ、ーーどれだけ自ら命を絶ったか」
冷酷な瞳で淡々と事実だけを述べていた女が悲しげに瞳が一瞬、揺らいだように見えた。
「我々の力不足であの雨を忘却出来なかった。この一点に関しては心より謝罪申し上げます。貴方はまだ若い。リスクはあれども薬さえ効けばいくらでも輝かしい未来があった」
伏せた睫毛の影が頬に落ちる。どこか、悲しみに満ちたような声に聞こえるのは気のせいなのだろうか。
「でも、貴方には効果がなかった」
冷酷な眼差しに戻った女性が冷ややかに告げる。
「貴方が選べる選択肢は2つ。一生、監視されて生きるか、神擬体と戦う兵士ーー神喰いになるか今ここで選んでください」




