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一.リーマンは懐かれている

「どうもお騒がせしました、こちらが診断書です」


 総務部の部長に封筒を手渡した後、俺は改めて頭を下げた。


「加藤くんも災難だったねえ」


「ははは……」


 魔力酔いと発熱、そこに疲労のコンボで倒れたかと思ったら、追い打ちでインフルエンザ襲来。まあ、予防接種受けてても、罹るときは罹っちまうからな。


 お陰で二日間休むつもりが、十日も出てこられなかった。弱り目に祟り目なんて言葉があるが、まさしくそれだ。


 んー、まあ有給消化だと思って割り切るしかないか。


 とはいえ。


「社内に持ち込まないで済んだのが幸いでしたよ」


 俺のせいで社内でパンデミックとか冗談じゃないからな。


「搬送先だけでなく、かかりつけの先生にも診てもらって良かったねえ」


 総務部長の言葉に、完全に同意する。


「ええ。最初は発熱と身体のだるさだけだったのが、次の日の朝に咳と節々の痛みが出てきまして。これはおかしいと病院へ向かって正解でした」


「身体の異変を放置せず、医者に診てもらうのも健康管理の一つだからね。たぶん通勤中に貰ってしまったんだろうなあ」


「先生も同じことを仰ってましたよ。なので薬をもらって即Uターン、あとはできるだけ他人と接触しないように、出前で一週間過ごしました」


「そういえば、きみは独り暮らしだったね」


「はい……」


 途端に、総務部長の目がキラリと光った気がした。やべぇ、これはまずいスイッチ入れちまったかもしれん。


「加藤くん、確か今年で四十一だったよね? いい人はいないのかな?」


 ほらー! 絶対言われると思った!


「実家や知人から、そういう話はいくつか勧められてはいます」


「ふむ、それなら私の話はお節介だったかな?」


「いえ、もしかしたら……そのうちお願いするかもしれませんので」


 そう返すと、総務部長は人の良さそうな笑みを浮かべた。


「そうかい。なら、私の紹介が必要になったら声をかけてきてね」


「ありがとうございます! その時はよろしくお願いします!」


 こういう場合、下手に断ると余計に食いつかれる。適度に躱すのが最適解だ。ちなみに、家族や知人の話は半分本当で、半分が嘘だ。


 勧められているのは事実だが、せいぜい姉さんに「そろそろあんたもいい人見つけて結婚しなさいよ」なんて尻を叩かれている程度。姉や義兄の同級生は全て売約済みで、そっち方面からの紹介がないのはありがたい。


 もっとも、三十代ならまだしも、四十越えるとそういう話が目に見えてガクンと減るんだよな。俺の特異体質を考えれば、そのほうがいいんだけど。


 診断書の受け渡しを終え、開発室に戻ろうかといったところで、急に総務部のドアが開いた。人事部長の登場だ。


 俺としては用件も済んだし、軽く挨拶をしてこの場を去ろうと思ったんだが。


「おお、加藤くん復帰してたのか! ちょうどいい」


 ……何やら厄介ごとの香りがする。さすがに〝魔獣の暴走〟みたいな事件が現代日本で起こる訳もないけど、ここ数日不幸が重なったから、妙に不安が、ね。


「私に何か?」


 言を向けると、人事部長はA4サイズの封筒を手渡してきた。


「きみが休んでいる間に、エンジニア部門に中途採用の応募が来てね。こちらでも確認したんだが、現場の君に判断してもらいたいんだ」


「と、いうことは人事の書類審査は通るレベル、ということですかね?」


「ああ。そちらで課題のアプリと添付コードのチェックを頼む。手が空いているときで構わないから、目を通しておいてくれないか」


「わかりました」


 そう言って、軽い気持ちで受け取ったこの封筒が――俺の人生に〝越境〟と比肩する程の衝撃を与えることに繋がるだなんて、この時は想像だにしてなかった。





 十日ぶりの転送屋『黒猫(シャノワール)』開店は、商店通り周囲に混乱を引き起こした。


 ……大量の見舞客来訪で、商売にならなかった的な意味で。


 マーベルの親父さんをはじめとした運輸組合の友人・知人に近所の商店主たち、探索者助成組合長と例の〝暴走〟中に〝念話〟を受け持ってくれた担当者、事故の原因となったパーティの生き残りと、魔法魔術組合で顔なじみの若手魔術師連中、とどめとばかりに、まさかの上級魔法魔術学院長までやってきて、その対応にてんてこ舞いする羽目になった。


 何というかほんと申し訳ない……あとで、菓子折り持ってお詫びに行かねえと。ミュステリウムにそういう風習はないが、迷惑かけちまったからな。


 それとは別に、現在進行形で困っていることがある。それは……。


「おっちゃん、ほんとにもう大丈夫なの?」


「だから、大丈夫だって言ってるだろ」


「オレがあんな提案したからおっちゃんが……」


「ああもう、おまえのせいじゃないんだから泣くな!」


「だって、今まで定休日くらいしか休んだことないのに……」


 クーが俺から離れない。懐かれてるのはわかっていたが、ここまでベッタリじゃなかったはずだ。今までは、せいぜい「子供の頃、よく遊んでくれた近所のおじさん」程度の距離感だっただろうに……。


