二.リーマンたちは出会いを思い出す(前編)
「おっちゃんの回復を願って、かんぱーい!」
「いや、そこは〝祝って〟だろ!」
クーの冗談なのか本気なのかイマイチ分かりにくい音頭にツッコミを入れつつ、差し出されたカップを受け取り、口を付ける。
ここは海岸通りの外れにある食堂『海猫亭』だ。半月ほど前にできたばかりの店らしいが、なかなかに繁盛している。
貝の料理が美味いと聞いていたが、魚や海藻などの海産物も扱っているようだ。注文した品が届くのを待ちながら、どういうことかとクーを窺えば、ぷいと顔を逸らされてしまった。
それを見て、サティアがくすくすと笑っている。
「一番おすすめなのが貝のお料理なのは間違いありませんわ。このお店は、お魚ももちろん美味しいんですけれど、クーナはお魚自体がちょっと苦手で……」
言い方が微妙に引っかかるな、もしかすると……。
「好き嫌いって訳じゃなさそうだな」
「ええ。まだ、私たちが小さな頃のお話なんですけどね。ちょうど今くらいの季節だったかしら? クーナがお魚を食べておなかを壊してしまったんですの」
「ちょ、サティ!」
クーがわたわたとし始めたが、サティアは話を止めようとはしない。もちろん、俺が彼女を遮るような真似をするはずもない。それどころか平然と先を促す。
「なるほど、そりゃあ苦手になるのも無理はないな。てかクー、トラウマあるのに海鮮の店とか大丈夫なのか?」
クーに訊ねてみたものの、本人は「うー」とか「あー」しか言わなくなってしまって要領を得ない。そして、相変わらずサティアはくすくすと笑っている。
「実はクーのお父さまが、大のお魚好きだったんです」
金髪の少女がそう告げた途端、クーが真っ赤な顔をして彼女を見た。だが、今はそれ以上に気になることがあった。
「だった……?」
どうして過去形なんだ、まさか……。
「ああ、ご心配なく。クーのお父さまはとってもお元気みたいですから」
「なんだよ、まぎらわしいな。それで? そのお父さまがどう繋がるんだ?」
「さ、サティ!」
「うふふ、クーのお父さまはお魚料理が大好きみたいなんですの。それで……」
ここまで言われて、ようやくピンときた。
「苦手を克服するために、魚の美味い店巡りをしてるんだな?」
「ええ。でも、なかなか難しくって。貝類は大丈夫みたいなんですけどね」
たぶんだが、家族がトラウマを抱えたクーを気遣って、食卓に魚料理を出さなくなってしまったんだろう。クーはクーで、魚が好きな父親に申し訳なくて、こうやって苦手を克服しようとしている訳か。
「クー! おまえはいいやつだなあ、ほんとに」
わしわしと頭を撫でてやると「そ、そんなんじゃないってば!」と、またしても顔を赤くしている。ったく可愛いなこん畜生め。
そういや、今更ながらに気付いたんだが。
「おまえたち、しょっちゅう俺の店に遊びに来るけどさ。こんな風に一緒にメシを食いに来るのは、ずいぶんと久しぶりだよな」
俺の言葉に、サティアは頷いた。
「そういえば、あの頃以来ですわね」
「そうか。なんだかんだで、あれから結構経ってるよなあ……」
◇
俺が、月に数回程度の割合で、探索者助成組合から塔の探索に不慣れな駆け出し連中のサポートを依頼されるようになってから――今年で六年目になる。
ここで誤解のないように言っておくが、アシスタントではなくサポートだ。
ええ? 同じじゃないのかって? 仕事の内容が全然違うんだよ。けど、確かにまぎらわしいよな。言い方を変えるわ。
補佐職とは、探索者を間接的に手助けする者たちのことを指す。
低層での探索は日帰り、長くてもせいぜい二~三日以内での作業が基本だから、少数のパーティメンバーだけでも特に問題はない。
だが、中~高層となると話は別だ。上に行けば行くほど〝安全地帯〟なんて無いも同然だから、複数のパーティで同盟を組み、補給基地を構築して探索に挑む。その期間も、一ヶ月から半年と長い。
そんな彼らを、主に生活面で支えるのが補佐職だ。
具体的には、基地の構築・手入れをする大工、料理人や給仕、掃除・洗濯他家事全般を請け負う家政婦に、彼らを取りまとめる執事。さらには魔獣解体の専門家から運搬業者まで幅広い。探索者登録していない医者や薬師、基地を防衛する傭兵なんかもこの補佐職にカテゴライズされる。ようは戦場の後方支援だな。
ちなみに、彼ら補佐職は探索者に直接雇われるのが一般的だ。助成組合が仲介することもあるが、そういうのは大抵組織……国とか特定の組合レベルで発行された探索課題を達成するために提供されるのがほとんどだったりする。
