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12話

翌日もナディアは塞ぎ込み、部屋に引きこもっていた。ソフィーが食事を運んできたが、ナディアは布団を頭から被ってソフィーと顔を合わせなかった。




「ナディア様、私は庭園におりますので、何かございましたら名前を呼んでくだされ。飛んで参ります」




ソフィーはそう言うと、一礼して部屋を出て行った。ナディアは布団から顔を出し、鏡を見る。目がパンパンに腫れてひどい隈ができていて、青白い顔をしている。




「こんな顔をソフィーに見られたら、心配して事情を聞かれるわ」




花瓶に生けているミモザとライラックの花に目を向ける。




「本当に離婚したら、旦那様だけじゃなくて、ウンディー、セラフィナ、ディランさん、この邸の人みんなに会えなくなるわね。あんなに良くしてくれたのに。ソフィーはどうするかしら。ここに残った方がいいに決まってるわね。シュペルツ家には戻れないし、男爵夫人でも令嬢でもなくなる私についてきても良いことは何もないもの」




常に傍にいて、使用人同然だった自分を令嬢として扱ってくれ、今もナディア様と慕い、仕えてくれているソフィーとも離ればなれにならないといけない。そう考えるだけで、また涙がこみあげてきた。








「主、そんな顔では他の者に示しがつかない」




自室の全身鏡の前で、もたもたとスーツに腕を通しているレイヴノールに、ディランが呆れた顔を向けた。目が腫れて隈がひどく、サファイアの瞳も曇っているレイヴノールに、ディランは丁寧に折り畳まれた濡れタオルを渡した。




「これで目を冷やしてくれ。多少はましになるはずだ」




レイヴノールは受け取り、目の上にタオルを乗せた。




「ありがたいけど、仮面被らせてくれー。営業スマイルはできそうにない」




「素顔をさらしたのに、今更被ったら変に思われるだろう」




「そうだけどさー。はあーっ」




肩を落として深い溜め息をつくレイヴノールの背中をディランはバシッと叩く。レイヴノールはタオルを取って、恨みがましい目でディランを見た。




「痛いじゃないか!」




「シャキッとしろ。話して楽になるなら話してくれ。セラフィナとウンディーネも、主とナディア様のことを心配していた。ソフィーは主のせいでナディア様が塞ぎ込んでいると思い込んで、主に怒りをぶつけようとしていたぞ」




「うっ、それはまずい。もしかしてリビングルームのドアはソフィーのせいなのか」




「ああ」




「皆には悪いが、俺にもナディアが何故あんなことを言い出したかよく分からないんだ。ナディアの気持ちを知るまでは話せない」




「主とナディア様で話をする必要があるな」




「そうだが、ナディアと話す勇気が出ない……」




「意気地なし」




ディランの一言に貫かれたレイヴノールはがくっと膝を折る。




「ぐはっ。追い打ち……。今は、やめてくれ」




「そろそろ時間だ。行かねば」




ディランはレイヴノールを支えてエントランスに向かって歩き出した。




エントランスホールに向かうと、困惑している侍女長の声が聞こえてきた。




「お、お待ちください。当主様のお伺いを立ててからご案内致しますので」




扉の前で、扇子を片手にふんぞり返っているタリアに、侍女長が頭を下げている。その周りに騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まり、おろおろと顔を見合わせている。階段を下りてきたディランとレイヴノールに気付いた使用人が次々に頭を下げた。




「何事だ?」




レイヴノールが近くの使用人に声をかける。使用人は頭を少し持ち上げ、タリアの方に目を向けた。




「それが、奥様の妹君様が突然来られて‥‥‥」




「ちっ。面倒な」




レイヴノールが憎しみのこもった目でタリアを睨みつける。使用人はビクッと肩を震わせ、深々と頭を下げた。




「何よ、妹なんだからいつ来てもいいじゃない。早く姉に会わせなさいよ」




「で、ですから」




「使用人のくせに口答えするなんて、生意気よ!」




タリアが扇子を侍女長に振り下ろそうとしたとき、ディランがさっと現れ、タリアの腕を取った。顔を上げた侍女長は青ざめた顔でディランを見て振り返る。ゆっくりとタリアの方に歩を進めているレイヴノールを見て、更に顔が青ざめ、レイヴノールの方に向き直って深々と頭を下げた。




