箱の中の悪意8
郷土史及び地域風俗研究部を後にした砂寺サテラは階段を降り、文化部棟から西校舎に移動した。
文化部棟とその横に並ぶようにして建つ運動部棟は西校舎と南校舎の間にある。
離れのように建つこの二つの建物は、校舎と比べてどこか取り残されたように古ぼけていた。
数分ほど歩き、目的地である守衛室の前までたどり着く。
そこはピロティ構造の西校舎の一階に位置していた。
ガラスで仕切られた窓口があり、正門からやってきた来客はここで入校の手続きをしなければならない決まりがあった。
それは生徒の保護者であっても例外ではない。
硝子越しに中を覗くと職員が新聞を広げていた。
「すみません」
サテラが声をかけると職員は勢いよく新聞を下げた。
「おっ、サテラちゃん、今から帰り?」
にやけた表情で話すのは守衛室職員の増田栄吉だった。
年齢は叔父の逍遥とそう変わらないはずだが、彼と違い歯の抜けが目立ち老けて見える。
「ええ。なので鍵の返却をお願いします」
「はいよ。じゃあいつも通り名簿に記入お願いね」
渡されたクリップボードに挟まれた用紙に、慣れた手つきでサラサラと必要事項を記入していく。
日付、返却時間(借りる場合は貸出時間)、氏名、クラス、使用教室を全て埋め、増田に手渡そうとしたとき、サテラは隅に書かれた文言に気づいた。
『保管期間三ヶ月』
目の前の男がこれをきちんと守っているかは怪しいが、聞くだけの価値はあるとサテラは判断した。
「増田さん、一つお聞きしたいことが」
「ん? なになに? サテラちゃんの言うことならなんでも答えちゃうよ」
「九月下旬の名簿ってまだ残ってますか?」
「くがつ~? なんでそんな前のやつを?」
「少し確認したいことがありまして」
「ふうん、まぁいいけど。ちょっと待ってて」
増田はそう言って椅子から降り、後ろのキャビネットを開ける。
そこには多くのファイルが綺麗に並んでいるのが見え、サテラは彼の意外な一面を見た気がした。
「はい、これが九月の分ね」
「ありがとうございます」
受け取ったファイルには『九月』とラベリングされていた。
どうやら月毎に整理されているようだ。
想像以上のページ数だったが、ある程度当たりをつけて後ろからめくっていくとすぐに目当ての項目が見つかった。
『九月二十一日、七時二十五分、鍵沼洋平、一年U三組、一年U三組』
UとはUSUALLYの略で普通科を意味している。
ちなみに特進科はAと表記される。
どの単語の略なのか定かではないが、サテラはADVANCEではないかと考えていた。
「なにを見てるの?」
窓口から身を乗り出すように増田がファイルを覗き込む。
「この鍵沼さんという方は、毎日早くに登校されているのですね」
「ああ、そうそう。友だちの池上君といっつも早く来るんだよねえ」
サテラは前日、前々日、そしてさらに過去に遡って彼らの登校時間を確認した。
部室で逍遥の言っていた通りだった。
少なくとも九月の間はずっと彼らが教室の開錠をしていたのはこれで確実になった。
「彼らは朝早くに来て、なにをしているのかしら?」
「さあ? それはわかんないなあ。一緒に宿題をしているとか?」
それはないとサテラは思ったが口にはしなかった。
もう一つの目的である項目を探すためページを戻す。
場所は覚えていたので、そのページにはすぐに辿り着くことができた。
『九月二十日、十六時十五分、小池めぐる、一年U三組、一年U三組』
事件のあった前日、放課後に教室の鍵を施錠した人物の項目だった。
彼女の名前も彼らほどではないが頻繁に書かれていた。
具体的には六日に一度、時間に多少の前後はあるが、概ね十六時十五分に収束していた。
普通科の六時間目が終わる時間が十五時三十分。
そこからホームルームと掃除の時間をプラスするとだいたいこれくらいになる。
「小池めぐるさんってどんな方ですか?」
「ん? あー……めぐるちゃんかあ」
増田が渋い顔をする。
「眼鏡をかけた可愛い子なんだけど、もうちょっと明るかったらねえ」
どうやらこの老人は、女性を可愛いか否かでしかジャッジできないらしい。
サテラは諦めたような表情で目を伏せ、軽く微笑んだ。
「そうですか、わかりました。話は変わりますけど、九月二十日……あの事件のあった日の前日です、小池めぐるさんが鍵を返却した後に鍵を使用した人はいませんか?」
それを聞いて増田は困ったような笑顔を浮かべる。
「それは警察に何回も聞かれたよ。もちろん誰も使ってない。めぐるちゃんが鍵を持ってきてから鍵沼君たちが来るまで、誰も教室の鍵は触ってない。それは断言できるよ」
増田は言葉を続ける。
「もちろん外から不審者が来たってこともありえない。僕がずっとここにいたからね。そして……」
天井の一点を指さす。
そこには丸みを帯びたドーム型の防犯カメラが設置されていた。
「防犯カメラにも不審者は写っていなかった。もちろん、僕の勤務時間外の夜から早朝にかけてもね。ちなみに北校舎にある門にも防犯カメラがあるけど、そっちも不審者は映ってなかったらしい。もしかして事件について調べてるの?」
「ええ、まあそうですね」
「そう……」
増田はどこか物憂げな表情を見せる。
「サテラちゃんさ、もし犯人を見つけたらどうするの?」
「どうもしません」
サテラははっきりと宣言する。
「私が知りたいのは真実だけ。呪いなんて馬鹿げたものを否定したいだけです」
「そうかい」
安堵した様子で増田は目尻を下げる。
吐いたため息が白く吐き出され虚空に消えた。
「では私はこれで失礼します。さようなら」
「うん。また明日ね。さようなら」
守衛室を離れ、校門の方へ歩く。
その途中、校門近くに並ぶ花壇の世話をしている逍遥を見つけた。
声をかけようとしたが、数人の生徒とどうやら一緒のようで、サテラは近づくのをやめた。