例えば、鉄鋼組合からの依頼『上層でしか採掘できない鉱石を入手して欲しい。職人及び採掘・運搬業者の補佐が別途必要な場合は要相談』みたいな。
いっぽう、俺をはじめとする補助員とは、主に下層で困っている探索者の手助けをするよう、助成組合から直接依頼された者たちのことを指す。
専門にしている業種によって補助の内容は異なるが、俺の場合は迷宮状になってる階層から抜け出せなくなったパーティを階層の出口まで案内したり、はぐれた探索者を仲間たちと合流させたりするのが基本的な役割だ。
引退した元探索者が、老後の暇つぶし的な感覚で上の階層から紛れ込んだ魔獣を駆除したり、階層にそぐわない罠の解除をするなんてこともある。中級探索者が討ち漏らした下層の〝階層の門番〟討伐なんかを代わりにやってたりもするな。
この間の〝救助依頼〟なんかも補助員の仕事だ。まあ、正直アレは例外過ぎたんであんまり参考にならないとは思うが。
ここまで聞いて気付いたかもしれないが、第三から第九階層までの下層エリアは駆け出し探索者たちの訓練所を兼ねているんだ。ここで学んだことは、低層以降でも通じる基礎になるからな。
第一と第二はどうしたのかって? 例の〝安全地帯〟用術式を壁面全体に刻み込むことで、薬草園になってる。塔でしか育たない種が結構あるからな。
本当なら、もっと上の階層にも展開させたいみたいだが、予算……というよりも術式維持のための触媒が足りなくて、現状ではこれが限界とのことだ。
某夢の国と同じか、それよりも広い土地の全域に儀式用の魔法文字を書き込むだけでも、めちゃくちゃ大変だ。それを保持するとなれば、かなりの出費になる。
ところであんた、あのテーマパークの年間維持費……知ってるか? ちょっと興味があって調べてみたんがな、設備投資費だけで三百億円近く使ってるんだぜ? ついでに、電気代が約三十九億五千万円。さらに従業員の給料とか諸経費なんかを付け加えると……ヤバイ。
比較対象としては間違ってるのかもしれないが、そうやって考えてみると、第一層と第二層を〝安全地帯〟として維持できてるってだけで、アルバがどんだけ塔にカネかけてるのか、豊かなのかが、なんとなく想像できると思う。
おっと、また話が逸れたな。
とまあそういう訳で、三年ほど前のこと。俺が補助員の一人として働いているときに救助した二人の迷子……それが、クーとサティアだったんだ。
◆
「オレたち、ここでこのまま死ぬのかなあ……」
薄暗い、塔の第七階層迷宮の片隅。崩れた岩壁の一部に身を潜めながらクーナはぽつりと自嘲した。唯一の相棒で、最も頼りになる幼なじみの少女は〝魔力枯渇〟で気絶したまま目を覚まさない。
自身の魔力も限界に近く、既に〝念話〟の送信すらすらおぼつかない。これ以上消耗すれば、何も出来ずに、二人揃って魔獣のエサになる。
「サティ、ごめん。全部、全部、オレのせいだ……」
クーナは、自身のうぬぼれが現状を招いたのだと、嫌と言うほど理解した。今さらそんなことに気付いても、既に手遅れなのかもしれないけれど。
――駆け足も、壁をよじ登るのも、近所の子供たちの中で誰よりも早かった。ケンカだって、同年代であれば、自分より身体の大きな相手にも負けたことはない。頭の回転も速く、読み書き計算と基礎魔法は六歳までに全部あっさりと覚えてしまったし……剣を手にすれば、訓練所の教官以外の誰もクーナに敵わなかった。
そんなクーナに唯一ついてこられたのは、幼なじみのサティアだけ。
彼女は身体能力こそクーナには及ばないが、冷静で頭が良く、弱体系魔法を操る腕は下手な大人よりもずっと優れていたし……常に教官たちから言われ続けてきたクーナ最大にして唯一の欠点「一撃が軽い」のを完全に補ってくれていた。
何より、サティアは物心ついた頃からずっと一緒にいる幼なじみだ。気心が知れているし、自分の意図を視線を交わすだけで察してくれる。それは、サティアからしても同様であった。
そうして、二人が十二歳になった時。当然のように探索者の職に就いた。
才能あふれる二人にはパーティへの勧誘が殺到した。けれど、クーナはサティア以外の誰かと組む気にはなれなかったし、どんなに大人たちが「危険だから」と、多人数での探索を勧めても、絶対に耳を貸そうとしなかった。
実際、第六層を抜けるまでは何の問題もなかったから、クーナは自分の考えが正しいのだと、ますます増長していった。