「ああもう、離れろ! 何回説明させんだ! 〝魔力酔い〟は、どっちかっつうと撤収のときの連続転送のせいで、同盟戦はたいした負担じゃなかったの!」


 そう。体力的には結構キツかったが、魔力的にはなんら問題なかったんだよ……あのレイドバトル自体は。魔力回復薬を何本か飲む羽目にはなったが〝魔力酔い〟するほどじゃなかった。


 おっと、そういえば〝魔力酔い〟について説明してなかったな。


 魔力と呼ばれるエネルギーは、大別すると二種類。


 一つは、大気に遍在する魔力――外精(マナ)


 もう一つは、生物が体内で生成する魔力――内精(オド)


 魔術ってのは、基本的にオドのみで起こす事象を指す。レイドバトルで大活躍してくれた〝魔法の矢〟なんかはモロにこれだな。体内のマナを凝縮させ、目標に向けて放つ――わかりやすいだろ?


 〝念力(テレキネシス)〟や〝発火(イグニッション)〟あたりの、いわゆる基礎魔法とされている術のほとんどが、学術的な分類では魔術にカテゴライズされている。


 魔法は、オドをマナを結びつけることで発動させる奇跡のことだ。代表的なのが魔法陣を使っての儀式魔法だろう。外の力を借りる訳だから、使い手の負担はその威力に比べて低い傾向にある。


 そのぶん、魔術よりも難易度が高い。法則に従って正しく陣を書いたり、必要な触媒を揃えたり、やること・覚えなきゃいけないことが、とにかく多いんだ。


 で、近年(と、いっても数百年くらい前かららしいが)発見・開発された魔孔(まこう)からマナを体内に取り込む〝集気法〟っていう呼吸法が存在する。


 身体のあちこちにあるこの魔孔は、呼吸で酸素を取り込むように、大気中のマナを体内に吸収する器官だ。


 ただし、人間の鼻の穴が二つと決まっているのと違い、魔孔の数は生まれつき多かったり少なかったりする。天才と呼ばれるような魔術師は、基本的にこの魔孔の数が多い。例の上級魔法魔術学院の学院長先生なんかがこれに当てはまる。


 本来、マナは人間の身体には馴染まない。取り込み過ぎると、アルコールの分解と同じように、体内の器官が処理しきれなくなって中毒症状を起こす。これが俗に言う〝魔力酔い〟だ。


 魔孔の数が多いということは、マナを取り込みやすく、かつ体内で処理しやすい体質であることを意味する。


 そして俺には、この魔孔がなかった。


 そもそも、魔法なんざ存在しない地球出身の俺にそんな器官があると思うか? あったら逆に驚きだわ。


 ただ、一応あっちにも量は少ないもののマナがあるんだよなあ……オドもそのままだし。進化の過程で失われたのか、単純に本来の俺には魔法の才能がからっけつだったのか。


 ……もしかすると、地球にも魔法使いがいたのかもしれないな。科学の進歩で、失われてしまったのか、あるいはどこかに隠れているのか。


 それはさておき。


 魔孔については〝魂の水晶〟のおかげで解決した。これも〝肉体の調整〟でどうにかできるものらしい。他にも、外科的な処置で人工的に増やすことも可能だ。ただしコレ、滅茶苦茶痛い。麻酔無しで歯の神経抜くのと同レベルでキツイ。


 ああ、もちろん体験談だ。泣けることに、両方ともな! お陰で未だに歯医者がトラウマになってる。


 まあ、そいつは今は横に置いておくとして。


 魔孔が増えた当初は慣れなくて〝集気法〟を使うたびに、魔力酔いを起こしてはブッ倒れてたよ。酒を飲み始めたばかりの大学時代を思い出したっけ。


 学院を卒業する頃には、ほぼ治まっていたんだが……今回は久々にやらかした。クーにも言った通り、門番戦だけなら何ともなかったんだが、問題はその後だ。


 とにかく人手が足りなかったもんだから〝暴走〟の影響で倒れた柱や、崩れた壁材なんかを〝転移〟で移動させて埋もれた通路を仮復旧したり、下の階層で待機してくれてた医者を〝安全地帯〟に運んだり。


 そんなことを日がな一日繰り返していた結果、魔力回復薬だけじゃ追いつかなくなって(正確には飲み過ぎで腹がタプタプになっちまったから)〝集気法〟で取り込むマナの量を大幅に増やしたのがマズかった。


 ……塔の中って、外よりも大量のマナで溢れてるんだよ。


 普段、ビール数本開けただけで酔うヤツが、ウイスキー(ビールの十倍以上アルコール度数が高い)をラッパ飲みしたようなモンだ。そりゃ悪酔いもするわ。


 ただでさえ薬で体内で生成した魔力以外のモノを取り込んでたのに、純度の高い塔のマナまで取り込むとか、我ながらほんと無茶したもんだ。


「やっぱりまだ具合悪いんだろ! 声かけてるのにぼーっとしてる……」


 おっとまずい、クーのこと放置し過ぎたか。


「だから大丈夫だって。魔力酔いで参ってたところに、向こうで病気になったんで休んでたんだよ! それももう治ったし! こっちの人たちに感染(うつ)すとマズいから、大事をとって十日間店を閉めてただけで……」


