第五話~中等部2年
中等部の2年に進級すると、さすがに博和の同級生達もこの学園の暗黙の規則とでもいうようなものを理解し始めた。まず、授業と教科書だけでは、定期考査に絶対についていけない。じゃあ何のための学校かといえば、自主的な教育を促すための学校である。学校行事や部活動といった諸々は、それを理解したうえで両立せねばならないのである。恋愛もまたしかり。自分の最も輝かしく、感受性の高い時期に、自身をうけとめてくれる異性がいれば人生万事うまくゆくと考えがちだが、現実には気を揉んだり、憧れの異性の一挙一動に深く懊悩したりで、全く苦悩の連続である。
『年間成績トップの佐伯博和君』はいまや学年でも一目置かれるようになり、博和の周囲には多くの同級生が集まるようになった。彼が――主に数学で――考査問題について丁寧に解説すると、学友達は授業よりも熱心にノートを取るほどであった。そのいっぽうで、違うクラスになった美幸とは相変わらず休日にテニスをしたり、メールで連絡を取り合って一緒に下校する仲が続いていた。
2年に進級して最大の変化は、三枝睦美と同じクラスになったことだった。そうして、博和は改めて彼女を観察することが出来るようになった。彼女は女子にしては長身で、博和と同じくらいの背丈がある。さらによく観察すれば、一年のときに比べて、若干制服を着崩すようになっていた。スカート丈はあきらかに膝上で、ネクタイはかなり緩めている。シャツも学校指定のオフホワイトではなく、僅かにブルーの混じったオーダーメイドのものだった。ブレザーは暑い日などは肩に羽織ることがある。授業中はノートをさほど取る様子もなく、頬杖をついてぼんやり窓の外を見ていることが多い。休み時間や昼休みになるとどこへともなく立ち去る。そして廊下ですれ違うと、睦美は博和とほとんどの場合軽く挨拶するようになった。
GW連休明けのある日、帰り支度をしていた博和に、睦美がそっと小声で話しかけてきた。
「ね、明日のお昼、一緒に食べない?」
博和は驚いた。一体どこで食べるというのだろう?
「えーと、僕はどこで待っていればいいのかな?」
「佐伯君のスマホの番号教えて。メールするから」
博和はなぜ睦美がこうも自分との距離を縮めようとするのか、皆目見当もつかなかった。単に考査の点数争いで興味を持っただけなのか? 話しかけようとする男子生徒を、睦美が冷たくあしらう様子を博和は何度も見たことがあった。
翌日、博和は逗子駅でサンドウィッチを買って、横須賀線に乗り込んだ。少々の不安が無かったわけではない。なんといっても睦美はおそらく高等部も含めた学園一の美少女で、頭が切れて、水泳部でも良い記録をだしているのだ。そんな相手とのランチは博和から自分に好都合な立場を引き出そうとする、ある種の奸計ではないかと思われて、昼休みが近づくにつれますます落ち着かなくなった。
午前の授業が終わると、博和のスマホにメールの着信音が鳴った。
『高等部校舎の屋上まで 三枝』
成る程……そりゃあ誰も睦美の昼休みの居場所を知らない筈だ……
睦美は先に教室を出て行ったようで、既にその姿は教室には無かった。高等部は中等部のの校舎とL字型につながって、正面玄関から入ったすぐちかくにエレベーターがある。エレベーターであがることができるのは最上階の5階までで、そこからは階段で屋上まで登らねばならなかった。
屋上には数台の鉄製ベンチがあった。人の気配はない。もうそろそろ夏服への衣替えの時期なのでとても暑い。博和はブレザーを脱いで、睦美の姿を探した。
「佐伯君、こっちこっち!」
睦美は3mはあろうかという金網フェンスのすぐ脇のベンチに腰掛けていた。ひざの上には細木で編んだバスケットをちょこんと置いて、ブレザーも脱いでネクタイも外して半袖シャツと短めのスカートのみという格好だった。博和は幾分警戒しながら近づき、ベンチのやや離れたとなりに座った。
「今日は風もないから暑っついね~。走ってきたから余計汗かいちゃった」
睦美は第2ボタンまで外したシャツの胸元を手のひらであおぎながら話しかけた。博和はそのあまりにあけすけな態度と、いつも教室で見せるクールで凛とした振舞いの差に驚いた。
「三枝さんはいつもここでランチ食べてるの?」
「ううん、屋上もあるけど、外に出て食べることもあるかな」
確かに、学園の近隣にはイタリアンやフレンチの軽食を提供する店が沢山ある。でもほとんどの生徒は共同学食を利用していた。
「ね、佐伯君のお昼はどんなの?」
「今朝逗子駅で買ってきたサンドイッチです、ほら、これです」
博和は店のロゴが入った紙袋の中身を睦美に見せた。小さめのフランスパンに、ロースとビーフとレタス、ピクルスの薄切りを挟んでいる。
「あ、わたしのに似てるかな?わたしはね、こんなの」
睦美がバスケットを開くと、そこにはやや大きめのこんがり焼いた食パンに、ステーキとチーズ、レタスに生ハムを挟んだ豪華なサンドウィッチがあった。いかにも食欲をそそりそうな色合いである。
「昨日お姉ちゃんに東京で買ってきて貰っちゃった。大学の近くの人気のお店なんだって」
……てことは三枝さんにはお姉さんがいるのか。大人びた雰囲気はそのせいなのかな……
「さあ、食べよ!」
そう言うと睦美はサンドウィッチに齧り付いた。博和もつられて少々しけたフランスパンに噛り付く。
「ねえ、佐伯君は一日何時間くらい勉強してるの?」
口を動かしながら、睦美は横目で尋ねる。
「平日だと1時間くらいでしょうか」
「すごいね!そんなもんなんだ!」
睦美は軽く頷いた。
「じゃあ、休日はどんなことして過ごすの?」
「う~ん、まあいろいろですね。本読んだり、DVD見たり、あとはテニスしたり」
「テニスかあ。わたしもお姉ちゃんとよくするなぁ」
相変わらず睦美はゆっくりと頷く。
「なんで佐伯君はこの学校にしたわけ?東京の私立だって余裕で合格したろうに」
「東京は通学には遠すぎますよ。しかも思春期に同性しかいない環境って、なんか人格が歪みそうで」
博和は軽く笑った。
「あぁ、それわかる。わたしも女子校はイヤだな。しかも制服がカッコ悪いんだもん」
睦美はゆっくりサンドウィッチの一片を飲み込むとクスクス笑った。睦美のその笑顔は、博和がはじめてみるものだった。
「……じゃあさ、ちょっと変なこと聞いていい?」
なんだろう?博和はわずかに緊張して、
「何でしょう?」
「……佐伯君が身近な人に求めるものって、何?」
奇妙な質問だった。あまりにも漠然としている。博和は小学校の頃、酷く苛められた時期があった。数瞬考えた末、彼はこう答えた。
「……誠実さ、ですね」
ふむ、と睦美は何かを考えるかのように沈黙した。
「Billy Joelの『Honesty』ね。Honesty is such a lonely word」
サンドウィッチを食べ終わった睦美はバスケットを閉めて、ベンチに座っていた腰をパン、パンと払った。
博和は急いで食べ終わると、紙袋を折りたたんで立ち上がった。
「もう昼休みも終わりね。さっさと戻りましょ」
睦美は昇降口の奥へ先に消えた。
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