6話 サイクリングは楽しむ物です。
クロスバイクのいい所は、カスタムパーツが豊富だという事。
舗装路に特化し、極限まで速度を重視したロードバイクには、付けられるパーツが限られている。マウンテンバイクもフレームがごてっとしているから、変にカスタムパーツを付けると急激に格好悪くなる。
でもクロスバイクは街乗りに特化したカジュアルバイク、個人の好みに合わせて様々なカスタムを施せる上、多少魔改造してもビジュアル的に「なんかかっこいいじゃん」って思わせるファッション性も持ち合わせている優れものなのだ。
「って事で今回は、お客様を乗せる荷台を取り付けましたー」
工具片手に取り付けたのは、後輪に被せるリアキャリア。このままじゃ痛いから、タオルを巻いてクッションにすれば……ほら完璧。
私が漕ぐから、レミリアを後ろに乗せましょう。勿論私は乗馬服に着替えているわよ。
「お姉さま、こんな複雑な物をあっという間につけて。器用なんですね」
「まぁねー」
自分で自転車のメンテナンスはしていたし、パンク修理は勿論の事、パーツさえあれば一から自転車を組み立てる位は簡単よ。
っと、出発前に軽くタイヤを見ておかないと。
「エヴァ、ポンプ頂戴」
ツーリング前には、タイヤの空気圧を絶対確認しないといけない。
よくママチャリとかで、空気が入ってないべこべこの状態で走っている人を見るけど……あれはとっても危険。
パンクのリスクも高まるし、チューブの寿命も縮めちゃう。ホイールにも負荷がかかってひしゃげちゃうし、最悪タイヤが壊れちゃう……そんなの自転車が可哀そう。
「見ててねレミリア。自転車のタイヤには、適正気圧があるの」
一般的にママチャリの空気圧は3気圧程度だけど、クロスバイクで使われているタイヤは6~7気圧も入っている。自転車の種類によって適正気圧は変わるけど、マウンテンだと低い、ロードだと高いって覚えておくといいかも。
クロスバイクは細いタイヤに空気をパンパンに入れている状態だから、放っておくだけみるみる空気が抜けてしまうの。だから一週間か二週間に一度は気圧調整してあげる事。自転車にとって空気はご飯、元気に走ってもらうため、きちんと食べさせてあげないとね。
「しゅこしゅこ……タイヤに空気を送るポンプ……まるで私とお姉さまのよう……うふふふふ……」
「そうかしら? なんかよく分からないけど、気に入ってくれたなら嬉しいわ」
「あー空気を吸うのがとっても美味しー」
エヴァ、どうして現実逃避するかのような顔で深呼吸してるの?
ともかく。空気圧OK、キャリアOK! これで早速出発よ。
「さ、後ろに乗ってレミリア。貴方に新しい世界を見せてあげる」
◇◇◇
どこまでも高い青空の下、私達は街の近くの草原を走っていた。
広い場所を走るのに自転車は最高の乗り物だ。ペダルを通して地面のしっとりした感触を味わい、風の音を聞きながら自然と一体になる心地よさを感じながら、流れるように切り替わる景色をゆっくりと楽しむ。
サイクリングをするなら、ロードバイクよりもやっぱりクロスバイクが一番。遅過ぎず速すぎない程よい中速で走る事が出来て、ある程度の悪路でも物ともしない。ペダルを踏む度自転車が「楽しいね」って言ってくれているような軽やかさが、クロスバイク最大の魅力だ。
「空がとても綺麗。どう? 胸の中がすっきりするでしょ」
「分かります。私、空がこんなに澄んだ物だって知りませんでした」
レミリアが背中を預けてくる。少し早い心臓の鼓動が、肌を通して伝わってきた。
