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《祈装零号機 -シキガミコード:ARISA-》  作者: 中野 ポン太
『第1章:祈装コード、起動』
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『第1章:祈装コード、起動』第2話


 《エリアD-15》の中心へと近づくにつれて、空気は重く淀み、不快な精神干渉波が肌を粟立たせる。それは、《廻呪体》が放つ固有の領域展開によるものだった。

一般の隊員であれば、既に意識を保つことすら困難になるレベルだ。

だが、アルネの意識は澄み切っていた。彼女の精神は、祈装と一体化することで、この干渉波を完全に遮断していた。あるいは、既に感情というフィルターが機能していないため、不快感そのものを感じなくなっていたのかもしれない。


 「対象確認。前方、廃百貨店跡地内部。多数の反応。」


 ARISAの声に、今回は微かな金属音が混じる。

まるで、情報処理の負荷が高まっているかのようだ。


 アルネは、廃百貨店跡地の入口に立つ。かつては華やかなショーウィンドウが並んでいたであろう場所は、黒い汚泥と、ねじ曲がった鉄骨に覆われていた。

内部から漏れ出るのは、呻きとも悲鳴ともつかない、不気味な音。

 躊躇なく、アルネは足を踏み入れた。


 内部は、闇に包まれていた。わずかな光が天井の穴から差し込み、不気味な影を床に落としている。

その影の中を、蠢く複数の影があった。

それは、明らかに人間ではない。しかし、かつて人間であった名残を、歪んだ形で留めていた。


 「《廻呪体》、確認。類型、G-07。精神侵蝕型と実体顕現型の複合種と推定されます。」


 ARISAが、瞬時に分析結果を報告する。

 アルネは無言で、右腕の祈装を展開した。掌から光が溢れ、刀身が形成されていく。


 その時だった。


 最も近くにいた一体の《廻呪体》が、奇妙な動きでアルネへと襲いかかってきた。

それは、かつて人間の女性だったであろう姿を歪め、黒い液体のようなものが全身を覆い、蠢いている。その顔は、のっぺらぼうのように崩れているが、奇妙なことに、その口元だけは、何かを呟いているかのように動いていた。


 「……ア……ル……ネ……」


 耳の奥で、その声が聞こえた瞬間、アルネの動きが、一瞬だけ、本当にごく僅かだが、鈍った。

 それは、システムには認識されない、ごく微細な遅延。

 ARISAのUIには、警告すら表示されない。

 けれど、アルネの心臓が、掴まれるように強く、一瞬だけ脈打った。


 「――!?」


 体が、勝手に反応する。

 反射的に回避に転じると、廻呪体から放たれた黒い光弾が、アルネがいた場所に着弾し、分厚いコンクリートの柱を粉砕した。轟音が響き、粉塵が舞い上がる。


 「……違う、これは……」


 アルネは、自身の身体に生じた“ズレ”に、微かな違和感を覚えた。

それは、思考では捉えきれない、感情の残滓。

 煙の向こうで、廻呪体が、再び奇妙な囁きを放った。


 『――また、わたしを置いていくの……?』


 その声は、遠く、まるで何重もの膜を通して聞こえてくるように曖昧模糊としている。

しかし、確かに聞き覚えのある音の響きだった。それは、かつて自分が大切にしていた、何かと強く結びついているような。


 ARISAのUIには、まだ何の警告も表示されない。システムは正常稼働。

アルネの精神同期率も、表面上は安定している。


 だが、アルネの顔から、血の気が引いた。


 「……真凜……?」


 無意識に、その名を口にしていた。

 その名に、どんな意味があったかさえ思い出せない。

誰の名前なのかも分からない。けれど、呼んだ瞬間、心臓が掴まれるように痛んだ。

それは、肉体的な痛みではない。感情が全て失われたはずの心臓が、まるで誰かの存在を求めて悲鳴を上げているかのようだった。


 ARISAの内蔵AIが、無機質な声で告げる。その声に、僅かな戸惑いのような電子音が混じった。

 「記憶干渉が発生しています。感情値の増加により、安定率が低下しています──中断を推奨しますか?」


 「……いいえ。続行する」


 アルネの決断は、揺るがなかった。例え、何の意味も分からなくても、この戦いを終わらせる。

それが、彼女に残された、唯一の使命だったから。


 彼女は再び飛び上がり、刀身を展開した。


 ──祈りが、なければ動かない。

 ──祈りが、あれば壊れていく。


 そして彼女は、その祈りが何だったかを……もう、知らない。

 ただ、胸の奥で、確かに疼く「真凜」という名の響きだけが、失われた記憶の断片を、微かに震わせ続けていた。

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