九.リーマンは注目されている
アルバ国の首都・テュレニアの中心街にそびえ立つ、特徴的な古式煉瓦造りの庁舎は、アルバ中央政府官邸――別名を〝国家共同管理組合本部〟という。
建物の奥まった場所にある大会議室では、二日前に発生した〝魔獣の暴走〟に関する報告と情報交換のため、探索者組合の主立った役員の他に、救助や運搬、復旧作業に携わった各組合の担当責任者が集まっている。
彼らは現在、事件の概要に関する情報交換及び、今後の対応について調整を行うための会合を開いていた。
「いやはや、罠の解除を終えていない宝箱を持ち運ぶとは。最近はずいぶんと命知らずな探索者が増えてきたものですな。今回に限らず、その危険性は充分に周知されてきたものと認識しておったのだが」
純白の外套を纏った壮年の男性――治療院の代表者が眉をしかめて胸の内を吐き出した。その意見に全面的に賛同すると言った体で、革のベストに作業ズボンの中年男が肩をすくめる。腰のベルトに、鉄製のリングを通した小さな金槌を吊り下げている。彼は木工職人組合の長だ。
「ええ。触れるだけではなく、その場から動かしただけで発動するものや、少し揺れただけで爆発する罠もあるというのに」
藍染めのローブを身に付けた、亜麻色の髪の女性が生真面目な表情で口を挟む。服の袖口に銀糸で刺繍されているのは、探索者助成組合員の承認印だ。
「やはり、低層卒業までの間は中級以上の補佐役を同行させることを義務づけるという、法の整備が急務なのではないでしょうか」
集まっていた一同から「異議なし」という声が上がる。
「そうだな。このところ大きな事故もなかったし、俺たちも油断してた。初級探索者を対象とした研修会の開催を増やすことも検討したほうがいいだろう」
「例の〝警報の罠〟に関する周知は〝伝達〟で行いましたが、探索者組合や都庁舎の掲示板にも記載しておく等、より多くの民に知らせるよう努力しましょう」
「我が新聞社組合も周知のための協力を約束しよう」
「ありがたい、是非よろしくお願いします」
彼らには、無謀な行いをした者たちを嘲っている様子はなかった。真剣に、起きた事故と、その対策について論議している。
「ところで補佐役というと、今回は例の〝越境者〟氏が関わっているようで」
「きみの手元にある資料も、彼が提出してくれたモノだよ」
そう言って微笑んだのは、丸眼鏡をかけた黒い髪の中年男性だった。彼の脇に置かれている、節くれ立った杖は、この国では子供ですら知っている〝知性ある杖〟レェス・アルカナム。国立上級魔法魔術学院長アンス・ファクトの愛用品である。
「言われなくてもわかるさ。これほど詳細な報告書をまとめられるような人材の心当たりなんざ、カトゥ以外にねぇよ」
白髪交じりの赤毛に顎髭を蓄えた偉丈夫が、紙束を手に肩をすくめる。その発言に対面に座した恰幅の良い男が、片眼鏡の位置を直しつつ同意した。落下防止用の鎖と共に揺れる飾りは、半分が欠けた古代の貨幣。商業組合本部長の身分証だ。
「マーベル氏の仰る通り。事故発生の経緯から被害状況、掃討戦・門番の撃破における作戦の概要と詳細まで、全てがまさに簡にして要。実にわかりやすい」
「下手な推測を交えず、かといって感情に訴える訳でもない。事実のみを淡々と述べるさまは小気味よい」
「……彼は本当に、他国で高等教育を受けた王侯貴族や大富豪、政府高官のご子息ではないんですよね?」
質問を受けた銀縁眼鏡の青年が頷いた。彼が首から下げているペンダントには、テュレニア都庁のエンブレムが刻まれている。彫色は銀、中心には炎の紋。これは水晶球管理局の職員であることの証だ。
「彼の出身たる〝世界〟において、平均よりも若干上の教育機関で学んだ程度で、出身自体はごくごく平凡な一市民だそうです」
