6年0組わすれもの係
卒業式が終わった。6年1組は、最後の「おわりの会」も終わったところだ。あとは帰るだけ。
いつもなら「さようなら」のあいさつを言い終わらないうちに教室を出ていく子もいるのに、今日ばかりはみんな、なかなか帰ろうとしない。なかよしの仲間と輪になったり、先生を囲んだり。みんな、泣いたり笑ったりしている。
そんな中、テンコはスミレちゃんと二人でそっと教室をあとにした。気づく人はだれもいない。
テンコたちは普段からほかの子たちと話をしない。だからみんなも忘れがちだ。遠足や修学旅行の班分けをするときになってようやく思い出される。
とはいっても、べつに仲間外れにされているわけじゃないから、すぐに一緒の班にいれてもらえる。
テンコもスミレも大勢でわいわいするのは苦手だから、必要なとき以外はそっとしていてくれるこのクラスが好きだった。
そんなわけで、テンコたちは最後までみんなに気づかれないまま6年1組を去っていく。廊下を進み、階段を下り、昇降口を出る。校門に着いたら、スミレちゃんとはバイバイだ。
「スミレちゃん。学校、楽しかったね」
「うん。ほんとはね、夏休みにエリカちゃんが転校しちゃったときは、これからはひとりぼっちなのかなってさみしかったんだ。でも、二学期からテンコちゃんが来てくれたから楽しかったよ」
「エリカちゃん……」
「ああ、知らないよね。テンコちゃんに会う前に仲良しだった子なの。一緒に美化委員やってたんだ」
「知ってるよ。あれ? でもなんで知ってるんだろう」
「テンコちゃんに話したことあったのかもね」
「そうなのかな。花壇の水やりのとき、お花にとまったテントウムシをそっと移してたよね」
「そうそう。テントウムシにお水がかかったらかわいそうだもの」
「エリカちゃんもスミレちゃんもやさしいね」
「テンコちゃんもやさしいよー。わたし、テンコちゃんのこと大好き」
「わたしもスミレちゃんのこと大好きだよ」
「でも卒業しちゃったから会えなくなるね」
「会いにいくよ」
「ほんと?」
「うん。ぜったい」
「よかった。待ってるね。約束だよ」
「うん。約束」
たがいに手をにぎり合ってぶんぶん振った。それから「またねー」といつもと同じあいさつをして手を振った。
スミレちゃんの姿が角を曲がって見えなくなると、テンコは急にこわくなった。
「わたしのおうちはどこだろう」
スミレちゃんとバイバイした後、いつもテンコは困ってしまう。どこへ帰ればいいのかわからなくなるのだ。それでも毎日どこかへ帰っているはずなのに、また次の日の放課後になると帰り道をわすれてしまう。
そんなときどうすればいいのかはわかっている。わすれたものは、きっとわすれもの係に届いている。
テンコはくるりと振り向いて、出てきたばかりの校舎にもどっていく。
昇降口に入り、階段を上り、廊下を進む。
6年生の教室は4階だ。廊下の一番奥が1組だ。3組、2組の前を通り過ぎて、1組にたどり着く。教室の中からはまだみんなの声がする。
テンコは1組のドアも通り過ぎて、突き当たりの壁の前で立ち止まった。
トントントンッ。
壁をノックすると、行き止まりだったはずの壁に教室のドアが浮かび上がってくる。ドアの上には学級表札もある。
『6年0組』
テンコはドアを開けた。
「あのー。わすれものをしたんですけど」
「預かっていますよ。教室に入って。ドアはちゃんとしめてね」
いわれたとおりに中にはいってドアを閉める。ドアはぴたりと閉じた瞬間から薄れていって一枚の壁になった。
0組は、ほかの教室とはすこしちがう。広さは同じくらいだけど、つくえもないし、いすもない。窓だってひとつもない。ドアが消えた今では、ただの四角い箱の中だ。蛍光灯もないから薄暗い。教室の四隅にあるチューリップ型のランプが夕焼け色の灯りをともしているだけ。
「えっと、わすれものをしたんですけど、なにをわすれたかわからないんです」
テンコが覚えているのは、困ったらここにくればいいということだけだった。
「だいじょうぶですよ」と、天井から声がした。
見上げると、天井の真ん中にコウモリがぶら下がっている。テンコと目が合うと、コウモリはくるりと宙返りをしながら着地した。床にうずくまった黒い固まりがゆっくりと立ち上がると、たちまち黒いワンピース姿の女の子になった。『わすれもの係』と書かれた腕章をつけている。
「あなたは今日もわたしのことをわすれているのでしょうね」
「あ。ごめんなさい。わすれもの係にくればいいということしか覚えてなくて」
「ええ。そうでしょう、そうでしょう。それ以外のものをわたしに預けていったのですから」
「わたしが自分で預けていったのですか? 落としたりなくしたりしたんじゃなくて?」
「そうですよ。夏の終わりから毎日、朝になるとわたしに預けて、夕暮れに受け取りにくるのです」
「毎日?」
「ああ、学校がお休みの日は預けにきませんでしたね」
コウモリは教室の奥の暗がりへ向かったかと思うと、かごを抱えてもどってきた。6年1組にあるおとしもの箱に似ている。
「これがあなたのわすれものです」
箱の中をのぞきこむと、赤い帽子と細い枝が二本はいっていた。
見覚えがなかったけれど、おそるおそる赤い帽子をかぶってみる。すると、突然いろいろなことを思い出した。ものすごい勢いで今までの記憶が流れ込んできて、次にやるべきことを思い出した。
テンコは枝を両手に一本ずつ持った。すると、枝はたちまち磁石が引き合うようにおなかの両側に突き刺さり、五本目と六本目の脚になった。
教室がぐんぐん広がっていく。いや、テンコが縮んでいるのだ。
見上げるほど大きくなったコウモリが空になった箱を抱えた。
「わすれものはたしかに返しましたよ」
「今日も預かってくれてありがとうございました」
「これで最後にするんでしたよね?」
「はい。恩返しはおしまいです」
そういうと、テンコは赤くまあるい背に力を入れた。羽が開き、六本の脚が床を離れた。ブンッと体が浮く。
壁に浮かび上がったドアが自動で開く。小さなテンコは廊下に飛び出す。ようやく帰り始めた子たちの頭上を飛んでいく。
「あ。テントウムシだ」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。
廊下の窓から外へ飛び出す瞬間に振り向くと、わすれもの係のコウモリが宙返りをして天井にぶら下がるところだった。だれにも気づかれないまま、6年0組のドアはすうっと閉まった。あとには行き止まりの壁があるだけ。
テントウムシのテンコは花壇に帰っていく。
風はまだ冷たいけれど、春になればまた花が咲く。スミレちゃんたちが大切に育てた花が咲く。
花が咲いたら知らせにいこう。会いに行くって約束したから。離れていても友達だから。