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4話

朝日がハウゼン男爵邸を照らし、東向きの廊下の大きな窓から日差しが差し込む。湯気のたつ水盆とタオルを持ったソフィーが廊下を進み、ナディアの寝室の前でノックをする。




「ナディア様、お目覚めですか? 入りますぞ」




返事がないのでソフィーは静かに部屋に入り、天涯付きベッドに向かって声をかける。




「ナディア様、朝ですぞ」




あまりにもしんとしている。不振に思ったソフィーが布団をめくると、そこには誰もいなかった。




「ナディア様!?」






その頃ナディアは、他の使用人に交じって厨房で朝食の準備をしていた。




「奥様、もう十分です」




体格の良い料理長が太い眉を下げて、野菜を切り続けるナディアを見る。




「でも、まだこんなに切らないといけない野菜が」




他の使用人が慌てて包丁を動かし、積み上げられていた野菜を次々切っていく。




「まあ、手早いわ」




「旦那様に見つかったら、私共が叱られてしまいますので、どうか食堂でお待ちください」




「あ、でもっ」




ナディアは背中を押されて厨房の外に出された。




「うーん、厨房がダメなら……」






ナディアが食堂に向かうと、予想通り食堂の掃除とテーブルの準備をしている使用人達がいた。ナディアはその内の1人に声をかけ、仕事をすることにした。




「あの、お手伝いすることありますか?」




「じゃあ、床拭きをお願い…って、あなた見ない顔ね。それにその服、私達のとは違うし、だいぶ古そうね」




使用人姿のナディアがハウゼン男爵の妻だとは気づかず、首をかしげる。そこへ、白髪混じりのグレーの髪を丸く結い上げた初老の女性が通りかかった。




「あなたたち、おしゃべりしている時間はありませんよ」




「侍女長様、申し訳ございません」




ナディアもつられて頭を下げる




「ちょっと、顔を上げて」




ナディアが顔を上げると、侍女長は真っ青になって深々と頭を下げた。




「奥様、大変失礼致しました!」




「えっ、奥様?! 申し訳ございません!」




「あ、いや、その」




2人に頭を下げられて戸惑うナディア。




「ナディア様!」




ソフィーが食堂に入って来てナディアを見つけると、怖い顔をしながらずんずんナディアの方へ近付いてきた。使用人と侍女長はそそくさとその場を離れていく。




「ナディア様、なぜそのような恰好でおられるのですか!」




「だって、私ができることといえばこれぐらいしかないじゃない」




「ナディア様は奥様なのですぞ。こんなことをしてはいけませぬ。他の使用人にも迷惑ですぞ」




「迷惑……」




周囲の使用人に目を向けるが、皆、目を合わせないよう黙々と仕事をこなしている。




「ドレスにお着替えをして、朝食を召し上がるのですぞ」




ソフィーに手を引かれ、ナディアは落ち込んだ顔で食堂を後にした。






ウエストが引き締まり、裾がふわっと広がっているライムグリーンのドレスに着替えさせられ、メイクもヘアセットもソフィーがてきぱきとこなし、一緒に食堂へ向かった。 




ナディアが食堂に着いてすぐ、レイヴノールが入ってきた。ナディアは席から立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げて恭しく頭を下げた。




「ハウゼン男爵様、おはようございます」




顔を上げたナディアを、レイヴノールはぼうっと見つめる。背後にいるディランに小突かれ、はっと我に返った。




「お、おはようございます、ナディア嬢。どうぞ、座ってください」




ナディアが座ると、レイヴノールは食事が用意されている上座ではなく、ナディアの向かいに座った。ディランが壁際に控えている侍女長に目配せをすると、他の使用人と共にレイヴノールの座った場所へ食事を移動させた。


その光景を、ナディアは目を丸くして見ている。




「私はナディア嬢と対等な、夫婦、になりたいと思っています。世間の風潮からしたら変に聞こえるかもしれませんが」




「対等、ですか」




ナディアが幼い頃見てきた母の父に対する抵当な姿勢や、義母の父に対する態度を思い出すと、圧倒的に父が上の立場で、母も義母も下の立場の者として応じていた。レイヴノールの言う対等な夫婦が、ナディアには想像できなかった。




「はい。それで、使用人のようなことをしていたと聞いたのですが、使用人服はどのような」




ディランがゴッホンとわざとらしい咳払いをする。ソフィーがレイヴノールを睨む。




「あ、いや、そうではなくて。えー、使用人の仕事ではなく、ドレスや宝石を買ったり、お茶を飲んでおいしい物を食べて、幸せに生活してもらいたいのです」




「……分かりました。努力致します」




レイヴノールの言う幸せな生活に実感が沸かないナディアは、ただ頷くしかなかった。






朝食の後、ソフィーと部屋に戻ったナディアは深い溜め息をついた。




「ナディア様、いかがされましたか?」




「貴族令嬢の生活なんてほとんどまともに送ったことないし、教養も礼儀作法も身に付けられていないし、旦那様の前だと緊張してテーブルマナーが気になってご飯が喉を通らないし……」




ナディアは広い部屋の隅にうずくまって、頭を抱える。




「殺されるかと思ったら殺されないし、夫人みたいにって言われても何したらいいか分からないから、私ができることをしようと思って使用人の仕事をしたのに迷惑かけちゃうし……。対等な夫婦とか、幸せな生活とか、旦那様が望まれていることがよく分からないわ」




