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親友がおかしくなってどう考えても精神に異常をきたしてるのに、嬉しさが込み上げて止まらない。これなら、前みたいに俺たちは平等になれる。俺にも差し出せるものがある。正しくない、でも俺にはこれしかないから。
嬉しさを心配げな表情で塗りつぶしながら湊に話しかける。
「落ち着いたか?」
「……寒いんだ。すごく」
確かに、震えて肌にはびっしりと鳥肌が立ってる。
……風邪?こんな短時間でなるものなのか。
「吐き気はあるか?」
「しない。それより雨の音を止めてくれ……頼むよ……」
聞こえない音を止める手立てなど持たない。途方に暮れてるうちに湊は耳を塞ぎ込み胎児のように縮こまってしまった。
外に連れ出した方がいいだろうか。女性は心配だが湊を放り出して探しには行けない。幸いにも、湊の親の連絡先は知ってるし迎えにきてもらうのが一番安心だろう。この状態は心地いいが湊を失いたいわけじゃない。
「湊、帰ろう」
「帰れない……誰も見つけてない」
「いいよ。誰の声もしないし、きっと先輩の見間違いだったんだよ。先輩もそこら辺で寝てるんじゃないか?」
「でも……透真が気にする……」
髪の隙間からぼんやりとこちらを見つめて湊が呟く。本音を言えば気になる。声が出せない状況なんていくらでもあるから。
それでも錯乱してる湊の方が心配だった。探すなら湊を帰してからでもできる。手遅れになるかもしれない罪悪感を隠して言う。
「お前の方が心配だよ。帰ろう。雨の音も帰れば消えるかもしれないし」
「……うん」
座り込んだ湊を立ち上がらせるために伸ばした手に針のような痛みと冷たさ。遅れて雨音が耳に響いてビル内を駆け巡る。
「あめ……」
フロア全体に等しく規則正しく水滴達は流れ落ち、窓からの繁華街の猥雑な光を受けて彩りどりにきらめき床に散らばっていった。
夏の熱気を洗い流して温度を失った床から冷気が立ち込める。
現実ではありえないはずのその光景はどこか古い童話のような美しさと不気味さが混じり合い妖しくも幻想的だったが、見惚れる時間はなかった。
呼吸だけが荒く、激しく響き渡る。体が硬直したように動かない中、白い吐息だけが吐き出されていた。
横に何かがいる。
暴れ回る心臓を押さえつけて、抵抗する眼球を横に動かす。
そこにはただ、微笑む女がいた。派手な赤のスニーカーだけが特徴の街ですれ違っても記憶に残らないような平凡な女が。
濡れた長い髪が絡みついた白く華奢な腕が、指がこちらにゆっくりと伸びてくる。掴めば簡単に捩じ伏せられそうなのに体が動くことはなかった。本能が抵抗が無駄なことに気づいたのだ。
残された僅かな時間なのに俺は間抜けにも光に照らされ、透けた女の焦茶の瞳を見て化け物にも虹彩があると言ったーーそんなどうでもいい発見をしていた。
「透真っ‼︎」
湊が鋭い悲鳴のような音で俺を呼び、手首を引っ張り走り出す。
夢のように穏やかで残酷な死へのカウントダウンは消え去り、世界に雨が連れてきた音が、寒さがかえってきた。
無慈悲に降りしきる雨の中、二人で無茶苦茶に走り、雨が遠く感じられる場所を探し回った。そうして打ち捨てられた大量の書類が押し込められた小さな部屋にたどり着いたころには全身ずぶ濡れになっていた。
寒さで肺がおかしくなったのか全速力で走ったせいかほんのり血の香りを帯びた息を荒く吐き出して座り込む。
その横に湊もよろめきながら座り込んだ。
「……透真も見た?雨の音聞こえるよな?」
顔を膝に埋めながら湊が言う。
「音どころかびしょ濡れだろ。……俺の夢か?飲みすぎたのか……?」
「透真は酔わないだろ〜。お前、飲み放題で一回酔えるかやって出禁にされかけたじゃん」
いつものようにからかうような声色で喋っていた湊が、自分の発言が異常を認めることに気づき、急激に小さな声になった。頭を膝に深く沈めて、涙が滲んだ声で囁く。
「俺たちどうなるんだろう……」




