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1話

黄色のミモザの中に、薄紫、白、ピンクなどのライラックが咲き誇る花畑に、背中まで届く癖のない黒髪をそよ風になびかせている少女が、ひとり立っている。




「ナディア」




少女から少し離れた所に、少女と同じ艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美しい顔立ちの女性が、ピンクローズの瞳を細めて柔らかい笑みを浮かべている。




「お母様!」




ナディアと呼ばれた少女は、無邪気な笑顔を浮かべて母のもとへ駆け寄って行く。


ナディアが母に抱きつくと、母も優しく抱き締めてくれる。ナディアは淡いピンク色の瞳を輝かせて、母の顔を見上げた。




「ナディア」




後ろから声をかけられ振り向くと、ナディアより年上に見えるネイビーの髪色の少年が笑みを浮かべて両手を広げている。ブルーサファイアの瞳が日差しを受けて宝石のように輝いて見える。




「お兄ちゃん!」




ナディアは手を伸ばして駆け寄ろうとするが、少年は煙のようにすうっと消えてしまった。辺りを見回すと、いつの間にか母の姿もない




「お母様―、お兄ちゃーん!」




いくら声を上げても2人は姿を現さなかった。花畑に雨が降り始め、雷が鳴り響く。近くに落ちた雷によって地面にひびが入り、ナディアの立っている地面が崩れ落ちていった。




「キャーッ!」




ドシン!




つぎはぎだらけの寝巻を着たナディアが、ベッドの上から床に落ちた。




「いたたた。嫌な夢をみた気がするわ」




ナディアは床から立ち上がり、一緒に落ちた薄い布団と、寝巻きをはたく。


小さな窓を開けると、春を告げる暖かい風が入ってきて、ナディアの真っ白な髪を撫でる。


窓の外には噴水のある広い庭園が見える。




ナディアは立派な邸宅からは想像できない、古ぼけた狭い屋根裏部屋を見回した。


ボロボロの机と椅子、縦長の細いクローゼット、脚がカタガタで引き出しの取っ手がとれたサイドテーブルと、今にも壊れそうな古ぼけたベッドしかない。




扉が閉まりきらないクローゼットを開け、着古された使用人服を取り出す。それに着替えてから机の上に置いてある絵本を手に取り、首にかけたサルディーヌ帝国の建国神、女神リディスを模したネックレスを握りしめて目を閉じ、日課の朝の祈りを捧げた。




「お母様、リディス様、おはようございます。今日も無事に過ごせますように」






厨房での朝食作りに、廊下の掃除、身支度の手伝い、慣れない使用人の仕事を強いられるようになって15年。ナディアはそれなりに仕事をこなせるようになってきた。




「あっ、見て、タリアお嬢様よ」




少し離れた場所で窓ふきをしている使用人の声が聞こえ、ナディアは窓の外を見た。


この邸宅の主であるシュペルツ侯爵の次女、タリア・シュペルツが、輝く金髪を揺らしながら門の外へ向かっている。




(あんなに髪を揺らしていたら、すぐカールがとれてしまうかも。せっかく何回もやり直したのに……)




さっきまで、タリアが満足いくまで何回もあの金髪を縦ロールし直していたナディアは、帰宅後タリアから文句を言われる未来を想像して溜め息をつく。




「なんて美しい金髪。それにあの可愛らしい笑顔。亡霊様とは大違いね」




「聞こえるわよ。あれでも一応タリア様の姉なんだから」




ナディアの方を見ながらくすくす笑う使用人の声は丸聞こえだ。


何も言わずバケツと雑巾を持って一階に移動しようとした時、他の使用人の声が聞こえてきた。




「お前達、仕事中ではないか。無駄話はやめなされ。それに、亡霊様ではなくナディアお嬢様とお呼びするのじゃ」




ライトグリーンの肩までつくサラサラの髪に、エメラルドグリーンの瞳をした使用人は、腕を組んで目を吊り上げ、愛らしい顔には似つかわしくない形相で、目の前の2人を睨み付けている。




