第1話 ~防御力0の従者~
―――うーむ。突然のことにいろいろと困惑してここがどこかなんて考えもしなかったが…。
正に天国とはここのことだった。
お姉さんに言われるがままエレベーターに乗った俺は扉が開くまでは自分のことを考えるので精一杯だった。せっかく与えられた転生という新しい人生のやり直しをどうするか。そのことだけを考えていた。
だがエレベーターの扉が開いた先に出迎えてくれたかわいらしいメイド服の少女たち。思わず「おおっ」と声を漏らすも、かわいらしい笑顔でツインテールの少女が俺に声をかけてきた。
「お、お待ちしておりました。私がお世話をさせていただきます。こ、こちらへどうぞ」
少しぎこちない様子もまたかわいらしい。というか、かわいいっ!
色とりどりの花畑に囲まれた庭を言われたままについて行くとひと際大きな建物が現れる。おそらくはここが宿泊施設とやらなのだろう。
中に入るとそこはまさに超豪華ホテルそのものだった。辺りを見回しながら少女について行く。
「お、大神様。ここが大神様のお部屋でございます」
案内されたのは豪華なホテルのスイートルームのような。実際こういったところに泊まった経験はないのでそう表現したが。とにかく豪華な部屋。
宿泊施設なんてとんでもない豪華さだ。
二十畳はあろう広さの部屋にキングサイズのベッド。なんとなく仕事のできるやつが座る分厚いデスクに実に座り心地の良さそうなリクライニングチェア。
そのチェアの座り心地を試している俺に少女はこう告げる。
「お食事になさいますか? お風呂も沸いております。そ、それとも……」
―――それともとは? もしかしてあれですかっ? あの新婚的なあれですかっ!
居心地抜群のチェアにもたれながら俺はこう返す。
「―――うむ。先に食事をもらおうかな」
「う、承りましたっ」
少女はそそくさと部屋を後にした。どこか大企業の社長。もしくは幹部にでもなったかのような偉そうな態度とは裏腹に俺はあることを考えていた。
それとも……とはだ。
あの恥ずかしそうな表情を察するにあれしかないのではと鼻を膨らませた。
とはいえ。俺自身、童貞が悟られないように余裕を見せたのも事実だ。がっつくのは以ての外っ。少女が恥じらいを口にしたとて、そんな野蛮な行為をするのは今じゃない。
楽しみは後にとっておく。それが大人というものだ。
部屋のドアが開いてカートを押した少女が登場したと同時に良い匂いが立ち込める。食欲をそそるその匂いは二百グラムはあろうステーキ。なんの肉でどこの部位なんてそんな野暮なことはどうでもいい。
ジュウジュウと音を立てる肉汁の香りだけで美味いのはすでにわかっていた。
「お、お待たせしました。大神様」
「うむ、ご苦労。ところで君の名前はなんていうのかな?」
「し、失礼しましたっ。わ、私は天使見習いAN-NA07と申します」
「え、えーえぬえぬえー?」
「はい。私たち天使見習いは名前を持っておりません。いつかは立派な天使になってお名前をいただけるよう日々精進しております」
「名前がないのもあれだな……。うーん。ぜろ……なな。ナナにしようっ」
「わ、私にお名前なんて勿体ないです。お世話をさせていただくだけですので……」
「でも呼びにくいし。俺が勝手にナナって呼ぶから別にいいんじゃない?」
「そ、そんな……恐れ多くて……」
「気に入らない? 違う名前にしようか?」
「い、いえ……。ほ、本当は嬉しいのです。私のような天使見習いに名前をいただけるなんて……」
「じゃあ。決まり。俺の勝手な呼び方だけどさ。二人でいる時はそう呼んでもいいかな? い、嫌ならいいけど」
「い、嫌だなんて……滅相もございません……。お、大神様。あ、ありがとうございます。あっ。どうかお熱いうちにお召し上がりください」
「うん。いただきますっ」
これは食べたことのない柔らかい肉だ。もはや肉と呼べるのかと言わんばかりの柔らかさ。ナイフを乗せただけで肉は切れ、そこから溢れる肉汁。美味いっ。こんな美味いものをここでは毎日食えるのか?
