土台 その2
「警察……?」
「僕は業橋というもので……あぁ! 身構えないでくださいね! 警察といってもまだ研修を終えたばっかりのピチピチの新人ですし、先輩にもしごかれてばっかりでしてねぇ、情けないですよ、ホントに情けない、ハハハ、これってしごきっていう名のパワハラですよねぇ? 絶対パワハラですよ! 」
なんだコイツ……。私にだけは絶対言われたくない言葉であろうが、こいつは中々の変人だ! こんなやつが警察官になってるなんて、まるで小説みたいなフィクションの出来事だ。そもそもこいつは本当に警察なのか。
「それで? ご用件は?」
「おおっと失礼! これは失礼! 天蓋に穴をあけるほど失礼! これがこれが窓際先生に折り入ってのお願いがあるんですよ」
「なぜ私の事を知っている?」
「なんて慎み深いのぉぉ! 聖人かよぉ!」
うっさ。
「窓際先生っていったら偏屈ミステリ界隈の文鎮じゃないですかぁああああああぁぁぁ!!」
なんだよ偏屈ミステリ界隈って。ひねくれ者の集まりか? しかも私はそこの文鎮らしいし。
「その界隈は半紙の如く薄っぺらいのではないのかね?」
「ずばり単刀直入に申し上げますと」
「聞けよ」
「先生の力をお借りしたいのです!」
「私の力を? 私に力など無い」
「不可能犯罪が起きたんです」
突然の発言。道化のようだった彼の口ぶりが、傷口にあてがわれた氷嚢のように張りつめている。
「……意味が分かりませんでした。何も理由がないのに死んでいるのです。先生、人は何もない部屋で勝手に死ぬと思いますか?」
「……!」
それは……
「何も犯人を暴いてくれまでとは言いません。今のこの膠着状態から抜け出すための『発想』を、僕たちにもたらして欲しいのです!」
「分かりました、引き受けましょう」
「いいのですか」
理由はいろいろあるが、結局引き受けることにした。もし、その理由の主を占めるのが好奇心だと告白したら、きっと私は軽蔑の目を浴びるだろう。別に隠す気もない。興味深い事件なのも確かだ。
「理由は聞かないで欲しい。色々と詳細を現場で訊きたいのだが? 時間などの都合はどうしますか」
「いつでも構わないっすよ! 二十四時間調査中なので!」と、相手は調子を戻したようだった。
「ではある日に突然向かおう。私の顔は知ってるのか」
「もちろんですよ! あの容疑者みたいな顔でしょう?」
……
反論できない自分が情けない。
「では」
と言って受話器を置いた。
何という事だ……私が警察の助力を? 夢だとは思いたいがこれは現実だ。好奇心と危機感に包囲されながらも心臓は冷凍されていなければならない。行動するときはそうであるべきだ。
……まずこのことを阿賀魅さんに報告しなければ。現場を離れるのだ。重要な連絡だ。
あと気づいたが、あいつ、新人の振りをしているが演技が下手だな。
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「何? 警察だと? まさか感づかれたのか?」
阿賀魅良美。アガミ有機生命科学総合研究所、所長兼管理室長。
私の上司にあたるその人は話を聞いてまずそう返した。
前にも書いたように、この研究所には後ろめたいことがある。
「そうではありません。あくまでも私に協力するよう頼んでいるにすぎません。ここに他の何らかの意思を見出すには情報が少なすぎます。」
「好意的に捉えてみようではないか。視点によってはそこまでの考慮は時期尚早ではないか」
私の言葉に対して開発室長、阿賀魅千木郎はそう付け加えた。
「警察に助力を頼まれたこいつのカモフラージュは順調であると。しかし、その道化のような口ぶりの男が何者なのかも気になるところだ。顔と名前を知っていることに問題はない……こいつとて無名ではないし……偽名だって使っている。良美、どう思う?」
「……ふむ」と同意するような素振りの良美さん。
「いいだろう、まだ尻尾は掴まれていないのかもしれない。だが油断は許さない。電話で断らなかったのはいい判断だ。断っていたら逆に怪しまれた。」
「いざという時は私を捨てて生き延びてください」
「もちろんだ。上手くやれよ」
とだけ励まされて、私はドアノブに手を伸ばす。
「ッ……」思わず顔に手を遣る。
地上に戻ると、これから昇っていく太陽だけが眩しかった。そのためだ。
午前八時半。家には誰もいない。