「ソフィー、なによ偉そうに。皆言っていることじゃない」




「そうよ。ていうか、前から思ってたけど、あなた女なのに何でそんなしゃべり方なのよ」




「もしかして、年寄りの霊でもとりついているんじゃないの?」




「亡霊様にはお似合いね」




キャハハハと笑い合う使用人を呆れた顔で見たソフィーは、ふんと鼻を鳴らして通り過ぎる。


どこからか風が吹いてバケツが倒れ、廊下は浸しになってしまった。




「ナディアお嬢様、私がお持ち致しますぞ」




バケツを倒した犯人を互いのせいにして騒いでいる使用人達に目もくれず、ソフィーはナディアの持つバケツを軽々と持ち上げた。




「ありがとう、ソフィー。あと、私のことで他の人を怒らないでいいからね。こんな髪色で使用人みたいなことをしているんだから、皆が言っていることは正しいわ」




「何を仰います。ナディア様はれっきとした侯爵令嬢なのですぞ。本当はこんなことしなくてもよいのでございます」




「いいの。亡霊ってわたしにぴったりでしょ。ソフィー以外話しかけてくる人は誰もいないわ。ソフィーが来るまでは皆に無視されてひとりぼっちで、自分でも生きているのか死んでいるのか分からない時があったの。自分で分からないとか意味不明でしょ。こんな根暗ぼっちなんか放っておいていいのよ……」




ぶつぶつしゃべりながら階段の踊り場の隅っこにうずくまるナディア。




「ご自分で言っておきながら、暗くならないでくださいませ」




「どうせ私は亡霊よ。亡霊(令)嬢、なんてね」




「ナディア様、さすがに笑えませぬ。どうぞ、お立ちなってくださいませ。天気もよい……」




ナディアが踊り場の窓から空を見上げると、遠くに黒雲が広がっているのが見えた。




「私の心よりは、晴れているわね」




「……」




ソフィーは無言でナディアの手を引き、階段を下りて行った。






夕方から雨が降りだし、雷も鳴り始めた。


タリアは社交パーティーに出かけるため、ナディアと他の使用人達にドレスや化粧、ヘアセットなどの準備をさせている。




「今日のパーティーは仮面男爵が来るんだから、いつもより気合入れて可愛くしてちょうだい」




猫のように大きくてつり上がりぎみのブラウンの目を片方閉じて、まつげのカール具合を確認しながらタリアが命じた。大粒のガーネットの宝石があしらわれたネックレスをタリアの首につけている使用人が、羨望の眼差しを向ける。