その驕りが〝初心者殺し〟と呼ばれる塔の第七階層、迷宮領域の洗礼を受ける結果に繋がることとなる。
第七階層の探索を始めてから、一時間ほどが経過した頃だろうか。
通路の物陰から飛び出してきた小型の魔獣を、クーナが得意の剣で相手取っていたその時。彼らが全く警戒していなかった天井からの不意打ち……ジェリー・スライムの襲撃を受けたのだ。
ジェリー・スライムはゲル状の魔法生物で、天井や壁に貼り付き、あるいは水たまりなどに擬態しながら、静かに獲物が通りかかるのを待つ。彼らの体内に取り込まれたが最後、骨までぐずぐずに溶かされ、捕食されてしまう。当然、蘇生なんてできるはずもない。
そう、このジェリー・スライムこそが〝初心者殺し〟の筆頭であり、第七階層自体が驕り高ぶり、油断した多くの駆け出し探索者を屠ってきた罠なのである。
幸いなことに、すんでの所でジェリー・スライムの落下攻撃を避けたクーナは、しかし大きなミスをした。頭をかばおうとして掲げた小剣を、粘つく触手に奪われてしまったのだ。
さらに「幼なじみが食べられてしまうかもしれない」という恐怖と焦りが、サティアから持ち味の冷静さを失わせた。
初級探索者講習で、
『スライム系の魔法生物には弱体系の魔法が通らない……というよりも、ほぼ効果がありません。ですから、もしも探索中に遭遇した場合には〝魔法の矢〟などの簡単なもので構いませんので、攻撃魔法で核を直接叩きましょう』
そう学んでいたはずなのに、反射的に得意な〝粘つく糸〟の呪文を唱え、動きを鈍らせようとしてしまったのだ。しかも、繰り返し、何度も何度も。
そもそも、スライムが天井に貼り付いたり、窪地に潜んで獲物が通りかかるのを待ち受けているのは、粘体である性質上、動作の全てが緩慢で、素早く動けないからだ。そんな相手に、たとえ効果があったとしても〝粘つく糸〟を放つ意味があるだろうか。
そう、サティアは貴重な魔力と引き替えに、無駄弾を何発も撃ってしまったことになる。
二人の受難はさらに続く。
元より頭の回転の速いクーナは、不意打ちと、剣を奪われた衝撃からいち早く立ち直った。早急に現状を打破するために、背負い鞄の中から小ぶりの油壺を取り出すと、スライムの手前、岩の床板目掛けて投げつけた。
そうして、パリンという渇いた音が通路に響いた直後。腰から下げていた携帯用松明に火をつけ、同じように投下する。
スライム種は総じて火に弱い。それを知っていたからこその行動であり、野外や第六階層までであれば最適解ではあったのだが……実行した場所が悪過ぎた。
迷宮という閉鎖空間、しかも狭い通路で油に火をつけるような真似をしたらどうなるか。吹き上がった炎が黒煙を撒き散らし、二人の視界を遮った。さらに、呼吸まで困難にしてしまう。当然の帰結である。
とどめとばかりに、周囲からゴブリンたちが寄り集まってきてしまった。
この階層に棲んでいたのが、ホッパー・ラビットやハウンド・ドッグのような動物系の魔獣だけであれば、こうはならなかったであろう。何故なら、獣は本能で火を避けようとするために、自ら近付いてくるような真似はしないから。
しかし、ゴブリンをはじめとした知性ある魔獣たちは違う。彼らは火を畏れないばかりか、魔法やランタンの灯が人間――獲物が近くにいる印だと認識している。だからこそ、不自然な明かりを見つけて近寄ってきたのだ。
武器を奪われ、煙で視界をも遮られた二人は、ゴブリンの群れの襲来という追い打ちによって恐慌状態に陥った。けれど、決して互いを見捨てたりはしない。
クーナとサティアは手に手を取って、その場から逃げ出した。ほの暗い迷路の中を、ただがむしゃらに駆け抜けた――何度も転び、時には壁に身体の一部をぶつけながらも、生き延びるために走り続けた。
気がついた時には、帰り道はおろか、自分たちがどこにいるのかすらわからず。明かりも、荷物も、魔力のほとんどをも失っており。物陰に身を潜めて、魔獣の足音に怯えることしかできなくなってしまっていた――。
◆◇
サティアはなけなしの魔力を振り絞り、探索者助成組合に救助依頼の〝念話〟を送った直後に〝魔力枯渇〟を起こし、気絶してしまった。
もう、どれだけの時間が過ぎたのかわからない。いつものクーナであれば、探索中は頭の中で計算していたのだけれど……今、そんな余裕はなかった。
五感を研ぎ澄ませ、魔獣の気配を察知しなければならない。それができなければ二人揃ってバケモノどもの腹に収まることになる。
(サティアを置いて逃げる? そんな真似、できるわけないだろ!)
