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プロローグ

「ペースが落ちてる、もっとケイデンスを上げなさい!」


 ロードバイクの練習中。

 屋敷近くに造り上げたサーキットコースで、私は情けない男共に叱責を飛ばした。

 全く、たかだか5キロのコース60周程度で音を上げるなんて。乙女ゲームの男ってのはどうしてこんな貧弱なのかしら。


 私を御覧なさい。長い銀髪はうなじでまとめて邪魔にならないようにしているし、ぴったりしたサイクルジャージからも分かるくらい、体も仕上げてきている。私はメリハリ利いた体付きをしているから、ちょっとジャージがきつく感じるかな。


 そして陽射しから目を守るためにサングラスも完備。皆から「クールな切れ目が日焼けするから!」って押し付けられた物だけど、やっぱあると助かるわ。


 ともあれ、私は完璧なコンディション、完璧な装備で挑んでいるの。それとエドワード。貴方はエースアシスト、私を引っ張る男でしょう? なんでもうへばっているのよもう。


「ま、待ってくれアンジェリン……! こ、このロードバイク? と言う奴がどうも、乗り辛くて……」

「グダグダ文句を言わない! いい? ロードレースは一瞬でも隊列を乱せば負けに直結する、一瞬一秒を争う戦争なの! 乗り辛いなら慣れなさい、疲れたのなら一度列の後ろへ下がりなさい! 自分のコンディションを見定めるのもレーサーの仕事よ!」

「うぐ……しかしだな……」


「安心なさい、もし貴方が倒れそうになったら私が掬い取る。この私を誰だと思っているの? シュバルター家が長女、アンジェリン・シュバルターよ。貴方一人を支えて走るくらい、なんて事ない。貴方が倒れるというのなら、私が抱えてゴールへ運んでみせるわ」


 全員でジャージをゴールへ叩き込む。それがロードレースの真髄よ。

 私は仲間を見捨てないし信じている。だからこそ厳しく叱るし、倒れそうになったら助けてあげるわ。


「肝に銘じておきなさい、貴方は独りじゃない。私はエレボニア王国最速の女、「神速の女神アンジェリン」よ。私が傍にいる限り……何があろうと貴方を守ってみせるから!」

「あ、アンジェリン……いや姉御!」

「素敵です……素敵ですわお姉さま!」


 唯一私について来る主役令嬢、レミリアが目を輝かせて黄色い声を上げた。

 当然でしょう。私はこのチームエレボニアのキャプテンなのよ? キャプテンが仲間を見捨てちゃ失格よ。


「目標の500キロ走破まであと40周! 各自体調を確認しながら続きなさい、ここからは私が引くわ!」

「えっ!? でもお姉さまはエースでしょう?」

「エースがアシストを引っ張ってどうするんだ!」

「馬鹿仰い! キャプテンだからこそ……率先して仲間を引っ張る物でしょうが!」


 ゴールまでエースを運ぶには、全員の力が不可欠。それならば、私はチームのために、自分ができる事をやるまでよ。

 さぁ、大会へ向けて、バリバリ練習していきましょう!


