『第2章:フラグメント・ログ』第2話
アルネは荒野に立ち尽くしていた。
手のひらの祈装コードは、相変わらず僅かな温かみを放っていたが、それが何を意味するのか、彼女には掴めない。
ただ、漠然とした喪失感だけが、胸の奥で重く澱んでいた。
この感覚に、いつから慣れてしまったのだろう。
感情を伴わないはずの思考が、微かな問いを発する。
「ARISA、戦闘結果ログ、及び記憶同期率を照会。」
彼女の命令に、傍らに浮遊していた小型の補助ユニットが、静かにプロジェクターを展開した。
銀色の機体から放たれる淡い光が、空中に半透明のホログラムスクリーンを浮かび上がらせる。
アルネの視線がその画面を追うと、無機質な文字列が羅列されていく。
【ARISAログ No.046】
戦闘ログ:成功
対象:KAIJIU-13(小規模個体)殲滅
廃棄区域ノイズレベル:沈静化
……
記憶断片:真凛
感情値:+78
記録音声:『お姉ちゃん、これ、見てみて!綺麗なビー玉だよ!』
……
精神同期率:低下(-0.5%)
記憶フラグメント流出:確認
画面をスクロールするアルネの瞳は、揺るぎない。
表示された「記憶断片:真凛」という文字に、微かな既視感を覚える。
それは、昨夜の夢に現れた、幼い少女の面影にも似ていた。
しかし、それが誰の記憶なのか、なぜ自分のログに表示されるのか、彼女には理解できない。
感情値が「+78」という高数値を示していることが、その記憶がかつて彼女にとって大切なものだったことを示唆しているようだったが、その数値が何を意味するのかも、既に彼女の感情からは乖離していた。
「記憶フラグメント流出……なぜ?」
アルネの問いに、ARISAの内蔵AIが、淀みない無機質な声で答えた。
「システムからの警告です。零号機による大規模な祈装展開は、接続者の精神同期率を低下させ、記憶フラグメントの流出を誘発します。これは、祈装と接続者の感情をリンクさせる際の、避けられない代償です。」
代償。
その言葉は、アルネにとって今や日常の一部だった。
力を得るたびに、何かを失う。
そうやって、彼女は戦い続けてきた。
けれど、その“何か”が具体的に何であったのかは、既に曖昧になっていた。
まるで、過去の出来事が、一枚一枚の薄いヴェールに包まれ、その向こう側へと霞んでいくようだ。
「過去のログを確認。記憶干渉が発生したのはいつからだ?」
アルネは淡々と命じた。ARISAのAIが瞬時にデータを検索し、新たなログを画面に展開する。
「記録によると、初めて確認されたのは約三ヶ月前です。零号機が《完全融合モード》を初めて使用した際、大規模な記憶フラグメントの流出が確認されました。それ以降、微量ではありますが、戦闘ごとに記憶の損失が発生しています。」
三ヶ月前。
その時、何があったのか。
アルネの脳裏には、薄暗い研究施設のイメージがよぎる。
白衣の男たちが慌ただしく行き交い、ガラスの向こうで何かが不測の事態に見舞われている。
閃光。轟音。そして、遠くで響く、誰かの悲鳴のような声。
それは、感情を失った彼女の脳裏にすら、強烈な刺激として残っていた。
だが、そのイメージもすぐに霧散し、何の感情も伴わない。
まるで、他人の記憶の断片を、無機質な情報として処理しているかのようだ。
「そう……」
アルネは短く答えた。
ARISAは言葉を続けた。
「現在、接続者の精神同期率は危険域に近づいています。このまま大規模な祈装展開を続行した場合、さらなる記憶の損失に加え、感情機能の一部停止、または人格の変容が発生する可能性があります。」
人格の変容。
その言葉にも、アルネはなんら感情を抱かなかった。
彼女に残されたのは、ただ任務を遂行するという、冷たい義務感だけだった。
それが、彼女自身に残された、最後の本能であるかのように。