第5話 ~従者に10のダメージ!~
エレベーターの開いた先にはいつものナナの笑顔があった。
「お疲れ様でございました。それではお部屋へ参りましょう」
「う、うん……」
いつもの景色。花畑に囲まれた庭。
どこか目のやり場がなくて周りを見渡す。
―――あー……。あの花。なんかきれいだな……。
ふと目をやった先にある花に釘付けになって立ち止まるとナナは振り返る。
「あっ。エンジルの花が咲いています。大神様っ。この花はエンジルフラワーと申しまして滅多に花を咲かせない貴重な植物なんですよっ?」
ナナの興奮する様を見ればわかる。相当希少な場面に出くわしたのであろう。
それとも。俺の様子を見て少しでも元気づけようとしたのだろうか?
けど。
「と、とりあえず腹減ったんだよね……」
「も、申し訳ございませんっ。大神様。で、では参りましょう」
―――悪いことをしてしまっただろうか。せっかく滅多に咲かない花ってやつを見つけたのに……。でも……。そんなに嬉しそうな楽しそうな顔を見るのは正直辛い。
部屋に戻るといつもの質問が待っていた。
「お食事になさいますか? お風呂も沸いております。それともお休みになられますか? お腹が空いておられるとのことですのでお食事のご用意をさせていただきますが?」
「食事を頼みたいんだけど……」
「けど……というのは?」
―――ちゃんと言わないと……。
「ナナが用意してる間にお風呂自分で入るからさ」
「ど、どうかなされたのですか? お背中を流すのは私のお世話ですので」
―――頼むよ……。言うこと聞いてくれよ……。
「私のお世話になにか不都合でもあったのでしょうか?」
―――やめてくれ……。なにもないから言いづらいこともあるんだよ……。
「あるのであれば大神様の望むままに直しますのでっ」
―――もう……本当に。
「お、大神さ―――」
「やめろよっ!」
思わず怒鳴ってしまった。
でもすぐに冷静になった。目の前に目に涙を溜め、今にも喚き出しそうなその表情を見たからだ。
「も、申し訳ございませんでした」
深く頭を下げたナナはすぐに振り返り部屋を出ていく。
一人で風呂に入ることにした俺はすぐに湯船に入った。なんとも温い。いつもはナナが湯加減を確認していたのに。
―――なにやってんだ……俺。最低だな……。あのお姉さんに言われたからといってここまでする必要あったのか? ナナを立派な天使にすることが正義だとすれば、今俺のしていることは悪意だ。自分勝手な気持ちをぶつけて……。あんな顔……。見たいわけないだろーが……。
一人だと時間の調整がしづらい。部屋に戻りづらかったせいか少しのぼせたようだ。
着替えを済ませ浴室から出るとすでに夕食の用意が終わっていた。
のぼせたのを察したのか。グラスには温めの水が注がれる。
「ご、ごゆっくりお召し上がりくださいませ……」
「あ、ありがとう……」
あんなに美味しい料理も今日はどこか物足りない。ナナとの間に距離を置いただけでここまで違うものかとそっと目配せした。
「お、お口に合いませんでしたでしょうか?」
「いや……。さっきはゴメン……」
「そ、そんなっ。私の落ち度のせいで大神様に不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございませんでした」
「ち、違うんだよ……」
―――そうだ。違う。これは俺が望むことじゃない。でも……ナナに迷惑はかけたくない。
「い、いえ。私のお世話が至らぬばかりに……ううっ……申し訳……ございません」
溢れ出した涙を止めることはできなかったのであろう。ずっと我慢していたのもわかっていた。
女の涙はズルい。それが本気で流した涙ならなおさらだ。
ナナはその顔を見られたくなかったのだろうか。うつむいていた。
しばらくすると床に落ちる涙が途絶えた。
「ナナ……。ちょっと隣に来てくれる?」
「……は、はい」
言われた通り隣に立つナナを俺は抱き上げて膝の上に乗せた。
「お、大神様……?」
「もうお腹いっぱいだからさ。残り食べてくれないかな?」
「ほ、本当にお腹がいっぱいなのですか?」
「うん。それでこれを食べたらさ。俺が寝るまで隣にいてくれないかな?」
ナナは静かにうなづいた。
熱い鉄板に落ちる涙がジュっという音と共に消えていく。
それを見ているだけで胸が苦しくなる。
