『第2章:フラグメント・ログ』第4話
荒野に落ちる夕陽が、辺り一面を鉛色のグラデーションで染め上げていく。
任務を終えたアルネは、仮設された小型シェルターの簡素なベッドに横たわっていた。
疲労は肉体には蓄積しているはずだが、精神的な疲弊というものは、もう彼女には存在しない。
ログを確認し、明日の起動シークエンスをARISAに指示した後、彼女はただ、目を閉じていた。
深い眠りではなかった。意識の淵を漂うような、薄いまどろみ。
その曖昧な世界の中で、景色がゆっくりと形を成し始めた。
そこは、柔らかな日差しが降り注ぐ、広い草原だった。
一面に白い花が咲き乱れ、風に揺れるたびに、甘く優しい香りが満ちる。
アルネは、その草原の中に立っていた。かつて見たことがあるような、いや、夢の中で何度も反芻したような光景。
「お姉ちゃん!」
高く、澄んだ声が、風に乗って聞こえた。
アルネは声のする方へ振り向く。
そこに、一人の幼い少女が立っていた。
白いワンピースを身にまとい、その髪は夕陽を受けてキラキラと輝いている。
少女は、満面の笑みでこちらを見上げ、小さな手を精一杯に伸ばしていた。
顔は、思い出せない。
声も、確かに聞き覚えがあるのに、誰の声なのか識別できない。
それでも、その少女の笑顔は、アルネの心の奥底に、温かい波紋を広げていく。
感情のないはずの胸が、なぜか強く締め付けられるような、奇妙な感覚。
少女が、近づいてくる。
「お姉ちゃん、今日も戦ってるの?」
無邪気な問いかけ。
戦っている。確かに、彼女は戦っていた。
しかし、なぜ?誰のために?その問いの答えは、既に彼女の記憶から消え去っていた。
少女は、アルネの冷たい掌に、小さな花飾りのような祈装コードをそっと乗せた。
掌のコードが、温かく脈動する。
それは、現実でアルネが握りしめていたものと寸分違わない、あの冷たい金属の塊のはずなのに。
「……これ、お守りだよ。お姉ちゃんが頑張れるように、万凜が、ずっと祈ってるからね。」
──真凛。
その名が、微かな反響となってアルネの意識を揺らす。
どこかで聞いたことがある、大切な誰かの名前。
でも、それが誰なのか、どうしても思い出せない。
少女の笑顔が、ゆっくりと霞んでいく。まるで、水面に映った像が、風で波立つように。
「……忘れないで……お姉ちゃん……」
遠ざかる声。消えゆく笑顔。
アルネは、その消えていく光景を、ただ見つめることしかできない。
伸ばした手は、何にも触れられず、虚空を掴むだけだった。
――夢だった。
アルネが目覚めると、シェルターの内部は、既に夜の帳に包まれていた。
微かに揺れる灯りが、彼女の顔を照らす。その頬を、一筋の冷たい雫が伝っていた。
涙。
感情を失ったはずのアルネの瞳から、なぜか涙が溢れていた。
なぜ泣いているのか分からない。何に対して悲しんでいるのかも、理解できない。
ただ、胸の奥底で、何かが確かに軋む音を立てていた。
その軋む音は、失われた記憶の断片が、彼女の意識の淵で、もがき続けているかのようだった。