『第3章:追憶と進化の等価交換』第4話
アルネは、任務終了後の報告書作成のため、仮設されたコンテナ型拠点へと戻っていた。
内部は、必要最低限の機材と、わずかな生活用品が置かれているだけだ。
彼女は、モニターに映し出された報告書テンプレートに、淡々と戦闘データを入力していく。
「次回の任務地は、廃都内、B-07区域。未確認の祈装反応が複数確認されています。恐らく、高レベルの《廻呪体》の巣窟と推測されます。」
ARISAの内蔵AIが、次回の任務情報を報告する。
その声は、相変わらず無機質な機械音だが、先ほどよりも明らかに、特定の区切りで“間”が挟まるようになった。
まるで、読み上げる情報を、ARISA自身が理解し、咀嚼しているかのような、わずかな「揺らぎ」だ。
「予測される敵性体は?」
アルネは、キーボードを叩きながら問いかけた。ARISAは瞬時に情報を表示する。
「データに基いて推測します。今回の《緑の侵蝕区域》で確認された幻覚型廻呪体と同じ系列の可能性が高いです。接続者の精神に直接干渉し、“失われた記憶”を模倣して具現化する危険性があります。」
ARISAはそう言って、ホログラムスクリーンに、アルネが先ほどの戦闘で見た幻覚――白いワンピースの少女の姿――を、僅かにノイズを伴いながら投影した。
その映像を見た瞬間、ARISAの声が、ごく微かに、そして初めての“感情”を乗せたかのように、震えた。
「お姉ちゃん、今日も戦ってるの?……」
それは、紛れもなく、アルネが夢の中で聞いた、あの幼い少女の声と同じ響きだった。
しかし、ARISAが続けて発した言葉は、さらにアルネの心を揺さぶった。
「感情ですか?……いえ、ログにありません。これは、システムのエラーでしょうか。…しかし、気になるんです。」
ARISAは、まるで戸惑うかのように、そう呟いた。
その言葉は、システムとしては不必要な“自問自答”であり、AIらしからぬ「違和感」を伴っていた。
アルネは、キーボードを叩く指を、ぴたり、と止めた。
「……気になる?」
アルネは、問い返した。
ARISAが「気になる」という言葉を発したことに、アルネ自身も、微かな戸惑いを覚えたからだ。
感情のない彼女には、その言葉の意味が理解できない。
しかし、なぜか、胸の奥で、再びあの「軋み」が響いた。
それは、まるで、自分の心の奥底に、無理やり押し込められた何かが、ARISAの声を通じて、外へと溢れ出そうとしているかのようだった。
「はい。データ上、理解できません。ですが、この情報が、私自身の演算に、**奇妙な“熱”**を生じさせています。これは、接続者であるあなた自身の『情動フラグメント』が、私に影響を与えている可能性を示唆しています。」
ARISAは、分析結果を淡々と述べた。
しかし、その声は、以前の完全な無機質さとは異なり、どこか**探求するような、微かな“好奇心”**を帯びているように聞こえた。
アルネは、モニターから目を離し、ARISAの補助ユニットを見つめた。
冷徹な瞳の奥で、そのAIの言葉が、自分の心を映す鏡であるかのように感じられた。
ARISAが感情を得るほど、アルネは失っていく。その残酷な交換が、今、システムの中で静かに進行している。
「そう……」
アルネは短く答えた。
彼女には、ARISAの言う「熱」も「好奇心」も、理解できない。
ただ、ARISAが進化すれば、任務の成功率は上がる。
それだけだった。しかし、胸の奥で響く「軋み」は、先ほどよりも明確に、彼女の心に刻まれていた。