片付けも終わり俺はベッドに横たわるとナナは静かに隣へ寝そべる。
「今朝言ってた異世界の話を聞かせてあげるよ」
「よ、よろしいのですか?」
「うん―――――」
なんてことのない異世界小説の一篇だ。
現実世界でなにもできなかった者が異世界で活躍する話。
どこか古き中世を思わせる異世界で現代技術を用いてのし上がる。珍しい物に惹かれ集まった他種族との交わりと絆。いつしかそれは革命となり、一国の主として魔王軍と戦うというもの。
出来過ぎていてもそこには憧れがあり、夢があった。
現実と違う世界での冒険はやっぱりいいものだ。
ナナはその一挙手一投足に目を輝かせていた。その反応は新鮮でそして心地よかった。
「凄く楽しいお話でした。お疲れのところありがとうございました」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
なんとなく気まずい沈黙が流れる中。ナナは口を開いた。
「大神様。お話をぶり返すのは失礼を承知とは思います。で、ですが……私に落ち度があるのなら申してください。全て大神様の望むようにいたします」
「うん。あったら言うよ。本当にゴメンね?」
「い、いえ。勿体ないお言葉です」
―――そうだ。これでいい。
ナナはなにも悪くない。悪いのはナナを利用しようとした俺自身だ。安らぎや居心地を求めた自分勝手なバカな俺にナナは相応しくない。
―――ナナはちゃんとした天使になり、俺は……俺はなにに転生すれば……。
「ねえ……ナナ」
「はい。なんでしょうか?」
「な、なんでそこまでできるの?」
「そこまで……とはなんでしょうか?」
「い、いや。天使見習いって教えられたことを守るって……天使のお姉さんが」
「それはもちろんです。天使見習いは天使になる教育として守るべきことは守ります」
「そ、その……。い、嫌な客だっているだろ。変なことしてくるやつとかさ」
「わ、私は大神様が初めてですので……」
その言い方はいろいろと問題があると思うのだが。
「だったらいいけど。そういうことじゃなくて。なんていうか……」
「大神様。私の落ち度のことでしたら―――」
「っじゃなくてっ!」
―――あっ。また怒鳴ってしまった……。
「…………」
「そ、そうじゃなくて……。い、嫌だとか思わないの?」
「そ、そう……思ったことは一度も……」
「それは守らなきゃいけないルールがあるから……。天使になりたいからっ」
「そうではありませんっ。天使になるためにやるべきことはしますっ。でもっ。嫌だとかわかりませんっ。大好きな大神様へ私はっ。自分のしたいことをしているだけですっ」
―――はっ? い、今……。好きって……はっ?
「ちょっ。ナナっ!」
「はっ! も、申し訳ございませんっ。お、お客様へ口答えをしてしまい……」
―――そ、そこじゃなくて……。
「そ、それはいいけど……」
「ダ、ダメですっ。本当に申し訳ありませんっ」
―――真面目だなとは思ってたけど……。なんか……面白い。
「……あはははっ。ははははっ」
「お、大神様……?」
「いや……ゴメンゴメン。あまりにも変なこと言うからさ」
「わ、私。変なこと言いましたでしょうか? も、申し訳ありませんっ」
「だから謝るなって。もういいよ。聞きたいことは聞けたし」
「な、なななにか言いましたでしょうか? し、失礼なことを私言いましたでしょうか―――」
その夜。俺とナナは夜通しあることないこと語り合った。そして、二人とも気がつくと寝ていた。
とはいえ。朝は当たり前のようにナナに起こされる。
「おはようございます。大神様。朝食のご用意が整っておられます」
「お、おはよう……。コーヒーもらえる?」
「はい。かしこましました」
昨日のことを思い返すとなんだか照れくさい。
俺はナナのためにと思って突き放そうとした。でもナナは違った。
あんな顔を見せながらも最後までお世話係を全うしようとした。
なんのためかなんて野暮なことだ。ここにナナがいる理由は一つだけ。
―――それにしてもナナは俺のことを……。
チラリとナナに目をやると思わず目が合う。
「大神様? 早く食べないとお時間が……」
「ああ。うん……」
そそくさと朝食を済ませていつものようにナナに見送られる。
エレベーターの扉が閉まると少し顔が熱くなった。
―――ああ……。本当にどうしたらいいかわかんねー……。