「ちょっと、痛いじゃない! 離して!」




タリアが顔を目を吊り上げてディランを睨む。ディランはタリアの腕を掴んだまま、レイヴノールの方を振り返る。




「離してやれ」




ディランはぱっと腕を離し、レイヴノールの背後に控える。タリアははっと顔を赤らめ、スカートを持ち上げ、レイヴノールの前に恭しく頭を下げた。




「ハウゼン男爵様、ごきげんよう」




レイヴノールは、無表情で冷たい眼差しをタリアに向けた。




「タリア嬢、事前の申し入れもなく来られて、どうされたのですか?」




頭を上げたタリアは、口元に手を添え、瞳をうるませて上目遣いで見上げた。




「お姉様がいなくなってえ、寂しくてえ、会いたくなってしまったんですう」




レイヴノールはこめかみをピクッと動かし、眉を寄せる。




「そんなに姉思いだとは知りませんでした」




「たったひとりの姉ですものお」




「ですが、ナディア嬢は今寝込んでおいでです。日を改めてお越しください」




レイヴノールがタリアの横を通り過ぎようとするが、タリアはレイヴノールの袖の裾を指先で掴み、今にも泣きそうな表情を浮かべた。




「ハウゼン男爵様、姉に会う代わりに姉の様子を教えて頂けませんかあ? あの不器量な姉が上手くやれているか心配なんですう」




レイヴノールは更に眉を寄せ、ギリッと音が聞こえるほど歯を食いしばる。腕を振って、裾を掴むタリアの手を払いのけた。




「ナディア嬢はあなたなんかよりよっぽど器量が良く、美しい。ナディア嬢の妹とはいえ、口と態度を慎んでもらいたい。即刻お引き取りを」




愕然として青ざめたタリアは、足の力が抜けてその場にへたりこんだ。




「行くぞ、ディラン」




レイヴノールはタリアに目もくれず、ディランと共に外へ出て行った。




「な、何よ、何なのよ。この私にあの態度! 私よりあの亡霊が美しい? そんなことあるわけないわ!」




怒りに震えながらタリアは立ち上がる。




「申し訳ございませんが、当主様の仰る通りに」




侍女長がエントランスの扉へ手のひらを向ける。その周りを他の使用人たちが取り囲み、一斉に頭を下げた。




「あんたたち、何なのよ、その態度は! 私はシュペルツ侯爵令嬢よ!」




タリアは侍女長と使用人たちを睨みつけると、ドレスの裾を持ち上げる。使用人たちの間を潜り抜け、二階へ続く階段の方に向かって走り、駆け上がっていった。




「お待ちください! みんな、追うのよ!」




「はい!」




侍女長と使用人の声がエントランスホールに響き渡る。






「どこよ、亡霊の部屋はどこ!」




タリアは手あたり次第に部屋の扉を開けながら、廊下を走り抜けて行った。






ベッドの上で布団にくるまって目を閉じているナディアは、誰かが廊下を走る音が近づいてきている気がして体を起こした。




「誰かしら。ウンディー?」




ドアを見ていると、突然勢いよく開かれ、息の上がったタリアが部屋に入ってきた。目をつり上げて乱れた巻き髪を揺らしながら、ナディアの方へずんずん近付いて来る。




「ここにいたのね!」




「タリア!」




ナディアはベッドから出て、タリアと向き合う。悪魔のような形相で怒りをあらわにするタリアに、ナディアは体の震えが止まらなくなる。




「離婚はどうなったのよ!」




「は、話したわ。でも、旦那様は離婚できないって。これからちゃんと話そうと」




タリアは扇子でナディアの頬を叩く。




「きゃっ!」




ナディアは頬を押さえて床にしゃがみこむ。