「……アンジェリン様、なんて無駄に漢前のアホに育ったのかしら……」


 侍女のエヴァがなんかぼやいてたけど、とりあえず無視しとこう。

 だって嬉しいんだもの。こうやってまた、ロードバイクに乗って走れる瞬間が。


  ◇◇◇


 事の始まりは十年前、私が八歳の頃に遡る。

 その日の私はお父様に連れられて、湖で釣りをしていた。ところが釣りに夢中になりすぎた私は、足を滑らせて湖に落ちてしまった。


 溺れて死ぬ間際、私の脳裏に知らないはずの光景が浮かんだ。


 高いビルが立ち並ぶ街並み、無数に走る車、夜になっても明るい国……そう、日本に居た頃の記憶が、走馬灯のように思い起こされた。


 そこで私は全ての記憶を取り戻した。


 私、アンジェリン・シュバルターは、元々は小坂渚と言う、日本に住んでいた女だという事に。そこで私は不慮の事故により死んでしまい、この中世の異世界へ転生したのだ。


「はぁ……つまりアンジェリン様は、その……転生者? と言う奴なのですか?」

「そうなの!」


 私は記憶を取り戻した興奮から、五歳年上のエヴァに全てを話してしまった。

 彼女はちょっときつい印象を受ける顔立ちの、褐色肌の侍女で、スレンダーな体形の女性だ。私が物心ついた時から一緒に居た姉のような人なので、多分その気心知れた関係が、私の愚行に繋がったのかもしれない。


「えーっと、確か王国内で一番腕のいい霊媒師はっと」

「ちょっと待って、何で伝書鳩用意してエクソシストを呼ぼうとしているの?」


「当然でしょう。湖ポチャから蘇生して、開口一番「私は転生者なの」とか普通に考えても異常ですよ。あの湖は昔激しい戦争があった場所ですからね、そこで死んだ霊的な何かが頭弄っているんでしょう」


「違うの! 確かに落ち着いたら頭おかしい事言っちゃったって後悔したけど違うの! もしエクソシスト呼んだら貴方が大事にしている自作ポエムを大声で音読してやるから!」

「失礼しましたアンジェリン様!」


 互いに互いの弱みを握る程度には仲がいい。それが私とエヴァの関係である。


「しかしアンジェリン様、別に信じるわけではありませんが、私以外にそのような戯言を口走ってはなりませんよ。まさか御自身の立場が分からない程に脳みそが焼き切れていませんよね?」

「貴方結構毒吐くわよね。勿論、自分の事くらい分かってるわよ」


 私が転生したアンジェリン・シュバルターは、エレボニア王国でも1,2を争う地位にいる公爵家である。私はその公爵家の次女として生まれたのだ。

 貴族の世界は基本ヤクザの世界と大差ない。縄張り意識が異常に強くて、ちょっとでも弱みや隙を見せたら即座に潰しに掛かってくる。


 私がさっき口走った世迷言が知られたら、シュバルター家には悪霊がとりつかれているなんて心無い悪評が経つに決まっている。貴族同士の衝突程面倒な事はない、注意しなくちゃ。


「それで? アンジェリン様は前世の日本? って所でどんなことをされていたのですか。一応万一が起こった時の保険として、記録に残しておきますね」

「いちいち発言に棘があるのが気がかりね。いいわ、教えてあげる。この際自棄よ、貴方には全てを教えてあげる」


 元々調子に乗りやすい私は、胸をはって堂々答えた。


「私はね……ロードレース選手だったのよ!」


 ロードレース、つまり自転車競技の選手。それが私の前世だ。

 元居た世界でも、女性のロードレーサーと言うのは競技人口が少ない。当然だ。F1しかり、こうした乗り物系の競技は基本男性社会だから。


 だけど少数でも、女性のロード選手は存在している。そして私は前世では、アメリカで戦う女性レーサーだった。

 アメリカには世界でも珍しい、女性のみで結成されたロードレースチームが存在している。単身渡米した私は気合と根性でそのチームに入り、平坦・山岳どちらでも活躍できるオールラウンダー、エースとして成績を残してきたのだ。