「孤児院に居た頃も、牧場で働いていた時も、空を見上げる度に胸が苦しかったんです。……ずっと生きるのが辛くて、苦しくて……こんなに嫌な事が続くのなら、もう死にたいって。何度も何度も思っていたんです」
「そう。じゃあ今はどう?」
「とっても楽しいです。お姉さまが私の鎖を壊して、新しい世界を見せてくれたから。もっとお姉さまと、色んな事をしたい。沢山の世界を見てみたいんです」
「貴方が望むなら、私はいくらでも協力してあげるわ。試しに言ってごらん、貴方は次に何をしたい?」
「自転車に乗りたいです。お姉さまとおんなじ世界を、私も見たいから」
「OK! じゃあ来週まで待ってて、貴方用のクロスバイクを手配しておくわ」
そのためには一旦戻って、レミリアの体を計らないとね。
自転車のフレームは人によって適正サイズがある。フレームは生物で言う所の骨格に相当する物だから、体にきちんと合わせないとバランスを崩してまともに走れない。
記念すべきレミリアの初バイク、最高の自転車をプレゼントしてあげないとね。
「アンジェリン様、お気を付けください。変態の影がちらつきました」
「変態……ああそっか、忘れてた。この辺奴の散歩コースだったっけ」
自転車を一旦止めて待つと、黒馬に乗った変態王子が近づいて来る。レミリアとエヴァを背中に隠し、私はドMと対峙した。
「やぁアンジェリン、それとレミリア。こんな所で会うなんて奇遇だね」
「別に私は会いたくなかったけどね、エドワード」
エドワードは朗らかに微笑んでいるけど、その裏には邪な欲望を感じた。
こいつの趣味は乗馬で、週一回近郊の草原を走るのが習慣なんだとか。ゲームだとその日を狙ってエドワードと接触し、イベントを進めていくのだ。
といってもこいつのルートを通る気はないんだけど。私性癖自体はノーマルと言うか、奪うより奪われる方が好みなの。
「君達も乗馬をしにきたのかい? それだよね、前に泥棒を捕まえる時乗っていた、鋼鉄の馬っていうのは」
「確かに街じゃそう言われていたわね。言っとくけど、これはクロモリじゃなくてアルミの馬よ。クロモリのスポーツバイクは私の中ではナンセンスなの」
クロモリは例えるなら、ガテン系女子。男に交じって工事現場で働くワイルドな女の子。
アルミはスポーティで快活な元気系女子。一緒に遊ぶと楽しいカジュアルな女の子。
カーボンは儚くて繊細なお嬢様系女子。思わず守りたくなる庇護欲をそそられる女の子。
自転車は使う素材によってこれくらい性格が変わるの。中でも私が好きなのは後者二名。
「クロモリはなんか分かんないけど……乗ってるだけでむかつくから嫌いなのよ!」
「成程、同族嫌悪と言う奴ですね」
エヴァ、あんた来月の給料覚悟しておく事ね。
「ははっ、ごめんごめん。しかし自転車か、見ているとなんというか、興味をそそられる道具だね」
「男なら確かに気になるかもしれないわね」
こういうロボットを連想させる機械的な物体は、確かに男心をくすぐるのかもしれない。振りとかではなく、エドワードは本心から自転車に興味を持ってそうな様子だった。
「街中で相当な速度を出していたようだし、これもかなり速いんだろう?」
「まぁね。特に私は「ハリケーン」の異名を持つ女、本気を出せばあんたの馬よりずっと早いわ」
「……言ったね? 僕の馬より速いんだって?」
あ、カチンときたみたい。男って自分の好きな物を貶されるとすぐに怒るから嫌ね。
「なら勝負してみないかな、僕の馬と君の馬、どちらが速いか。でもただ競争するだけじゃつまらないし……負けたら相手の言う事を一つ聞く、というのはどうだい?」
「ふーん、悪くないわね」
売られた喧嘩は買うのが私、特に競争となれば血が騒ぐわ。そんじゃあ早速、さいしょはグー……!
