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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

敷居牢 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、こー坊はえらいな。敷居をちゃんとまたぐ礼を知っていたか。

 このごろの子供は、平気で敷居を踏んづける子が多くてな。じいちゃんたちも、ちいっと残念に思うことが多かったんじゃよ。


 ――ん? どうして敷居を踏んづけないで、またぐようにするべきなのか?


 そうさな。たいていは「家の神様が宿っておるから」とか「家の格を踏みにじるのと同じだから」とか、いろいろと聞いたことがあるわい。

 だが科学的にみると、敷居が役割を成さなくなるから、というのがでかいらしい。


 こー坊も知っての通り、敷居は戸を開け閉めしやすくする、レールだ。いまでこそ、カッターマットのように、簡単に取り換えられるもので作られることが多いがな、昔はそうはいかなかった。ひとつひとつが手作業で、非常に手間暇をかけたものだったんじゃ。それをないがしろにするのは、はばかられること。

 くわえて、敷居は家を建てるとき、全体のバランスを考えて作られる。いわば柱などと同じ建具なんじゃな。

 一カ所が傷んだからといって、そこだけ新しくすれば、いくら注意を払っても「歪み」が生まれる。となれば新しく建て直すより、歪みを取り去る手段はないわけで、費用がかさむんじゃな。じゃから、敷居を踏みつける奴は不孝もの呼ばわりされる、と。

 

 こんな具合に、敷居というのは半ば聖域のごとく扱われ、大切にされてきた。

 じいちゃんも以前に、敷居を使った風変わりな話を聞いたことがあってな。

 どうじゃ? こー坊もこの話に、興味はないか?

 


 むかしむかし。とある地域には「敷居牢」と呼ばれる刑罰が存在した。

 これが座敷牢だと、屋敷の一角とか離れとか蔵とかで過ごすじゃろうがな。敷居牢は文字通り、敷居の上のみで一日を明かさせるというものじゃ。

 多く、縁側に面した長い敷居が選ばれての。障子を外すかどうかは家によってまちまちじゃが、いずれにせよ、罰を受ける者は一日が過ぎるまでの間、その敷居の上より動くことを許されなかった。


 ――ん? けっこう楽な罰ではないか、とな?


 そうとも限らんぞ、こー坊。用を足すのにも、専用のおまるや瓶がそばに置かれてな。それでいて敷居の上からずれずに、うまいことやらねばならん。

 さらに敷居の上だから、人の目を避けようにも障子を閉めることができない。用を足そうが漏らそうが、それを隠すすべはないんじゃ。いい年した大人なら、それだけで穴があったら入りたいほどの恥じゃろう。

 しかし、ことによっては、より厄介な目に遭ってしまう場合もあったそうじゃ。

 

 

 じいちゃんの聞いた、ある子供の場合じゃ。

 彼は親が大切にしておった大巻物を破いてしまい、大目玉を食らった。多く巻物は、風景や達筆な言葉が書きつけられているものじゃが、その巻物は違う。

 月明りのもと、背の高い笹の葉が茂る林の中を、背を低くした男が駆け抜けていく一幕が描かれていたんじゃ。覆面に黒装束をまとって、頭の横より背負った刀の柄が飛び出すその男の姿は、話によく出てくる忍びのもの。

 それが月の下から、大半の生地を破り取られてしまい、残っているのは足元と地面のあたりのみ。

 その子は敷居牢の刑に課されることになった。敷居牢の説明がされ、縛られこそしなかったが、開いた障子に背を預ける形で座らされる。足は伸ばして構わないが、それも敷居になぞってのこと。手も太ももの上へ乗せる形じゃ。


 10にも満たない子供ということもあって、じっとしていることは苦痛でしかない。

 しかし、わずかでも敷居から体を乗り出そうものなら、たちまち見張っている父親から手や足が飛んできた。わめこうものなら、顔をがっとつかまれて、背にする障子に頭をたたきつけられる。

 食事はかゆが運ばれ、それを家族がさじですくって食べさせていく。水も同じくじゃ。用足しも局部をさらして瓶を使うか、この場で漏らすかのいずれかを迫られる。

 敷居と障子以外のどこにも触らせまい。その姿勢は陽がのぼっている間、いささかもゆるみはせず、子供はべそをかいて顔中を腫らせていたという。



 やがて陽が暮れる。虫の音がかすかに庭の中に響く中、「がさり」と下生えを揺らす大きな音が一つだけ混じった。

 そばに立つ父親が、背伸びをして音の出どころらしきところを見やる。子供も目だけ動かして、そちらを見るも、揺れる草の影以外は夕闇の中へ沈んでおった。

 しばしその空間をにらんだのち、親は子供へ告げる。


「これからが敷居牢の本番ぞ。わしはもう奥へ下がるが、先の言いつけはことごとく守れ。

 眠りたければ構わんぞ。その敷居を外れん自信があるなら。

 もちろん、起きていてもみだりに動くなよ。明日の朝日を拝みたければな」


 こちらを向いたまま父親は遠ざかっていき、後ろ手にふすまを開けて、出て行ってしまう。

 縁側を越えて、子供の身へそよいでくる風は、一足早い夏の熱気をはらんでいた。じゃが子供はそれをぬぐうことはせず、垂れるままにしている。つい先ほど、父親がいたときには、これもまた蹴られる原因じゃったからだ。

