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神喰い  作者: 激田 安
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雨音

薄汚い廃ビルのひびが入った窓ガラス。そこから侵入したカラオケの青い光に染まった水溜り。天井からこぼれ落ちた無数の雫が波紋を幾重も生み出しては、飲み込んでいく。

まるで絶望が希望を打ち消していくように。


窓からは雨音に混じって繁華街の喧騒が微かに耳に届いた。

人混みのざわめき、酔っ払いの大声、車のクラクション。夏の熱気。

輝く月が街灯の光で力を失うような、いつも通りの夜の街がそこにはあった。喧しくて、明るくて猥雑な空間が今は恋しくて仕方ない。


濡れた体を引きずり、窓のはるか下の路上を覗き込む。誰もいないことを願いながら。下には、はしゃぎながら通り過ぎる女性達が歩いていた。何一つ、望みは叶わない。


このまま窓を壊したらガラスが彼女達に降り注ぐかもしれない。そんな考えが一瞬、頭を掠めるが、頭を振って振り切る。

このガラスが割れれば逃げられる。湊を助けられるのだから。


そう……下には誰もいないはず。

ガラスに映る瞳が、咎めるように見返してくる。それでも、引き返すわけにはいかない。瞼を下ろして、闇を見つめる。


罰なら俺が受けるから。

だから…湊だけは助けてくれよ。

神様。


祈りの中、瞼の裏側にあの女が微笑む姿がよぎった気がして思わず瞳を開く。

光に目を焼かれながら、絞り出した吐息が濃霧のように白く、掻き消えた。


骨組みが露出した椅子を握る。濡れた金属が手に張り付き痛い。

かじかんでいるのか。それとも、湊を助けられるかもしれないそんな甘い期待のせいか。震えが止まらなかった。


懸命に震えを押さえつけ、窓を睨む。割れたところで、逃げる方法なんて考えられなかった。それでも、外との繋がりがあれば湊を助けられる気がした。


心臓がドクドクと音を立て身体中に血が駆け巡る。割れてくれ。頼むから。


願いを込めて椅子を振りかざし、ガラスを殴る。

椅子が跳ね返り、鈍い衝撃が体を襲う。

吐き出そうとした息が喉に詰まり変な音をたてる。


「くそっ……なんで……」


何一つ窓は変わらない姿だった。ひびの形すら変わらず。それなのに、握った椅子の錆が指の皮膚を削り取り、微かに出血していた。

雨の香りに満ちた中に錆と鉄の匂いが混じり合う。理不尽だ。

窓は割れないのに、肉体は傷つくなんて。


落胆を含んだ荒い呼吸に交じり、激しくなった雨音が何もかもをかき消して行く。

雨が、女を連れてくる。


「おい!湊!しっかりしろ。寝ると死ぬぞ!」


足元で横たわり、寒さで意識が朦朧としてる友人を揺り起こす。

うっすらと瞳を開いた湊が、緩慢な動きで俺の腕を掴む。湊の指はゾッとするほど冷たかったが、反応があったことにほっとする。

良かった。まだ、生きてる。


「あいつが来るぞ。どっかいかないと!」


雨音に負けないように、湊に呼びかけた。しかし、大声だったのにも関わらず湊は、曖昧な唸り声のようななにかを呟き、瞼は再び閉じた。

嘘だろ。デカい男を抱えてこの雨の中、歩けるのか……?


それでも湊を見捨てるなんて選択肢は、はなからなかった。でも、窓はダメだった。どこに逃げればいいのだろう。

ああ、夏のアスファルトから跳ね返る息苦しいほどの暑さが恋しい。二人でふざけながらアイスを食べながら帰った時みたいな。


焦燥に駆られながら辺りを見回すと、ふと向かい側のビルの屋上が目についた。

少し前に話題になったニュースが頭をよぎる。

飛び降り自殺を試みた女子高生達が、一人が下敷きになって皮肉にも奇跡的に生還したニュースを。


屋上……。そういえば、まだ屋上には行ってない。あるのかすら知らない。

でも、もし屋上に出られるなら。

外につながる場所から飛び降りれば。

俺が下敷きになれば。

湊は助かるかもしれない。


俺を心配して、ここまで着いてきてくれた湊だけは家に帰したかった。たとえ、俺の体が無惨な肉塊となって地面に散らばろうとも。


「おい、湊。一か八かで屋上から飛び降りるけどいいよな!?」

返事はもう、無かった。


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