「あの噂の仮面男爵様ですか? お会いできるなんて羨ましいです」




「そうでしょ。遠目から見たことあるけど、身長が高くて、仮面に隠れていない口元が色っぽかったわ。今日は一緒に踊って、私の虜にさせるんだから」




「どんなご令嬢よりもタリア様が一番輝いていますよ」




「当然よ」




「タリア、所詮男爵なんだからお遊び程度にしときなさいね~」




紫を基調に、金銀に輝く宝石をちりばめたタイトで胸を強調する大胆なドレスを着たライラが、タリアの部屋に入ってきた。




「分かってるわよ、お母様。今日のドレスも素敵ね」




「ありがとう~。でも、パーティーで一番輝くのは今日もあなたでしょうね~。朝帰りも程々にね~。侯爵令嬢なんですから~」




鏡を見ながら、夜会巻きした金色の髪を撫でてタリアは満足そうに頷く。




「はあい。可愛すぎる私が悪いのよね。皆、私を放っておかないんですもの。求められたら拒否するのもかわいそうじゃない」




「そうよね~。まあ、他の令息みたいに、男爵があなたに夢中になっちゃったら遊んであけないと失礼よね~」




ライラは真っ赤な口紅をさした腫れぼったい唇を引き上げ、笑みを浮かべる。




「やだあ、お母様ったら」




タリアとライラが高笑いをするなか、ナディアはタリアの髪に言われた通り髪飾りをつけることに集中していた。




「いたっ! もうっ、ちゃんとしてよ。朝のヘアセットも何回もやり直しになるし、ほんと、どんくさい」




「ご、ごめんなさい」




「ほら、手を出して」




ナディアがおずおず両掌を前に出すと、タリアは扇子でピシャリと叩く。


他の使用人がくすくす笑い、ライラは虫けらを見るような目でナディアを見て、呆れたように首を左右に振った。




「今は時間がないからこれだけね。帰ったらちゃんとお仕置きしてあげるから」




耳元でタリアに囁かれ、ナディアはビクッと肩を震わせた。




「タリア、そろそろ時間よ~」




「急がなきゃ」




バタバタと出て行く2人の後ろ姿を、他の使用人と同じく頭を下げて見送りながら、先程叩かれた掌にフーッと息を吹きかけ深い溜め息をついた。








ナディアに与えられた屋根裏部屋では雨の音が余計に響き、雷の音も大きく聞こえる。ナディアはベッドの上で薄い布団を頭から被り、ブルブル震える体を両腕で抱え込んでいる。




コンコン。




雨の音に混ざってドアをノックする音が小さく聞こえる。


毛布を被ったままドアを開けると、心配そうな顔のソフィーが立っていた。




「ナディア様、入ってもよろしいでしょうか?」




「ソフィー! 来てくれたの」




ナディアはソフィーを部屋に入れ、体を震わせたままベッドの縁に腰掛けた。




「怖い。震えが止まらないの。雷の日はあのことを思い出してしまうの。もう、本当の亡霊になりたい。何で私なんかが生きてるの……」




布団の上からソフィーにそっと抱きしめられたナディアは、暖かい春風にふわっと包まれる心地がした。




「大丈夫ですぞ、ナディア様。私が傍におりますぞ」




ピカッ、ドーン!




雷が光り、近くに落ちる音がした。


ナディアの体がビクッと震える。




その直後、




カラン、カラン。




タリアの部屋に繋がる呼び紐に結ばれた鐘が、乾いた音を立てた。




「タリアだわ。帰ってきたのね。……行かなくちゃ」




「私が代わりに参ります」




「いいの。ここにいるよりはましだと思うわ。ソフィーは早く休んでね」




ナディアは、布団を脱いで震える足でドアを開ける。ソフィーに名前を呼ばれた気がするが、聞こえないふりをしてドアを閉めた。








「ちょっと、遅いじゃない。どんくさすぎるわ」




眉間にシワを寄せたタリアが、普段より1オクターブ低いトゲトゲした声で咎めてきた。




「ご、ごめんなさい」




「はぁー、あんたっていつも謝ってばかりね。余計イライラする」




ヒールの爪先で床をトントン、トントンと叩くタリアは、俯いているナディアの顎を扇子でくいと持ち上げた。




「ねえ、髪飾り、つけ間違えたでしょ。一つだけドレスの色に合わない色が混じってたんだけど」




「私は、言われた通りにやっただけ……」




「言い訳しないでくれる? この私が声をかけたのに、仮面男爵に無視されたのよ。何が原因か分かるかしら?」




「い、いいえ」




「あんたが髪飾りを間違えたせいよ。それ以外考えられない。こんなに愛らしい私に声をかけられて、振り向かない男はいないのよ」




タリアはヒールの尖ったかかとで、ナディアの薄汚れた右足の靴の爪先を踏みつけた。




「痛いっ」




「痛いですって? 私の心の方が痛いわよ!」




踵をぐりぐりと押し付け、ナディアは歯をくいしばって耐えるが、堪えきれず膝をつく。


ようやくタリアは踵をどかし、今度は扇子でナディアの頭をバシン、バシンと叩いた。




「もう、二度と、こんな間違い、しないわよね!」




「し、しないわ」




ナディアが肩を震わせて呟く。




「もしかして泣いてるの~? 泣きたいのは私なんだけど。無視された私も、私の魅力に気づけない仮面男爵もかわいそうで泣けてくるわあ。それもこれも全部あんたのせいよ!」