「あの男、私の可愛さに目もくれないなんてどうかしてるわ。私よりあんたの方が美しいって、おかしいわよ!」




タリアはナディアを、バシバシと扇子で叩き続けた。




「もしかしてあんた、私の悪口を吹き込んだんじゃないでしょうね。そうなんでしょ! そうとしか考えられない! 最低!」 




「ち、違うわ。そんなこと、言ってない」




タリアは手を止め、はー、はーと肩を上下させ、ナディアを見下ろす。




「もういい。いくら美形だからって私になびかない男はいらないわ」




タリアはフリルの袖から、母とナディアの絵が描かれた紙を取り出す。ちらっとサイドテーブルに目を向け、そこに置いてある絵本を手に取った。




「あっ、それは!」




立ち上がって手を伸ばすナディアを、タリアはさっと避ける。




「紙切れと子どもっぽい絵本がそんなに大事?」




「返して!」




「最低で約束も守れないあんたに返すわけないじゃない。私もいらないし、捨てるしかないわね」




タリアはすたすたと窓際へ歩いて行き、扉を開けてテラスへ出る。ナディアも慌ててテラスへ出ると、タリアが肖像画の紙と絵本を指先で摘まみ、柵の外に突き出していた。




「お願い、やめて!」




腕を伸ばして走ってくるナディアを横目に、タリアはパッと指を離した。




「あぁっ!」




ナディアは落ちていく紙と絵本を掴もうと、柵から体を乗り出して腕を伸ばす。




「あらぁ、残念。あんたも一緒に落ちちゃえばいいのよ」




タリアがほくそ笑んでナディアの足を持ち上げる。ナディアの体はふわっと浮いて柵から飛び出し、石畳めがけて落下していった。




「キャーッ!!」




目を閉じるナディアの耳に、ソフィーの呼ぶ声が聞こえたような気がした。それを最後に、ナディアはふっと意識が遠のいていった。








騒然とするハウゼン邸をしれっとした顔で抜け出したタリアは、自宅に向かう馬車の中で地団太を踏み、金切り声を上げた。




「きぃーーーっ! あの男も、亡霊も、本当に最低! 」




タリアは怒りの表情から一転、ふっと笑みを浮かべる。




「でも、これで本当の亡霊になったわね。あんな情けない悲鳴を上げて、はしたないわ。ふふっ、ははっ、あーっはははは!!」




タリアの高笑いが馬車の外まで響き、御者がビクッと肩を震わせた。




「当然の報いよ。今度はあの男をどうにかしないと、気が治まらないわ」




タリアは憎しみのこもった眼差しで宙を睨む。扇子で顔を仰ぎながらふーっと息を吐いた。




「お父様に内緒でこっそり出てきたのに、全く意味がなかったじゃない」




車窓に目を向けた時、突然馬車が急停止してガタンと大きく揺れた。タリアは前の席にぶつかり、鼻を強く打ちつけた。




「いったーい! 私のかわいい鼻が曲がったらどうしてくれるのよ!」




タリアが御者に向かって叫ぶと、外から御者の叫び声が聞こえた。




「な、何よ? どうしたのよ!」




馬車の扉が勢いよく開き、ローブを被った男がタリアを地面に引きずり出した。




「キャーッ! こ、この無礼者! 私を誰だと思ってるの!」




「無礼者はお前だ!」




男の後ろから、子供の声が聞こえてきた途端、タリアは水の膜に覆われ、息ができなくなった。水の中でもがいて声を出そうとしてもゴボゴボと空気が抜けていくだけで、タリアは慌てて口を塞いだ。だんだん息が苦しくなってきて体の力が抜けていく。男が手をタリアの方に向けると、水の膜はパチンと割れ、びしょ濡れになったタリアは地面に這いつくばり、ゴホゴホと咳き込んだ。