「ちょっと待ってアンジェリン! なんで拳握ってるの、なんでそんな腰落として力溜めてるの、なんで僕の馬に殺意を向けているの!?」
「将を射んとする者はまず馬を射よ、って言うじゃない?」
「まさかの不戦勝狙い!? 目の前でこんな豪快に不正行為働く人初めて見たよ!」
乗り物の管理も勝負の内、事前に相手の道具を潰すのも立派な戦略よ。
「私の拳なら馬ごとき一撃で殺せるわ、今夜は馬肉でバーベキューね」
「ぐっ、なんたる辛辣な対応……どこまでも僕の琴線を擽ってくれる……!」
私の罵倒で顔を赤らめ、はぁはぁ息を荒らげる変態貴族。こんなのが攻略対象だったなんて、心の底からげんなりするんだけど。
しかも呆れた目を向けるだけで興奮するから性質悪いし。マゾってある意味最強ね。
「くっ……出来ればもっと僕を蔑みの目で視姦してほしかったが、勝負前に時間を取るわけにはいかないな。それに勝てば君から僕は……ああっ、想像しただけでゾクゾクが止まらない」
「ねぇこいつしばいていい?」
「私はいいと思いますお姉さま」
「ただのご褒美になるだけですからやめましょう」
けどこっちにも利益があるし、久しぶりに全力を出してみますか。平地での競争、つまりはスプリント勝負ってわけね。元エースの全力スプリント、このドM野郎に見せてやる。
その前にクロスバイクをカスタムしないと。
リアキャリアとグリップを外して、秘密兵器を出す。こんな事もあろうかと用意しておいた、レース仕様のカスタムパーツ。
「てれれれってれー♪ バーエンドバー!(Ver大山)」
見た目はくの字に曲がった短い鉄棒、それがバーエンドバー。
街中で走る自転車で、時々ハンドルの端に牛の角みたいな棒を付けている奴を見かけると思う。その角状のパーツがバーエンドバーよ。
「普通はハンドルの端っこに付けるんだけど、今回はスプリントだからね。ハンドルの内側に付けてあげるの」
って事で早速装着。見た目がテントウムシの頭みたいになってちょっと可愛くなる。いや、コクワガタの頭かしらね。ちょっとしたチャームポイントって感じ。
「それを付けるだけで速くなるのですか?」
「勿論! 簡単に改造できるからエヴァも試してみて。あともう一つの秘密兵器が、これ」
私が出したのは、特注のマウスピース。これもスプリント勝負なら役に立つ道具よ。
「乗馬服だと風の抵抗がなぁ……よし!」
って事で服をびりっと破る! マゾとレミリアは勿論、エヴァも悲鳴をあげた。
「何してんですかあんたは!? とうとう女としての羞恥心まで無くしたのですか!?」
「女しかいないからいいじゃない。そこのマゾはそもそも人としてカウントしてないから見られてもなんとも思わないわ」
「うぐっ! やめてくれ、これ以上僕を喜ばせるのは……!」
「……確かにこれじゃ人としてカウントできないですね」
って事で胸を即席のサラシで抑えつけ、ズボンも股下まで裾を破って軽量化する。あとはマウスピースをはめ込めば……アンジェリン・スプリントフォルムの爆誕よ。
スプリント勝負はいかに風の抵抗を減らすかにかかっている、服の皴が1ミリでもあるだけで、速度は大きく変化してしまうの。
0,01秒でもゴールへ、0,01ミリでも前へ! 勝利のためなら私は妥協しない、恥や外聞を気にしていて、プロスポーツ選手やってられるか。
「お姉さま、カッコいい……! 勝負に対し貪欲な姿勢、なんて漢らしい……!」
「確かに、それには同意しよう……男としてここまで勝負に賭ける姿勢は見習わねば」
「一応アンジェリン様女なんですけど。それも貴族令嬢なんですけど」
うんまぁ、代償の大きさは理解してる。勝負に勝つためとは言え、完全に女を捨ててるしね……。
だけど勝負に負ける位なら、そんなもん捨ててやる。私はプロレーサー……負けるのが大っ嫌いな人種だもん。
「ただまぁ、そう言うアンジェリン様も好きではありますよ。という事で」
エヴァは呆れながらも、私の髪を結んでくれた。
「長い髪は抵抗になるでしょう。これでいかがです?」
「うん、大丈夫! ありがとエヴァ、絶対勝ってくるからね」
見せてやる、「日本から来たハリケーン」の異名を持つ、小坂渚の全力スプリント!