マーベルがハッと笑う。
「そうでなきゃ、最初の仕事に荷物運びなんて選ばねぇさ」
「確かに」
「それに、何度かあいつから話を聞いてみたけどよ。カトゥのいる〝ニホン〟って国はな、俺らの国とはちぃとばかし違う方法だが、民が選んだ代表が定期的に議会を開いて政をしてるんだとさ」
「それは私も聞いたことがあるね。とはいえ、例の世界の国々もこちらと同じで、全部が全部合議制って訳じゃないようだから、そこを勘違いしてはいけないよ」
学院長の同意と補足に、そこかしこから感嘆のため息が漏れた。
「ほお」
「それはそれは」
「なるほどな、道理で……」
アルバ国はミュステリウム大陸において唯一、共和制を採用している国家だ。
商人たちの寄り合いから生まれた各業務体系――商業系、工業系、産業系の他、教育・研究機関に銀行、新聞社、軍など多岐に及ぶ組合の長と、彼らに指名された国家運営担当者……他国においては官僚と呼ばれる者たちが国政を担っている。
そのため、対外的な呼称こそ〝アルバ国政府議会〟だが、その実態は国の業務全体を取りまとめる国家共同管理組合。
それこそが、この集まりの真の姿なのだ。
彼らの頂点に立つとされる国家元首〝最高評議長〟は、なんと毎年各組合の長が一年おきに持ち回りで担当するという、他の国の価値観からすると信じられないほどゆるい立場なのだ……実際の責任は相応に重いのだが。
これが、王政・帝政が当たり前の異国からすると、
「品位がない」
「これだから下賤な商人どもは……」
などと、国そのものが見下されやすい原因のひとつであるのだが。実際にそんな価値観を元に、豊かなアルバの国土を己がモノとせんと動いた周辺国家は、軒並み手酷い逆襲を受けている。
おもに、経済的な意味で。
アルバ国が「どこそこの国との取引を停止する」と宣言しただけで、大陸中が揺れに揺れる。下手をすると、海の向こうのヴァルハイト大陸まで影響を受ける。
何故ならアルバ国はミュステリウム大陸の玄関口であり、流通における心臓でもあるのだ。世界を巡る貿易行路という名の血管が断たれれば、血の巡りの悪くなった臓物――すなわち国は、最悪腐れ落ちることとなる。
もちろん、アルバ側としてもそんな強権を振るうのは出来うる限り避けている。やり過ぎて取引相手がいなくなっては、自滅に繋がるからだ。
かつては、そんなアルバの対応を「王権に対する侮辱である」とし、軍を起こした国がいくつもあった。周辺諸国が同盟を組んで攻め込んできたこともある。
アルバ国の立地と豊かさに目がくらみ、無理難題を押しつけた挙げ句、一方的に宣戦布告してきた国まであった。
しかし、先に述べた通り、アルバは大陸最大の商業国家であるのみならず、内部に〝塔〟を抱えている。これらを勘案すれば、軍事面でも弱いはずがない。
国内に編み目の如く張り巡らされた交易路は全て舗装され、一定距離ごとに警邏兵の駐屯地がある。国の上層部が、安定した利益を得るためには荷馬車が通る道の安全を保つことが大切であり、必要経費なのだと理解しているからだ。
海路にしても同様で、商船を脅威から守るため、軍艦を多数揃えている。
いざ事が起きれば彼ら国軍のみならず、探索者や魔法魔術組合が一致団結して困難に立ち向かう。さらに、カネの匂いを嗅ぎ付けた傭兵たちが集まってくる。当然アルバの国民は彼らを歓迎し、報酬も奮発するので、腕に自信があり、かつ他国で不遇をかこつ武芸者などは、大喜びで参戦する。
そのままアルバが気に入ってしまい、定住する者が出てくる始末だ。そのため、戦争が起きるたびに国力が(戦力的な意味で)上がるという、仕掛けた側の国からすると悪夢のような状況に陥ってしまう。
