5溢れ出る気持ち
どのくらい歩いただろう。お兄ちゃんはずっと私の肩を抱いたまま歩いている。聡たちとの会話にショックを受けていたけれど、お兄ちゃんとの近すぎる距離にくらくらしてしまう。
「あの、お兄ちゃん」
「ん?」
勇気を振り絞って声をかけると、お兄ちゃんは立ち止まって優しく聞き返してきた。
「あの、ありがとう。もう大丈夫だから」
「……そう、か」
お兄ちゃんは名残惜しそうに私から離れる。どうしてそんな態度を取るの?そんな風にされたら、勘違いしちゃうよ。堰き止めている思いが溢れ出して、胸がどんどん苦しくなってくる。もう帰ろう、そう言おうとした時。
「響?やっぱり響だ!」
「さおり……?」
急にお兄ちゃんの名前を呼ぶ声がしてそちらを見ると、綺麗な女性が嬉しそうに駆け寄って来た。ふわりとウェーブがかかった明るい茶髪のロングに、女性らしい服装の清楚で綺麗な女性だ。
「久しぶりね。連絡したいって思ってたのに、響ったら電話もメールもなにもかも通じないんだもの」
そう言って、お兄ちゃんの腕にするりと絡みつく。もしかしてお兄ちゃんの元カノとかなのかな?お兄ちゃんは嫌そうな顔で腕を振り払おうとしているけど、さおりと呼ばれた女性は気にしない様子で腕に絡みついたままだ。
「……その子は?もしかして彼女?」
さおりさんは私に気づいて目を細める。ああ、これ、昔にも感じたことがある。お兄ちゃんの側にいる私を、値踏みするような顔。まるでお前はお兄ちゃんにふさわしくないと言わんばかりの顔で見てくるのだ。
嫌だ、ここにいたくない。ここから一刻も早く離れたい。
「この子は……」
きっとまた、ただの妹だって言われる。当たり前だ、何も間違ってない。お兄ちゃんにとって私は、「ただの妹」なのだから。わかってる。わかっているけど、やっぱり聞きたくないよ。
「お二人の邪魔しちゃいけないから、私は先に帰るね!ごゆっくり」
お兄ちゃんの声を遮るように、私は笑顔で二人にそう言って、走るようにその場から立ち去った。
「楓!」
お兄ちゃんの声が聞こえてくる。でも、振り向けない。振り向きたくない。今振りむいたら私はきっと酷い顔をしているから。
*
気づいたらいつの間にか帰ってきていた。玄関を入ってリビングに入り、電気をつけると今では見慣れた光景が広がっている。少し前まではお兄ちゃんの家で、私は居候させてもらっているような形だったのに、いつの間にか自然に二人の住む家になっていた。
「もう、ここにはいられないかな……」
これ以上、今までみたいに自分の気持ちを抑え込むことはできないと思う。そもそも、一緒に住むことによってお兄ちゃんへの思いがどんどんと溢れてしまう。考えたくないのに、自覚したくないのに、お兄ちゃんと一緒にいると好きという気持ちが自分の中から飛び出してしまいそうになる。
「楓!」
鍵の開く音がして、玄関からお兄ちゃんの声がする。どうして?もう帰ってきたの?
「やっぱりいた!どうして一人で帰ってきちゃったんだよ」
少し息を切らしてお兄ちゃんは私の元へ駆け寄ってきた。
「どうして……あの女の人と一緒にいなかったの?」
「どうしてって、楓の方が大事に決まってるからだろ」
さも当然のようにお兄ちゃんは言うけれど、そんなこと言われても余計胸が苦しくなるだけだ。
「そんな、どうしてそんなこと言うの?お兄ちゃんにとって私はただの妹でしょう?放っておいてくれて構わないのに……むしろ放っておいてよ」
ぎゅっと両手を握り締め、私は呟いた。その言葉を聞いて、お兄ちゃんから小さく息を呑む音がする。
「……ただの妹じゃないよ。それに、もう俺たちは戸籍上も兄妹じゃない。いつまでそうやってお兄ちゃんって言うつもりだよ」
「え?」
驚いてお兄ちゃんの顔を見上げると、お兄ちゃんは苦しそうな、でも少し怒っているような顔をしている。どういうこと?どうしてそんな顔をしているの?
「お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょう。だって、お兄ちゃんは……私のこと、ただの妹でしかないってはっきり言ったもの。さっきだって、そう言うつもりだったんでしょう?私、それを聞きたくなくて、逃げてきたの」
ああ、もうだめだ。堰を切ったように思いが、言葉が溢れ出してしまう。
「昔、お兄ちゃんが女の人に私のことを聞かれて、お兄ちゃんはその人に、大切な妹でただそれだけだよって言ったの。もちろんそれは間違ってない。正しいの。だって私は本当にただの妹だったから。でも、私はなぜかすごくショックだった。血は繋がってなくてもお兄ちゃんはお兄ちゃんだってわかってるのに、すごくショックで……そんな気持ち、持ってちゃいけないと思ってずっと封印してきた。お母さんたちが別れて離れ離れになってからも、お兄ちゃんのことを忘れようと思ったし、そのためにちゃんと恋もしてたの。でも、結局はだめだった。それでも、心機一転頑張ろうって思って引っ越したのに、どうしてそこにお兄ちゃんがいるの……」
言葉が口から溢れ出るように、目からポロポロと涙がこぼれてくる。
「こんな苦しい思いをするなら、お兄ちゃんになんてなってほしくなかった。お兄ちゃんとなんて、出会わなければよかった」