小さくて大きな約束
「お父さんなんて、大っ嫌い!」
開口一番、俺の息子がそう叫んだ。
今日の仕事が終わり、いつものようにお土産を買って帰ってきた時のことだった。なぜだかわからんが、そんな言葉をぶつけられてしまった。
一体なんでそんなことを言ったのか。考えようとしたがそれよりも先に、ただ呆然と立ち尽くしてしまう。
「コラ、トオル! お父さんに謝りなさい!」
「おいおい、どうしたんだ? あいつ、なんだか怒っていたが」
「うーん……、それがねぇ」
困ったように笑いながら、妻はなぜ息子があんなことを叫んだのか教えてくれた。
話によると、息子は俺の仕事に不満があるそうだ。いや、それは語弊がある。俺の仕事自体には不満はない。
あいつが怒っているのは、現在俺に割り当てられている役に関してだ。
「あー、そういうことか」
俺は一応役者だ。最近、ようやく芽が出てきた役者であり、遅咲きの実力派と呼ばれている者でもある。おかげで特撮ヒーロー物に出演できるようになり、ビックリしたことに主人公の敵役、しかも悪の大総帥という役をもらえた。
やっとの思いで掴んだ大役。しかし、息子はそれに大きな不満を抱いているようだ。
「でも、なんであんなに怒っているんだ? そんなに俺の演技が下手だったのかな?」
「ううん、そうじゃないのよ。あの子はあなたが、悪役をやっているのが嫌なんだって」
「ハァ? どういうことだ?」
「友達から聞いたんだけどね、どうやら冷やかされているんだって。もうね、『大悪党の子どもも大悪党なんだぁー!』って言われているらしくて」
「なんだよそりゃ? そんなの無視すればいいだろ?」
「私もそんなの友達じゃないって、言ってあげたんだけどね。でもトオルは納得できなくて、だから怒っているみたいで」
あー、ったく困った奴だな。まあ、俺がガキの頃と違うからな。にしても、まさか俺の配役であいつが困ることになるとは……。
よし、ここは男とはどういうものかということを教えて――
「あなた、今男らしく何か言おうとしたでしょ? それはダメよ」
「んあっ? おいおい、どうしてダメなんだよ?」
「あの子はそんなこと求めてないわよ。あの子が求めているのは――」
それは、なかなかに無理な注文だった。今すぐなんてさすがに難しい。いや、無理といってもいいだろう。
うーん、どうしたものか。あいつの願いを叶えるためには、一体どうすれば……。
「それを考えるのが、あなたの仕事よ」
妻は意地悪そうな笑顔を浮かべ、俺の背中を叩いた。ちょっとヒリヒリとした感触が伝わってくる。
ひとまず考えながら、俺は息子が閉じ籠もっている部屋の前に立った。いざ立ってみると、どんな風に声をかければいいかわからないもんだ。
「あー、トオル。ちょっといいか?」
声をかけてみるが、反応はない。どうやら扉だけでなく心までも閉ざしているようだ。こりゃ参ったもんだ。なんでここまで拗ねるんだよ。
「トオル、その、そんなに俺が嫌いか?」
「…………」
「えっとな、なんつーか、俺がやっている役は変えることができないんだ。だからその、今すぐってのはできなくて……」
ああ、俺は何を言っているんだ。息子にこんなこと言ってどうする。
あいつが求めていること。そりゃ確かに今すぐにはできない。なら、ここはハッキリと言わなきゃダメだろ。
「時間はかかる。だけど、絶対に。そう絶対にだ! 俺は今度、ヒーローになるよ!」
息子の願い。それは俺がバカにされないことだった。
みんなから慕われ、どんな試練をも乗り越えていくヒーローになってほしいということでもあった。
正直、無理だと思う。そもそも俺の歳が歳だ。息子が求めるヒーロー役なんて非常に難しい。年齢の壁なんてものもある。
でも、だからといって息子の気持ちを踏みにじることはできない。
「ほんとう?」
ちょっとだけ、扉が開いた。覗かせる目は、不安の色で染まっていた。でもその目はどこか、期待も混じっている。
「ほんとうに、なってくれるの?」
息子だってわかっている。無理難題だって。わかっていても、嫌だった。諦めきることができなかったんだ。
そりゃそうだ。俺だって親父がカッコ悪かったら、とんでもなく嫌だっての。
「ああ、絶対にな。だから言ってやれ。お父さんは、最高のヒーローになるって」
「だけど――」
「指切りしようか。俺はみんなのヒーローになる。お前を泣かせた奴らを黙らせる、誰からも認められるヒーローにな」
息子は戸惑っていた。だけど俺は無理矢理、指切りをした。
やっとの思いで掴んだ地位。だけどそこで満足しちゃいけない。息子にとって、現状のままじゃあ不満なんだ。
だから約束だ。息子のために、俺のためにも。
「お父さん……」
「そんな顔をするな。二人で頑張って、見返してやろうぜ」
「……うん!」
納得してくれたかわからない。だけど息子は満足そうに笑ってくれた。
やることができた。我ながらとんでもない約束だと思う。だが、それでもやらなくちゃいけない。
俺はヒーローになる。果てしない道のりだけど、絶対に。
◆◆◆◆◆
「あら、あなた。こんなところでどうしたの?」
「ちょっと小さい頃のことを思い出していてね。見てみるかい」
「わぁ、かわいい。お義父さんもお義母さんも若いー」
「ホント、そうだね。あ、そういえば――」
「どうしたの?」
「小さい頃、すっごい約束したんだ。思えば親父にかなり無茶させちゃったな」
「どんな約束したの?」
「親父は役者だろ? でも当時は売れ始めで、やっと掴んだ悪の大総帥に俺は不満を持っていたんだ。友達からは冷やかされて、悔しくて悔しくて堪らなかったんだ。だからさ、親父はヒーローになるって約束してくれたんだ」
「あ! それってもしかして!」
「そっ、代表作になった『仮面カイザー』だよ。親父いわく、運がよかっただけと言っているけどね」
「運がよくて、あんな演技ができるとは思えないけど?」
「俺もそう思うよ。何にしても親父は、約束を守ってくれた。とっても尊敬できる大好きな親父だよ」
「じゃあ、お義父さんのようにならなくちゃね。生まれてくるこの子のためにも、ね」
「そうだね」