疑惑
無機質な電子音がかすかに聞こえる。
今日、一限だっけ?湊はちゃんと起きれてるかな。あいつ寝坊ばっかしてるから単位がもうそろそろやばい気がする。
意識の半分が夢に囚われたまま、ぼんやりと考える。
珍しく飲み過ぎたのか身体が重くて起き上がる気にならない。そしてなぜか、涙が込み上げるような悲しみが心に覆い被さっていた。
……たまにはいいか。サボっても。
ずっと真面目にやってきたんだ。1日ぐらい、いいじゃないか。
このまま、また夢に戻るためにアラームを止めようとざらつくシーツの上を手探りでスマホを探すが見つからない。
こんなに近くで鳴ってるのに。なんでどこにもないんだ?というか、シーツってこんな手触りだっけ?
うっすらと感じた違和感にせっつかれて目を開けると、見慣れた古ぼけた天井ではなく、真っ白な天井だった。
それに、消毒液の鼻につく香りと腕に刺さった輸液。そのほかにも指や胸によくわからないコードが取り付けられてる。
規則的な電子音はバイタルモニターから鳴っているようだ。こんなの健康診断でしかつけた事しかない。
「あっ、起きましたか?」
優しげな顔つきで、細身の体と長い亜麻色の髪。男性とも女性とも取れる中性的な声。
……誰?
「どっ……どなたですか……?それにここは?」
「ああ、体に障りますから寝たままで大丈夫ですよ。ここは病院です。大変な事故に巻き込まれましたね。でも、少し時間はかかりますが後遺症もなく退院できますよ。」
おだやかに静止され、ベットに押し戻された。その瞬間、寝ぼけていた脳が急激に動き始め、耳の奥から轟音の雨音が一気に蘇った。
「そ……そういえば湊は?お、俺の友達は……どこにいますか?雨ーーそう雨がすごくて、湊が変な女に手を突っ込まれて。あの空間から逃げれなかったのになんで……なんで俺だけここにいるんだ?」
頭を掻きむしりながら喚き立てる。髪を引っ張る痛みが、不安と共鳴するようにズキズキと体に響いていった。
中性的な顔立ちのスタッフは、その様子を観察するように目を細めた。それから半分以上落ちた輸液に目線をちらりと移して、落ち着かせるように、柔らかい口調で話し出した。
「葛原さんとご友人方が歩かれてる途中にトラックはねられたんですよ。ーー残念ながらご友人は当たりどころが悪く……。」
嘘だ。悲しげに目を伏せる姿が滑稽だ。
「そんなわけないだろ!あの廃ビルで女から逃げるために散々、湊を背負ったんだ。建物の中なのに雨が降ってて寒くて俺も湊も死にかけてたけど生きてた!」
眩暈がする。耳の奥で雨の音が止まらない。
「葛原さん。葛原さんは積荷に押しつぶされた状態で発見されたんです。肺を潰されて低酸素状態でしたから幻覚を見られていたのでしょう。」
「幻覚?あれが?」
笑いが止められない。体が小刻みに震える。
「ええ、普通は建物の中では雨は降りませんからね。」
眉を顰めて、困惑を一瞬滲ませたが、すぐに気を取り直したように相手は言う。意外にもこちらを見つめる瞳には身を案じるような優しさがあった。
それでも、冷凍庫に仕舞われたような凍える寒さ。
痛いほどの雨。
徐々に細くなっていく呼吸。
湊の何かを奪って行った紅い唇の女。
どうしてもあの光景が幻とは思えない。
でも確かに、建物の中で雨は降らない。
あの雨も、寒さも、死体も全部、ありえない出来事だった。
ふと、我に返り不安が過ぎる。
あの雨の痕跡を探るようにシーツに目を落とし、投げ出された手を眺める。指に何かを計測してるのかクリップがはさまれてた。
その下に小さな傷。ーー傷?
薄く引きつれた傷がいくつもある。まるで錆びた何かを掴んだような傷が。
「葛原さん?どうかされましたか?」
心配そうに呼びかける声を無視してクリップを外す。爪の先に赤黒い汚れがこびりついてる。
鼻を刺す鉄の匂い。口の中に生臭い味が蘇る。でも血じゃない。錆びた金属の匂いだ。
これは窓を割ろうとして朽ちた椅子を握った時にできた傷だ。
幻じゃない。
あの、残忍な雨を連れた女は確かにいた。
読んでくださる方がいらして大変驚いてます。
ありがとうございます。