さーっと爽やかな風が吹いてナディアの前髪をかきあげる。ナディアが顔を上げると、テラスの窓を開けたソフィーのライトグリーンの髪がそよそよ揺れているのが見えた。




「ナディア様、床ばかり見ていてもおもしろくないですぞ」




ナディアはテラスに出て、色彩豊かな花で造られた庭園を眺めた。


黄色のミモザに紫のライラック、赤や白のチューリップやバラなど、春の花が風に吹かれてそよいでいる。




「昨日は緊張していたから気づかなかったけど、こんなにきれいだったのね」




コンコン。




ノックの音が聞こえ、ソフィーがドア開けると、セラフィナとウンディーネが室内に入ってきた。




「ナディア、おっはようー!」




ウンディーネがピョンピョン飛び跳ねてナディアに手を振る。ナディアは手を振りながらドアに近づいていった。




「おはよう。今日も可愛らしいわねぇ」




セラフィナが長い指でナディアの頬をつつく。ソフィーがセラフィナとナディアの間に入って、セラフィナを睨む。




「無礼者め。何の用じゃ」




「邸宅を案内しろって、レイ様に言われたんだけどぉ」




「行こう、ナディア。案内してあげる!」




ウンディーネがナディアの手をとって廊下へ出る。




「この無礼者! ナディア様の手を離さぬか!」




ウンディーネはべーと舌を出して走りだした。




「いっくぞー!」




「は、はい!」




ナディアは流されるままにウンディーネと走り出した。振り向くと、ソフィーが怖い顔で追いかけてきている。その後ろをのんびりと優雅にセラフィナが歩いていた。




風のような速さですぐにウンディーネに追いついたソフィーは、ウンディーネをナディアから引き離そうとする。




「離れるのじゃ、無礼者!」




「いーやーだー、ナディアと手つなぐもん!」




「じゃあ、手を繋ぐけど、ウンディーネさんは走らないで、ソフィーは追いかけないっていうのはどうかしら」




「ウンディーでいいよ。ソフィーが追いかけてこなければボク、走らないよ」




「走らぬのなら、追いかけませぬ」




「さすがナディア様。レイ様よりよっぽど主っぽいわぁ」




セラフィナがくすくす笑う。




「主、ですか? 私が?」




「独り言よ。気にしないでぇ」




「ナディア、行こう!」




ウンディーネに手を引かれながら、次々と部屋を見て回った。シュペルツ家より部屋数は少ないが、ハウゼン男爵邸の方が一部屋ごとの広さは勝っていて、調度品や家具の趣味もナディアの好みに合う品の良いものばかりだった。




邸内の部屋を見終わり、エントランスホールを通って外に出ると、部屋から見えた庭園が広がり、花の香に包まれる。




「ちょっと前までは殺風景だったの。奥様を迎えるからって、侍女長や私達が提案して、室内も庭園も綺麗に飾り付けたのよぅ」




「そうだったんですね。ありがとうございます。どこも本当に素敵です。こんな所に住んでいるなんて夢みたいです」




セラフィナがナディアの頬に頬ずりをして抱き着く。




「んもう! 可愛んだからぁ」




「セラフィナ、ずるい! ボクも!」




ウンディーネも抱き着き、ナディアは照れ笑いを浮かべる。ソフィーがすぐにウンディーネとセラフィナを引きはがし、両手を広げてナディアの前に立ちふさがる。




「くっつくでない!」




「ソフィーだけのナディア様じゃないんだけどぉ」




「そうだよー。ナディア、今度はボクのおすすめの場所に案内するね!」




口を尖らせたかと思えば、すぐ笑顔になったウンディーネは、ソフィーの隙をついてナディアの手を取って歩き出した。




ナディアはウンディーネに手を引かれながら、邸宅の裏側にある森の中を進んでいく。しばらく行くと、開かれた空間に出た。そこには大きな湖があり、コバルトブルーの湖面が太陽の日差しを受けてキラキラ輝いている。




「ここだよ! きれいでしょ」




「ええ。まさかこんな所に湖があるなんて」




「ボートもあるから、今度レイ様に漕いでもらうといいわぁ」




「ボクもボート押せるから、いつでも言ってね!」




「ボートを、押す?」




ナディアが首をかしげる。




「言い間違いですぞ。こやつはまだ幼い子供ゆえ、致し方ありませぬ」




「子供じゃないもん! ねえ、ナディア、泳がない? それともボート乗る?」




「あ、えっと、私、泳げなくて。ボートも乗ったことなくて」




「じゃあ、ボクが教えてあげるよ!」




「ナディア様を困らせるでない。泳ぎたければ一人で泳ぐのじゃ」




「私、水嫌いだから、そろそろ戻るわねぇ。ウンディーは気が済むまで泳いでらっしゃい」




「いいもーん。ボク、泳いでくる!」




ウンディーネは助走をつけて服を着たまま飛び込み、吸い込まれるように湖の中に潜っていく。ナディアが驚いていると、水面から頭を出したウンディーネが大きく手を振った。




「すごいわね」




「さあ、ナディア様、お部屋へ戻りますぞ」




「でも、本当にひとりにしていいの?」




「優しいのねぇ。あの子は泳ぎ続けるから、待っていたら付き合いきれないわよぉ」




ナディアが湖を振り返ると、ウンディーネはバシャバシャと水しぶきをたてて、楽しそうに泳ぎ回っている。ナディアは安心して、ソフィーとセラフィナと共に、邸宅へ戻って行った。

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