部屋の真意 その1
―――八時五十分―――
ところで、あの電話でその事件現場の場所を聞き損ねていたのだが、気づいただろうか? しかし全く問題は無くて、場所も分かった。その事件は新聞にも既に『不可解殺人』として掲載されているような一件で、もう目を通してあったのだった。
A町 佐々巳駅前1-1-3の雑居ビル……
そこが現場なのだった。
現場に着くと貼られている警戒線や野次馬の姿が見えた。その群衆に制止をかけている警官(警備員かも?)に声をかける。
「もし。私は窓際先生という者で、業橋という方に呼ばれてきたのだが……」
「あぁ、あなたがその方ですね。失礼、今お通しします」
と、スムーズに通してもらえた。そこの廊下の角を曲がった先でお待ちです、と親切に案内までしてもらった。
「あ!先生!こっちですよこっち」と聞き覚えのある声が飛んできた。
他の捜査員に混じっていたその男が発した声だった。
まるでテンプレートに押し付けて形成したかのような警察官の典型像。帽の隙間から覗かせる癖っぽい茶髪、絶やさぬ笑顔。それが業橋という男の容姿だった。
「こうして合うのは初めてですね。僕は一方的に顔を知ってましたけど」
「私を試したのか? 場所も仰らないなんて」
「いやぁ、まさかぁ、僕のドジですよ」
絶対嘘だ。
「ところでその隣のお嬢ちゃんは?」と業橋は私の隣に視線を向ける。
「あぁ……こいつは助手です」
逆様正傘。実行室長。高校生。チビで童顔。
細かく話すと長くなるが、ここでは割愛する。どうせならこいつをつれていきなと阿賀魅さんに言われたのでその言葉に甘えたのだった。「明智小五郎と小林君みたいじゃないか」とは千木郎さんの言である。
「嬢ちゃんじゃなくて坊やだ! めんたま付いてんのかー!」と本人から指摘が入った。
「何これ!? めっちゃ可愛い! ねぇ窓際先生、ちゅーしてもいいかな」
「むしろ、なんで良いと思ったの?」
閑話休題。
こっから少しだけマジメモードだ。
この雑居ビルの一階の倉庫の中で変死体が発見された。
調査の結果、死体は同町在住の当時運送業の男、鳥羽清。
ビル一階はその運送業が使用しているスペースであった。
ここまでが新聞で得た情報である。顔写真も乗っていた。短髪の茶髪であることが分かった。
「ではさらに詳しくお教えしましょう」と業橋さん。
「遺体は倉庫の一角に眠ったように倒れていた。死因は窒息。検死解剖の結果死因は窒息。死亡推定時刻は発見前日の二十二時五分前後。しかし、絞首痕も含めた外傷が一切なく、凶器も見つかっていない。なんらかしらの気体の中毒が疑われたが、それらしい残留気体は見つからなかった。警察は、自殺の可能性も他殺の可能性も事故死の可能性のどれにもたどり着けず、膠着状態にあります」
「以上ですか?」
「以上です」
以上だと……なんという証拠の少なさ……
たしかに足踏みを強いられる状況にあるのも確かなようだ。
「とりあえず現場を見せてもらえますか?」
「もちろん、調査は既に終わっております……が、一応手袋をお願いします」と言われて、近くの警察関係者の方から手袋を二人分手渡された。
「どうも」
「では行きましょうか」と促されて、私たち二人はおとなしく追従した。
そこはいたって普通の倉庫で、多くの荷物があったであろう証拠があった(今は捜査のためか移されているようだった)。そして、開閉の不可能な窓が北面と西面に二つ。換気扇が一つ。通気口は無し。監視カメラも無し。
「うーん」
「ちなみに移した荷物の類は全て運送会社の備品類でした。事件との関連性は薄いと思われます」
「一応後で全部リストにして頂けますか?」
「全部……?」
業橋さんは驚いたような顔をしたが、すぐに私の要求を呑んでくれた。
「なんとか今日中に出しましょう」
「どうも、ところでお聞きしたいことが。当時、換気扇はどうなっていましたか?」
「それについてはですね、第一発見者に話してもらうとしましょう」
「第一発見者」私はその言葉を反芻した。
「同じくここの従業員で、特に相互の面識のない男です。名前は……良いでしょう、言わなくて」
「廊下から足音がしますけど」それも1つ以上。