「次は私の番ねぇ」




深紅の炎を身にまとった、人を乗せられるほど大きな紅い鳥が、鋭く尖った漆黒のくちばしをぐわっと開ける。




「ひいっ!」




くちばしから炎が噴射され、怯えるタリアを包み込んだ。




「あ、熱い! やめて! 熱い!」




タリアが腕で顔を覆って炎から逃れるように身をよじる。




「安心してぇ。熱いだけで、焼け焦げたりしないからぁ。あなたの自慢の可愛いお顔は無事よぉ」




「ナディアの方がずっと可愛いし、美人だよ! ボク、まだ気が治まらないんだけど」




「今はこの程度でいい。行くぞ」




男が鳥にまたがり、上空へ飛んでいく。その後を、スカイブルーの小さなドラゴンが追いかけていった。




タリアを包んでいた炎は消えたが、熱さと火傷のような痛みは消えず、タリアの叫び声が虚しく山中に響いた。




「ああぁぁぁぁっ!」






✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳






そよそよと風に吹かれて、黄色のミモザと薄紫、白、ピンクのライラックが踊るように揺れている。ナディアは小さな手で花を摘んで、一生懸命花冠を作ろうと奮闘している。


ぽすっと頭に何か置かれ、ナディアは自分の頭に手を乗せて笑顔を浮かべた。




「お花のティアラ!」




くすくすと笑い声がして振り向くと、ネイビーの髪色の男の子が立っていた。




「お兄ちゃん、ありがとう」




「よく似合ってるよ、プリンセス」




「へへへっ」




男の子は膝をついて、ナディアと目の高さを合わせる。ブルーサファイアの瞳が悲しげに、淡いピンク色のナディアの瞳を見つめる。




「僕、お父様とお母様と一緒に、外国へ行くことになったんだ」




「えっ、遠くに行っちゃうの?」




「うん」




「イヤよ! お兄ちゃんとずっと一緒に遊ぶんだもん!」




ナディアが抱き着くと、男の子はそっと抱きしめてくれた。




「大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから。しばらく会えなくなるけど、手紙も送るよ」




ナディアはポロポロ涙をこぼし、男の子を見上げる。




「本当に? わたしのこと、忘れない?」




「うん。ナディアも、僕のこと忘れないでね」




男の子はブルーサファイアの瞳を潤ませ、無理に笑顔を浮かべる。




「忘れるわけないわ!」








花畑から港に場面が変わり、巨大な船に乗り込もうとしている男の子の後を、ナディアが走って追いかけてきた。




「お兄ちゃーん!」




「ナディア!」




男の子はタラップを急いで下りて、ナディアのもとに駆け寄る。




「これ、手紙書いたの」




お兄ちゃんへと書かれた白い封筒を差し出すナディア。男の子は涙を浮かべて封筒を受け取り、ナディアの頭を撫でた。




「ありがとう。ナディア、絶対戻ってくるから待ってて」




「うん、待ってるわ」




ナディアの目から涙がこぼれていった。










ベッドに横になっているナディアの目から、一筋涙が流れ落ちる。その横で椅子に座っているレイヴノールが、指で涙を拭った。




「ナディア……」




ナディアの瞼がピクピクッと動き、ゆっくりと目が開かれる。




「ナディア!」




横を向くと今にも泣きそうな顔のレイヴノールが見え、ナディアは上体を起こした。




「旦那様?」




「ああ、よかった!」




レイヴノールはナディアに抱き着き、安堵する。ナディアはどぎまぎして瞬きを繰り返した。




「あ、あの、旦那様」




レイヴノールは我に返ってナディアから離れ、顔を赤らめた。




「ごめ、あっ、すいません。つい、嬉しくて」




「えっと、私、テラスから落ちて、あらっ?」




手足や顔を触るが、どこも怪我をしておらず、ナディアは首を傾げる。




「ソフィーが助け……ではなく、ソフィーから聞いたところによると、運よく無傷で助かったそうです。1日、目を覚まされなかったので心配していたのですが、良かったです」




目の下に隈ができ、青白い顔をしたレイヴノールを見てナディアは、はっと口元に手を当てた。




「もしかして、寝ないでずっとここにいらしたんですか?」




「はい」




「申し訳ございません、私のために……」




ナディアは深々と頭を下げた。




「顔を上げてください。ナディア嬢が謝ることではありません。あのクソ…ではなく、タリア嬢のせいでこんな危ない目にあったことはソフィーから聞きました。これはとても大切なものなのですよね」




レイヴノールが、元通り綺麗な状態の絵と絵本をディアに渡す。ナディアは受け取ると、ギュッと抱きしめた。




「ありがとうございます! これは、母の愛を信じることができる唯一の宝物なんです。タリアにとられて、離婚しろと迫られていて……」




「なるほど。そういうことだったのですね。じゃあ、離婚は」




ぱっと表情が明るくなるレイヴノール。だが、次のナディアの一言で一気に暗い表情に変わった。




「でも、離婚したいと言ったのは私の意志でもあります」




「ど、どうしてですか。私に不満があれば何でも言ってください」




「いえ、旦那様に不満なんて何もありません。私のせいなんです」




「この間話してくれた、呪いのせいですか?」




頷くナディアに、レイヴノールは困惑の表情を浮かべた。




「今はお話できませんが、私には結婚を続けないといけない理由があります。もう少し体調が戻ってから、話しましょう。今はゆっくりお休みください」




レイヴノールは気落ちした様子で部屋から出て行った。




ナディアはなんだか悪いことをしたような気持ちになり、静かに閉められたドアを見つめた。

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