タリアは、バシンと扇子で強くナディアの頭を叩いた。




「はあー。もういいわ。あんた見てても気分悪くなる。さっさと出てって」








ナディアが足を引きずりながら階段に向かっていると、どこからかソフィーが駆け寄ってきた。




「ナディア様、足をお怪我されたのですか?」




「ちょっとね」




「お部屋までお運び致しますぞ」




「キャッ! ちょっと、ソフィー」




ソフィーはナディアを横抱きにして、廊下を歩き、階段をスタスタ上って行く。


自分と変わらない身長で、細い腕のどこにこんな力があるのか、ナディアは不思議になる。






「ナディア様、失礼致しますぞ」




屋根裏部屋のベッドにナディアを座らせたソフィーは、ナディアの右足の靴を脱がせた。


親指と人差し指が腫れ上がり、血が滲んでいる。




「お痛わしい」




ソフィーはエプロンのポケットから軟膏を取り出し、塗ってくれる。




「し、しみる…」




「面目ございません。やはり私が行くべきでございました」




「いいのよ。あなたが行ってもどうせ私も呼ばれたわ。ねえ、どうしてソフィーは私なんかに良くしてくれるの?」




ナディアは以前から疑問に思っていたことを口にした。




「私はナディア様を主としてお仕え致しているのですぞ。当然のことでございます」




「雇っているのはお父様でしょ。こんなみすぼらしい主なんていないわ。すぐへこむし、暗いし、こんな見た目だし、いいところなんてひとつもない。やっぱり私は亡霊(令)嬢なのよ」




「いいえ。ナディア様のように輝いている方は他におりませぬ」




「ソフィーは私を買い被りすぎてるわ」




ナディアは目頭が熱くなるのを感じて、唇を噛みしめた。




「もう私に構わないで」




「それはできませぬ」




「私は、呪われているのよ。私の大切な人は皆、私のせいで命を落としてしまう。お母様も、幼い頃の友人も、私のせいで亡くなったのよ。だからこのままだとソフィーも!」




ソフィーはナディアの両肩にそっと手を添える。




「大丈夫ですぞ。私は絶対にナディア様のお傍を離れませぬ。私を信じてくださいませ」




ナディアは、ソフィーのエメラルドグリーンの瞳を見つめていると、ネガティブな思いが風に吹かれて飛んでいくような気がした。




「……ソフィーに言われたら大丈夫だって思えてきちゃうわ」




ソフィーが優しく微笑む。その笑顔に母が重なって見えたナディアは、足を引きずってキャビネットまで行き、一番上の引き出しから本を取り出してソフィ―に見せた。




「これね、お母様が亡くなる前に、大切にしてって渡してくれた手作りの絵本なの」




中身をめくってソフィーに見せる。柔らかいタッチで描かれた少女の絵が描いてある。




「本当はね、お母様が描いてくれた、私とお母様の絵が挟まっていたんだけど、ちょっと前に失くしてしまったの。リディス様に毎日祈ってお願いしながらずっと探しているんだけど、全然見つからなくて。私のせいなんだけど、未だに立ち直れないの。本当、私ってなんでこうなんだろう」




「私もお探し致しますぞ」




「ソフィーが力になってくれたら、見つかる気がしてきたわ」




ナディアは微笑み、絵本を抱きしめた。




ゴロゴロゴロ




雷の音に体を震わせるナディアをソフィーはベッドに寝かせ、夜が明けるまでベッドの脇でナディアの手を握り続けた。

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