「ナナはご飯食べたの?」
「い、いえ……私共はお世話が終わってから食事がございます」
「ふーん。いつもこんな美味いもの食べてるの?」
「い、いえ。お客様と同じ食事なんて恐れ多くて……」
「この肉美味しいよ? 食べてみる?」
「そ、そんなことをしたら……。叱られてしまいます……。わ、私のことはお気になさらずに……」
どうやら天使見習いとやらは監視されているのだろう。まあ、見習いという立場上、誰かが評価しないといけないのだろうが。あのバカお姉さんでも天使になれたぐらいだ。こんな一生懸命な良い子がと思うと不憫に思う。
「一口ぐらいいいだろ? ほらっ」
「も、申し訳ありません……。天界の規定によりそのようなことは……」
「客の要望も聞けないの?」
「そ、そそそんなことは……。お客様のご要望が第一と教育を受けております」
「じゃあ一口だけ」
「よ、よろしいのでしょうか?」
「俺が食べさせたいだけだって。一口だけだから」
「お。大神様のご要望でしたら……」
恥ずかしそうに小さい口を開く少女の口に俺は一切れの肉を放り込む。俺もさっき経験したばかりだが、この肉は口に入った瞬間に溶けて無くなる。噛む以前の問題で口に入れた瞬間に肉がうま味になり口中を支配する。
ナナも初めての体験だったのだろう。口に放り込んだ時の驚きの顔は新鮮だった。
「お、おいしいですっ」
「だろ? 喜んでもらえてよかった」
「こ、こちらこそ。貴重な体験をありがとうございました……」
こういう言い方は語弊を招くかもしれないが。ナナは幼い。少女と呼べるのかもわからない幼女と少女の間のような背格好。だが俺からしたら正に神。
別にロリコンだと言われようが構わない。胸の大きなお姉さんも許容範囲だが。
あえて言おうっ。最高であるとっ!
―――あのバカ天使のおかげでこんないい思いができるとは誰が想像できようかっ。最高だ。ここは本当に最高だっ!
食事を終えた俺の頭は冴え切っていた。
「お湯加減を見てきます」とペコリとお辞儀するナナは浴室へと入っていった。
風呂の後になにが待っているかと思うと顔がにやける。
とはいえ。過度の期待は禁物だ。
ただの勘違い。あるいはなにかの罠かもしれない。
悶々とする中。ナナの声が聞こえる。
「お、大神様っ。お風呂のご用意が整いました」
浴室のドアを開くとなんとも豪華な造り……。
―――な、ななな……。なんだこれ。ここは風俗かっ。
目の前にはスクール水着を着たナナがかしこまった様子で正座をしている。
―――こ、これは伝説といわれた紺の旧スクっ。まさか本当に実在していたとは……。
「お背中をお流しいたします……」
「い、いやいやっ! さすがにそれはっ」
「わ、私ではご不満でしょうか……」
「そ、そういうことではなく。むしろ満足というか……」
―――さ、さすがにこれは予想できなかった……。
「な、なんでそんな格好してるの?」
「お風呂でのお世話は濡れてもよい格好でと教育を受けております。大神様のデータを基にお好みの水着をご用意したのですが……。お、お気に召しませんでしたでしょうか?」
―――どんなデータだっ。いやいや、嫌いじゃないけど。というかむしろ好きだけどさ……。こんなかわいい少女が旧スクを着ているのを生で見るとなんだか神々しくて拝んでしまうな。待て待て。拝んでいる場合ではない。ここは童貞バレしないように大人の余裕を見せねば……。
「す、凄く似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます。それではこちらへお座りください」
促されるまま椅子に座った。これがスケベ椅子だったら俺は狼と化していただろう。
「それでは失礼します」
お湯を一、二杯背中にかけられ、絶妙な力加減で背中を擦られる。お湯の温度。石鹸の泡立ちと香り。どれをとっても気持ち良い。
それよりも吐息と共に色っぽい声が漏れている。