ゆえに、いつしかアルバに攻め入る国はほとんどなくなった。全く無いと言い切れないのが悲しいところで、ごく稀に無謀な挑戦を仕掛けてくる国が出てくる。
ただし、それも四十年ほど前に〝塔〟で起きた〝魔獣の暴走〟騒ぎのどさくさにつけ込んで領地の拡大を狙った新興国(現亡国)ジュベンテの暴走を最後に、今のところ収まっている。
……とまあ、こんな事情があるために。
「ニホンという国と交易してみたいものですなあ」
「ええ。優れたからくりを造り上げるのみならず、我が国と似た政体。いやはや、実に興味深い!」
「あちらには魔法がないそうですからな。お互いに得るものがあるだろう」
「是非とも我が子を留学させたい……」
「その前に一度行ってみたい、この目で見てみたいものです」
「民の全てがカトゥ氏のような義理堅い人物であるはずがない。しかし、似たような気質の持ち主が多いのであれば、我らアルバの民とはうまくやっていけるのではないかと思っている」
「あいつ、軽そうな態度してる割に真面目だからなあ」
「普段の仕事も手堅くこなしてくれるから、安心して依頼できる」
「今回の〝暴走〟にしても、なんだかんだと文句を言いつつ最後まで手を貸してくれたからね」
「請求書はしっかり回ってきたがな!」
「それは、商売人として当たり前では?」
会議室に笑い声が響き渡る。
こんな感じで、彼らアルバ国家共同管理組合の面々は、別世界の国家「ニホン」への期待感・好感度がすこぶる高い。カトゥと直接交流がある面々は特に、だ。
「ところで、カトゥ氏はまだ〝壁〟を破れずにいるのかい?」
問われたテュレニア都庁の職員が、ふぅと息を吐いた。
「今回の〝階層の門番〟撃破で、かなりの経験を積んだようですが……それでも、意識を保った状態での〝越境〟には至らないようです」
「そうか、かなり頑張ってるみたいなんだがなあ」
目に悪戯っ子のような輝きを宿しながら、ファクト学院長が提案する。
「なら、最近魔法魔術協会と合同で開発に成功した〝魔力向上薬〟を差し入れてみましょうかね?」
それを聞いたマーベルは眉根を寄せた。
「そんなモンがあるなら売ってくれって言われるぞ、あいつの性格的に。あと、前々から口が酸っぱくなるほど言っているからわかっていると思うが、絶対に裏から手を回したり、あいつのメシに混ぜ込むような真似はするなよ?」
「大丈夫ですよ、そんな信義にもとる行為はしません」
「ほんとかぁ? 〝若返りの石〟の時みたいな騒動起こしたら……カトゥのヤツ、この国を出て行っちまうかもしれねぇぞ」
「だから、アレは事故だったんですよ! 僕が確保していた石を、助手が別の触媒と間違えて彼に渡してしまっただけで!」
「必死だな」
「当たり前です! だいたい〝若返りの石〟は僕の年給五年分ですよ!? 値切りに値切ってその額ですからね? 僕自身に使うために、こつこつとお金を貯めて購入したんです!」
「見込みのある若者に、偶然の事故を装って手渡したとか……」
「〝知恵ある杖〟レェス・アルカナムの担い手たる名にかけて! 正真正銘、事故だったと明言します!」
ぎゃんぎゃんと言い合う二人の間へ、魔法魔術協会の職員が割って入る。
「彼にそういった薬への抵抗がないのであれば、今度売り込んでみますが?」
ぜえぜえと肩で息をしながら、学院長は言った。
「そうだね。上級転移魔法の使い手で、しかも〝越境者〟とくれば、我々よりも〝壁〟越えられる可能性が高い。僕たち魔術師にとって長年の悲願である〝越境〟を成せるとしたら、彼をおいて他にはいないだろう」
他でもない、数百年に一度の大天才と称される〝偉大なる魔術師〟アンス・ファクトの言葉だけに、その意味は山と積まれた黄金よりも重い。彼は、暗に「自分には出来ない」と認めているのだ。
