み
代の世界はね、まっしろしろなんだよ。
でもね、そこにお父さんがいて、お母さんがいて、比呂がいて。
■■がいたのに、いなくなって。
■■がいなくなってから。
代の世界はね、鉛筆で紙を塗り潰したみたいな色をしているの。
灯りを点けたら燃えちゃうからね、絶対に灯りは点けないんだ。
世界がなくなってしまわないように。
「ひーちゃんたち、遅いなあ」
窓のない小屋だが、小屋の隙間から外の日差しがオレンジ色に変わり始めたのを代は一人で眺めていた。いい子で一人、お留守番。代にとってはよくあることだった。
代が外に極端に出たがらない気質になったのは、留守番をすることが多かったからだろう。幼い代は、親が一緒じゃないと、外に出ることを許されなかった。
代の父と母は、よく代が何か仕出かすと怒った。怒って、怒鳴って、殴って、蹴られて。土下座をしても、許されなくて。ごめんなさいを言っても「そんな薄っぺらいごめんなさいなんかいらない」と言われて。取りつく島のない状況で、代が編み出した妙案が「そもそも怒られるようなことをしないこと」だった。
だからいい子でいることにした。勝手に一人で歩き回って、迷子になって困らせないように。お勉強ができて、成績で怒られることのないように。好きなもののないように。
好奇心を持たないように、外から目を逸らし続けた。
学校に行けば、友達なんて自然とできるものだ、なんて教わって、できた友達はただのクラスメイトだった。だから、友達を作ろうと思った。
それがどうして、こんなことに?
「ひーちゃんやはなちゃんは、わたしの友達になってくれるかな?」
なってくれないような気がした。
何故なら、もう三人は形式上「お友達」だからだ。同い年の「お友達」というレッテルが貼られている。代が欲しいのはそういう友達じゃないのに、日向辺りに「もう友達でしょ」と軽く言われて終わるような気がしたのだ。
でももう、それでいいのかな、と代は諦めていた。友達がいなくたって、死ぬわけではあるまいし。そもそも自分ですら表現のできない存在になって、と他人に要求することがどうかしているのだ。
どうして、一年前の世界に来てしまったのだろう。代は留守番で暇なので、この議題について考えることにした。脳内会議は得意だ。何せ、代は一人遊びのプロなのである。一人で完結する事柄は、他人と会話するよりスムーズにできる。
どうして一年前なのか。今日は四月六日。入学式の日だ。毎年入学式は四月六日か七日らしい。先生がそう言っていた。
ここで重要なのは、「四月六日」という日付なのか、「入学式の日」という事実なのか、である。あるいはそのどちらも、か。
「まあ、『四月六日は入学式の日』だからどっちもって考える方が自然なのかな」
ちょうど一年前にタイムトラベルした理由。たぶん、ちょうど一年前だから、何かパズルのピースみたいなものがぱちりとはまって、タイムトラベルを引き起こしたのかもしれない。
けれど、四月六日とは代にとっては入学式以外の思い出がない。保育園の入園式もちょっと前にあるけれど、大して印象に残っていない。卒園式も寂しかった思い出はない。
それはどうせみんな同じ学校に入ることがわかりきっていたのもあるが、代がまだこの保育園に思い入れを抱いていなかったからだ。何故なら代は隣の市から引っ越してきたばかりだから。引っ越す前から保育園には通っていたけれど、それも年中と年長の二年だけのこと。まだ七年しか生きていない代にとって、二年は大きいもののはずだが、あまり興味を持てなかった。
こんな淡白なところが、クラスメイトを友達だと妥協できない理由なんだろうな、と代は察していた。あんなに執着していた瑤のことも、まあ、別にいいや、と思ってしまっている。
一年前の世界。代は叔母が手縫いしてくれたピンクのワンピースを着て、入学式に出た。父も母も来てくれた。叔母が入学式のためにわざわざ用意してくれた衣装が誇らしかったことをよく覚えている。が、逆に言うと、それくらいしか覚えていない。
クラスメイトに取り立てて目立つ子はいなかったし、というかクラスメイトの何人かは保育園からの持ち上がりだから、特に新鮮味もなかった。隣の席の男の子が、挨拶をしてきたような、しなかったような……そんな曖昧な記憶しかない。
四月六日自体は代にとっては特別な日ではない。では、同じく一年後からやってきた日向とはなは?
特別な日、で思い浮かぶのはやはり、誕生日だろうか。けれど、日向もはなも、十二月生まれと聞いた記憶がある。四月とはまるで関係ない。
待てよ、誕生日? 何か引っかか──
「代ちゃん!!」
名前を呼ばれて、代はびくっと肩を跳ねさせた。大きな声で呼ばれると、怒鳴られているような錯覚に陥る。錯覚とはわかっていても、代の中にはよく刷り込まれているから、なかなか抜けない。
声と共にどたん、と開かれた扉の向こうから、代を見ていたのは、日向だった。走ってきたのだろうか。息が荒い。その後ろにいるはなは何やら顔色が悪い。
「ひーちゃん、はなちゃん、何か良くないことでもあったの?」
代が察しよくそんなことを言うと、日向はずかずかと代に歩み寄り、その肩を掴まえて、ぐいぐいと前後に揺らした。
「代ちゃん、代ちゃん、全然大丈夫じゃないよ。代ちゃんおかしいよ!!」
「え、ひーちゃん?」
「ちょっと、ひー」
はなが止めるのも虚しく、日向は代に言葉を投げた。
投げつけて、しまった。
「瑤ちゃんなんて存在しないよ!! ここは代ちゃんの夢だよ!! だって瑤ちゃんがいない代わりに、死んだはずの雅人くんがいるんだもん!!」