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《祈装零号機 -シキガミコード:ARISA-》  作者: 中野 ポン太
『第3章:追憶と進化の等価交換』
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『第3章:追憶と進化の等価交換』第1話

 都市の東側。

かつては広大な郊外住宅地が広がっていた場所は、今や緑色の奇怪な植物に覆い尽くされていた。

地面からは、脈打つ血管のような太い蔓が這い上がり、倒壊した家屋の隙間から、粘着質な胞子が舞い上がっている。

ここは、通称《緑の侵蝕区域》。今回の任務地、座標コードC-09だ。


 神咲アルネは、冷たい雨粒が頬を伝うのを感じながら、静かに息を吐いた。

雨は、世界を洗い流すかのように降り注ぎ、周囲の緑色の植物を、さらに不気味な光沢で濡らしていた。彼女の身を包む白銀の祈装は、雨粒を弾き、まるで精巧な彫刻のように完璧なシルエットを保っている。しかし、その脚部の装甲には、前回の戦闘で生じたひび割れが、修復されつつも消えずに残っていた。


 「目標、区域中央にて、精神干渉波を確認。レベル、上昇傾向にあります。これは、通常の《廻呪体》とは異なる、新しい変異種である可能性が高いです。」


 ARISAの内蔵AIが、アルネの脳内に直接語りかける。

その声には、微かな電子ノイズと共に、わずかな“警戒”のような波形が混じっていた。

それは、システムが未知の脅威を感知した際に発する、ごく僅かな“揺らぎ”であるはずだった。

しかし、アルネには、ARISAが何を警戒しているのか、理解できない。

彼女の感情は、最早そのレベルの情報すらも拾い上げられないほど、研ぎ澄まされ、あるいは摩耗していた。


 アルネは無言で頷き、雨の降りしきる中、重力制御スラスターを起動させた。

周囲の景色は、雨によって霞み、視界は悪い。

しかし、彼女の視覚センサーは、雨粒一つ一つをデータとして認識し、完璧な視野を確保していた。

緑色の蔓が絡みつく廃墟の合間を、彼女は舞うように滑空していく。


 《緑の侵蝕区域》は、かつて多くの人々が生活を営んでいた場所だ。

遠くに見える歪んだ遊具や、庭先に放置されたまま朽ちていく子供のおもちゃ。

それら全てが、廻呪によって侵され、異形の植物の一部と化していた。


 「警告。視覚情報にノイズを検知。これは《幻覚型廻呪体》による干渉です。警戒してください。」


 ARISAの声が、脳内に響いた直後だった。

 アルネの視界が、瞬間的に白くフラッシュし、次いで緑色に染まった。

 目の前の歪んだ植物の隙間から、ふわりと、白いワンピースの幼い少女の姿が浮かび上がった。

少女は、アルネに満面の笑みを向けている。

その笑顔は、かつて、夢の中で見た、あのかけがえのない少女と寸分違わない――


 『お姉ちゃん!見て!新しいお花だよ!』


 高く澄んだ声が、雨音を切り裂いて、アルネの耳に届いた。

 アルネの身体が、ごく僅かに、制御を失いかけた。脳内でシステムが警告音を発する。

これは、敵の干渉だ。幻覚だ。

そう理解しているのに、心が、勝手にその映像に吸い込まれていくような感覚に陥った。

 その少女の背後には、見慣れたリビングの景色が広がっていた。

雨に濡れた窓の外には、かつて見たはずの、穏やかな公園の風景。

まるで、過去の日常が、そのまま戦場に再現されたかのようだ。

 アルネは、その幻覚に、無意識に手を伸ばしそうになった。


 「……違う、これは……」


 思考が、数秒間だけ空白になる。

システムエラーのような、違和感。

 その刹那、幻覚の少女が、歪んだ笑顔でアルネへと向かってきた。

その小さな手には、毒々しい緑色の光を放つ、粘着質な触手が絡みついている。


 「目標捕捉。幻覚型廻呪体の核を識別。」

 ARISAが、無機質な声で告げる。しかし、その声にも、僅かな**“早口”のような焦り**が混じっていた。


 アルネは、感情を排した動作で、右腕の祈装から刀身を展開した。

銀色の輝きを放つ刀身が、雨粒を切り裂き、幻覚の少女へと向けられる。

脳裏に、斬り裂くことへの微かな躊躇が過る。

しかし、それは、彼女の記憶には存在しない感情だった。


 一閃。


 少女の幻影は、まるでシャボン玉が弾けるかのように、音もなく霧散した。

幻影の消えた場所からは、本体である緑色の粘液状の《廻呪体》が、奇妙な痙攣を起こしながら崩れ落ちていく。


 「……何だったのかしら。」


 アルネは呟いた。

脳内を駆け巡ったはずの「少女の笑顔」も「公園の風景」も、既に曖昧な霞へと変わり果てていた。

ただ、掌に残る祈装コードが、先ほどよりも強く脈打っている。

そして、心臓の奥底で、昨日よりもはっきりと、何かが軋む音を立てていた。


 ARISAのログが、脳内に表示される。

 ──精神同期率、さらなる低下を確認。

 ──記憶フラグメント流出:増加傾向。


 アルネはそれを無感情に受け入れた。慣れたことだった。

 この戦いが終われば、また、何かを失うだろう。

 そんな予感が、雨音の中で静かに降り積もっていく。


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