箱の中の悪意3
砂寺逍遥は、仕事に戻ると言って部室から出て行った。
実際のところ、本当に仕事をする気があるのか怪しい。
なぜなら彼は名前の通り、掴みどころのない人物だからだ。
一人きりになり、静寂が戻る。
砂寺サテラは、先ほどの会話を思い出していた。
実に、興味深い話だった。
教室内で起きた事件、五十年前の殺人事件、呪い、どれもが新鮮で、多少不謹慎ではあるが、サテラは胸を高鳴らせていた。
目を瞑り、思考を巡らせる。
サテラは霊魂といったものを信じていない。
なので当然、犯人は人間と確信していた。
施錠されている室内に侵入する方法はいくらでもある。
それが実現可能か、再現可能かはさておき、呪いなどという形のないものよりかは、いくらか現実的といえる。
サテラは自嘲気味に口を斜めに上げる。
『現実』
現実とはなにか。
サテラは知っている。そんなもの、本来この世には存在しないということを。
何故なら現実とは、脳が作り出した幻想だからだ。
そういう意味では、現実も呪いも同じ集合に属するものなのかもしれない。
しかし、なぜ呪いなのか。
冷静に考えなくても、これがそんなオカルトめいたものではないと判断できるだろうに。
「分からないものに名前をつけ、安心を得るのは人間の得意とするところだろう?」
背後から聞き覚えのある声がした。
サテラは目を開け、振り返る。
「あら、いつからいらしたの?」
サテラと同じ、一年生を象徴する赤いネクタイをつけた少年が立っていた。
低い室温のせいか、それとも元よりそういう色なのか、少年の肌はやけに白い。
「ついさっき。それにしても、相変わらずありえない男だな。煙草の臭いがひどい」
暮内蒼斗は端正な顔をしかめながら言った。
「私はもう慣れてしまったわ。制服に臭いがついてしまうのは、ちょっと迷惑ですけど」
「面白い話をしていたね」
急に話を変えてくるのは、いつものことだった。
サテラは彼の切り替えの早さに、いつも感心する。
会話において導入部も接続詞も、脈絡といったものさえ不要だと、サテラは常々思っていた。
「盗み聞き?」
「たまたま聴こえただけさ」
ゆっくりとした動作で、サテラの対面の席に座る。
そこは先ほど、逍遥が座っていた場所と同じだった。
「私の心の声も、たまたま聴こえたのかしら?」
「そ、たまたま」
「壁が薄いのかしら」
「隙間が多いのかも」
「三匹の子豚のような?」
「僕は狼なわけだ」
「銀の家をこしらえなくちゃ」
アルカイックな笑顔が交差する。
互いの目は、互いの脳に集中していた。
先に口を開いたのは蒼斗だった。
「第一発見者を疑ってる?」
「それが一番シンプルな答えだけど、多分違う。学校も警察も、まずはその可能性を潰すはず」
「ズバリ、犯人は?」
「七十七億人から、まだ全然絞れていないわ」
目を伏せ、軽く頭を左右に振る。
「七十七億って、世界人口? 今そんな多いの?」
「ええ、西暦二千百年には百九億人に達するらしいですよ」
蒼斗は椅子に深く座り直し、感嘆の息を漏らす。
真っ白い息が立ち上り、そして風景に溶け込むように消える。
「外部の可能性も疑ってるんだ?」
「排除できる要因がありませんから。そもそも現状分からないことだらけで、まだまだ輪郭を描くだけの情報がありません」
「たしかに、安楽椅子探偵を気取るには、まだまだ情報が足りない。なにせ君は、登場人物どころかストーリーラインすらまだ把握していないんだから」
「あなたの言う通りです。私には情報が全然足りていません。だから教えていただけませんか?」
蒼斗は意外といった表情でサテラを見る。
「君が望むような有益な情報なんて、なにもないはずだけど」
「五十年前」
青斗の眉がピクリと動く。
「この学校で起きたという殺人事件を、もう一度」