〝念話〟を送り終えた後、サティアが零したのは「一人で逃げて」の一言。
(そんなの嫌だ! 絶対、二人で帰るんだ!!)
確率的なことだけで言えば、気絶したサティアをこの場に置いて、クーナ一人で迷路の中を動き回ったほうが、救助に来てくれた補助員や、他の探索者パーティに見つけてもらいやすくなる。
だけど、それはサティアが魔獣に喰われて死んでしまい、蘇生すらできなくなる確率を上げるのと同義で。
(考えろ、考えるんだ、二人揃って生き延びるための方法を!)
必死に頭を回転させる。なのに、普段は回り過ぎる程の頭脳は、こんな時に限って最適解を示してくれなくて。
現実的な意味でも、頭脳的にも迷宮の中に閉じ込められたクーナは、ついに破滅の足音をその耳に捉えてしまった。
人間にしては軽すぎる。不揃いな装備が奏でているのであろう不協和音。理解できない言葉を交わし合うそいつらは。
「よりにもよって、小鬼の群れかよ……」
亜人型魔獣オーガ族の最下位種族、オグル。第七階層においては〝階層の門番〟を除けば最強に位置する怪物である。
普段のクーナであれば、さほど苦戦しない相手だが……剣をなくし、手持ちは腰のベルトに差していた、解体用のナイフが一本。体力・魔力ともにからっけつな今では一匹倒すだけでも死を覚悟しなければならないだろう。
そんなヤツらが複数、こちらへ近付いてきている。一応退路は確保してあるが、サティアを抱えて逃げきるのはほぼ不可能。まず間違いなく追いつかれる。
かといって、気絶したままの彼女を置いていく訳にもいかない。瓦礫の影に隠してはいるけれど、オグルは鼻が効く。クーナは助かるかもしれないが、サティアは確実に見つかって……その場で食べられてしまうか、連中の巣に連れて行かれる。
オグルの巣に囚われた女の末路は悲惨なのだと聞いた。捕まった者たちは、例外なく壊されてしまうのだとも。
まだ肉体的にも精神的にも幼いクーナには、その理由はわからなかったけれど。攫われたら終わりだということくらいは理解していた。
腰のナイフに手を添える。
「オレたち、ここでこのまま死ぬのかなあ……」
とうとう、クーナの口から弱音が漏れた。その間にも、足音は近付いてくる。
「サティ、ごめん。全部、全部、オレのせいだ……」
ほろりと、こぼれ落ちた涙が頬を伝ってゆく。曲がり角から、オグルたちが姿を現した。手にした武器を振り回しながら、こちらを威嚇してくる。
恐怖と疲れで、足も頭も動いてくれない。
だけど……敵わぬまでも、せめて一撃。そう決意して、ナイフを構えた直後。
『伏せろ!』
頭の中で響いた〝念話〟に従い、即座に地に伏せたクーナが目にしたものは。
曲がり角の向こう側から、通路の壁でジグザグに跳ね返りながら飛んできた光の魔弾が……オグルたちの頭を、ことごとく消し飛ばしていく場面であった。