「という訳で、カトゥには是非とも完全な〝越境〟に成功してもらいたい。余計な勧誘や囲い込みなんぞやらかして邪魔する者は……わかってるな? 特に、そこで資料に顔を隠してる某研究舎職員!」
「マーベル氏、それ伏せてません! 完全に名指しじゃないですか!」
再び会議室内のそこかしこで笑い声が巻き起こる。そう、カトゥが称する〝激レアな魔法の使い手〟が、各組合からしつこい勧誘を受けないで済んでいるのは――長が統制をとって防いでいたからなのだ。
彼らは、赤子が立ち上がるのを見守る親のように、わくわくしながらカトゥの成長に期待している。
いつか〝世界の壁〟が崩れたその時、彼らは即座に友好使節団を送り込む気まんまんである。こんな調子なので、実現すれば意外とうまくいくかもしれない。
◇
――いっぽうそのころ、日本では。
噂の張本人である加藤は、ベッドの上でうめき声を上げていた。どうしてこんなことになっているのかを理解するため、視点を彼に戻そう。
「うう、体が重い……頭がくらくらしやがる……」
今日は〝魔獣の暴走〟事件から三日後の昼。俺は会社を休んで横になっている。転移魔法の使い過ぎで〝魔力酔い〟を起こしたせいだ。二日酔いに近い症状に加えて熱も出た。久しぶりにやらかしたんで、正直しんどい。
最初の二日は、薬でどうにか誤魔化しつつ会社に行ってたんだが、こんな有様なんで〝転移通勤〟ができずに満員の通勤列車に揺られていたら、ついに今朝、駅のホームでブッ倒れて救急車のお世話になっちまった。
……気力だけで意識を保った俺を、誰か褒めてくれ。
ま、倒れたのは〝魔力酔い〟が原因とばかりは言い難いんだが。
医者の勧めで疲労回復の点滴を打ってもらった後、タクシーで家に戻りつつ会社に連絡を入れ、状況を報告した。
で、ちと本格的にヤバそうだったんで急ではあるが二日間の有給を取り、自宅で身体を休めている。
急ぎの仕事がなくて、本当に良かったわ。
うっかり寝入っちまったタイミングでミュステリウムの店にも飛べたんで、外の黒板に『店主、体調不良のため休業中です』って書き込みもしてこれた。ぶっちゃけ今の状態で〝転送屋〟は無理だ。
昔と比べて魔力の最大量も増えてるし、もう、ならないと思ってたんだがな。
残念ながら、こればかりは薬でも治せない。下手に魔法の回復薬なんぞ飲んだ日にはかえって悪化するからタチが悪い。むしろ、日本で市販されてる風邪薬のほうが症状緩和に役立つくらいだ。
経験からいって、今日と明日いっぱい横になってれば治るはずだが……くっそ、後で損害分を探索者助成組合に請求してやる……。
◆
「……みつけた」
駅の構内に備え付けられたカメラが捉えた、決定的瞬間。
他の誰が見ても、ただの偶然で片付けられただろう。くたびれた中年男が右手をかざした瞬間、人の波に押されて線路に転落しそうになった女性が、見えない何かに跳ね返されたかのように、ホームへ押し戻されたのも。
直後、男が崩れ落ちるようにその場で蹲ってしまったのも。
常識的に考えるならば、それは単なる偶然でしかありえない。気まぐれな突風が不運な女性を、どん底に落ちる前にすくい上げただけなのだと。
「そうか、あんただったんだな」
けれど、ずっとずっと彼を追い……いや、多数の候補者の中から彼に絞り込むために何年も、脇目もふらず駆けずり回ってきた自分にはわかる。
「ついに尻尾を掴んだぞ、湘南海岸の亡霊……!」
モニターの光が周囲を照らす、ほの暗い部屋の中で……その男の声だけが不気味に響き渡っていた。
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