―――これは誘っているのだろうか? お世話というのはあっちのお世話なのだろうか? い、いかんいかんっ。がっついてはダメだっ。
「あのさ……」
ナナはその手を止める。
「も、申し訳ありませんっ! い、痛かったでしょうか?」
「いや……。その声が気になるというか……」
「こ、声ですか? わ、私、力がないので。こ、声を出さないと力が入らないので……」
「わ、わざとじゃないならいいよ」
「は、はいっ。一生懸命、汚れを落とさせていただきます……んっ。んんっ……はんっ」
わざとじゃないと聞くと更に色っぽく聞こえてしまう。
―――ここはなんなんだ? これじゃあ。健全な男子なら勘違いするだろうに。すでに俺も勘違いし始めてるし。この場で手を出してもいいのだろうか? いやっ。最後の『それとも』に期待しよう。これは気持ちを昂らせる前戯のようなものっ。がっつくな俺。大人だ……。俺は大人だ……。
蛇の生殺しとは正にこのことだ。色っぽい声でありとあらゆる部位を念入りに擦られ、すでに変貌した大事な部分を悟られないために「ま、前は自分でやるから」と気を静めた。
―――しかし……。いい湯加減だ。
ゆっくり湯船に浸かりながらナナを観察する。初めはその神々しい姿を堪能していたが。ナナは実に真面目というか一生懸命だ。そういう姿を見ていると心が休まる。
時々目が合っては恥ずかしそうにする仕草もかわいくて微笑ましい。
風呂上がりにベッドに横になっていると急に灯りが暗くなる。
―――き、きたっ! それとも時間だっ。
予想していたとはいえ。心臓の鼓動は早くなる一方だった。
バスローブ姿のナナが隣に寝そべる。
―――ぬおぉぉおおお。緊張で体が動かないっ。どうすればいいんだっけ? 最初は優しく……なにを優しく? わからんっ。わからんぞっ!
モジモジしていると首元に息がかかる。ビクッと反応すると。
「大神様……」
「―――っ。え、えーっとな、なに?」
「ごゆっくりおやすみなさいませ……スー……スー……」
「お、おやすみなさいっ……」
―――あれ? あれれ?
ゆっくりと体を起こすとナナは寝息を立てていた。なんとも無邪気な寝顔だ。あまりにもその寝顔がかわいくてそれまでの邪な妄想は消えていた。
―――疲れてるんだろうな。はぁー……。寝るか。てか、この状況で寝れるかな…………。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ハッと気がついて飛び起きるとすでに朝食の用意がされており、メイド服のナナが笑顔を見せる。
「おはようございます。大神様」
「お、おはよう……」
「どうぞご朝食をお召し上がりくださいませ」
意外にもあっさり寝てしまったらしい。隣のかわいい少女に緊張して眠れないと覚悟はしていたが拍子抜けだ。
朝食を堪能しているとあることに気づいた。
「あれ? 今日……。何時に行けばいいんだっけなー……。あいつ早口でいなくなったからわかんないな」
「大神様の本日のスケジュールですか?」
「ナナ。わかるの?」
「はい。お客様の情報は逐一いただいておりますので」
「今日俺は何時に行けばいいかわかる?」
「はい。大神様の本日のご予定は午前八時に転生館にて面談。その後昼食を挟んで面談の続きとなっております」
「八時か……。まだ一時間はあるな」
「はい。ご出立までごゆっくりおくつろぎください」
「うん。じゃあコーヒーのおかわりもらえるかな?」
「はい」
―――なんか幸せだなー……。いっそこのままナナと一緒に暮らすというのも悪くないかも。
「どう……されましたか?」
「い、いや。ナナが淹れたコーヒーは最高だなーって……」
「あ、ありがとうございますっ」
一瞬。この幸せな時間がずっと続くのならと淡い期待を抱いてしまった。
ナナは確実に天使になるだろう。たった一晩見ていただけでもわかる。
俺はどうしたいのだろうか。
また自分を守ろうとしたことに少し胸が締め付けられた。




