『第3章:追憶と進化の等価交換』第3話
白銀の祈装が、深紅の光を帯びた刀身を振り下ろした。
咆哮を上げていた変異廻呪体は、直撃を受け、その巨体を大きく痙攣させた後、まるで内側から崩壊するように、黒い液体となって地面に溶けていく。
粘着質な液体は、辺りの植物をさらに侵食し、不気味な泡を立てながら土へと還っていった。
「対象、完全に沈黙。当該区域の精神干渉波、レベル低下を確認。任務、完了です。」
ARISAの内蔵AIが、淀みない無機質な声で報告した。
その声に、以前のような焦りやノイズは消え、完璧なシステムとしての平坦さが戻っていた。
アルネは、刀身を解除し、祈装を基本待機モードへ移行させる。
全身を覆う装甲が、吸い込まれるように掌の祈装コードへと収縮していく。
辺りに、再び雨音と風の音が戻ってきた。
任務は成功した。
この《緑の侵蝕区域》は、これで一時的に浄化されるだろう。
アルネの表情には、任務達成の喜びも、疲労の色も、一切なかった。
冷徹な瞳は、ただ目の前の状況を情報として処理するのみだ。
彼女にとって、それはシステムが示した目標をクリアしたという、極めて単純な事実でしかなかった。
「ARISA、現在の祈りの記憶、残存率を照会。」
アルネは、まるで日課のように問いかけた。ARISAの補助ユニットが、目の前にホログラムスクリーンを展開する。
【ARISAログ No.047】
祈りの記憶:残存率78%
精神同期率:回復(+0.8%)
画面に表示された数値を見て、アルネは無感情に理解した。
今回の完全展開による強化で、確かに記憶は失われた。
それは、彼女自身では悲しむことのできない、不可逆的な喪失だった。
脳裏に、昨日の夢で見た「白い花が咲き乱れる草原」の情景が、一瞬だけ蘇る。
しかし、それは、以前よりもさらにぼやけていた。少女の笑顔の輪郭は曖昧になり、声の響きも遠い。
掌に残された祈装コードの温かさも、そこから何かを読み取ろうとしても、既にその**「理由」は記録にない**。
まるで、読者がプロローグや第1章で見たはずの、あの鮮明な光景が、アルネの心の中から確実に失われているかのようだ。
かつて、その草原で、幼い少女と何を話したのだろう。
少女の名前は?
なぜ、彼女はそこにいたのだろう?
アルネの思考は、その空白を埋めることができない。
彼女の感情は、最早その「空白」に悲しみや後悔を抱くことすら許さない。
ただ、それが「失われた」という情報だけが、彼女の脳内に登録される。
感情というフィルターが消え去ったため、痛みすら伴わない、ただの“情報処理”だった。
アルネは、静かに掌の祈装コードを握りしめた。冷たい金属の塊。
しかし、そこから微かに伝わる温かさは、依然として彼女の心を、理不尽な形で軋ませ続けていた。