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「葛原さん?大丈夫ですか?酷い顔色……。医者を呼びましょうか?」
心配そうに覗き込まれる。身を案じるような視線が鬱陶しい。
嘘つきの癖に。
「なぁ、なんで嘘つくんだよ。お前は幻覚だのごちゃごちゃ言うけど、じゃあなんで爪に錆がついてるんだよ!荷物に押しつぶされたなら胸も腹も痛いはずだろ!何処も痛くねぇよおかしいだろ!なんなんだよお前!」
ベッドボードにあるナースコースを押そうと伸ばした腕を捕まえ、シャツごと胸ぐらを掴む。
勢いよく掴んだせいか、シャツのボタンが彼方へと飛び去り、露わになった首元から喉仏がちらりと見えた。
……男だったのか。なら遠慮はいらない。たとえ、相手の瞳に怯えが浮かんでようと。
「お前が言ったこと全部嘘なんだろ?湊はまだ生きてんだろ」
「……いいえ、春川さんは亡くなられましたよ」
震える直前のような緊張感が張り詰めた声だった。怖がってる。でも、そんなのどうでもいい。
「じゃあ、湊が死んでる姿を見せろよ」
「遺族の同意が得られないので見せられません」
「ふざけんなよ」
押し殺すように声を絞り出す。あまりの怒りに目の前が赤く歪んでみえる。
掴んでた胸ぐらを力を込めて突き放す。
細身の体は受け身を取る間もなく地面に倒れ込み長い髪が床に散らばった。
「……っ」
腕に刺さった針を乱暴に抜き去る。
衝撃で激しい音を奏でながらスタンドが床に倒れ、針先からは薬液が飛び散っていった。
床に倒れ込み、呆然としてる男を無視して布団を投げ捨て、裸足のまま病室から飛び出す。
驚いたように呼び止める声を無視して、ひんやりとした床を蹴り上げて走る。
いつ来るかわからないエレベーターを無視して、地下に向かう階段を探した。
祖父が亡くなった時も、祖母が亡くなった時も霊安室は地下にあった。だからきっとここも地下にあるはず。
階段を飛ばしながら駆け降りる。
「ちょっと、危ないでしょ。何してるの!」
階段を上がってた看護士が目を見開き、手を伸ばそうとするのを横目に潜り抜ける。
階段の手すりを飛び越え下の階に飛び降り、裸足の足裏に痺れるような痛みが走った。
「ねっ、ねぇ!どこ行くんですか?戻ってください!」
階段の上からは、後ろからさっき突き飛ばした男の焦った声が反響してる。
三階、二階、一階、地下。
蛍光灯が薄暗く輝き、陰気な空気が漂う廊下。
右みて左。
祈るような気持ちで霊安室のネームプレートを探す。無い。
手先が冷たくなる。落ち着け。前に行ったとき、そういえば霊安室のプレートじゃなくて関係者以外立ち入り禁止の札がかかっていた。
立ち入り禁止の場所。
一番奥の光の白と闇の黒が混じり合って暗い影を纏った扉。赤い立ち入り禁止の文字が書かれたプレートが鈍く光を跳ね返してる。
ここだ。
力を込めすぎたのか扉が大きな音を立てて弾かれる。慌てて、勢いよく閉じようとする扉の隙間を縫うように部屋に滑り込んだ。
整然と並んだ銀の扉たち。
死を収納するためだけの箱。
片っ端から取っ手を引き、車輪が軋みながら緩慢に開く。
違う。こっちでも無い。
亡骸を守る冷気のベールが脚に、腕にまとわりつくなか、怒りは悲しみに溶け出しやがて、焦燥へと変わって行った。
四つ目の引き出しに手をかけると、保冷庫が壊れているのか、柔らかな温度が冷気を押しのけて隙間から漏れ出ていた。どこか暖かく甘やかな空気にふと、体が和らぐ。
茶髪の髪、生気の無い白い肌、彼女からもらったと言っていた銀のピアス。
――湊。
あんなに、乱暴に開けたのにぴくりとも動かない。嘘、嘘だ。
寝汚いから起きないだけじゃ無いのか。
保冷が効かなかったのか存外、暖かな体を揺らす。
「おい!いつまで寝てるんだよ。早く起きろよ。……なぁ。」
いつもみたいに慌てて目を見開くことはなかった。もはや、振り子のように一定のリズムで揺れるだけの、ただの重い物体だった。
涙で、湊の目や鼻、髪たちが混ざり合い肌色と茶色のかたまりになる。
耐えられない。
彼じゃなくて俺がこの箱の中にいればよかったのに。
いつも誰かを犠牲にしてのうのうと生き延びてる。
湊の体をかき抱いて、胸に顔を押し付ける。
死装束があっという間に水気を含み薄っすら肌色に染まった頃、ふと気づく。
頬に、ごく僅かに振動を感じる。
時計のような正確さと今にも消えそうな灯火のような弱さで。
「…生きてる」
なんで生きてるのにこんな箱に入れられてるんだ。
舌が張り付くほど口はカラカラなのに、病衣は湿り気を帯び、冷気を染み込んでいった。
本当にあの夜から何もかもがおかしい。
知ってる常識がひとつずつ剥がれ落ちるように意味をなくしていく。
そもそも、あの病室で話していた男は誰なんだ。医者でも看護師でも警察でもなさそうな
ーーあの男は。




