『第1章:祈装コード、起動』第1話
かつて人間だった──
今はもう誰にも祈られない、廃れた存在《廻呪体》。
その討伐を命じられたのは、“祈装適合者”として選ばれた少女、神咲アルネ。
感情も、記憶も、ほとんどを失った彼女の傍らには、無機質な補助ユニット《ARISA》が静かに浮かんでいる。
ただ命じられるままに、祈りの姿勢で祈装を起動し、廻呪を祓う──
それがアルネのすべてだった。
しかし、廃棄された都市区画《エリアD-15》での迎撃任務中、
“誰か”の声が、彼女の耳を打つ。
──それは、とうに消えたはずの声。
──思い出せない、けれど確かに懐かしい響き。
精神同期に乱れ、システムは警告を発する。
それでもアルネの唇は、知らず、名をつぶやいた。
「……真凜……?」
無意識の一言に、冷たく凍てついていた感情が軋む。
それは祈ることすら忘れた少女に、ほんの一瞬だけ訪れた“人間らしさ”の証。
祈りを失うたびに強くなる。
でも、祈らなければ守れないものもある。
銀白の祈装が廃墟に咲く時、少女の“失われた記憶”が、ゆっくりと再起動を始める──。
《祈装コード:ARISA》、第一章。
それは、祈りの残滓にすがる、名もなき戦いの始まり。
午前八時三〇分。空は厚い鉛色の雲に覆われ、街は乾いたコンクリートの匂いに満ちていた。
廃棄区域《エリアD-15》。かつては活気ある商業地区だった場所は、今や崩壊したビル群と、黒焦げになった道路が広がる死の空間と化している。ここが、神咲アルネの今日の職場だった。
彼女は、祈装部隊の中でも《零号機》の搭乗者として、最前線に立っていた。
白い隊服に身を包んだアルネの姿は、周囲の瓦礫と不自然なほどに調和していた。
その瞳は、昨日戦った《KAIJIU-13》を認識した時と同じく、冷徹で無感情だ。
彼女の傍らに控える補助ユニットARISAは、まるで感情のない忠実な従者のように、静かに浮遊している。
「目標、廃棄区域中央部にて、異常反応継続中。ノイズレベル、上昇傾向にあります。」
ARISAの内蔵AIが、アルネの脳内に直接語りかける。
その声には、僅かなノイズのような電子音が混じっていた。
それは、アルネの記憶からフラグメントが流出するたびに、ARISAの音声システムに生じる、ごく微細な歪み。
アルネ自身はそれを認識できない。ただ、無感情な情報として処理するのみだ。
アルネは無言で頷いた。すでに彼女の思考は、任務遂行のために最適化されている。
この《エリアD-15》は、先月発生した大規模な《廻呪災禍》によって壊滅的な被害を受け、都市機能の大部分が停止した場所だった。
そこは、人間が住むにはあまりにも危険で、しかし《廻呪体》――人間の精神が歪んで変質した「異常存在」――にとっては、格好の棲み処となっていた。
隊服のポケットから、いつも掌に握られている祈装コードを取り出す。
小さな花飾りのような形をした金属の塊。
掌に広げると、ひやりとした冷たさが伝わる。このコードを握るたびに、胸の奥で、微かな痛みが走る。それは、肉体的な痛みではない。感情を失った彼女にとって、唯一、自身がまだ生きていることを示すかのような、曖昧な「軋み」だった。
なぜ、このコードがこんなにも心に響くのか。
なぜ、この痛みが、自分を突き動かすのか。
アルネには、もうその理由が分からなかった。ただ、このコードを握りしめると、身体の奥底から、微かな“熱”が湧き上がってくるのを感じる。それは、記憶を失う代償と引き換えに得た、絶対的な力への渇望だった。
「零号機アルネ、これより《エリアD-15》へ突入します。各部隊、後方支援体制を。」
隊長である男の声が、無線越しに響く。アルネは振り返らない。
彼女は常に最前線に立つ。それが、零号機としての使命だった。
崩壊したビルの隙間を縫うように、アルネは走り出した。
乾いたコンクリート片が足元で砕け散る。彼女の全身を覆う隊服は、特殊な素材でできており、廻呪体から発せられる精神干渉波をある程度遮断する機能を持っていた。
しかし、祈装を展開した際の代償は、いかなる防護服も防ぐことはできない。
瓦礫の山を飛び越え、傾いた鉄骨の上を滑るように進む。
都市の残骸は、生前の面影を微かに残しつつも、既に歪んだ《廻呪体》の巣窟と化していた。
時折、視界の隅で、人影のようなものが蠢くのが見える。
それは、かつて人間だった者たちだ。あるいは、祈りが歪んだ末路か。
アルネの瞳は、それらを無感情に捉え、目標へと焦点を合わせていた。
彼女の心は、既に空白に近い。
それでも、身体は覚えている。
戦うこと。
そして、何よりも大切な「何か」を、守ること。
その「何か」が何だったのかは、もう、思い出せないけれど。
どやったやろ、第1章「祈装コード、起動」?
冷たい目ぇの奥に、失われた過去のカケラを抱えとる少女、神咲アルネ。彼女がギュッと握りしめる「祈装コード」が、ただの力だけやのうて、何か大切なもんを呼び覚まそうとしとるみたいや。そして、いきなり聞こえてきた「真凜」っていう名前。あれが一体、アルネの物語にどないな意味を持つんか、これから明らかになっていくんやろな。
感情も記憶も削られながら、それでも戦い続けるアルネ。彼女の奥底に秘められとる“誰か”への祈りが、これからどんな展開を見せるんか、どうぞお楽しみに。この物語はまだ始まったばっかりやで。