第三話~中等部1年
入学して一ヶ月もすると、三枝睦美の人となりが噂となって博和の耳にも届くようになった。
大人びた美少女であること、
小学6年まで親の仕事の関係でサンフランシスコに住んでいた帰国子女であること、
性格は少々きついらしいが、常に落ち着いて凛としていること、
昼食は何処で食べているのかわからない。
登校と下校はタクシーを利用している程度に裕福であること。
部活は水泳部。
そんな彼女は誰に積極的に話かけるでもなく、早くも一部の女子のやっかみの対象となりつつあった。
ゆえに男女ともに睦美に友人といえる同級生がいるわけもなく、彼女はほとんどの場合、一人でぶらぶらしていた。一度博和と廊下ですれ違ったこともあるが、彼女は無表情でそのまま通り過ぎた。
だが、まさしくあのミトンの少女その人であることは間違いなかった。
睦美とはじめて接点を持ったのは、初の中間考査のとき。
湘南学園は中等部の3年間でほぼ高校全体のカリキュラムを消化してしまうので、入試とは比較にならないくらい勉強は大変だとは聞いていた。
結局テニス部に入った美幸にも考査対策を教えたのだが、案の定彼女は苦手な理数系の科目で追試対象となってしまった。
廊下に張り出された得点上位者順位表を端から眺めながめていると、博和は背を向けて睦美がそのある一点をこちらに背を向けてじっと見つめていることに気づいた。
『第二位 総合得点789点 三枝睦美』
800点満点だから大したものだ。頭も良いしスポーツも出来るしなにより綺麗だ。欠点なんてないじゃあないか……そう思っていると、睦美はひょいと振り返って、
「ねぇ、あなたこの佐伯博和って人知ってる?」
彼女が指した順位表には、
『第一位 総合得点795点 佐伯博和』
「それは僕ですが」
と博和は答えると、睦美はあきらかに驚きを隠せない様子で、順位表と博和の顔を交互に見た。
そしてはっとした表情で、
「佐伯君、でいいかな? 以前お会いしたことあるよね?」
博和はうなずいた。
「去年の12月。お宅の前で転んで、手袋を頂きました」
「違う違う。あれはあげたんじゃなくて交換したのよ。今でもわたしの部屋の何処かにしまってる」
睦美の切れ長の瞳には、悔しさや『このガリ勉め!』というような軽蔑感はなくて、ただひたすら純粋な好奇心が篭っていた。
博和はその眼をじっと見返すことは恥かしくて出来なかったが、
睦美がブレザーのウェストをやや絞り、スカートを膝丈よりわずかに短めに仕立てなおしていることには気付いた。
「じゃあ、佐伯君も浄明寺のハイランドに住んでいるんだ! 家近いなぁ」
睦美は口角をかるく下げてあの独特の微笑みを浮かべていた。
博和と睦美の間にはなにも障害が無いかのように。
「じゃあ、いつか近所で会うかもね。 期末考査は負けないから!」
睦美はその美貌や振る舞いといったものが年齢と不釣合いなのだ。それに気付いた博和は唐突に笑い出しそうになった。このときは、二人は軽く手を振って別れた。周囲は驚いている様子だった。
そして2度目の会話をしたのは、やはり7月中旬の期末考査の結果発表の日。
睦美は穴が開くほど廊下に掲示された得点上位者順位表を睨んでいた。
『第二位 総合得点780点 三枝睦美』
そして、
『第一位 総合得点792点 佐伯博和』
僅かに得点差は開いていた。博和がゆっくりと近づいてゆくと、睦美は振り向かずに、
「佐伯君、すごいねぇ……わたし、かなり頑張ったのになぁ……」
「意味のある差じゃありません。学校の試験なんてつまらない」
博和は睦美の背に声をかけた。今度は不満そうな表情で、睦美は振り返った。
彼女は制服のシャツを捲り上げて、素肌の肩を見せていた。彼女が高等部へ進学したら、いや、来年か、再来年でも、その肢体の一挙一動に男達は苦悩したり、感極まったりするんだろうな、と博和は想像した。
「すっごいじゃん!また博和一位だね!」
いきなり腕に飛びついてきたのは美幸だった。睦美の表情に、ほんの僅かな陰りが差したように見えたのは気のせいだろうか?
「さっすがご両親が大学教授と元助教だけのことはあるね!」
確かに博和の父親は東大理学部物理学科の教授だった。専攻は『非平衡系の統計力学』と教えてくれたが、さっぱり理解できなかった。母は同じ研究室のテニュア助教だったが、結婚を機に退職した。そして博和は一人っ子だった。
「……じゃあなんで武藤は理数系がまた追試なのかな?」
「えっへへ、まあ部活が忙しかったからてことで。やっぱ試験は毎日の積み重ねだもんね~」
そこで美幸は目の前に睦美がいることに気がついた。しゅん、とした美幸は
「さ、三枝さん、こんにちは……」
睦美は生徒会などの役職についているわけではなかったが、彼女と対面すると、誰もが威圧されるような気分になった。
「コンニチハ」
さりげなく、しかし全く感情の篭っていない返事をすると、睦美はその場を立ち去った。
「あたし、三枝さんの何か気に触るようなことしちゃったかな?」
「気にすんなって。彼女、だれにでも素っ気ないみたいだし」
彼女の気分にも濃淡があることは、その年の暮れに思い知らされた。
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