「大会で何度か優勝経験もあったの。そのおかげで「日本から来たハリケーン」なんて肩書を貰ったりして……ああ懐かしきレーサー生活よ……」

「……じてんしゃ、とはなんですか?」

「後で教えてあげるね! この手の話になると私煩いから」


 私の実家は自転車屋だった。自転車競技に興味を持ったのもそれがきっかけだ。

 人力で走るためだけに作られた洗練されたフォルム、人機一体となって風となる疾走感、そして己の限界に挑む実感が得られる快感。私にとって自転車は人生そのものよ。


「で、どうしてアンジェリン様はお亡くなりに?」

「うん、一時帰国して、日本のレースに出た時なんだけどね……」


 ロードレースは非常に危険なスポーツだ。何しろ自転車で40km/h以上の速度を出し、一分一秒を争う。当然事故ればただでは済まない、万一の事もあり得るのだ。


 そして私には、その万一が起こってしまった。


 日本に帰国し、調整のつもりで出たレース。そこで接触事故を起こした私は首の骨を折ってしまった。

 頸神経が砕けて、即死だった。苦しまずに死ねたのが唯一の救いだったかな。


「自転車競技は常に死と隣り合わせよ、何しろ体をむき出しにした状態で、車並みの速度で走ってるんだから。事故ればまぁ、こうなっちゃうわよね」

「車って何ですか?」


 しまった、車なんて分かるわけ無いわよね。

 うーん、いざ前世の記憶を思い出すと、頭の中が混乱してくるわね……。


「そして私達の居る世界へやってきたと。空想話にしては面白い物でした」

「……貴方もしかして信じてない?」

「ええ。何しろ娯楽の少ない仕事ですし、主人が急に大人びた口調になれば当然……こんな面白い事飛びつかなきゃ損じゃん? って気分にもなりますよね」

「うんまぁ、確かに私の口調って八歳児ぽくないわよね……」


 今後人前で話す時は気をつけなくちゃ……ぼろが出たら危ないし。


「ですがもしその話が本当なら、私はアンジェリン様……と言うより小坂様が死んでくれてよかったと思いますけどね」

「それどういう意味?」

「だって小坂と言う女性レーサーが死ななかったら、アンジェリン様に会えなかったわけですもの」


 うっ、なんてカッコいい事を。これだからエヴァは……好き。

 でもこの先の事は言えない。ある意味、最悪の未来を言う事になるから。

 アンジェリン・シュバルター。それは私が生前プレイしていた、乙女ゲーム「薄幸のレミリア」の悪役令嬢だ。


 このキャラクターは主人公、レミリア・ツヴァイから恋人を奪う役を持った令嬢で、最終的にはレミリアに働いてきた数々の悪行が明るみになり、家から追放されてしまうという運命にある。


 つまり私はこのまま成長すれば、18歳にはヒロインに侵した罪によってバッドエンドになってしまう。……どうして男を誑かして損な役割を引き受けなきゃならないわけ? 考えてみると悪役令嬢ってそんな役目よね。


 でも逆に言えば、その結果を知ってるって事は、やりたい事を思い切りできる。そうでしょう?


「ねぇエヴァ。私ね、やりたい事が出来たの。前世の記憶を取り戻したからこそやりたい事なの」

「……まさか、自転車に乗りたいとかアホ丸出しな事抜かしませんよね」

「そのまさか! ……貴方って本当に口悪いわよね、不敬罪で訴えてもいいのよ」

「出来る物ならやってみてください、貴方が口走った数々の奇行はこの通り記録として残しましたので」

「メモったのは武器にするためね、やるじゃない」

「アンジェリン様は時折悪役みたいな顔を見せますので、この程度は当たり前です」


 いやまぁ、実際悪役令嬢だから悪役顔するのは当然として。

 アンジェリンってキャラクター自体、周囲から嫌われ者として扱われるキャラクター。最終的にヒロインに負けて処断される存在。それなら思い切り我儘にふるまいたいじゃない。

 私は自転車が好き。だからもう一度、自転車に乗って走りたい。


 そのためにもこの世界に、自転車の火をつけてやるんだから。


「って事で協力してね、エヴァ!」

「いいですよ。アンジェリン様と付きあうのは、退屈しなくて面白いですから」


 もう、だからエヴァって好き! 結婚して!

 という事で、これが私の異世界自転車ライフの始まりとなったのでした。


7/10 説明不足が多かったため修正しました。ご指摘いただきありがとうございます。

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