 尿意は、いまのところさほどでもない。ずりずりと、背中で障子を這いのぼるように姿勢を正し、ついと縁側へ目を移すや、子供は眉をしかめた。


 一匹のムカデの頭が、縁からのぞいているのに気づいたんじゃ。様子を確かめるように、長いひげが左右へ幾度か振られると、いくつもの足を生やす胴体が、じょじょにあらわになってくる。

 ちょうどその頭は、子供の方へ向いておった。近寄ってこられたら面倒だなと、「しぃっ、しぃっ」と追い払う声をあげかけたところ。


 ムカデの体が、唐突に飛び上がった。

 一気に、顔の高さあたりまで浮いてきたムカデに息をのみかけ、子供ははっとする。

 ムカデの下。縁側を作る板のすき間から、銀色の刃が一本、飛び出していたんじゃ。

 長く、細い刀身。それがあやまたずムカデの体の中心をつらぬき、宙へ浮かばせている。ムカデの意識は途切れておらぬようで、無数の足はいまだ不規則な「あがき」を見せておったらしい。

 さっと、刃が下へ引っ込む。その速さたるや、数泊遅れて、やっとムカデの身が縁側へ横たわるほどのもの。ムカデはもはやピクリとも動かず、子供は自らの肌がにわかに泡立っていくのを感じた。

 伸ばしていた足も腰へと引き戻し、腕で抱え込みながらガタガタ震えたい衝動を、必死におさえた。みじんも敷居からはみ出まいと、力が余分に入ってしまうも、そのようなこと周りはお構いなしじゃ。


 いずこから入ってきた、蚊のものと思しき羽音。それはどれも、耳へ届いた端から消えていく。畳が貫かれる音と、それに伴う銀の刃の輝きを放ちながら。

 そうこうしているうちに、下っ腹に怪しい気配が集まってくる。あの刃を見てしまってからにわかに、尿意が首をもたげ始めたんじゃ。

 瓶は自分の腕に寄り添う形で置かれていたが、取れない。敷居と瓶との間は、わずかに空いておったからじゃ。一寸(約3センチ)に足りるかという狭さでも、刃が飛び出てくるには十分。


 ――もし、瓶に触れようとしてわずかにでも敷居を越えたら。その瞬間を突かれたら……。


 そう思うと、引き続きとどまるよりなく、夜明けをいまかいまかと待ちながら、足踏みしたい衝動を、どうにかこらえ続けていた。



 どれくらい経ったろうか。

 ふと庭の空より、明かりが縁側を通して注いできた。月の明かりじゃ。

 青白い光は板を、横たわるムカデの死体を映しながら、じょじょにじょじょに、そのすそ野を広げていく。

 やがて子供の身へかかり、敷居の先。向かう障子のたてがまちを見て、ふと疑問が浮かんでくる。

 

 ――あのかまち。あんなにも銀色で、光を放っていたか、と。それはまるで、あの床下から飛び出す刃のようで……。

 

 

 思いかけるや、さっと障子が閉まりだす。

 敷居の溝に沿い、音を立てながら迫ってくるその身、その光は、子供をして「斬れる!」と瞬時に悟らせるほど。

 このままでは、畳んだ体ごと真っ二つ。さりとてよければ、下から串刺し。ふっと息を呑んだ拍子に動けたのは、奇跡というほかないだろう。

 

 ばり、ばりと、二カ所で畳が破れる音が響く。

 敷居をわずかに外れ、飛び出した二本の刀は、子供の両足をわずかにかすめ、部屋の半ばほどにまで刃を伸ばしていた。

 足袋を裂かれた子供の足は、両側から向かってくる障子をはさみ、動きを止めていたんじゃ。敷居を越えるかどうかの、ぎりぎりのところでな。

 障子から、動こうとする力はもう感じない。が、外す気などには到底なれない。次に滑ってこられたら、自分の体が二つになるときじゃ。

 そしてもはや、足を閉じて耐えることはできない。無防備になったはかまのまたぐらから、じわじわ暖かいものが広がると、その部分だけ忍び込んでくる風が、いやに涼しく感じられる。

 決壊し、あふれ出したのは、「外に出よう、外に出よう」とせかしながら、いまだに子供の中にあった尿。しかしそれらは流れた先から、床に畳に、開いた穴からチロチロと、音を立てて床下へ逃げていく始末だったとか。

 

 

 ようやく空が白み、親が戻ってくるまで子供はずっと障子を挟んだ格好のままじゃったという。床に傷と、虫たちの死骸は残るものの、あの刃たちの姿はいつの間にか消えておった。

「もうよいぞ」と声を掛けられ、子供は大きく息を吐きながら、ほとんど崩れ落ちるように父親の足へすがり、泣いたのだそうな。

 子供が破いてしまった巻物は、桐箱の中へ納められ、厳重に封がされてかの家で保管されていたものの、いつの代か、知らぬ間に姿を消していたのだという。


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