 インフルエンザが魔法で治るかどうかわからんしな。俺に〝病患治癒(キュア・ディジーズ)〟が使えれば実験できたかもしれんが、そっち方面はさっぱりなんだよなあ。とはいえ、治療院から治癒系魔術師に来てもらって、その人に感染したら本末転倒だし。


 甘く見てる人も多いが、インフルエンザは最悪死に至る病だからな。そんなモンこの世界に持ち込む訳にはいかないだろ。


 ……熱にうなされてる時「インフルエンザウィルスを〝転移〟で身体の外に出せねえかな」なんて考えちまったのはここだけの秘密だ。実際にはそんな真似、怖ろしくて出来ない訳だが。


 だって考えてもみろ。ミスって血液ごと〝転移〟したらどうなるよ? その場で確実に死ぬわ! スプラッタ案件再来だよ! 被害者枠でワイドショー出演とか、絶対に嫌だぞ俺。


 いや、待てよ? アルコールを摂取した魔獣で実験してみるとか? うん、機会があったら試してみるのも悪くない。成功すれば、急性アルコール中毒とか回避できるかもしれないし。


 失敗した場合? ほら、某博士も言ってるじゃないか。科学ノ進歩、発展ノタメニハ犠牲ガツキモノデース。


 実際には科学じゃなくて魔法だけどな!


 なんて、俺が独りボケ・ツッコミをしている間に、さっきまで様子見に徹してたサティアがフォローに回ってくれた。


「ほらクーナ、おじさまは大丈夫だって仰っているでしょう?」


「け、けどさあ……」


「あなたがずっとおじさまにくっついていたら、お仕事の邪魔になりますわ」


「うう……」


 正直、クーたちの来訪に関係なく、今日は最初っから仕事にならなかったんだが……そこは口を噤んでおく。俺は空気の読める男だ。


「ごめんなさいね、おじさま」


「いや、構わないよ。クーは、俺のこと心配してくれてるんだよな」


 背中にひっついているクーの頭を、ガシガシと乱暴に撫でる。普段なら「子供扱いすんな!」と飛び退くコレも、黙って受け入れている。


「ま、いいさ。どっちみち今日は仕事にならねえし。とっとと店仕舞いするよ」


「おじさま!?」


「おいクー。そんなに気にしてるなら、どっかで美味いモン食わせてくれよ。もちろんおまえのおごりでな!」


「ふえ?」


「なんだ? まさかもう救助ん時のカネ、使いきっちまったのか?」


「そ、そんな訳ねーだろ! オレ、無駄づかいはしないんだからな!」


 お、少し調子が戻ってきたか? ならもうひと押しだ。


「だったらいいだろ。滅茶苦茶食って、俺が元気になったことを証明してやる」


「……オレのお金で?」


「おう、他人のカネで食うメシは旨いからな!」


 クーのやつが、俺にしがみついたまま大きく目を見開いた。それから、くしゃっと顔を歪めて……笑った。


「海岸通りでさ、貝料理がおいしい店見つけたんだ。そこでいい?」


「おお、いいな! 壺貝の磯焼きとかあると最高なんだが」


「あるよ! オレのオススメはパタパタ貝のバターグリエかな!」


 そこへ、楽しそうにサティアが付け加えてきた。


「貝の他にも、おいしいお料理やお酒がたくさんありますわよ」


「そりゃいいな、それじゃ夕飯はその店で決まりだ!」


「ええ。クーナのおごりですから遠慮しないでいただきましょうね」


「ちょっと待て! サティの分もオレが出すのかよ!?」


「いやあ、クーは太っ腹だなあ!」


「おっちゃん、そりゃないぜ……」


 店内に笑い声が響き渡る。転送屋の本格的な再開は、明日からでいいか。





「これ、本当に合成じゃないんだよな……」


 録画しておいた動画を見ながら、男はゴクリと喉を鳴らした。


 モニタに映っているのは、どこにでもありそうなマンションの一室。ただし、そこで繰り広げられる光景が、常識ではありえないモノだった。


 パチンと指を鳴らすだけで、一瞬でスーツから部屋着に着替える男。腕を振ると手の中に缶ビールが出現し、テーブルの上に一瞬でつまみが並ぶ。


 手のひらをバスタブにかざしただけで、空っぽだったそこに湯が張られる。


 事前知識無しでこの映像を見たら、手品の類だと誰もが思うだろう。しかし、男はこれがトリックではなく、正真正銘の〝奇跡〟であると知っていた。


 そして、カメラの先で生活していた人物がベッドに入ってから十五分ほどして。とどめとばかりに〝消失〟したのを見た。見てしまった。


「うん、想像以上だ。あとは……」


 手元のタブレットを操作する。そこには、男がこれまで集めてきた情報が記録されていた。それらに目を通しながら、彼は呟く。


「接触の手筈は整った。あとはどこまで接近できるか、だな……」


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