「どうせなので容疑がかかっている人たちにも来てもらいました。情報は一つでも多い方が良いんじゃなりませんか?」
「助かります」
そうしてこの部屋に集められたのは全部で4人の男女だった。
Aが第一発見者。BCDが死亡推定時刻に犯行が可能だった者とのこと。
A。二十六歳、黒髪の男。従業員。被害者とは特別に親しい仲でもない。仕事で備品の補充に来たところ、被害者を発見。その後、半パニックになりながら部屋から逃げ出し、同僚に報告。事件発覚へと至った。
B。二十一歳、長髪の女。従業員。被害者の友人。死亡推定時刻前後には仕事をしていて、部屋から一歩も出ていないとのことだが、証言できるものはいない。
C。三十五歳、荒れた雰囲気の男。アルバイト。業務時間が終わり、雑居ビル前で理由もなく彷徨っていたところ、不審に思った運送会社従業員に注意されている。
D。五十歳。禿げ頭の男。従業員。かなり高い地位にいる男のようで、業務時間中に何度もたばこ休憩で入室と退室を繰り返している。アリバイ無し。
「当たり前ですけど、警察は真っ先にDを疑いました」
「まあそうなるでしょうね」
まず行動が怪しい上にアリバイが無い。
「しかしあなたを呼んだ。何故だと思います?」業橋は答えを誘うように言った。
「結局、動機が無いんだろ」
「そのとおりです。アリバイだけで決めつけるようではとても調査とは呼べない」
「ふむ、ではDさん」
「ハイ……?」と訊かれてDが不安と緊張の混じる声を絞り出す。
「頻繁に……業務中の事ですね、かなり頻繁にタバコを吸いに行かれてるようですね? あなたは普段からこんな調子なのですか?」
「いえ! 私は上の立場に立つものとして……」
「嘘だね! いっつも席立ってサボってるでしょ!」と声を荒げるのはB。
「あなたが殺したのよ! アンタならいつ席を立っても怪しまれない!」
「なんで私が鳥羽くんを殺さなければならないんだ!」
一個の質問から場は水浸しになってしまった。当然ともいえるが、これでは調査にはならない。
「あっあー、皆さん」と騒ぎを制止させる。
「一つ皆さんに質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
途端、場は静まり返る。言い争っていた二人も冷え切る。
「えー、これですね」と言って拾い上げたそれを見せる。「これ、なにに見えますかね?」
「……抜け毛か?」と答えたのはCだった。私が摘まみ上げた長めの毛を見てCはそう答えた。
「君はネコを飼ってるのか?」
「質問に答えてくれよオッサン」
「君は動物の抜け毛を日常的に見てるかって言う質問なんだよ」
「……犬だよ、飼ってるのは」
「では質問に答えよう。これは抜け毛じゃない。切った毛先なんだよ。んでCさん、これは動物の毛かな? それとも?」
「そりゃ、見間違う訳ねーぜ」
「そうだね。これは人間の毛だ。つまりだよ……つまりだよ、奇妙なことに、この倉庫で髪を切ったやつがいる。妙だろう?」
とここまで説明した私だが、途端警官たちがざわつき始める。どうやら髪が落ちてるのに誰も気が付かなかったことについて少し揉めている様だった。そんな中。
「それで、それが事件とどう関係があるんです?」と業橋さんだけは冷静だった。
「それはまだ分かりませんよ。ただ」とおいてから私は続ける。「今の説明を聞いてやけにビビっている奴がいたんですよ」
「それは誰です」
「それは警部にも教えられませんよ」というと一瞬驚いたようにする業橋さん。新人なんかじゃないことを見透かされて動揺したようだが、すぐに平静を取り戻す。
「あぁ、そうだ警部さん、なるべく早めに被疑者のアリバイ表と経歴をまとめていただけると助かります」
「経歴?」
「えぇ、ちょっとね。必要なんです」
「ところで」と言って私は、4人の方に向き直った。
「大まかなことは訊かせてもらいましたが、そちらから質問はありますか?」
「あの……」と気乗りしない様子で尋ねてきたのはAさんだった。
「鳥羽は……なんで殺されたんですか」
「調査中です」
私はなんでもないように、それがただ事実であるように答えた。
しかし、何が面白かったのか? 私と逆様は思わず頬が緩んだ。